繋いだこの手はそのままに −166
 カルニスタミアは距離を取り銃を放つ。
 単調な攻撃しかできない、制御されていないザンダマイアスならばこの程度で勝ち目があった。このまま通路を塞いでいるザンダマイアスを排除して通過すればよい。
 そしてもしも制御が開始されたら、その時に敵との距離を測るために徐々に無効化能力を広げ、敵の位置を掴みそれから逃れる道を選び進む。もしかしたら、戻ることになるかもしれないが、それは仕方のないこととも言える。
 通路を塞いでいるザンダマイアスが欠片となり、通路の向こう側が見えた時《制御》が行われ、残っていたザンダマイアスが薄く広がり飛び散った肉片を回収し始め、同時にカルニスタミアとロガに攻撃を再開してきた。
 単調に”自分を撃ってきた方角にだけ触手”を伸ばしていたザンダマイアスが、まるで視界を得たかのように、そして考え誘導するかのように襲いかかってきた。
 先程とは違う攻撃に、
―― こちらに誘導ということは、敵はこの先にいるのか
 カルニスタミアは無効化を解放し敵との距離を測り内心焦った。距離として約八メートル。足元の床一枚分でしかなかった。
 ザンダマイアスが《制御》から外れ、単調な攻撃をしてこなくなった所に火力を集中させて、通過できる穴が出来上がったところで、カルニスタミアはロガを抱いて走り出す。
「床が……」
 だがカルニスタミアが動くと同時に、床が轟音と上げて崩れ去る。
 厚さ八メートルの床であり天井を、徐々にではなく一気に破壊し現れたのは触手。ザンダマイアスの《本体》であるのは、明らかだった。
「きゃっ! あ、あれは」
 飛び上がったカルニスタミア、底の穴から無数に出て来た触手に、先程ハネスト=ハーヴェネスから聞いた言葉が甦ってきた。

『ザベゲルン=サベローデン。眼窩すら持たない男です。母親であった前当主は、人の姿を取ることのない異形でしたので、異形であることは間違いありません。はい、触手型です。攻殻能力は所持していないとは思いますが、成長段階でどのように変わったかは。もう二十年も前に見たきりですので。強かったですよ”あの時”の陛下に匹敵するほどに』

 カルニスタミアは壁を蹴り、触手の攻撃を回避しつつ攻撃を加えるが、手応えは殆どなかった。それどころか、撃たれ千切れた触手は壁を覆っているザンダマイアスと融合し、再び内臓の壁となり行く手に立ちはだかる。
 触手はカルニスタミアとロガの戻る道をも破壊して同じようにして塞ぎ、床の穴に落ちてこいとばかり、触手を引っ込めた。
 カルニスタミアは壁に指をめり込ませて、どうするべきかを僅かな時間で考える。

―― 引き返すための時間はない。進む時間も得られない。降りるとして、陛下の”帝王の咆吼”に一縷の望みをかけつつ、自力で退避か

 これ程完全な異形であれば、帝王の咆吼に抗えないと判断し、その咆吼の隙に逃げるために、唯一の逃げ道に通じている、敵のいる穴へと飛び降りることに決めた。
「后殿下」
「はい」
「木登りは得意でしたな」
「得意です!」


 後にハネスト=ハーヴェネスは「この時」自分を疑わなかったのか? とカルニスタミアに尋ねた。
 疑っても仕方のない状況だと。だがカルニスタミアの答えは『疑いはしなかった。あの時理由は無かったが、今はある。貴様は儂に真実を告げた』

 ハネスト=ハーヴェネスはウキリベリスタル暗殺の真実を告げた。カルニスタミアと、実行犯の娘といわれるリュゼクの前で。


「后殿下。今から儂は陛下の食糧庫へと飛び降りる。直後手を離すので、あの鎖を伝い天板まで移動してくだされ。そして陛下の咆吼が聞こえたら、躊躇わず飛び降りてくだされ。必ずや儂が受け止めて、その隙に逃げるゆえに」
 ロガは頷き、硬く目を閉じて首を窄めた。
 崩れ落ちた床を通り抜けて、衝撃をほとんど与えずに着地する。ロガの背を軽く叩き、鎖を指さして背を押してからカルニスタミアはザベゲルン=サベローデンと正面から対峙する。

―― これは……儂の体調が万全であったとしても、一人の時に遭遇したらなりふり構わず逃げるわ

 身長や体の厚みなどは、ほぼカルニスタミアと同じなのだが、見るからに密度が違う。
 背中の辺りから出ている触手が二十本。その全てが眼球を所持し、様々な色の瞳がカルニスタミアの姿を映し出す。目蓋を持たない瞳はやたらと水分量が多く、濡れすぎているようにも見える。その瞳を囲む細かい突起と、その突起の中に見える針。
「ん? 鎖を伝って逃げている小さいのが、インペラールヒドリクの奴隷か」
 声が異様に高く、擦れている。
「その通りじゃ」
「違うとは言わんのだな」
「違うと言ったら、直ぐに殺害するであろう」
 僭主は人間にはほとんど興味を示さない。興味がないので蟻を踏みつぶすというよりも、道を歩き砂を踏む程度の感覚で人を殺す。
 そのため”そこにいる”のが、目的の人物”シュスターシュスターク”あるいは《インペラールヒドリク》を呼び出せる価値がある者であると、隠すことなく言わなくてはならない。
「よく解っているな。では奴隷を寄越せと言ったら?」
「欲しくば儂を倒せ」
「お守りするとことか?」
「違うわい。儂を殺さねば、貴様の手の内に落ちたときに、儂が后殿下を殺害する。生きたままでなくては交渉できまい。生かしてここから貴様が出て行くためには、儂を倒さねばならぬだけのことじゃよ」
 カルニスタミアは”命に替えても守ろう”意思はあるが、敵の手にロガが落ちるのであれば”殺害”するのも辞さない。自らが命をかけ助けようとして及ばず、周囲に援軍がなければ最後の手段として殺す。

 ”あなたを絶対に守る”それは生かすことだけを指す言葉ではなく、自ら殺したくはないという気持ちが強くする。

 無事ロガを生かすためにも、カルニスタミアは戦って生き延びねばならないのだ。
「支配者だな」
 ザベゲルンの顔はハネストの説明通り眼窩はなく、鼻も高さなどはなく穴があいているのみ。真っ白な顔にある唇もなく亀裂だけの口が開き表情をつくると、顔はもっと”顔”ではなくなる。
「残酷な月が笑うような顔とは、このことか」
 カルニスタミアは先程受け取った百二十pほどのハルバードを構える。
「我が永遠の友か。噂には聞いていたし映像も観ていたが、本物はそれを遙かに上回る憎たらしい程の色男だな」
「良く言われとる」
 それだけ言うと、二人は互いに踏み込み室内の空気を引き裂いて激突した。

**********


「なんの音でしょう」
 食堂に残っていたヤシャルとハネストは、通路を隠している壁全体から響いてきた轟音に、思わず振り返った。
「……まさか」
 脱出路として提供した先に、最大の敵が存在すると彼女も考えてはいなかった。
 だがそれは”この場”においては憶測で確認するには危険過ぎた。
 ヤシャルを置いてゆくわけには行かず、不用意に正体の知れぬ音が響いた通路を開くわけにはいかない。
「艦橋を確保しているユキルメル大将に連絡を入れて、団長閣下に向かって貰うしかないでしょうな」
「で、ですがそれでは!」
「残酷なようですが、カルニスタミア殿下が殺害されても后殿下は殺害されはしません。帝国はまず后殿下の安全を優先して行動しますので」

 艦内通信はほぼ途絶しており、やっとの思いでハネストは艦橋のユキルメル大将にロガを確認したことを伝えることは出来たが、それ以上は妨害されて不可能であった。
 もしも通信が途絶しておらず、タバイに届けられる状態であっても、彼は受け取ることはできなかっただろう。
 その時彼は、ザベゲルンに次ぐ強さを誇ると僭主内でも言われている、

「……」
「ほお。近衛兵団団長イグラスト公爵タバイ=タバシュ・ダーナメイズス・ビルトハルディアネは攻殻完全異形の冥王型であったか。これは楽しそうだ。そうそう我の名はヴィクトレイ=ヴィクシニア・ジャクシヘーネン=ジャクセイヘルネ・リディヴィアズ=オリヴィアズ。伝説の総司令には遠く及ばぬが、同族婚の証たる長き名よ。ではゆくぞ! ハーデース!」

 ヴィクトレイ=ヴィクシニアと一対一で勝負していた。

**********


―― ラ……ラードルストルバイア……
 完全にラードルストルバイアに体の支配権を渡したシュスタークは、最も残酷な男の行動にやや腰が引け気味だった。
 唸り叫び、視界に入る相手は全て叩き潰し、壁に指四本の筋を付けて走り続ける。
「あん? これは、これは。どういうドウイウことだ、コトダああそうか、そうか。くきゅくきゅ、そうか、ソウナノカ」
 ラードルストルバイアが動かしている状態のシュスタークは、完全に《狂気に沈んでいる》としか見えない状態になる。
 長い髪を振り乱して頭を振り回し、喋る言葉は同じことを頻繁に繰り返す。
 ラードルストルバイアは内部にいる時は然程おかしさがないのだが、表に出ると途端に《末期の銀狂帝王》の動きとなる。違うのは「まだ意味が解る言語を喋っていることくらい」
 ただこれも、あと五回もラードルストルバイアに体を渡せば、喋ることは不可能となる。
 奴隷区画でロガの危機に現れた時には「繰り返す」喋り方はしていなかったが、自爆を阻止するために出て来たときには、すでに「繰り返して」いた。
 誰もが危険視しているとおり、シュスタークの体は何度も”帝王”に身を預けると狂ってゆくのだ。
―― どうしたのだ?
 シュスタークも解ってはいるが、同時にまだ戻れるという自信があった。
 根拠はないが、ラードルストルバイアは自分の体を乗っ取ることはないだろうと信じていた。
《あん? 解らないのか?》
 そんな訳ですっかりと「預けて」しまった自分の体の中で”それでは”などと言いながら、外を覗き見た。
 何時もの視界とは違う方法でみる世界。
 他人の視界を借りて見るというのは、不思議な感触であった。見ることができるものが、幻想的であれば、もっと楽しかったであろうが周囲は死体で埋め尽くされている。
 ”見ろと言われたのだから、心して見ねばな”と、出会い頭に殺されたような驚いた表情ではなく、交戦し敗北そして憤怒にまみれた表情をしっかりと見る。
―― 僭主だな
 顔が残り判別のつく状態の死体の全ては、同族の血を引いていることがはっきりと解るながらも、全く知らない相手ばかり。
 要するに僭主。
《ああそうだ。お前は解らないみたいだから教えてやるが、殺害方法が違うだろ。ほら》
 ラードルストルバイアは揺れながら、二体の死体を並べて見せる。
―― 本当だ。どちらも素手で殺したのであろうが、跡が全く違うな
 片方は”握り拳”片方は”平手”の痕が、赤く残っていた。
《殺し方の違う死体が多数ある。これは間違いなく近衛兵団がやった跡だ。おい、天然。この残骸の中に近衛兵の死体はあるか?》
 ラードルストルバイアは体ごと、ぐるりと頭を回す。
―― いいや。居ないようだ
 近衛兵の格好をした者は誰一人としていなかった。
《そうだ、誰一人いない。僭主相手に近衛の死者が出てないってことは、相当統制がとれてやがる。この分だと、僭主の情報も掴んでたんだろうな。近衛の統制が取れてるんだ、手前の奴隷は無事だろうよ。あいつらの仕事はお前の護衛と、奴隷の護衛なんだからよ》
―― そうであろうな
 シュスタークは自らが敵の目標である以上、ロガの元へと戻るのは危険ということで、艦内を叫び僭主を殺害しながら彷徨っていた。
《さてと。また再開するぜ、虐殺を!》

「うおぁああああああ!」

 もちろん皇帝がそんな事をしてはいけないのは知っているが、どうしてもということで《責任は俺になすりつけろよ》というラードルストルバイアの意見を採用した。
 ラードルストルバイア自身は、久しぶりの虐殺を楽しんでいるだけなのだが。

―― 久しぶりであろうし、襲撃してきた僭主を殺害しているだけであるからな。少しくらいは……大目に見てやるべきであろうし、なによりもザロナティオンの言うことを聞いて、一般階級には攻撃を加えておらんからな

 途中で一般兵の部隊と何度か遭遇したが見逃した。以前の彼であれば、お構いなしに殺したのだが、今回はシュスタークが抑える必要もなく止まった。
 だがそれはシュスターク自身の意思と自我が確りとしはじめたので、本体の意にそぐわない行動を取らなくなっただけのこと。

《シャロセルテの言うことを聞いてるんじゃねえよ。馬鹿な天然だ……ま、それが良い所なんだろうがよ》


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