繋いだこの手はそのままに −198
 ザウディンダルの部屋から出たあと、ロガに挨拶をして去ろうとしたリュゼクの元に、
「リュゼク」
「陛下」
 やや落ち着きのないシュスタークが近付いてきた。
「ガルディゼロの容態はどうだ?」
 皇帝に話しかけられたらすぐに返事をするのが筋だが、皇帝と立ち話をするわけにもいかないので、場所を移動するか? この場に椅子を用意させるかを提案し、大至急椅子を運ばせシュスタークが座り、その前に跪いてからリュゼクは答えた。
「もうすっかりと治っております。陛下に心配していただけるとは、ガルディゼロも幸せな男です」
 融通が利かないと言えばそれまでだが、皇帝の有り様を徹底するという面では正しくもあった。
 それにリュゼクとしては少しばかり話をしたいので、座ってもらったほうが彼女としても話しやすい。
 リュゼクの性格では、皇帝を立たせたまま話すなどできない。 
「そうか。あのなロガがガルディゼロのことを心配しておってなあ。解っておる、ラティランクレンラセオのことがあるから自由に出来ぬのであろう? だが少しでいいからロガに会わせてやってくれ」
「陛下が家臣の臣である儂ごときに”してやってくれ”などと言われるな」
 頭を上げずに言い返す。
 礼儀作法には厳しい一族は、皇帝が礼儀作法に則っていなければ、相応の物言いをする。もちろん《皇帝が受け入れてくれる度量がある》ことが前提。
「ご、ごめ……じゃなくて、その……だが命令ではない。リュゼクはこの艦を守ることと、カレンティンシスを守ることが使命であろう。その使命を果たすためにはガルディゼロを手元におき、監視するほうがよい。それを余の一存で曲げてくれと言っているのだ。これを頼まずに命じることは軍の総司令官として間違っていることだと解っておる。だから……その……」
 長い左右の人差し指を遊ばせながら焦るシュスタークを頭上に感じながら、
「陛下」
「どうした? リュゼク」
 この皇帝が自分たちの王の主であることの幸福を噛み締めながら、まとまるように話を続ける。
「ガルディゼロに関しては儂はなにも言えませぬ。陛下が儂等の殿下に命じて下され。儂等の殿下であるカレンティンシス様は”この儂”に――ガルディゼロにどのようにして自由を与えるべきか――に関して意見を求めるでしょう。その場で儂が陛下のお心に添えるよう意見させていただきます」
「お、おお! そうか! 頼むぞリュゼク!」
「陛下」
「なんじゃ! で、ではなくて、なんだ?」
「ロガ后の飼い犬、ボーデンと言いましたか?」
「ボーデン卿だが」
「卿のお世話は誰が?」
「誰とは決まっておらん。この艦で一番暇なのは余なので、余が受け持っているが……まあ、この通りなので……」
 長椅子の背もたれに俯せつつ体を預けるシュスターク。
「タカルフォスを借りてやってください。あれの犬好きは陛下もご存じでしょう」
 タカルフォス伯爵の顔を見てボーデンのことを思い出したくらいなのだから、シュスタークも良く知っている。
「もちろん知っておる。ボルゾイが特に好きと聞いた。だが余はあれと直接話が出来ぬから」
 会話ができないというのは、話を聞くこともできない。聞こえてはいるのだが、聞こえたとして動いてはならないのだ。
 シュスタークが目の前で喋ったとしても、間に入った者の言葉を聞いてからでなくては、タカルフォス伯爵は返事もできない。それはシュスタークも同じで、タカルフォス伯爵が喋った言葉は聞こえていても間に入った者が繰り返してからでなくては「聞こえた」と反応してはならない。傍目から見ていると滑稽だが、その滑稽さが懲罰となる。
 それに付き合う皇帝も大変だが、これで皇帝の気分が害するのが目的にもある。鬱陶しさを感じ遠ざけること。
「間に人を置けば解決しますな」
 もう一人疎まれる立場になるのが、間に入る人物。
 同じことを全く同じに繰り返すことが必要で、かなり精神を使う立場となる。
「そうだが、誰が間に入る。かなり大変であろう」
 ただしシュスタークはシュスタークなので、鬱陶しさを感じることも、間に入る者が多少略して喋ってきても怒りはしない。
 そんな鷹揚な皇帝だからこそリュゼクもこのような提案をすることができるのだ。
 顔を上げてシュスタークを真っ直ぐに見て、真意が伝わるように、だが直接的な言葉は使わない。貴族や皇帝はとかく面倒が多いなと思いながらも、必ず解ってもらえると信じて。
「タカルフォスは粗忽でおっちょこちょいな小童ですが、強さに関してはこの儂も諸手を挙げて認めます。そうですなあ、経験では劣りますがガルディゼロと遣り合うことくらいは可能でしょう」
 ”本気で遣り合ったら、ガルディゼロに出し抜かれるでしょうがな”という部分は敢えて触れなかった。
 強いが頭の回転や裏を読む能力がキュラの八分の一程度(リュゼク判断)のタカルフォスでは簡単にやり込められることは解っている。
 だが今はそれらを語るのではなく、あくまでもキュラを自由にするのが目的であり、キュラもそれに応えることが解っている。
る。
「……そういうことか! 解った」
 少しの間をおき、シュスタークは手を打ち鳴らし意図を理解し、全身で露わにした。
 リュゼクは警備と艦内についての幾つかの注意をして、頭をより一層下げる。額が床につく程下げて”皇帝が立ち去る”のを待つ。
 リュゼクの話は終わったことは解ったが、シュスタークには言いたいことがあった。床に流れ広がる美しい栗毛を見ながら。
「リュゼク」
「はい」
「ザウディンダルのことを守ろうとしてくれたそうだな」
「当然のことにございます。陛下の両性具有、誰がむざむざと僭主の手に渡しましょうか」
「ザウディンダルのことを守ったことは、そなたの誇りであり隠れた忠義でもあろう……今のことは聞き流せ」
「……」
 リュゼクは反射的にあげたくなった頭を全ての精神力で抑え付け、床を凝視し続けた。シュスタークの言葉から、皇帝はザウディンダルの出自を知っていることがはっきりと解る言葉。
「王家の名誉は守ってやる。ではな」
 シュスタークが去ってゆく足音、その震動を額で感じながらリュゼクはきつく目蓋を閉じて、しばらくの間その場で唇を噛んで泣いた。

**********


 リュゼクはカレンティンシスの執務室へと向かった。
「失礼します」
 扉を開かせて礼をしてカレンティンシスの前に立つ。長い時間を共に過ごしているカレンティンシスは、リュゼクの表情がいつもと違うことを感じたが触れることはしなかった。
 シュスタークとの話合いから時間をおいての訪問なので、すでに「タカルフォス貸し出し希望」が届いていた。
 それに至る迄の経緯とキュラを間に置くことを説明する。
「ガルディゼロは信用出来ぬがなあ」
「あの男は儂やカレンティンシス殿下の信用など欲しておりませぬ。もちろん人造王の信頼も。あの男が欲するのは皇帝と后の信頼のみでしょうぞ」
「なるほど、信頼を得るためには……か。よろしい、委細は任せてよいか? リュゼク」
「はい」
 その後、帝星の状況を再度検討しあう。その際にザウディンダルが言った「防衛の指揮官はメーバリベユ侯爵」ということをカレンティンシスに案の一つとしてリュゼクは伝えた。
 それらを聞き、カレンティンシスは”そろそろ”判断を下そうと、図らずも行動を共にしたリュゼクに真価を問う。
「リュゼク」
「はい、カレンティンシスさま」
「レビュラのことだが」
「なんでしょう?」
「あれは帝国でやっていけると思うか?」
「性質としては脆く依存度が高くて幼児のようですが、それと相反するように芯の強さを持ち合わせおりますし知性も高い。仕事をさせる場合はある程度の地位ある者の直属配下に置けばよろしいかと。王家ごとの責任者も置けばよろしいのではないでしょうか? ロヴィニアはセゼナードで決まりでしょうが。他の王家は知りませぬがテルロバールノルで引き受ける者がなければこの儂が引き受けます」
「お主がそこまで言うのであれば問題なさそうじゃな。そしてその任はカルニスタミアが喜んで引き受けるであろう。エヴェドリットあたりはデファイノスよりもジュシスのほうが良さそうじゃがな。もっとも問題のあるケシュマリスタとの調整があるが、今回のことを陛下に取りなす際にある程度の譲歩は引き出せよう」
 ラティランクレンラセオは僭主襲撃の際に、僭主に紛れて行動しており、僭主だと「僭主側」に思わせるために、テルロバールノル貴族を殺傷したという報告が届いていた。
 ”あの男ならばやりそうじゃな”とカレンティンシスは思うが、生き延びた方の証言しかない。噂の方が先行してしまい、物証が追いつかない状況となっている。
 激高した一部の貴族が、ダーク=ダーマで証拠を集めたいと騒ぐが、あまりに頭に血が上っているので”証拠を捏造しかねない”とタウトライバが許可を出さないでいた。
 カレンティンシスとしても部下に関わることなので調べたいが、手が回らない状態。それに調べるのならばやはり第三者的立場の者を派遣したかった。
 下手に捏造してラティランクレンラセオにつけいられては困る。
「カルニスタミア殿下のご容態は?」
「エーダリロクのお陰で安定した。平素は馬鹿じゃが、さすがは天才じゃ」
 そこで目をつけたのが、エーダリロク。
 落ち着きを取り戻し、カルニスタミアの治療を任せると同時にラティランクレンラセオが本当に部下を殺害したのかどうか? 本当であったらその証拠が欲しいと依頼したのだ。

 エーダリロクの調査結果は”黒” 生き延びた者の証言は正しかった。だが証拠はあるが、その証拠全てがラティランクレンラセオだけを指し示さなかった。

―― ラティランクレンラセオだという前提の元にあれば証拠だが、違う人も陥れられる。そりゃあ、隣で生き延びたヤツだよ。だから殺さなかったんだよ、犯人がそいつの向かうように ――

 ラティランクレンラセオに向かう証拠は同時に証言者も陥れる。結局この件でもラティランクレンラセオは無罪となった。

**********



 そして襲撃から六日が経過した。

「陛下。ハーダベイ公爵より通信が」
「バロシアンから通信? 何事だ」
「帝国宰相の……」
 伝令の言葉を最後まで聞かず、シュスタークへ部屋から飛び出し艦橋へと向かった。自分の旗艦ではないが、どれも同じ作りなので艦橋まで迷うことはない。
 自らの手で扉を開き、
「デウデシオン! 無事か! 無事なのか? デウデシオンは」
 ”無事か! 無事か?”と叫ぶ。
「デウデシオン」
『陛下。ご無事でなによりで御座います。陛下が僭主に襲撃されたと《リスカートーフォン》に《いま》聞かされました。陛下の危機を事前に察知することできず、また危機に駆けつけることもできず、この帝国宰相、弁明の余地もありません』
 大画面に映し出されたデウデシオンは何時もと変わることなく、シュスタークに話しかけた。無事であることを確認したシュスタークは腰を下ろしたばかりの椅子から立ち上がり、
「デウデシオン、その右目は? 右目はどうした?」
 画面に向かって指をさす。
『転がって機器の隙間に挟まってしまいました』
 シュスタークに指摘されるまで気付いていなかったデウデシオンは、表情には出さなかったが、当然「しまった」と心中で舌打ちをした。
 皇帝の前に出る際に、こんな姿で出るなど非礼以外の何者でもない。
 シュスタークの後ろにいる艦の本当の主カレンティンシスの、怒り出す寸前の表情を盗み見て、素知らぬふりをして話し続ける。
「目が外れる程の戦闘か。大丈夫なのか?」
『ご心配ありがとうございます。ですが陛下、私の右目は……過去に負った怪我で外れやすいのです。癖のようなものです。それと大規模戦闘などありませんでした』
「機動装甲に乗っておるようだが、機動装甲が攻めてきたのではないのか?」
 機動装甲は攻めてきた。
 シュスタークが援軍にと特別許可を出したザセリアバが、デウデシオンと刃を交えた。だが、

『いいえ。《一機たりとも攻めてきておりません》帝星に到着したのは《僭主を狩るためにやって来たリスカートーフォン公爵の機体》のみで《よく戦ってくださいました》リスカートーフォン公爵のお陰で私は機動装甲で《僭主と戦う必要はありませんでした》。私はただ念のために機動装甲で待機していただけのこと。陛下がリスカートーフォン公爵に許可を出したことを知らなかったので危うく戦いかけてしまいました。陛下からの命を受けたリスカートーフォン公爵に対して攻撃をしかけたこと、謝罪いたします』

 それは駆け引きに組み込まれて、真実は消えた。

「攻撃したことは良い。あとで余がザセリアバに言っておく。それと勝手なことをして、悪かった。早くに僭主を排除しようとザセリアバに機動装甲で帝星に近付くことを命じてしまって。結果としてデウデシオンに怪我を」
『勝手などと。全ては陛下の物、ご自由になさって当たり前のことです』
「あのな……デウデシオン…………帰還したら色々と話したいことがある」
 一時期デウデシオンが生死不明であったことで、シュスタークは様々考えることが”できた”このような事がなければ、決して考えたりはしなかったであろう事を。
『はい。私も楽しみですが、少々お時間をいただきたい』
「時間? とはなんだ? デウデシオン」
『陛下とアルカルターヴァ軍の到着を四日ほど遅らせてください』
「なぜだ?」
『まだ帝星には《僭主》がおります。それらを全て刈り終えて、安全を確保するまであと四日必要です』
 残り四日でデウデシオンは残りの皇王族を殺害し、僭主を新たなる皇王族に仕立て上げ、シュスタークの凱旋式典の用意を整える必要がある。
「……解った。無理はするなよ、デウデシオン」
 それが帝国宰相デウデシオンの仕事。
『はい』
「それでは帝星で再会すること、ロガ共々楽しみにしているぞ、デウデシオン」
『はい』
 画面からデウデシオンが消えたのを確認し、
「皇帝らしからぬ取り乱しようを見せてしまったな、カレンティンシス」
「陛下にこれほど思われているとは、帝国宰相は幸せな輩ですな」
 カレンティンシスに声をかけて艦橋を後にし、付いてきたタウトライバと共に私室へと戻り、
「デウデシオンが生きていたぞ!」
 喜びを爆発させてタウトライバに抱きついた。
 驚いて手を震わせたタウトライバであったが、部屋にいたロガの微笑みを浮かべた頷きに、
「はい! 生きておりました!」
 二人で抱き合い、喜びを爆発させた。

「良かったね、ボーデン」
「ばう……」

 部屋を飛び出していったシュスタークをロガは追わずに、部屋に繋がった通信を見ていた。
「無事で良かった……やだ、涙出てきちゃった」
 長くもなければ、深い付き合いをしているわけでもないロガではあったが、
「良かった。本当に良かった……ナイトオリバルド様のお兄さんが助かって……本当に、本当に……」
 涙が溢れてきた。それをタオルで押すように拭き、何事もなかったかのようにシュスタークの到着を待つ。部屋に戻ってきたシュスタークとタウトライバの喜びように、ロガはまた泣きそうになった。


novels' index next  back  home
Copyright © Rikudou Iori. All rights reserved.