繋いだこの手はそのままに −149
 タバイは抱きかかえていたミスカネイアを、艦橋入り口前で降ろして二人は皇帝の元へと近付いた。
 シュスタークはロガを抱きかかえたまま、タウトライバから助言を得て指示を出している。
 そして、いつの間にか司令席に座っているボーデン。
 ロガの足置き用のケースを使って、自力で登ったボーデンは眠っているように見えるが、実際は起きている。
 ミスカネイアはタバイに医療用の器材を渡して、シュスタークの元へと向かい、
「陛下。后殿下を」
 自ら受け取ろうと、手を伸ばした。
 その時シュスタークが身を固めて、自らに抱き寄せるようにした。シュスタークにとり、ロガが大事なことは良く解った。
 だがミスカネイアは医者として、シュスタークの腕のなかで意識を失いながらも、涙が溢れ出しているロガを受け取らなくてはならない。
「陛下。あと少しで戦いは終わりと聞きました。そうしたら、また抱きかかえてお部屋に戻っていただきますから」
「?」
「会議室を借ります。あの部屋で治療させていただきますので、終わったらお出でください。お待ちしておりますので」
 シュスタークはロガが自分が思っていたよりも遠くに連れて行かれないことと、腕の中のロガがまだ涙を流しているのを見て、手放したくはないがその気持ちを我慢してミスカネイアに差し出す。
「ミスカネイア。しばしの間、任せた」
「はい」
 会議室へと向かうミスカネイアとロガの姿を、見送るようなことはせず、すぐに画面を見つめた。
 ミスカネイアは”軽くなった”感じのするロガを運び、会議室へと入ると同時に、タバイは部屋を出てシュスタークの元へと戻る。
 ロガの警備交代としてメリューシュカが扉の前に立った。
 設置されていたマットの上にロガを置いて、着衣を緩めた。
 涙が溢れ出している目蓋の上に、温かいタオルを乗せて、頬に残っている涙跡を拭く。
 簡易計測で、二sも体重が減ってしまっていたロガをミスカネイアは抱きかかえ”堪らなく”なって、彼女も泣き出した。
「よく、頑張りました……頑張ったね……頑張った……」
 自分の腕の中ですら、折れてしまいそうな細く小さな体の少女が、先程まで全軍の命運を預かっていた。
 症状は、緊張の糸が切れただけ。
 ついこの間までごく有り触れた奴隷であった少女にかかった重圧と、それを支えていた緊張。
 解き放たれた時、何が襲ってきたのか。
 ミスカネイアには想像することすら出来ない。
「頑張ったね、頑張った……」

**********


 我が物顔で司令席に座ったボーデンに”降りて下さい”といえなかったシュスタークだが、ロガが会議室に移動したのを見て、ボーデンはゆっくりと椅子を降りて階段の方へと向かい、タバイにむかって一吼えした。
 シュスタークが命じるより先にタバイも理解し、抱きかかえて階段を駆け上がり、会議室で降ろし、
「中で診察中の場合は、肌が露わになっていることもあるので、ここで失礼させていただきます」
 シュスタークが敬語らしきものを使ってしまう相手に、彼もしっかりと答えてその場を後にした。
 メリューシュカが入り口の扉を開くと、足に頭を一度擦りつけ”感謝”らしきものをみせて、ゆっくりと部屋へと入っていった。
「す、座っても良いよな?」
 周囲を見回した後、タウトライバやロヴィニア王、それにテルロバールノル王などの応援を受けて、司令席に腰をかけることができた。
 シュスタークが司令席に腰をかけ、現状を聞く頃には”いつも通り”の戦場に戻っており、銀狂の銃を撃つ前とはうって変わって落ち着いた状態になっていた。慣れた戦場となり、タウトライバは”皇帝”に華を持たせるための命令を次々とシュスタークに教える。
 単体での華と、総指揮の華はやはり違う。
 とくに皇帝は基本単身での武功よりも、全軍指揮官である必要性のほうが高いので、両方を華やかに彩ってこそである。
 そうして時間は過ぎ、
「陛下」
「どうした? タウトライバ」
「所定の時間が経過いたしました」
 シュスタークが指揮しなくてはならない規定時間を満たした。
「あ、そうか……」
 特に時間を気にしていたわけでもなく、あまりにも穏やか過ぎる中で告げられてしまい、シュスタークは戸惑った。
「もうお戻りになられても」
「いや……その……後どの程度かかる?」
「これから戦闘を終わらせる方に動きますので、終息するまで最低でも二十五時間はかかるかと」
「そうか。だが最後まで指揮したいと……駄目か?」
「そんなことはございませんが」
 タウトライバとしては、ロガとシュスタークには部屋に戻って休んで欲しかった。邪魔にしているというのではなく、両者の体調を気遣ってのこと。
 だが強硬に”陛下はお戻りください”とも言えず、ロガを使うのも憚られる。
(陛下)
 それらのやり取りを聞いていたカルニスタミア。
「ライハ、どうした」
(あとはこの、テルロバールノル王国軍にお任せ願いたい)
 シュスタークがダーク=ダーマに帰還したと同時に”代理のロガ”から許可されたカルニスタミアの連合指揮権は失われている。
「あ……」
 よって扱えるのはテルロバールノル王国軍のみだが、状況からいって勝算とは言わないが”何時ものように”戦争を小康状態に持ってゆくことは可能と判断を下した。
(陛下。そんな顔をなされるな)
 ―― 後を任せる ―― が意味することを理解しているシュスタークは、難色を示すが、ここは誰もが”カルニスタミアの押し”に期待して、静観しつつ戦いを続けている。
「だがな……」
(陛下。今回は珍しく兄王が儂に、全軍の指揮権を与えてくださったのじゃ)
「それは良かったな」
(そうなのですが、その為にいつも指揮しておる、リュゼクが指揮ができぬ状態で)
「デーケゼンか」
(そう。陛下にの御前で華麗なる指揮を披露するつもりできたというのに、儂が奪ってしまった形になったので、最後くらいは見せ場を持たせてやりたい。お願い出来ぬでしょうか)
 デーケゼン公爵リュゼクが大きく指揮する機会がなかったことは解っているし、理由も”軍人として”は納得できるが、裏の目的があり、それが”自分を戦場から引き離すこと”くらいシュスタークも理解できている。
「そ、そう言われてはな……」
 リュゼク将軍の顔を立ててやるべきか? 否か?
 皇帝として今回の戦いにおいて、殊勲を立てたカルニスタミアの顔を潰さないためにも、そして普段はテルロバールノル王国軍の指揮を執り、帝国防衛に携わっているリュゼクと諍いを起こさないようにするためにも。
「ちょっと待て、ライハ。タウトライバ、あとをデーケゼンに任せても良いものか?」
「はい。恐らくデーケゼン将軍が艦隊を指揮し、ライハ公爵殿下が機動装甲を操って援護に回ることでしょう。そうであるならば、全く憂いはございません」
 作戦を全て任せているタウトライバにそう言われてしまえば、拒否できる理由はない。
「よし、ライハ。望みを聞きいれよう」
(ありがたき幸せ)
「その代わりといってはなんだが、デーケゼンに代われ。余自ら声をかける」
 声をかける必要などなかったのだが、以前”皇后候補”だった、五歳年上の将軍にシュスタークは何となく声をかけたくなったのだ。
(陛下)
「デーケゼン。あとは任せるが、死ぬことは許さぬからな。余の命に”叛いたり”せぬお前であると信じておるぞ」

 デーケゼン公爵リュゼクの父はカプテレンダといい”先代テルロバールノル王ウキリベリスタル暗殺実行犯”とされている。
 実際のところは違うのだが『ウキリベリスタルとセボリーロストの弟にあたる”リュゼクの婚約者であった”ゼティールデドレ王子が、娘を人質として命じた事件』とされている。
 実際殺害したのはハセティリアン公爵夫妻であり、命じたのは帝国宰相だが、様々な事情と条件、そして王国の計画があり、カプテレンダは自らが「犯人である」と言い、妻とも共自害して、この事件は後味悪く処理されている。
 リュゼクは父公爵が「王暗殺犯」となったことで、当時”帝国宰相”が考え、進めていた「リュゼク皇后案」が潰れ、彼女は”反逆者の娘”として家督を継ぐ。
 公爵家が潰されなかったのはカレンティンシスの優しさもあるが、なにより犯人は絶対にカプテレンダではないという証拠があった為だ。

 それでも彼は犯人になる必要があった。そしてリュゼクは今だに暗殺実行犯の娘として生きている。

(御意)
 シュスタークは帝国宰相がリュゼクを自らの皇后にしようとしていたことを知っているので、それに繋がっているウキリベリスタルの暗殺が帝国宰相の策であるとは考えてもいない。
 三十歳になり今だ婿を取ろうともせず、戦いに身を置く彼女を不憫とは思わないが、自らが皇后となるべき少女を得たことにより、複雑な心境にはなった。
「ではゆけ、デーケゼン」
 それがシュスタークに、リュゼクとの会話させようと思わせたのだ。

 リュゼクとの通信を切り、シュスタークの戦場指揮は終わった。

 シュスタークはまだ艦橋にいるカレンティンシスに”リュゼクのことに関して言いたい”ことがあるのだが、それが形とならず椅子から立ち上がることができない。
 ”彼女の意見を尊重してやれ”や”どうしたら名誉回復ができるか”などではなく、もっと深いところを言いたいのだが、どうしても思いつかなかった。
「陛下」
「アルカルターヴァ」
「リュゼクのこと、ありがとうございます」
 頭を軽く下げたカレンティンシスに、シュスタークは自分が思っていることは、すべてカレンティンシスが理解していることに気付いた。
「では余は戻る。あとは任せたぞ」
 シュスタークはロガを迎えにゆき、抱きかかえて私室へと戻った。
 戻る途中、ロガのことではなく、自らの正妃候補として送られたものの、その座に付くことのできなかった者たちや、決まりかけていたのに途中で排除された者などのことを考えていた。
 リュゼクやナサニエルパウダ、バーハリウリリステン。それ以外にも多数の女達が集められては”皇帝”の前から去った。
 それを寂しと感じたことはない。
 彼女達が別の人生を歩み、幸せになってくれることを願うとまではいかないが、漠然と幸せを思うことはある。
 触れた者であっても再び手を伸ばそうと思ったこともない。
 自らが声をかければ、正妃になれた者もいたかもしれず、手元に置き愛妾として囲うことも可能だったが、シュスタークは誰にもそんな感情はわき上がらなかった。

 では今腕の中にいる、落ち着き涙が収まった、微かな寝息だけが聞こえてくるロガに対しては、激情のようなものが沸き上がるっているか? と言えば、そうでもない。

 腕に僅かに感じる重みが、シュスタークの中で感情になりそうだと、初めて「シュスターク自身」が感じていた。
 その感情が愛であることも解っているのだが、今この場で”目にしなくてはならないこと”を知っているので、それが育つことに困惑している。

 部屋へと戻りロガをベッドに置いて着替えさせることを命じ、自らも着替えて”シダ公爵から一時報告”を受け、シュスタークの部屋の隅を見つめて溜息をつく。

 ここに帝国軍総帥である皇帝シュスタークが誕生した。


第十章≪権威≫完



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