繋いだこの手はそのままに −12
 全て準備を整えて、先日の人工惑星に降り立ったのは昼食後の事である。
 肝試しをした時は固い蕾であった桜の花が、今は満開になっておる。その中を、余は手に紙袋を二つ持って歩く。一つにはあの時に腰にかけておいてくれた布、もう一つは帝星の貴族御用達の菓子屋から調達した、焼き菓子である。
 それらを生まれて始めて手に持って歩いてきた。荷物を持って歩くなど、始めての体験で感動すら覚えるというものだ。
 昼間の墓地は怖くは無い。桜の花弁も散って、中々に風景としては良い。灰色の墓と整えられた芝生、そして散ってくる桜、そして見えた娘。
 顔の右半分を布で覆い隠し、通路を……えーと、棒の先に何かついているもので撫でている? 何をしているのだ? まあ良い。
「久しぶりだな、娘」
「あ……あの……どちら様で?」
 持っている棒の動きを止めて、余を見上げる娘。
 布で隠れていない方の顔も腫れぼったいが、瞳がとても美しい。琥珀色したその瞳。
 上級貴族以外は眼の色が色々あって楽しいものだな。琥珀色など始めて見た気がする。23代皇帝も帝后グラディウスの濃紺の瞳に魅せられたというが、それよりもこの琥珀の瞳の方が数十倍美しいと思うぞ。
「この前倒れた男だ」
 失神だが。失禁もしておったが……言わせないでくれ……
「あの、髪の色が」
「髪は鬘だ、気にするな」
 余の髪はシュスター特有の髪ゆえに目立つのだ。よって目立たないように銀髪のズラを被ってきた。ロヴィニア系のズラだ。父がロヴィニア系なので、他の髪色よりも顔に合うであろう。兄が準備しておいてくれた中から選んだのだ。余はうっかり皇帝の頭髪のまま出歩く所であった。
 あれは目立つ。黒いが煌々とした艶以上の輝きを持つのでな。
「鬘って?」
 おや、ズラを知らぬのか?
「髪の毛が生えた帽子だと思え」
 今は頭髪を生やす事は容易いからな、ズラは必要ない……というわけでもない。
 どうしても頭髪を生やせない体質の者もおるので、ズラは貴族にとってはとても必要なのだ。髪がないとなぁ……平民はズラなくても、頭髪なくても平気なのか? だとしたら、知らぬだろうな。
「物知らなくて」
 それにしても、幾ら通気性に優れておるとは言え、本来の髪の毛が太股半ばまである上に、もう一つ似たような長さのズラを被るのは技術革新があろうが、辛い。
「気にするな」
「お顔のお面は?」
 見事なまでに不審者を見る眼だが仕方あるまい。昼間に夜会用の仮面をつけているのだから、不審に思われても当然であろう。余は皇帝ゆえに真昼間から顔を出して歩くわけにはいかないのでな。
 それにズラも、長さが合わなかったので、若干あちらこちらから黒髪がはみ出しているが、それ程問題でもないであろう。
 だが、確かに真昼間から夜会の面をつけているのは不思議であろうな? このような場合は……
「この面は趣味だ」
 『趣味』これが最も無難であろう。
「ご立派なお面ですね」
「そうだ」
 中々見る目があるようだな、額についているルビーは宇宙でも五つあるかないかの品だ。
 面の素材は黄金で、額にはルビー、顔の半分を覆い隠す部分にはダイヤを散しておる。それはさて置き、
「布だ」
 紙袋に入れた、余の腰を覆った布を差し出す。
「わざわざありがとう御座います。お洋服の方、洗っておきました。家に置いてあるので取ってきます」
「付いていってやろう。それはそうと娘、その棒は何だ?」
 娘の言う所によると、何でも“箒”とかいう物で“埃”とやらを集めるのだと。……何だか良く解らんが、知った顔をして頷いておいた。知らぬが知った顔をしておくのは大得意だ。家臣の読み上げる“何だか”も実際良く解らんが、適当に頷いて毎回儀式を終わらせておるのだからして。
 余は黙っておれば、動かなければ理知的な顔である。顔には感謝しておくべきであろうな。
 埃と箒については、宮殿に戻ってから詳しく聞いておこう。
 少し歩くと、今にも壊れそうな建物があった。アレが“家”か。風が吹いたら倒れないか?
「待っててください」
 娘は家に入ると、余が布をいれてきた紙袋に洗った服を入れて持ってきた。
「手間をかけたな。それで……」
 言いふらされたものであろうか?
「その……なんだ。自分の失態を……その認められぬのは……あれだが、知られると……あのな……色々と、問題ありそーで、なさそーで……」
 余の言葉に娘は笑顔で答えた。
「誰にも言っていませんから。誓って」
 馬鹿にしたような顔ではなく、嫌ではない信頼の置ける笑顔であった。顔は半分隠れておるが、全部見える口元が感じよく上がった。
「そうか! 褒めて遣わそう」
 顔がこの状態でなければ、随分と可愛らしい顔立ちをしておるのかも知れぬな。
「は……はい……」
 だが、余の言葉遣いに硬直してしまった。いい口元であったのに。確かに聞きなれぬであろう。だが、余としてはこれが精一杯。だが『余』は可笑しく思われるかも知れぬな。あー私? 僕? 儂? 我? 朕? 俺? ワイ? どれも違うような……。
「よ……ではなくわ、我輩の言葉遣いは気にするな。これが貴族だ!」
 皇君が我輩と言っていたので、これは言い易いような気がするな。ふむ、我輩で通そう。
「そしてこれも与えてやろう」
 菓子を差し出したのだが、
「頂けません」
 拒否されてしまった。
「お前に渡す為に持ってきたのだ。受け取れ」
「……」
 何故そんな困った顔をするのだ?
「正当な報酬だ。服を管理していたという。それとも現金の方が良かったか?」
「あ、ありがたく……いただきます……でよろしいのですか? 貴族様とお話した事ないので……失礼な事言ってませんか?」
 そういう事か。
 確かに貴族に対しての言葉遣いは面倒かも知れぬな。
「そんな事は気にするな。普通に喋って構わぬぞ、余はその程度の事で腹を立てるような……」
 我輩だ! 余よ!
「我輩! 庶民と話をしたくてな! それはそうと、娘」
 中々本題に到着できぬ!
「はい」
「娘。名乗ることを許すゆえ、名乗るが良い」
 菓子の入った袋を持った娘は、ポカンとした顔をした。
「は? えっとそれは、名前を言えと? いうことですか?」
「そうだ」
「すみません! 難しい言葉、聞きなれていないもので!」
 済まぬな、余は回りくどい言い方しか出来ぬのでな……
「まわりくどいかも知れぬが、気にするな。して、何と言うのだ」
「ロガです」
 やっと娘の名を聞けた……が、
「ロガ? だけか?」
 名だけ名乗ったな。という事は?
「はい」
「奴隷か?」
「はい、そうです? けど。此処は奴隷しか住んでませんから。偶に貴族様が御出でになりますが」
 帝星専用奴隷補充用居住区だったのか! ……それはもしかしなくとも、余が知っておかなければならぬ事項の一つではないだろうか? まあ、知らなかった訳だが。自分が完全に支配しておる奴隷たちの生活の場であったとは。あるとは聞いていたが、実物を見たのは始めてだ。
「そうか。余……ではなく我輩はシュ……我が輩の名はナイトオリバルドと言う」
 シュスタークは名乗れぬな。ザロナティウスもクルティルーザも危険であろう、どちらも元名が直ぐ割れる。ナイトオリバルドが三つの名の中で最も元名が割れぬであろう!
「立派なお名前ですね」
 立派であろうな。ナイトベーハイム帝とオリバルセバド帝を合わせた名であるからして。
「まあな。名前は立派で、よく名前負けしていると言われる」
 言われた事はないが、そのように思われておる事は知っている。思うだけは自由であるからして、問い詰めはせぬがな。
「そんなつもりで言ったのでは」
「お前にそのような含みがない事くらいは、見分けが付くから安心するがよい」
 だがロガは、心の底から名の偉大さに感じ入っていたようだ。
「ありがとうございます」
 奴隷とは話をしたことはないが、可愛いものであるな。顔はまあ……生まれつきだから仕方ないとしても、この態度は好ましい。
「では菓子を食べてみろ」
「え……」
「気に入ったら、明日も持ってきてやろうではないか。だが、気に入らない場合もある。食べてみろ」
 娘、ロガと言ったな、その娘は袋から取り出し包装を開いて口に入れた。
 菓子を食べたロガは、不思議そうな顔をして、
「申し訳ございません。味が高貴過ぎて……」
 一口食べてやめた。余もその菓子を口に運んだのだが……特に変わった味はしなかったが、奴隷には好まれぬ味らしい。アルコールの味があるが、これが気に食わないのだろうか? 
「口に合わぬのならば仕方あるまい。明日、別の物を持ってくるゆえに、待っておれ」
 そんな事しなくても、もう十分だと言われたのだが……
「暇なので来ても良いか?」
 謝るタイミングを外してしまったのだ。菓子が美味ければその勢いで言えたような気もするのだが、それなにより、
「あ、……はい」
 余は暇なのだ。


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