繋いだこの手はそのままに −195
「ザウディンダルの……」
「ザウディンダルの? どうした」
 タバイの視線がロガの方に注がれていたことに気付き、
「ロガのことは気にせずに話せ」
 ロガが傍にいることを気にしたタバイに、そのまま話せと命じるシュスターク。その声も不安を隠せないでいた。
 タバイは当初、ザウディンダルのことはシュスタークに知らせないつもりだった。だが暴行された直後に会ったのはシュスタークであったこともあり、多少の報告はしなくてはならないだろうと言葉を選んで告げていた。
「ザウディンダルの主治医……いいえ管理者であるセゼナード公爵が」
「エーダリロクがどうしたのだ?」
「陛下に”大至急来るように命じました”と言えば解っていただけますか?」
 タバイの喋り方にエーダリロクではなくザロナティオンが関係していることは解ったが、どうして呼ばれたのかまでは解らなかった。
 ザウディンダルの状況を聞いていれば、すぐに解ったことだが。
 ロガも連れて向かうことにしたシュスタークは、タバイにザウディンダルの状況を尋ねた。
「はい。使用された薬のせいで出血が」
 《体機能を変化させ、妊娠することが可能になる薬》を投与されたなどは告げるつもりはなかった。あくまでも暴行されただけで話をまとめるつもりだったのだが、そうはいかなくなった。
 本来ならば言わなくても済む筈だったのだが、シュスタークに指示を仰がなくてはならない状態になってしまったのだ。
「出血?」
「ザウディンダルは何者かに薬を大量に投与され、一時的ながら完全に妊娠可能な状態になっておりました」
「そうか。それで?」
 ザウディンダルが妊娠可能な状態になるとして、それがなにをもたらすのか? シュスタークも犯人は解らないが目的に関しては大方の想像がついた。
「ザウディンダルに投与された薬が若干強かったことと、現在薬物中毒により薬を使用することができず、経過を見守ることしかできない状態です。昨日の昼から体に劇的な変化が起こり、出産兆候が見られるようになりました」
 シュスタークは驚きのあまり、移動用の車に座っていた腰を浮かせて大声で問い質す。
「しゅ! 出産? あの! だ、誰の子だ?!」
 タバイはシュスタークに”落ち着いて下さい”と宥めるように手を動かし、ロガはマントを引っ張る。二人を前にして、気は逸るが座らねばとシュスタークは腰を下ろして早く語れ欲しいとタバイをみつめる。
「妊娠はしておりません。妊娠できる状態になる薬の効果が切れ、本来の機能が回復しようとしたことと、体内に残っていた薬の想定外の働きにより、子宮が収縮を繰り返し、妊娠可能な状態となった子宮中にあるものを外に押し出し始めました。子宮の収縮が規則正しいことと、子宮口が10p開いたとのことです。これを見て妃……いいえ、ロッティスが”出産”と判断しました」
 半日で子宮口が開き、そこから大量の出血が始まった。
「ザウディンダルの状態は?」
「正直、解りません。薬も使えない状態で核の一部分が肥大し、本来ならばあり得ない状態なので……セゼナード公爵殿下もロッティスも”ザウディンダルの体力にかかっている”としか」
「そうか。それに関しては話は聞けても、余にはなにもすることができぬぞ? ミスカネイアとエーダリロク以外……」

 ―― ザロナティオンがラバティアーニを殺した経緯は ――

 ザロナティオンが発狂したのだとシュスタークはこの時点で気付いた。ザロナティオンの子を孕むように妊娠可能にさせられたラバティアーニだが妊娠できないまま生理となりその血に狂い”殺した”
「そのセゼナード公爵殿下……いいえ、銀狂陛下が耐えきれなかったようで、叫びだし部屋に篭もってしまいました。ザウディンダルのことはロッティスで対応してゆきますが、銀狂陛下に関しては」
「解った。エーダリロクのことは余に任せよ。ロガはその間……」
「私はザウディンダルさんのところに」
「そうか。タバイ、余はエーダリロクとは二人きりで話す。だから席を外せ」
「陛下! お一人では危険です!」
 ザウディンダルの状態を見ていたエーダリロクの断末魔にも似た叫び声。あの状態の”銀狂帝王”に会わせてなるものか! と。タバイの意見は当然だった。
 なによりもタバイはエーダリロクの中にいるザロナティオンと、シュスタークの中にいるザロナティオンと言われている人物が別人であることを知らない。
 どちらも同じ凶暴なザロナティオンだと思っている。
「大丈夫だ。その……大丈夫なのだ」
 説明することは出来るだろうが、説明したところで証明することは出来ない。なによりも証明に必要なラードルストルバイアはもうシュスタークが呼びかけても決して返事をすることはない。
「畏まりました」
 対処できる場所に控えることを条件に、タバイは下がった。
 ”エーダリロク”が籠城したのは扉が三重になっている武器庫。その扉を一枚ずつ開放し、シュスタークは近付いてゆく。
 二枚目の扉が開いたところでタバイは立ち止まり、最後の扉を開きシュスタークだけが中へと入った。
 室内は”暴れた”とはっきり解る状態で、
「ラバティアーニは生理で、ザウディンダルはただの出血だから大丈夫だと思ったんですけどね」
 壊れた棚に崩れた座り方というべきか、仰向けに寝ている体をやや起こしていると言ったほうが正しいのか? そんな状態のエーダリロクが苦笑混じりに語りながら出迎えた。
「そう上手くはいくまい。ザロナティオンの状態は?」
 ある程度距離を保ち、シュスタークは話つづける。
「暴れてます」
 エーダリロクの服は千切れ、胸の辺りは引っ掻いた痕が幾筋も無残についていた。胸を切り裂かれるような思いだったのか? 胸をかき乱した痕なのか? 自らの指で肉を削がれた胸。
「そうか……ちょっと話があったのだが、落ち着くまで時間を取ろう」
 理由は解っているので、ちょうどラバティアーニの言葉を伝えるには好機だろうと考えいたのだが、それは間違いだったのだとシュスタークは考えなおす。
「ザロナティオンに?」
「ああ」
「気合い入れて押しとどめます」
「落ち着いて仕事ができるようになったら、カルニスタミアの治療へと向かってくれ。ザウディンダルのことはいい」
「はい。さすがに危険過ぎますからね」
「頼むぞ、エーダリロク」
 シュスタークはそう言い、部屋から去った。
 足音が消え、タバイの気配も消え去ったあと、エーダリロクは再びザロナティオンを僅かながら自由にした。
 周囲を破壊しながら、頭の中で叫ぶザロナティオン。

―― もう少し暴れてもいいから、落ち着いてくれよ

 怪我とは違う頭の奥の鈍いながら、息が止まるほどの痛みを諭す。その痛みがザロナティオンの叫びだから。エーダリロクその痛みをこらえながら、必死にザロナティオンに話かけ続けた。


―― 御免、御免。俺たちはあんたのことを誤解していた。あんたは人を好んで食っていた訳じゃないんだな。狂ってからも、そして死ぬ直前まで人を食いたくはなかったんだな


 タバイと共にエーダリロクが「周囲の者を傷つけないようにする為に」籠城した場所から離れる。
「陛下どちらへ?」
「ザウディンダルの所へ」
「陛下」
「どうした? タバイ」
「陛下もあまりザウディンダルには近付かないほうが良いかと」
「一度見舞ってくる。あとは回復するまで近寄らないつもりだ」
「それが最良だと思います」

**********


「陛下」
「陛下!」
 ……こ、腰が抜けた。余の腰が……
 余は自ら希望してザウディンダルの部屋へとやってきたのだが……絶叫に腰が抜けた。こんなに苦しそうにするのか? こんなに苦しいものなのか?
 額に珠のような汗をびっしりと浮かべ、涙を流しながら助けを求めるように呻く。
 血の量も凄まじく、こう……血以外の物も入り交じった匂いが息苦しさを感じさせる。
 見舞おうと思ったが、見舞われる方も、見舞う余も……もう駄目だ。
 余の状態にタバイが部屋から連れだそうと、肩を貸してくれた。この状況でよく一日近く我慢したものだ、エーダリロク。いいやザロナティオンよ。
「ロ……ロガ」
 ザウディンダルの汗をふいておったロガが近付いてきて、
「私看病のため、残ってもいいですか?」
「え?」
「汗拭いたりする人も必要らしいんです。そのくらいのことなら私にも出来ますから」
 落ち着いておった。
 ロガはこういった場面では、よく落ち着いておる。
「あ……お願いする」
「はい」
 部屋に戻り、一人になってから先程ロガが書いてくれた「ヤシャルの処遇に関して」の書類を再度目を通す。

―― ゆるします ――

 ヤシャルの処遇に関してはこれを元にデウデシオンと……
「あ……」
 いまデウデシオンがいないから、こうやって……
 余は部屋を見回した。見覚えがある花が飾られている。この花は……懐かしいな。…余が兄弟たちを庶子認定する少し前のことだ。もう二十年以上も昔の話だ。
 父たちが必死に余に”言うべき言葉”を教えてくれた。

―― この言葉になんの意味があるのだ?
―― この言葉は陛下をお守りするための言葉です

「いつもと違うお庭が見たい」
 確かに余を守る為の言葉であっただろう。
「デウデシオン! これは何だ?」
 まだ帝国摂政だった頃のデウデシオン。今の余よりも若い頃の。
「申し訳ございません。不勉強で解りませぬ」
 その時今飾られている花の名を問うた。
 デウデシオンは本当に申し訳なさそうな顔をしておった。困らせるつもりなど無かった。ただなあ……ただ、嬉しかったのだ。
「陛下、帝国摂政でもわからないことはありますよ」
「デウデシオン」
「どうなさいました? 陛下」
「余は知っておるのだ」
 詰んで手渡された花を持ち、余は《言葉》を口にした。
「何がでしょうか?」
 余を守る言葉であると同時に、デウデシオンを縛りつける言葉を。
「そなたが余の兄であることを」
 だがあの時は本当に嬉しかったのだ。縛りつけようなどとは思っていなかったのだ。こう言えば、デウデシオンは余の兄となり、ずっと傍にいてくれると聞かされたから。
「私は陛下の兄では……」

「“しせーじ” なのが問題なのだそうだな。余が明日 “ぜんいん” を “しょし” と “にんてい” し “しゃくい” もさずけてやろう。だからデウデシオンは余の兄となれ」

 あの瞬間、余はデウデシオンの全てを支配した。
「本当でございますか」
「うん」
「ありがとうございます!」
「それで、余の頼みを聞いてくれるか?」
「何でも言いつけてください」
「握手してみたい」
 だが信じて欲しい、デウデシオンよ。
 そなたが余の手を握り微笑んでくれたこと、本当に嬉しかったのだ。
 懐かしいな。
 あの頃からずっと……

「死んではおらぬだろうなデウデシオン。余の命以外で死ぬことは許さぬぞ」

 このように命じて前線に向かえばよかったのだな……次があったら、命じる。だから生きていてくれデウデシオン。


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