繋いだこの手はそのままに −196
 皇帝と帝星の同時襲撃から四日、ロガがザウディンダルの傍について丸一日が経過した。
 いまだシュスタークの元には帝星の情報が届かない状態。
 艦隊指揮を任されたタウトライバはやや進行速度を遅くしつつ、先行し既に接触しているはずのロヴィニア艦隊に連絡を入れるが不通のまま。
「ロヴィニア王になにかがあったのか? それともなにかを企んでいるのか?」
 二日後には先行し到着するエヴェドリット王からの通信に一縷の望みをかけつつ、
「なにかあったらすぐに連絡しろ」
 タウトライバは艦橋を離れて、ザウディンダルの元へと向かった。

 ザウディンダルの子宮は一般的に”臨月”と呼ばれる程に大きくなっている。その中には胎盤が二つほど確認され、羊水も確認された。羊水は通常のものとは違い色が赤みを帯びている。
 その上排出されても羊膜が再生されて、羊水も再度蓄えられる。血液と胎児が存在しないのになぜこのような状態になったのか? 詳しいことはミスカネイアには解らないが胎盤が排出されれば落ち着くのではないか? という予測を立てた。
 ザウディンダルの子宮はそれ自体が核なので下手に触れるわけにはいかず、子宮にしっかりとくっついている胎盤を前に状況を見るしかなかった。
 肥大化した子宮は胃袋を押し上げて嘔吐も引き起こしている。
 その他、様々な体内のバランスが崩れ見た目にも解る、体の急激な変化が起こっている。
 ミスカネイアに出来ることは、水分と体力維持用の液体を体内に吸収させることのみ。ロガがしているのは、汗を拭き襲ってくる”陣痛”と同じ痛みを和らげようと腰をさすること。
 ロガは付き添い一晩を明かし、翌日も傍についてザウディンダルの長い髪を結い、汗を拭いながら足などをさする。
 体から溢れ出している体液はそのままの状態で、シーツなどを兄弟たちが取り替えていた。ミスカネイアはこの医療用のシーツにしみ込んだ体液を解析している。
「后殿下」
「タウトライバさん」
「后殿下、ザウディンダルに付いていてくださるのはありがたいのですが、是非ともお休みになってください」
 シーツを取り替えたあと、意識が混濁しているザウディンダルの額の辺りを撫でながらタウトライバはロガに休むように依頼する。
「タウトライバさんこそ休んでください」
「私はこのくらいは平気です」
 長期間の指揮を単独で執る訓練を積んでいるタウトライバは、まだ余力があった。もちろん余力があるだけで、ゆっくりと休んだほうが良いのは語る必要もないことだ。
「私も平気ですよ。私はここでザウディンダルの看病をさせてもらうだけですけれど、タウトライバさんは他にも色々とすることがおありでしょう?」
「そうですが」
「この間のようなことがあったら私、今度は薬飲んで寝てますから。なにも知らないフリして寝ます」
 ロガは自分を正しく見ることができる。
 作戦を立てることや、実際に戦うことは不可能であることを良く理解している。だからその他のことで”お役に立ちたい”と考えていた。
「あの」
「タウトライバさん……ポーリンさんだった頃、私の母の話しましたよね」
 ロガの母親は病にかかり、まさに「あっという間に」死んでしまった。この事はタウトライバが「ポーリン」として奴隷区画にいるときに、世話をしながら話題にしたことがあった。
 何のことはない、世話が上手なロガに話しかけたら「お母さんの看病をお父さんからならったんです」あっさりと返事があった。
 それから何度か話題にのぼり、シャバラやロレンからも簡単ながら聞かされていた。
「……はい」
 ロガの母親がかかった病はロガの元の顔と同じく治療は可能だった。違うことは、一般治療の範囲内で、本来ならば治療されるべき病であったこと。
 一般治療というのは治療されるべき病。
 奴隷区画の管理者がまともであれば、ロガの母親は治療を受けてまだ生きていたのだ。
「すぐに死んじゃって……お父さん……じゃなくて父は母の病がどんなものなのか知っていて、隠さずに私に教えてくれました。私……それでも看病したら治るんじゃないかなって、考えて看病したんです。ほんの少しの間ですけれども」
 もちろんロガはそんな事は知らない。
「……」
「父の言ったとおり、母は回復せずそのまま亡くなりました。私精一杯看病したつもりだったんですけれども、後悔ばかりが残ってるんです。”本当に精一杯看病できたのか”って。必死に看病したら治る! って思いながら、でも駄目かもしれないって気持ちがたしかにあった。……精一杯看病しても母が治らなかったら、私……自分が立ち直れないような気がしたんじゃないかな……って」
「后殿下……」
「父は”よくやった”と褒めてくれました。ゾイもシャバラもロレンもみんな褒めてくれました。母は”ありがとう”と言って…………くれました。だから納得しなければならないのは解っていますし、もう納得しなくてはなりません……済みません、話が逸れてますね」
 看病用のエプロンを両手で握り締める。
「いいえ続けてください。そして先程の”ありがとう”の後の空白はなにが?」
 空白の合間に漏れ聞こえる、ザウディンダルの苦しそうな浅い吐息。
「……母は死ぬ間際まで私の”顔”を案じていました。自分が死んだら私の顔が治ったらいいのにと、譫言で言うほどに。私は……顔が全部爛れてもいいから母が治ればいいのにと願いました。結局母は死に、私の顔はそのまま。当たり前のことですが世界は残酷だと思いました」
「そうですね」
 ―― 世界は残酷 ―― その言葉をタウトライバは身をもって知っている。
「話の続きですが、私は弱いんです。そのことを母を看取ったことで知りました。……ザウディンダルさんは必ず治るとミスカネイアさんが言ってくれました。だから私、幾らでも頑張れるんです! 治ると解っているのなら、私は大丈夫。そして治るまで私は看病したいんです。自分の弱さをここから少しずつ克服していきたい。いつか……」

―― こいつはお前より先に死ぬ。何事も無くても、寿命がなあ。あんま長くねえんだよ ――

「いつか?」
「いつか私は笑顔で越えてゆかなくてはなりません。それから逃げ出さないためにも」
「……畏まりました。ご無理はなさらぬようお願いいたします。そして私は后殿下はお強いかただと信じております。故に真実を」
「なんですか?」
「后殿下のご母堂の病は、管理者が管理者として当然の仕事をしていれば完治いたしました」
「……」
「管理者、ラバン・レボンズは直接的な罪人ですが、元はといえば帝国を支配する上級貴族たちが至らなかったことが原因。その上級貴族の一人であり、軍警察をも支配下に置くよう命じられていた帝国軍代理総帥である私が負うべきところが大きい。誠に申し訳ございません」
「ありがとうございます。充分ですよ」
「無理なさらずに、そしてザウディンダルのこと頼みます」
「はい。タウトライバさんも」
「それと……」
「なんですか?」
「先程世界は残酷だというのに同意いたしましたが、后殿下のご母堂の死に瀕した際の願い、確かに届いたのでしょう」
「……そうですね。母も父も喜んでくれていることと思います」
 タウトライバは退出し、ロガは再びザウディンダルの枕元に座り額の汗を拭う。

**********


「なぜ陛下に! 帝国軍に連絡がつかぬのだ!」
「誰が妨害している? ヴェッティンスィアーン軍か?」
「違うようだ」
「陛下に、陛下に! あの忌々しいパスパーダが!」
「妨害している者が解った」
「誰だ!」
「ハーダベイが率いている艦隊だ。あいつらが情報を止め……来たぞ!」
「この子だけは! この子だけは助けてくだ……」

「私たちが貴様になにをした!」
「答える必要などない。強いて言うならば貴様等は――」

**********


 帝国から全く連絡が入らないまま、襲撃から五日目をむかえた。
 ザウディンダルは四日目の夜に、胎盤二つを排出し、その後徐々に”陣痛”の間隔が長くなりだした。
 羊水は未だに作られるが、胎盤が存在していた時ほどの速さではなく、排出されるまでの量も減りつつあるので、回復に向かっているのだろうとデータでエーダリロクが判断を下した。
 ザウディンダルの髪を梳きながらロガは腰をさする。
 少しばかり余裕が出て来たザウディンダルは申し訳ない気分に陥るも、波のように襲ってくる痛みを前に、そのさすってくれる手や存在その物に安心を覚えるので甘えることにした。
「失礼する」
 そこへやってきたのはリュゼク。
 カレンティンシスが”后が休憩せん。陛下がお許しになったとは言え、限度というものがある”とリュゼクに漏らしたので、ならば主の望み通りロガを休ませようと。それともう一つの目的もあった。
「レビュラ公爵の容態が落ち着いたと聞いたので参じた。軍人として二人きりで話をしたいので、席を外していただきたい」
「あ……はい」
「その間に休んで体調を調えよ、后。ロッティス、来い」
 入室する前に連絡を入れていたので、ミスカネイアはすぐに現れる。ザウディンダルの容態も落ち着きつつあるので、ミスカネイアにも余裕が出来ていた。
「わかりました。ですがザウディンダルさんに無理をさせるようなことはしないでください。軍人はとかく無理をしがちですから」
「肝に銘じておきます」
 ミスカネイアと共に去ったロガを見送ったリュゼクは、
「良い面構えだ。一、二年前まで奴隷だったとはとても思えんわ」
 《皇后》に聞こえぬよう褒めた。

**********


「肌の貼り替え終わりました」
 カレンティンシスの旗艦のリュゼクの部屋にて”監視されている”ことになっているキュラが”そう”言ったのは襲撃から四日ほど経過していた。
「だからなんじゃ?」
 超回復能力をもつリュゼクには縁遠い「治療器」を上手く使い肌を貼り替えてゆくキュラを見ながら、ラティランクレンラセオに言い得ぬ「苛つき」を感じていた。
 もちろんリュゼクはキュラのことは嫌いだが、嫌いと容姿を変えさせて配下に置こうとするラティランクレンラセオの態度も容認できなかった。
「違う部屋ください」
「なぜじゃ?」
「リュゼク将軍と一緒にいると息苦しいから」
「ふん。ケシュマリスタ王の”走狗”を自由にしてやると思うか?」
 キュラの治療を人目に付かせぬようにしてやると同時に、艦内の安全を確保する目的もあった。治療を終え肌も貼り替えたキュラは一人で放置しておいても対処できると解っているが、同時にそこが問題でもあった。
「あーやっぱり。駄目だとは思ってたけど、言わないと通じないじゃない?」
 テルロバールノル王の艦には多数のテルロバールノル貴族が搭乗している。リュゼクを含めて彼らは総じて他貴族が嫌いだ。特に人造王家嫌いが多い。
 特に先日の襲撃に関して情報が錯綜しており、テルロバールノル貴族がケシュマリスタ王に殺された等という噂も囁かれている。
 個々としては仲は悪い貴族同士だが、同族が他王家に殺されたとなると、途端に連帯感が芽生えるのが常だ。旗艦に搭乗しているキュラやヤシャルに対し、害意を持つ者や実行に移そうとしている者があちらこちらに居る。
 ヤシャルは暫定皇太子という立場から帝国軍に完全に保護されているが、キュラにはそれらの保護はない。保護はなくても良い男だとリュゼクも理解しているが、艦内の感情的襲撃に応戦し、同族を殺されると騒ぎは益々大きくなる。
 皇帝が正妃と両性具有と共に乗っている艦で、そんな騒ぎを起こしたくはないし、何よりリュゼクはそれらの騒ぎを阻止する立場でもある。
 よってキュラは”監視”という名目でリュゼクの部屋に置いていたほうが楽なのだ。ただ彼女の性格上、楽はしない。
「まあな。それで貴様は何処へ行くつもりであったのだ?」
「ただ息苦しいから」
「貴様は目的なく動くような男ではあるまい? ガルディゼロ」
 この抜け目なく、半分見捨てられているような男が、自力でどうにかしようとしているのならば、それ相応の手助けはしてやろうと尋ねた。
「ザウディンダルのこと虐めに行ってこようかな……って」
「虐める?」
「肉体的じゃないよ、精神的にさ。怒らないでくださいよ」
「なにをするつもりであったのだ? 儂は両性具有は嫌いじゃが、両性具有は陛下の私物。それに危害を加えようとする者には容赦せん」
「そんな難しく言われても。いやね、僕がやろうとしたのは……」

―― 陛下のお力を借りるしかないのが辛いところじゃ

「儂が代わりに”貴様のいうところの”虐めをしてきてやろう」
 キュラの説明を聞き、リュゼクはもうしばらく待てと命じる。
「えー僕の楽しみとっちゃうの!」
「両性具有には后が付き添っておると聞いた。陛下も近くにおいでであろうから。陛下にお会いした際に”貴様の処遇を聞いてきてやる”……大人しくしておれ」
「はい」
 自らの母親によくにた栗毛が、母親とは全く違う力強い歩みで部屋を去るのを見つめ、キュラは所在なく立ち尽くした。


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