繋いだこの手はそのままに −197
「横になったままでよい」
 リュゼクはザウディンダルにそう言い、自らは椅子に座った。
「リュゼク将軍」
 弱まってきたとは言え全身を容赦なく襲う、対処の仕様がない痛みにさいなまれているザウディンダルにとって、横になったままで良いというのはありがたかった。
「レビュラ公爵よ。貴様、生死不明となっておる帝国宰相に関してなにか聞いたか?」
「いいえ……」
 ロガが傍にいて、兄弟たちが傍にいないのは”これ”も理由の一つだった。
 ロガ以外の兄弟たちが傍にいたら、ザウディンダルは兄デウデシオンがどうなったのか? どうしているのか? 無事なのかを、波のように襲ってくる痛みの合間に繰り返し尋ねた。兄弟たちが答えられないことを知っていても、聞けば聞く程に不安になることを知っていながらも聞いただろう。
 だが傍にいるのはロガだけ。
 人が多いと疲れると言う理由もあったが、ロガ相手ではザウディンダルも一、二度聞くの限度だった。痛みという面でロガに甘えることはできても、兄に関することでは兄弟たちのように甘えることはできない。
「そうか。ガルディゼロの言った通りだな。帝国宰相パスパーダ大公デウデシオン、いまだ生死不明」
―― あそこの兄弟はザウディンダルに甘いから、絶対に本当のことは言ってないと思うんですよ。キャッセル様でも”ぼかす”と思うなあ。キャッセル様は弟たちには本当に優しくて、普通の優しさを発揮できるひとだからさ ――
「…………」
「襲撃より六日目となる明日、単騎先行したリスカートーフォン公が帝星に到着する。その時に生死は判明するであろう」
「……」
「お前の兄弟たちは、お前の体調を考えて言わないのであろうよ。ガルディゼロに言わせると甘いの一言であるがな」
「……」
「兄弟の有り様は余程間違っておらぬ限り、他者が口を挟む問題ではない。よってこれらに関して儂はなにも言わぬ。ここからは勝手な推測じゃ。儂等の王カレンティンシス殿下は、もたらされた情報を儂に渡して状況を判断せよと命じられた。情報は相当に少ない。ヴェッティンスィアーン公も囚われているようで、情報は本当に少ない」
「ランクレイマセルシュ王が?」
「集めた情報では、自ら単身で敵旗艦乗り込んだようだ。金で解決するために。ヴェッティンスィアーン公らし過ぎじゃな」
「無事なんでしょうか?」
「勝算があってのことであろう。死んでも戦うリスカートーフォンや儂らが属するアルカルターヴァとは違い、ヴェッティンスィアーンは勝算がなければなりふり構わず逃げる。”読み”さえ間違っておらねばヴェッティンスィアーン公の勝ちであろうよ。報告によれば、帝星襲撃部隊もこちらの襲撃と同規模の部隊だ。”読み”以外では勝ち目はなさそうだがな」
「詳細が判明したんですか?」
「投降した者たちからもたらされた情報である程度は。それにしてもまさかハセティリアン公爵の妃が僭主であったとは。そう言われて初めてハイネルズ=ハイヴィアズたちの”出生偽装”の真意が分かったがな」
 ハイネルズ=ハイヴィアズ。
 ザウディンダルの甥でデ=ディキウレの長男にあたる彼は、母を僭主に持つ特殊な生まれだが、それが今まで隠されていた。
 隠し方は巧妙というよりは特殊で、リスカートーフォンの八十歳になる王女デラーティ=ダヴェシア私生児とされていた。
 むろん私生児ではないことは誰もが知っているのだが”この襲撃事件まで”デ=ディキウレの妃の存在を隠したかった帝国宰相が動いたのだ。

 ハイネルズが生まれる二、三年ほど前に、先代エヴェドリット王ガウダシアが戦死し、跡を継いだのガウダシア王の孫にあたるザセリアバ=ザーレリシバ。
 ザセリアバが王位を継いだのは十代前半。カレンティンシスよりも幼かった。テルロバールノル王家がそうであったのと同じく、エヴェドリット王家も即位後のごたごたがあった。それらを収める手助けをしたのが、帝国を一手に握っていた帝国”摂政”デウデシオン。
 帝国”摂政”は様々な条件を持ちかけた。
 その際の取引の一つとして「デラーティ=ダヴェシア王女の私生児ハイネルズ=ハイヴィアズ」があった。もちろんザセリアバも最初は警戒したが、ハイネルズ容姿から遺伝子配列まで《リスカートーフォン》が顕著に出ていた為の依頼ということを聞き、それらを受け入れた。
 母親がリスカートーフォン系の僭主であると判明した今では当たり前なのだが、まだ不明であった頃は”これ”が理由とされた。
 シュスタークの祖父皇帝の生母はリスカートーフォン。デラーティ=ダヴェシア王女の実姉にあたる人物。
 【そのせいで】ハイネルズの遺伝子は非常にデラーティ=ダヴェシア王女に似ていた。彼女を母としていても何ら不思議はないくらいに。
 デラーティ=ダヴェシア王女は再統一後まもなく生まれた王女のため、血統的にはザロナティオンの血を引かず”僭主”その物。当然僭主の息子であるハイネルズは、彼女に似ているのだ。
 ハイネルズは普通の私生児と同じく、エヴェドリット王家に関する利権の全てを持たない身でデ=ディキウレの「養子」となった。
 帝国の法律は養子を”よし”とはしないが、現在はそれらの法案にも穴があるため、上手くすり抜けて帝国宰相の手に落ちたのだ。
 その名残を残してハイネルズの名前には「=」がついている……とされていたのだが、実際は生母から受け継いでいたのだ。

「え……あ? デ=ディキウレ兄の妻のハネスト様は僭主?」
「まだ聞いてはおらんかったか。それに関しては後日聞くがいい。現在の状況だが帝星は陥落しておらぬ。市街地は警戒態勢は敷かれているが落ち着いており、被害も出ていない。全ての被害は大宮殿に集中し、そこから一歩も出ておらぬ。敵を封じ込め被害を最小限に食い止めておるようだ」
「防衛は誰が?」
「デファイノスはジュシスと聞かされていたようだが」
「ジュシス公爵……」
 ジュシス公爵アシュレート=アシュリーバ。
 ”見た目”は知的で大人しげなのだが、中身はある一線を越えるとリスカートーフォンそのもので、ビーレウストやシベルハムと何ら変わらない。
 彼は頭も良く戦略研究などを趣味としており、様々なことに対処できる。とうぜん被害を最小限にとどめる作戦というのも知っているのだが、それは”彼の性格上”考えられなかった。
「おそらく防衛指揮は違うであろう。貴様もそのように感じたのであろう? レビュラ公爵よ」
 知っているからこそ、敢えて逆の行動をとり、被害がどこまで増大するかを見たがるような面をも持っている。
「はい……」
 ここでザウディンダルの全身に、慣れつつある痛みが戻って来た。痛みその物も弱まり、自らの手を動かしさすることくらいは出来るが、話をすることはかなり難しい。
 軍人には痛みの耐性をあげる訓練もあるが、ザウディンダルはもともと体と精神に負担を強いるような訓練は除外されていた。
 ただこの痛みは特殊過ぎ、訓練でどうなるものでもない。
「また痛みが襲ってきたか。収まるまで待つ。先程ロガ后に腰の辺りをさすられていたようだが、それで楽になるのか?」
「……」
 未婚で出産も妊娠も経験のないリュゼクは”こればかりは解らぬ”とザウディンダルの腰のあたりに手をおき、出来る限り優しく撫で続けた。
 ”痛む物だとは聞いていたが、痛んでいる人間を目の当たりにすることは想像したこともないわ”
 現在は余程の田舎でもない限り無痛出産が普通で、痛みを伴う出産など知識として知っている程度のこと。
「大分……痛みも引きました」
 痛みも弱まり痛む時間も短くなり、その分間隔が延びてきたことでザウディンダルはやっと自分の回復に実感を持つことができるようになっていた。
 リュゼクは手を離し話を再開する。
「そうか。では話を続けよう。ジュシスであれば防衛のみに徹したりはしまい。あの男は奇策・奇襲の名人であると同時に、攻撃は最大の防御なりを地でゆく。まあリスカートーフォンは基本姿勢はそれで、なにもあの男に限ったことではないがな。ともかくあの男が指揮していて市街地が無傷というのは考えられん。民間人に被害を出すなというのが帝王の遺言なれども、あれたちは遺言など守らぬ。帝王が生きていたら生きていたで、帝王と刃を交えることができると守らぬであろう」
「…………」
 ”帝王が生きていたら”その部分にザウディンダルはシュスタークのことを思いだした。はっきりと言われたわけではないのだが、ザウディンダルはシュスタークとエーダリロクが重なって見えることがあった。
 その重なりがなんなのか? その答えは「帝王」だと、痛みにうなされながらその考えにばかり囚われていた。
「どうしたレビュラ公爵」
 なぜあの痛みが、そんな考えを呼び起こし、それ以外考えられないようにするのか? 自分がなぜそんな事を考えたのか? どこにも”証明”になるものはないのに……と、悩むほどにその考えが浮かび、今も居座り続けている。
「あ、いえ。あの、それで……」
「ここまで徹底し、帝王の遺志を守るとしたら帝国宰相じゃ。あの男は帝王の子孫たる陛下の部下であってこその権力者。陛下のご意志である、帝王の遺志を守ることがなによりも重要じゃ」
「じゃあ……」
 ザウディンダルの肌に痛みがもたらす熱による赤み以外の「あかみ」が現れた。喜色は病的な肌色を押しだし、生来の美しさを取り戻してゆく。
「おそらく指示の幾つかは出しておろう。だが誰が責任者として防衛についているのかは、まったくもって不明じゃよ。リスカートーフォンが簡単に権利を譲るとも考え辛いからな」
「兄貴……じゃなくて帝国宰相が責任者として防衛してるんじゃないの……」
「それはない。帝国宰相にしては脇が甘い、帝国宰相の指揮であればここまで被害は大きくはならぬ。陛下にはヴェッティンスィアーン公という、金の使い道に関して、脇で聞いておる儂らですら、鼓膜を自ら破りつつ首を絞めて殺したくなるほどに煩い外戚王がおる。これ程被害を大きくすると、修理費で帝国宰相と大喧嘩になるじゃろう」
「ぷ……」
 リュゼクのヴェッティンスィアーン公爵ランクレイマセルシュの評価に、思わずザウディンダルは噴き出してしまった。
 ランクレイマセルシュのことを言い当てていることもそうだが、リュゼクがこんな喋り方をするのを初めて聞いたので、意外さのあまり堪えられなくなってしまったのだ。
 不安げな光に満ちていた藍色の瞳が明るさを取り戻したのを確認して、リュゼクは話続けた。
「指揮を執っておるのは軍人ではあろうが、軍人らしさの少ない軍人だ。指揮を執ったのも今回が初めてであろう」
 過去に指揮を執っていれば”パターン”で誰かを推測できるが、今回の指揮者はそれがなかった。
 指揮その物は教書通りで、奇を衒っている部分は何一つ無い。この部分がアシュレートではないと判断される部分なのだが、当事者である僭主たちと”狩られる側”となった皇王族はそれに疑心暗鬼を募らせ、指揮者は能力以上のものを発揮できていた。
 その指揮を執っているのは、
「メーバリベユ侯爵とか?」
 ザウディンダルの予想通り、帝国上級士官学校を卒業したばかりのメーバリベユ侯爵ナサニエルパウダ。
 シュスタークの正妃を王女にするという話が出た際に、ランクレイマセルシュがこの「元皇后候補」に、自らのまだ生まれていない娘の女官長になるように命じた。
 まだ生まれていない王女とシュスタークの年齢差、正妃の権限である軍の指揮を考えて、自らも副官としてある程度の軍事を覚えている必要があるだろうと、帝国上級士官学校に転入し、中程度の成績で卒業していた。
 身体能力が通常レベルのメーバリベユ侯爵なので、これでも立派過ぎる程の成績。
「ほお! それは想像しておらんかったが……条件に合うな。それならば、大宮殿の破損も既に予算は組んで陛下の挙式前には修復も終わっておろうな。あの元皇后候補であれば予算折衝も上手くやるであろう」
 最初の皇后候補だったリュゼクは、次の皇后候補となったメーバリベユ侯爵の灰色と緋色の瞳を思い出す。落ち着きに満ちた灰と何事にも屈しない緋。テルロバールノル王家の色でもあるその緋を宿したあの意思強く、なにごともなし得る行動力。
 リュゼクと比べればメーバリベユ侯爵は弱々しさもあるが、それは高次元での話。普通に語る際には、文句の付けようがない。
―― 初の指揮でエヴェドリット僭主の封じ込めとは、度胸もある。度胸という面では皇后ロガの方が上じゃろうがな ――
「ジュシス公爵になにかあったのかな」
「死んではおらんだろう。死んでおったらメーバリベユに権限は渡るまい。生きて権限を貸していると考えるべきであろう。ジュシスが死んだら別の指揮官も当然用意されおる」
「まだメーバリベユ侯爵と決まったわけでは」
「メーバリベユではないとしても、ジュシスの配下にしては温い指揮だ。ジュシスが死んだ場合の指揮を任されているのはバーローズだ。あの戦争狂人の末裔に指揮を執らせてみろ、良くて今頃帝星の半分は消し飛んでおろう」
 ザウディンダルは「バーローズ」の名を聞いて納得した。戦死したシセレード公爵と伝統的に不仲なバーローズ公爵家の当主。前者は殺戮人と呼ばれ、後者は戦争狂人と呼ばれた者の子孫で、その血は全く薄まっていない。
 その当主が自分の属する王家の僭主と交戦となれば、まさにリュゼクが語ったことが起こっても不思議ではないどころか「半壊で済んでよかったな」と言われてしまう。
「ジュシスのことじゃ、どこかで僭主を追い詰めて遊んでおるのじゃろう。あの男は一匹の獲物の能力を解明してから殺す研究熱心じゃしな。よほど興味深い、追い詰めるに相応しい獲物が現れたのであろうよ」

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 金と白銀の間と表現するのが最も近い頭髪と、彫刻のような顔立ち。動かねば冷たさを感じさせる容姿とも言われる。
 過去にこの容姿で有名な皇帝が存在した。
 第十六代皇帝オードストレヴ。瓜二つのアシュレートは、平素は賢帝と呼ばれた皇帝のような性格だと思われている。
 普段の彼はたしかにその通りだが、戦いとなれば違う。

「我はお前の全てを知っている。だから勝てはせぬよ」
「――――」
「なぜ戦うかだと? 当然だ。お前が”皇帝”だからだ。エヴェドリット、或いはリスカートーフォンにそれは愚問だ。”皇帝”よ」
「デウデシオン! デウデシオン!」
「お前が呼んでも来はしない”皇帝”よ。パスパーダは確かに皇帝に従う男だが、それはお前ではない。たとえお前が――――」
 アシュレートは長剣の鋒を”皇帝”の喉元に当て挑発する。

 負けるのか? この小僧に? 

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 リュゼクは話は終わったと立ち上がってから、
「レビュラ公爵……薬物を投与されたと聞いた」
 もう一つ聞きたかったことを、見下ろすような体勢で尋ねた。
「……」
「誰に投与されたか解るか」
 解るとザウディンダルは頷くが、
「その相手、教えてくれるか?」
 この問いには首を振り否定する。
 リュゼク将軍は再び襲ってきた痛みに体を丸めるザウディンダルの腰と腹を再度さすり、
「身の程を弁えた両性具有だ。それで良い。……いずれ儂らも対処する」
 納得の意を込め呟き痛みが治まるまで傍にいた。

「それではな、レビュラ公爵よ」

―― たとえ僭主であろうとも、たとえ両性具有であろうとも。儂等の王の末裔じゃ。誰が人造王の自由にさせるか


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