繋いだこの手はそのままに − 219
―― キュラと一緒にいるカルニスタミアは幸せだった。あの子があんなに幸せになれるとは……我輩は思ってもいなかったよ ――

 キュラさんは幸せだった。そしてカルニスタミアさんも幸せだった。

 皇君様はお墓参りから帰ってきて、私に教えてくれた。
 空で墓石にはなにも刻まれてはいなかったと。

 後半の言葉の意味は、当時の私には解らなかった。ずっと後で、皇君様が亡くなった後でケシュマリスタ王が教えてくれた。
「アルカルターヴァがまだ王弟であった頃、預かった。本来ならば大宮殿で預かる筈であったが、私が手元に置くようにに進言したのだ。大君主リディカリュオンは私を信用して預け、そして兄弟の仲は最悪となった」
「感謝しておるぞ、ケスヴァーンターン」
「それは良かった、アルカルターヴァ」
「ああ、お前は儂の超えるべき父となってくれた。死んだ父は超えられぬが、生きている超えるべき年長者として立ちはだかってくれた」
「まだ超えさせてやった記憶はないが」
「そうじゃな。だが越されそうで焦ってはおるであろう」

**********


 一ヶ月も続く結婚式の間に、色々なことをする。結婚式なんてしない奴隷には、良く解らない……けれども、たぶん平民も貴族も解らない。皇帝陛下の正配偶者になるなんて特別なことだから。
「お引っ越し?」
 私は体力がないこともあって、休憩がいっぱい取られてた。
 正配偶者が一人しかいないので、他の三人分のところをろランクレイマセルシュ王以外の人たちとの会談でナイトオリバルド様が埋めて下さった。
―― ロガ、休んでくれ。そして元気な顔を臣民たちに見せてやってくれ。それが一番重要だからな
「はい。皇后の正式な住まいとなる皇后宮に」
 私は式典に出やすいようにとキャッセルさんの宮を仮住まいにしている。
「皇后宮って? ナイトオリバルド様の私室と繋がっているお家ですよね」
 引っ越しはしなければならないと……聞いていたのだけれども、そこには先に住んでいる方が。
「そうです」
「そこって、皇君様が住んで居る所じゃないんですか?」
「そこです。普通は皇帝が代替わりすると先代の正配偶者たちはすぐに退去するのですが、陛下は幼いこともあり皆さま残られたのです」
「他の方は?」
「他の方は残る方向です。人が住まない宮はどうしても荒れますので。これは内緒ですけれども、王たちに維持費を出してもらわないことには、大宮殿復興の妨げになるので」
「では皇君様は?」
「近々帝星を出て、ご自分の領地に向かうそうです」
「え……大宮殿に住まないんですか? こんなに大きいのに」
「実家や領地に戻ることは、珍しいことではないのですよ」

 皇君様はタバイさんと同じくらいに恐い。私の目から『骨』が見えない。たくさんの骨格が一つの皮を被って……

 就寝時間近くになってナイトオリバルド様が帰ってきた。
 今日はテルロバールノル王家の王族の皆さんと夕食を一緒に取って来たそうだ。嬉しそうにカレンティンシス王やカルニスタミアさんのお話をしてくれた。
 ベッドに入ってすぐに警備の人達をナサニエルパウダさんが呼び出してくれた。ベッドから起き上がって、頭は下げてはいけないので手を上げて振ってみる。
 ナサニエルパウダさんは笑顔で頭を下げて扉を閉めてくれた。
「ナイトオリバルド様」
「どうした? ロガ。続く挙式で疲れたであろう、早く休むといいぞ」
 ナイトオリバルド様は警備が出て行ったことに驚いたけれども、私が苦手なのも知っているので深くは追求なさらなかった。
「疲れてはいますが、お話したいことが」
「なんだ?」
「皇君様が帝星から出て行かれるそうですね」
「そうだと聞いた」
「ナイトオリバルド様は、この先もずっと皇君様も傍にいて欲しいですよね?」
 ナイトオリバルド様がお父さま達のことを大切に思っていることは、話していて解った。それと同じくらいお父さま達もナイトオリバルド様のことが好き。だから……
「本心を言えばな。だがオリヴィアストルにはオリヴィアストルの人生がある。せっかく自由を手に入れることができるのだ。引き留めては……」
「此処に住んでもらって、半分は大宮殿で半分は領地は駄目でしょうか?」
 事前にナサニエルパウダさんに相談したけれども、答えはもらえなかった。
「……」
「ナイトオリバルド様は此処から出て行くことが出来ないから、皇君様に残ってもらいましょう! 私まだ皇君様と仲良くなってないんです! 私もナイトオリバルド様と同じく自由に帝星を出ることが出来ませんから、説得しましょう」
―― 陛下を困らせるようなことでは?
―― 陛下が困るかどうかなど、私には解りませんよ皇后。ですが困らせたくないという気持ちだけで、必要なことを言わないのはどうかと思います。なによりも、大事なことなら困らせたっていいと私は思います
「何処に住まわせ……」
「皇后宮でどうですか?」
「ロガ?」
「あんな大きな宮、私一人じゃ広すぎます。それにナサニエルパウダさんが、警備が必要って。皇君様は強いんですよね! 私の警備も兼ねて残ってもらいたいんです」
「……そうだな。余は最初から見送ることだけを考えていた。本当はずっと傍に居て欲しいのに」
「皇君様もずっと傍にいたい筈ですよ」
「ロガ……だが、いいのか? オリヴィアストルは」
「皇君様はナイトオリバルド様のお父さまです。私これからパパって呼ばせてもらいますよ」
「喜ぶであろうな……ありがとう、ロガ」
「じゃあ明日の朝、一番に皇君様のお部屋に行きましょう。吃驚させるためにお手紙とかなしで。連絡してなくても、ナイトオリバルド様と一緒なら大丈夫だってナサニエルパウダさんが言ってくれました。それと今夜は確実に皇君宮にいて、明日の朝もやや遅めだから平気だって」
「メーバリベユがそう言ったのなら間違いあるまい」

 もしかしたら皇君様を困らせることかもしれないけれど……ナイトオリバルド様だけじゃなくて、私も一緒にいたい。やっと普通にお話できるようになったのに、これでお別れというのは嫌だ。

 翌朝、目を覚まして時計を確認すると、予定よりも早くに目が覚めていた。私はそのまま起きて、ナイトオリバルド様も起こして急いで準備をして皇君宮へと向かった。
 寝起きの皇君様が、驚いた顔で出迎えてくれた。
「皇君」
 悪いことをしたなと思ったけれど、お式で時間がない。その間に引っ越し準備が終わってしまうとも聞いた。
「如何なさいました、陛下」
 深緑のガウンを着た皇君様は”失礼”と言い、手で隠して小さな欠伸をした。
「余と一緒に暮らそう!」
 手も欠伸をした口も固まったまま。
 私からも言おうとした時、皇君様が現れた扉から、
「皇君さま……あ、陛下」
 全裸のキャッセルさんが現れた。
 今度は私が驚いて背中を向ける。言おうとしていた言葉が全部吹き飛んでしまった。
「キャッセル? …………余は知らなかったが、皇君とキャッセルは恋人同士だったのか!」
 ナイトオリバルド様は驚きながらも嬉しそうだった。
 後で聞いたら『父たちにそれぞれ人生のパートナーが居ることは喜ばしいことだ。皇帝の正配偶者としては……まあ望まれてはいたが、余とロガのような望まれ方ではなかったので……所謂政略結婚だ。だから……』ナイトオリバルド様にとって、それは言えないけれども望んでいたことだった。
「我輩とキャッセルはそのような。ガウンを持て」
 皇君様が手を二度叩き、小走りの足音が扉の前で止まり、皇君様は受け取りに向かった。キャッセルさんは空気が少し動いたから、たぶん首を傾げるかなにかをしたのだと思う。
「そうなんです、陛下。私と皇君さまは恋人同士なんです」
「ではキャッセルからも頼んでくれ!」
「なにをですか?」
「皇君宮、今日からは皇后宮となるここで一緒に暮らそうと説得しておるのだ」
「皇君さま、陛下に説得なんてさせるほど頑なに出て行こうとしなくても。折れるべきところではあっさり、ぽっきり、ぱっきり、枯れてる大人らしく折れてください。皇后、こちらを向いても大丈夫ですよ」
 向き直ると皇君様がガウンの襟元を直し、キャッセルさんは腰のベルトを結んでいた。モスグリーンで裾を引きずるほど長いガウン。
 皇君様とキャッセルさんは身長は変わらないから、あのガウンは元々用意されていたものだと思った。
「我輩はたったいま聞いたのだが、それでも我輩が悪いのかね? キャッセル」
 黄金髪を右手でかき上げて笑う皇君様。
「もちろん」
 キャッセルさまの答えに《奥にある骨たち》の顎が笑ったように動いた。皮膚が動くわけではなくて、身体に重なるように見える。
 不思議だなとは思うけれど、もう怖さなんてない。
「あの! 私からもお願いします。一緒に暮らしましょう」
 提案したのは私だから、絶対に私からも言わなくてはと、勢い込んで叫んだ。途中で声が擦れてしまって、恥ずかしかったけれどもはっきりと言いたかった。
「舅と一緒に暮らすというのは、息が詰まると思いますが」
「そんなことありません!」
「大丈夫ですよ、皇君さま。皇后の息が詰まるようなことがあったら、あの有能な女官長さまが、さっさと皇君さまを叩き出しますから」
「それはそうだね」
「半分だけでいい。余がいる帝星に半分、あとの半分は自由に暮らしてくれていいから。出ていかないでくれ」

「皇帝と皇后にここまで請われて、出て行く愚か者もおりますまい」

 皇君様の答えに喜ぼうとしたら、何時の間にか抱きかかえられていた。
「ありがとう! ロガ!」
「ナイトオリバルド様」
「言って良かった! 良かった!」
 くるくると回る景色、皇君様が笑ってキャッセルさんが……
「陛下、回し過ぎです。后殿下……じゃなくて皇后の目が回ってしまいます」
「あ! すまんロガ」
「いいえ」
 降ろしてもらったら、ちょっとくらくらしてた。
「大丈夫ですから、ナイトオリバルド様。あの……皇君様ちょっと……」
「はいはい。なんで御座いましょう?」
「ソファーかなにかあったら、横にならせて欲しいのです。そこまで連れていってください」
「畏まりました。キャッセル、陛下をテラスにご案内しなさい。陛下、我輩が皇后をお連れしますので、そちらでお待ちを」
「わかった。ロガあのな……」
「喜んでもらえてとても嬉しかったです」

 少し目を閉じて、
「皇后、陛下は少し離れました。なにか我輩に?」
 目を開くともう周囲は回っていなかった。
「気付いてもらえて良かったです」
「お褒めにあずかり光栄です」
 皇君様に手を貸してもらって立ち上がり、私はもう一つの頼みをする。ナイトオリバルド様には内緒で。
「あのですね。挙式の間にケシュマリスタ王と会いたいのです。陛下や帝国宰相閣下には内緒で」
 私はケシュマリスタ王に会わなくてはいけない。
「理由は聞きませんが、会わせたくはありませんな……ですがその表情からすると、我輩の意見など聞き入れてはもらえませんでしょうなあ」
「どうしても、私一人で会う必要があるのです」
 会って話をしなくてはならないと思うのです。ヤシャルさんを預かるとナイトオリバルド様が言った時、まっさきに思い浮かんだのはケシュマリスタ王ラティランクレンラセオ。
 皇君様やタバイさん、あのザベゲルンさんとは違う《恐怖》をもたらす存在。
 お父さんが言っていた《本能的な恐怖》を感じた人の中で、ケシュマリスタ王に感じたものだけは別の物。本能の違う部分を刺激され、感じた恐怖を見極める必要がある。
「我輩とキャッセルが護衛に付くことを許して下さるのでしたら、二日後にでも会えるように取り計らいましょう」
「お願いします」
 ケシュマリスタ王から感じた恐怖がなんなのか? 今度はあの王はそれをはっきりと見せてくれるかどうか?
 恐怖の根源をはっきりと見せてくれたなら、私は認められたのだと思う。

「皇后、朝食の用意が整いました」

 ナサニエルパウダさんが来ていて、
「さあ、食事をとりながら本日のスケジュールの説明になります。もちろん皇君もガーベオルロド公爵もご一緒してくださいますよね」
 みんなで食事をした。
 二人きりで食事をするのは楽しいけれど、こうやって、
「まさか皇后と一緒にお食事できるとは思いもしませんでした」
「今度は陛下のお父さまみんなで食事しましょうね。それと皇君様」
「なんでしょうか?」
「パパって呼ばせていただきます」
「……」
「皇君様、良かったですね」
 ナイトオリバルド様のご家族と食事をするのは楽しい。ああ……ナイトオリバルド様のご家族じゃない、私たちの家族でした。

**********


―― お前はもう用無しだ、ザンダマイアス。大宮殿から出て行ってよいぞ ――

「貴方様から用無しと言われた我輩ですが、陛下と殿下にまだ必要とされておりますので、残ることに致します。死者皇帝よ、生者皇后の勝ちです。完全勝利といっても良いのではないかと、我輩は思います……もっとも、貴方様は勝ち負けすらどうでも良かったのでしょうが」

**********


「私はあの日、貴方に幻覚という存在を教えてもらったことで、皇后として認められたと確信しました。ケシュマリスタ王」
「その通り、私はあの日貴方を認めましたとも皇太后」
 青空の下に広がった、審判の日。そして楽園。

―― 人間は簡単に超えてゆく。お前にも見せてやるよ、カレティア

「だから今回も認めて欲しいのです。私とアルカルターヴァ公爵の結婚を。少し先の話にはなりますが」
「なぜアルカルターヴァなのだ。私でも良いではないか、ロガよ。それに貴方のことは大君主リディカリュオンにも頼まれている」
「なぜ”故”大君主リディカリュオンと言わぬのだ。助けきれなかったことが、それほど悔しかったのか? ケスヴァーンターン」
「悔しくはない。私の腕の中で死んだ大君主リディカリュオンは悔しかったであろうがな」
「全くだ。いま兄貴は全力で儂を応援しておるだろうよ」
「あいつに応援なんて出来るものか。怒鳴って叫んで倒れるのが関の山だ。アルカルターヴァ」

 私一人と言い貫いてくださったナイトオリバルド様に感謝を込めて、時が来たら私はカルニスタミアさんと再婚します。


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