繋いだこの手はそのままに −148
「名君」と讃えられる皇帝は、治世を前に、臣民を前にして、決して感情的になることはない
治世安定のために”生きている”ことが重要な皇帝は、自らを身の危険に晒すようなことを、してはならない

そのような観点からみると、皇帝シュスタークは「皇帝として」してはならないことをしでかした
自らの後継者がいない状況で、単身宇宙空間に出て、一時期生死不明となったのだ

その行為は「皇帝として」許されたものではない。皇帝シュスターク自身「反省する」という弁が残っている

皇帝シュスタークは同じ日に、皇帝としてやってはならないことを、もう一つしている

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 ロガがシュスタークを待つ艦橋には、キュラの治療を終えたエーダリロクと共に、ロヴィニア王ランクレイマセルシュが控えていた。
 艦橋の扉が開かれた際、ロヴィニア王の姿を確認したカレンティンシスは、頬を引きつらせたが、それは彼にとって”想像の範囲内”であったので、いつも通り薄ら笑いを浮かべて返事とする。
 ロヴィニア王はエーダリロクに『皇帝と正妃の再会』を中継するよう、先程命じたのだ。
 通信波の乱れを考えてエーダリロクに任せるのが適任だが、皇帝が艦橋へと戻って来るのに従っていることが確実なカレンティンシスが「撮影を許可しない」と命じることは確実。
 それを阻止するために、ロヴィニア王もわざわざ足を運んだ。
「ご無事でなによりです、陛下」
 本心の一つを声として、ロヴィニア王は皇帝を出迎えた。
 外戚王でもある彼は、奴隷正妃を唯一好意的に迎えることができる。
「出迎えか、ヴェッティンスィアーン」
 なにより、この王の力がなければ奴隷正妃の位を上げることは不可能。それを知っている「皇帝の異父兄弟」は彼の行動に口出しすることができなかった。
 目的は知っている。行動は理解していても、納得出来ない……だが、拒否もできない。
「いえいえ」
 シュスタークはロヴィニア王の出迎えを軽んじず、もちろん鬱陶しがったりなど適切な態度をとる。
 その間、付き従っていたタバイは移動して、ロガが皇帝より受け取った「杖」の前で待機していた。
 皇帝と王としては簡単な挨拶を済ませて、司令席のロガの元へと近付いた。
「ロガ」
 声をかけられたロガは司令席からゆっくりと降りて、杖を宙に縫い止めている装置の隣に立った。
「……」
「心配させたな、ロガ」
 逸る心を抑え”皇帝”として威厳を保ちつつも、皇帝らしからぬ”笑顔”を浮かべて声をかけたシュスターク。
「ナイト……シュスターク陛下、お待ちしておりました」
 ロガは杖に手をのばし、タバイの協力のもと、装置から杖を外して、両手で持ち差し出した。
「ありがとう」
 シュスタークはそれを片腕で受け取り、タバイは装置を二人の傍から遠ざける。
「…………」
 ロガは口を開くが声が出ず、その代わりとも言うべきか涙が溢れ出した。
「ロガ? どうした」
 重責から開放され、まさに”緊張の糸が切れた”ロガは、涙が溢れ出している瞳に目蓋が降り、そのまま体の力が抜けて床へと崩れ落ち ――そうになった。


―― 皇帝として、その行為は許されるものではない。だが、その熱狂を否定することはできない

 皇帝は手に持っていた杖を投げ捨て、両膝を折り、両腕を差し出し、床に叩き付けられそうになっていた皇后を支えた
 折った膝は床を割り、蜘蛛の巣のような亀裂が走る
 崩れ落ちた皇后の数粒の涙が、遅れて彼女に、床に、皇帝の手に降る
 抱きとめた皇帝は、自らに皇后を引き寄せた
 黒く輝く髪の奥に隠されたようになった皇后
 皇帝は皇后を抱いたまま立ち上がった

 煌めく星々を捕らえた長い黒髪が大きく揺れる

 皇帝は皇后を抱いたまま、命じた
 皇帝に投げ捨てられた杖の球が砕け散った音が重る

 攻撃を続けろ

―― その行為、皇帝として許されるものではない。皇帝が家臣の前で、膝を折り”一人の家臣”を抱き締めるなど。だが……

[貴様の負けじゃ、ケスヴァーンターン]
 カルニスタミアは呟き
《用意はできたか? エーダリロク》
《もちろん》
 ロヴィニアは映像を流す。戦場だけではなく、帝国にも向けて
【勝てそうだな】
【勝てるだろうな】
 エヴェドリットは士気を”視る”
「陛下」
「陛下」
 近衛兵団団長の異父兄と、代理総帥である異父兄は声をかける
≪流血有り 傷の治……≫
 唇を噛み締め流血したラティランクレンラセオは、警告を切った
[貴様の負けじゃ、ケシュマリスタ!]

 もっとも規則に厳しい王は、動こうとはしなかった。皇帝に降ろせとも、誰かに受け取るよう指示を出すこともなく、皇帝の後ろ姿を見つめる

 皇帝の号令にもっとも早く反応を示したのは奴隷たち
 この場に連れて来られていた奴隷たちは、皇帝が全てを捨てて抱えた同胞に 皇帝 を連呼し、足を踏みならし 頭をふり 絶叫しながら、彼らは”出されていた”指示に戻り、戦闘を続行する

**********


皇帝シュスタークは同じ日に、皇帝としてやってはならないことを、もう一つしている。だがそれに関して、誰も何も言うことはしない

皇帝が皇帝としてはならぬことをした。だがその時確かにそれは”皇帝”であった。皇帝が巻き起こした熱狂を、時過ぎた後にどれほど否定しようとも、否定することはできない

触れることはできない熱狂

その熱狂の中にいたことを、彼らは決して忘れず、誇りと思った。だからこそ、それは語り継がれた

時は経ち、その熱狂には最早熱はなく、狂気もなく、存在するだけの事柄だが、過去に思いを馳せたとき、嫉妬にすらなるほどの熱狂の残骸は、そこかしこに残っている

―― 宇宙の如き煌めきある黒の中に囚われた琥珀の瞳、再び開かれた時、それは太陽の瞳と呼ばれることとなった ――

のちに「帝国の夜明けの第一歩」と称されることとなった熱狂である

**********


 シュスタークとロガに関する熱狂が、全てに伝わっていたわけではない。
 同じ艦内でも、治療に当たっている部屋には、通信は入らなかった。当然、この二人も知らないまま。
「お手数をおかけしました、ミスカネイア義理姉さん」
 ”後は安静にしていれば、一ヶ月ほどで完治する”までになったキャッセルは、感謝を述べていた。
「手数なわけないでしょう。これが私の仕事でもあり、仕事じゃなくても同じ事するわよ」
 ミスカネイアの外傷は完治し、キャッセルの容態を監視しているところだった。
「でもあまり無理をしないでください。貴方になにかがあると、兄さんが悲しみますよ……多分」
 ”声を発すると頭に響くな”と思いつつ、キャッセルは受け取って貰うまで感謝を述べることにしていた。
「多分だから心配しなくていいの。大体あの人は、私の心配よりも、貴方の事が心配なはずよ。私は貴方とは違って、自分を制御できるから」
「……」
「どうしたの?」
「制御出来る人は、自分が大怪我してまで治療はしないと思うのですが。遭難救助で言えば、救助しにきた人が、二次遭難しつつぼろぼろになって、運良く救出できただけのような……」
 キャッセルに至極”普通”のことを言われて、
「無駄口叩かないの。とにかく、あの人の心配事は貴方なのだから、私の言うことを聞きなさい」
 特徴とも言える縦ロールがすっかりと元の形状を失ってしまった髪を払いのけながら、手を振って”話”を打ち切ろうとするが、
「いや、でも、兄さんは貴方の事を心配しているでしょう。ミスカネイア義理姉さん」
 キャッセルには通じなかった。
「じゃあ、そういう事にしておきなさい」
「信じてないでしょう。絶対に兄さんは……」
「もう休みなさい」
「はい」
 通じはしなかったが、未だに脳の三割ほどが潰れている”ような”状態なので、話しているうちに意識が遠退き、ミスカネイアの指示に従い口と目蓋を閉じた。
 大人しくなったキャッセルを前に、やっと一息ついたミスカネイアだったが、
「ロッティス伯爵」
「なに」
 まだ休む訳にはいなかった、
「団長閣下より”后殿下診察と投薬の用意をして待機するように”とのことです」
「后殿下はどうなされたの?」
「倒れられたそうです」
「わかりました。もう用意は出来ているので、大至急来なさいと返しなさい」
 キャッセルが銀狂の銃とリンクする際に持ち出した医療器具の中には、ロガに使用する為の道具も入っている。
 いついかなる場所で呼ばれても、即座に対応できる用意はしていた。
 連絡に向かった者の背を見ながら、
「夫でしたら、知っていると思いますけどね」
 ミスカネイアは、機具の再確認を行いながら”夫”の到着を待った。
 ”后殿下が倒れた”こともあるが、自分が居るところに眠っているキャッセルが居る。となれば、迎えに来るのは”夫”であることはほぼ確実だった。
 艦橋から離れられない夫が、言葉としては悪く、家臣しては許されないことだが、ロガが倒れたことで、一時的に皇帝の傍を離れ、様子を見ることが出来るのだ。余人に后殿下の主治医の迎えを頼むなど、ミスカネイアには考えられなかった。
 扉の前で待っていようかとも考えたが、部屋の中になければ、夫が弟を見舞う理由を奪ってしまうかもしれないと考え直して部屋で待機する。
 夫と一歳しか違わないキャッセルの、子供のような寝息に、シダ公爵妃アニエスに預けてきた子供たちを思い出し、里心が芽生えたが直ぐに押し込めた。
「ミスカネイア」
 扉が開くと同時に自分にかけられた、聞き慣れた声の方を向く。
「あなた、キャッセルは……」
 ”キャッセルは無事よ”と言う前に、夫であるタバイに抱き締められミスカネイアは呆然とした。聞こえてくるのはキャッセルの寝息ばかり。
「怪我はもう良いのか? ミスカネイア」
「私の怪我?」
「そうだ」
 キャッセルのことを先に聞かれるとばかり思っていたミスカネイアは驚き、背の高い夫を上目遣いで見つめる。
「まだ治療は終わっていないのか?」
「私の治療は終わっているわ」
「そうか。いくぞ」
 タバイは抱き締めていた腕をはなして、キャッセルが休んでいるベッドに背を向けた。
「様子を見なくていいの?」
「お前が”大丈夫”と報告してくれただろ、ミスカネイア。それを信用しているから……今は良い」
 ”一番に想われていても悔しいってこういことね”
 キャッセルが仕切りに”兄さんは貴方のことが大事です、大事です”と言っていたのは正しかった。だが、それをキャッセルが理解して、自分が理解していなかったのが、少しばかり悔しくもあった。
 ”優越があるからこその敗北”とも違う、心地良い程度の敗北感。ささやかな嫉妬は、しこりを残さずに彼女を通り過ぎる。
「顔をみる時間くらい、作ればいいのよ。私を抱きかかえて走ればいいでしょ? 貴方が走ったら、私が歩いて移動するよりずっと早いもの」

 眠っている弟の頬に触れて、頷いた夫の笑みを浮かべた横顔をみて、彼女は一つの仕事をやり遂げた実感を得た。


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