繋いだこの手はそのままに −199
 ザウディンダルはある程度体力が回復し、入浴もできるようになった。ただ体調が万全ではないので一人ではまだ危ない。
 よって許可を出したミスカネイアが一緒に入ろうとしたのだが、ザウディンダルがそれを拒否する。
 「一人で」と言い張るザウディンダルと「駄目です」と言い張るミスカネイア。その結果、
「ザウディンダルさん、次は髪を洗いますね」
「……申し訳ありません」
 ロガが付きそうことになった。
 経緯は簡単で、ザウディンダルとミスカネイアの言い合いを見ていたロガがシュスタークに「私でよろしければ。入浴の介助は慣れてますので」とあ立候補し「ザウディンダルの身体のことも知っておるしな」シュスタークは簡単に考えて許可を出した。

 シュスタークの許可は世間一般では拒否することができない命令である。

 シュスタークとロガが使用している浴室を使用して、久しぶりに身体や髪を洗われる。
「ザウディンダルさんの髪って、ナイトオリバルド様そっくりですね」
 もちろん両者とも全裸ではなく、薄いガーゼで作られたチュニチックを着ている。
「そうですか」
 濡れて身体にまとわりつくようなガーゼ地の衣を抱き締めるように、ザウディンダルは胸元を手で隠していた。
 そもそもザウディンダルがミスカネイアとの入浴を拒否したのは、身体の変調にある。いつも自分の身体を確認してくれている義理姉に晒したくない程の”変化”
 身体全体からも男らしさが抜けて、思春期直前の頃の身体に逆戻りしてしまったのだ。それだけならばまだしも、はっきりとした乳房。
 そう薬の影響で胸が膨らんでしまったのだ。それが恥ずかしく、義理姉との入浴を拒否したのだが、結果としてロガに恥ずかしい膨らみを晒して入浴することに。
 身体を洗っている最中に「胸……いいなあ」と呟かれたのは、ザウディンダルは聞かなかったことにしておいた。同じような水を含んだ衣越しに見えるロガの胸の小ささ加減に「それで良いと思います」とも言えずに。
 

―― 后殿下に入浴を手助けされて……でも、良い機会だよな。先延ばしにしちゃ駄目だ!

 ザウディンダルにとって良い状況になった。先延ばしにしたくはない謝罪をする良い機会を得たのだ。
 自分の髪を流し終えたロガに、
「少し話があるのですが……よろしいでしょうか?」
「はい。なんですか? ザウディンダルさん」
 湯船の縁に座って貰い、自分は浴槽に膝をつく。入浴剤で薄い青色に染まっている湯に二人の衣が広がる。
「今回のことで……謝罪しなければならない事が」
「なんですか?」
「俺は……その……」
 ラティランクレンラセオに脅迫されてロガの警備を変更したことを謝罪した。もちろんラティランクレンラセオのことも、自分の身に起こったことも伏せて。保身の為にロガを見捨てたと、言葉少なく語った。
「全て俺……いいえ、私が……」
 己が傍に居たところで、ロガを無事に逃がせたか? そう問われたら、ザウディンダルは答えることはできないが、警備を変更し結果としてロガを危険な目に遭わせてしまったのは事実。
「気にしないでください」
 ロガは湯船の縁に座ったまま手を伸ばしてザウディンダルの頭を抱き締める。
「……」
「ごめんなさいね。気にしないじゃなくて”許します”でしたね」
「申し訳ありませんでした」
 ロガは濡れたシュスタークによく似た黒髪を撫でながら、怒っていなければ気にもしていないことを許す。それがロガの役割であり、ロガの立場だった。
「ザウディンダルさん」
 ロガは”気にしないで”などという、曖昧な言葉を投げかけることはできない。許しを請うてきた相手に対して、はっきりと答える。それが正妃という存在。
「はい」
 だがロガはそれだけではない。彼女は正妃である前に、奴隷だった。
「奴隷衛星に居た頃、ナイトオリバルド様が暴れてザウディンダルさんが大怪我した時のこと覚えてますか?」
「はい」
「あの時、奴隷が貴族さまに襲われてても誰も助けなかったでしょう」
「……」
「奴隷はあのような時、仲間を助けたりはしません。助けようとすると、助けようとした自分たちだけではなく、周囲にいる奴隷全員が攻撃されるから。襲われている奴隷も解ってます。助けてもらえないことを……でも恨みません。生きてさえいれば、みんなとまた生活できるから」
「……」
「出来ないことって有ると思うんです。自分を助けるために他人を見捨てることって、奴隷にとっては珍しくないです。だから……気にしないで下さい」
「……」
 口を開いたら泣きそうになる――そんなことを考える余裕もなくザウディンダルは泣いていた。泣いているザウディンダルに気付いたロガは、慌てて泣き止ませようと焦り出す。
「ザウディンダルさん。あの! 私は根が奴隷だからザウディンダルさんと同じようなことになったら、すぐに見捨てるし自分が助かるほうを選びます! そ、その時はごめんなさいね。今から謝っておきます。……だから、本当に気にしないでください」
 ザウディンダルはロガを抱き締め返す。
「逃げてください。本当に見捨てて逃げてくださいよ」
 絶対に見捨てて逃げてはくれないだろうし、見捨てたことで罪悪感を持つだろうロガを。
 しばし抱き合い、身体を離して違いの顔を見つめ微笑み合う。
 次ぎに何を話そうか? ロガが口を開こうとした時、
「邪魔をする」
「陛下」
「ナイトオリバルド様」
 ザウディンダルやロガとは違い、ガウンを着ているシュスタークがやってきた。
「ロガ、身体は洗い終えたか?」
「はい」
「そうか。ではザウディンダルと二人きりで話がしたいので、ロガは席を外してくれぬか」
 ロガへの謝罪を終えたザウディンダルも、再度胸を隠して頭を下げる。
「長いお話になるんですか?」
「それは……」
「念のために飲み物をお持ちしますね」
 ロガはグラスと氷水の入ったポットを台座ごと運び込み、
「それでは失礼します」
 礼をして浴室から出て行った。
 ロガが浴室から去り、浴槽に注がれ続ける湯の音を聞きながら、ザウディンダルとシュスタークは互いに視線を交わしては逸らしてを繰り返す。

―― 貴方様は貴方様の両性具有のところへとお帰りください ――

 ”あの時とは違う”温かい湯に腰まで浸かり、シュスタークは力を込めてザウディンダルの手首を引いた。
 よろけ倒れてきた身体を抱きすくめる。
「ザウディンダル……」
 背中を包む腕は逃がさないと圧力をかけ、
「はい」
 ザウディンダルの首筋に触れるような唇が、
「そなたは余の両性具有だ」
「はい」
「だから余はそなたにどのような命を下しても良い」
 両性具有であろうが、なかろうが。シュスタークの手に全てが握られている。
「はい……」

 湯が溢れ出し濡れている浴室の床とシュスタークの間に挟まれる。
―― 水滴?
 水滴が数滴、顔に落ちてきた。その全てが水滴であったかどうか? 

**********


 ロガは人気のない脱衣室で着換えて髪を拭き、シュスタークと共にやって来たボーデンの隣に座る。
「はあ……なんとなく落ち着く」
 ロガは壁に背を預け床に腰掛け、丸くなっているボーデンの頭を見て思わず本当の気持ちを声に出してしまった。
 正妃と定められて以来、ロガは敷物もなにもない床に直接座ることも、壁に頭をぶつけるような勢いで寄りかかることも出来ないでいた。
 柔らかなクッションが嫌なわけではなく、背中の曲線にあった背もたれが鬱陶しいわけでもない。
 ただロガは慣れることができなかった。
 いつかは自分の体型に合わせた特注の椅子の方が”良い”と言えるようになるかもしれないし、
「なるのかな……」
 なれないかもしれない。
 だが今のロガはまだ昔と似たような床に座り、壁に背を預けるほうが安心できた。もちろん床は綺麗で、場所によっては柔らかい絨毯が敷き詰められているので、以前自分の家に住んでいた時とは違うのだが。
 ボーデンは顔を上げて、ロガの手を一舐めしてまた頭を降ろす。
 広い脱衣所の隅でボーデンと一緒にいる。
「ボーデン、いつも一緒にいてくれてありがとう」
「……」
 ロガの問いに尾を面倒くさそうに振って答えるボーデン。何時までも変わらないその態度は、安心というよりは懐かしさをくれる。ロガにとってボーデンとはそのような存在。

「ナイトオリバルド様、ザウディンダルさん」

 浴室から出て来た二人を見つけて、ロガは用意していたタオルを持って走って行く。
「ナイトオリバルド様、髪を拭きますね」
「ああ、頼むロガ。身体は余が……」
 今はロガに頼っているが、シュスタークの最終目的は二人で湯から上がった時は一人で身体を拭いて着換えをすること。「長い長い道のりだ」思いながら身体を《撫でている》シュスタークの隣にいたザウディンダルが、
「ザウディンダルさん! ザウディンダルさん!」
 湯あたりを起こして倒れかけた。
「……だ、だ……いじょ……」
 目の前がまっ暗なのに「頭の中がぐるぐる回っている」状態のザウディンダルが、膝をついて床に手をあてて倒れてしまうのを必死に堪えて返事をする。
「長湯させてしまったか! ザウディンダル」
「ミスカネイアさんに”大丈夫、任せて下さい”って自分で言ったのに……なんてことに」
 体調が万全ではないので致し方なく、元来身体が強くはないので珍しいことではないのだが、ロガはミスカネイアに《ザウディンダルさんのこと、任せてください》と言った手前、
「ごめんなさい、ザウディンダルさん」
「いや、あの……」
 涙ぐんで詫びていた。
「いや、ロガ。悪いのは余であって……その、なあ」
「俺も大丈夫だと思って。その……ねえ、陛下」
「あ、ああ」
 シュスタークとロガが眠るベッドに横たえられて、
「このままで治りますから。ミスカネイア義理姉さんには報告しなくてもいいですよ」
 ザウディンダルは簡単に答えた。もともと体調が良くても少し長く風呂に入っただけで、眩暈がする体質なので”いつもです”と気軽に答えた。
「本当ですか!」

**********


「邪魔し過ぎじゃない?」
 翌日シュスタークの元を訪れたキュラは、三人が仲良く寝ている姿をみて、まさに苦笑いしてそう呟いた。
「ヒステリー様が見たら、怒鳴るとか喚くとかそういうレベルじゃ済まないよね」
 ザウディンダルを挟んでシュスタークとロガが眠っているのだ。
 横になったままザウディンダルが意識を失ったので、知らせる必要は無いと言われていたがミスカネイアを呼び、
「大丈夫ですよ。ご心配をおかけしました」
「いえいえ。あのミスカネイアさん」
「なんでしょう? 后殿下」
「今日ザウディンダルさんを此処に泊めてもいいですか? せっかく休んでいるのを移動させる必要もないと思うので」
 ロガのお願いに、
「余からも頼む。余がザウディンダルと風呂で話し込んで倒れさせてしまったので。余もロガも少々、小心者? 心配性? とまあ、その翌朝も元気な顔をすぐに見たいので」
 今回の原因でもあるシュスタークも後押しして、ザウディンダルは皇帝の私室に泊まることとなった。
 泊めることを許可したミスカネイアも、まさか皇帝夫妻がザウディンダルの両脇に寝るとは思ってもいなかったのだが。

「……キュラさん! 怪我は良くなりましたか?」

 目覚めたロガが自分を抱き締めている”ザウディンダルの腕”を優しく解き、身体を起こす。
「はい。それにしても、陛下もザウディンダルのやつも、お疲れのようですね」
 本来なら先に目覚めなくてはならないザウディンダルや、元々眠りが浅かったはずのシュスターク。
「ええ……あ、もうこんな時間」
「お疲れでしたら、まだお休みになってください」
「いいえ。私は起きます。ナイトオリバルド様は……寝かせておいたほうが」
 ラードルストルバイアに”起こせ”と言われていたものの、今日のシュスタークの寝顔は格別に幸せそうで、ロガは思わず起こすのを躊躇ってしまう。
 キュラも「なんでこんなに、ザウディンダル抱き締めて幸せそうなんですか陛下。……でも幸せそう」思ったが、
「起こしてください。ザウディンダルを抱きしめて二人きりで寝ていると結構問題になるので。陛下が抱きしめて寝ていていいのは后殿下だけですから」
 ここは起こさなくてはならない。この二人が一緒にいるのは”政治的問題”になるので。
「あの……はい」
 ベッドから降りて反対側に回り、シュスタークの肩を申し訳なさそうに揺するロガ。本当に控え目で、起きられるのだろうか? そう思える程度。
「おお、ロガ。……おはよう」
「おはようございます、ナイトオリバルド様」
 それでもシュスタークは起き、周囲をまったく気にせずにザウディンダルにシーツをかけ直してやり、
「キュラか。元気にしておったか」
 何時も通り声をかける。
「おはよう御座います。元気にしておりました。それで陛下、ボーデン卿の朝ご飯の時間が、刻一刻と迫っておりまして。よろしければ僕とタカルフォスで……」


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