繋いだこの手はそのままに −150
視界を奪う闇夜は存在しない
眠りは夢を誘い暗闇にはならない
暗い部屋で目を閉じる。それ以外、自らが暗闇に沈む術がない。この身が空になれば楽になれるだろうか、空に空に……
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シュスタークがベッドの上で目を開いた。
一切の灯りを排除した部屋で、眠らずにベッドの上で目を閉じるだけで、既に三日が経過している。
広い寝室にはシュスターク以外の者は誰一人いない。
警備だけではなく、ロガすらいない。
全ての者に下がるようシュスタークが命じたためだ。
ベッドから身を起こして、足を久しぶりに床に降ろし、座った体勢となり頭を下げ、溜息をつく。
窓の存在しない部屋。
暗闇でも視界が奪われることのないシュスタークだが、ロガと共に生活するようになってから真っ暗闇は避け、必ず足元灯が灯る部屋を作っていた。
だが今はそれもない。
―― 出て行け。全ての者よ出て行け。灯り排除する、誰も近寄るな! 許可無く部屋に立ち入ったら、容赦なく殺す ――
ロガさえ近づけずに三日間。生ける屍のように身を横たえたまま、虚ろな眼で何も口にせず、眠らずに、なによりも考えることを拒否していたシュスターク。
三日目にして「考えることを拒否すること」を諦めて起き上がり、そして意を決して立ち上がった。裸足の足の裏の伝える”感触”が神経を逆なでし、吐き気を催させるがこらえて歩く。
扉に手をかけて次の間を開いた。
そこも暗闇で人は誰もいない。
自ら命じたこととは言え、誰もいない真っ暗な部屋にシュスタークは”ぞくり”とした。
だが声を上げずに次の部屋の扉を開く。だがやはり、そこも同じであった。
途端に歩く事が億劫になったシュスタークは、膝に手を置き肩を落とす。声を上げれば良いことは知っているが、声すら上げたくはないという気持ちから、一人床に付きそうな自らの黒髪と裸足を見つめる。
”こうしていても”どうにもならないと、思えば思う程に、シュスタークの体は重くなる。
そんな時、床に微かな灯りの道が出来上がった。
光の先には鼻先で扉を開けたボーデンの姿。
ボーデンはシュスタークの姿を見ると直ぐに背を向けて、扉を開いたまま部屋の奥へと戻っていった。
”あの部屋にロガがいるのかなあ……”
シュスタークは頭を振って、おぼつかない様な歩き方で、床に広がる微かな光を踏み、己の影で闇に染めながら扉に手をかけた。
「ひっぐ……ひっぐ……分かんないよ。どうしたら、いんだろ……分かんないよ……ボーデン」
ボーデンの部屋の奥から聞こえてくるロガの泣き声に、身体中にかかっていた靄のごとき気怠さは霧散し、声の聞こえてくる部屋の奥へとつき進む。
「ロガ!」
「ナイトオリバルド様」
シュスタークが三日ぶりに見たロガは、頬はこけて目は泣き腫らし、部屋の隅で父の遺品である辞書の前で膝をかかえていた。
「ど、どうし……」
あまりの変わりように驚き声をかけるとロガは震える声で名を呼んだ。
「ナイトオリバルド様、ナイトオリバルド様」
しゃくり上げるように、そして震える声で自分の名を呼ぶロガに、膝をつき両手で頭を抱えて髪を毟るようにしてシュスタークは叫んだ。
「すまない、ロガ!」
「ナイトオリバルド様、ナイトオリバルド様」
「理由も言わずに部屋から下がらせて……不安だっただろ。済まない!」
暫くの間、謝るシュスタークの声と泣きながら”ナイトオリバルド様”と呟くロガの声だけが部屋を支配した。
シュスタークは謝罪しているだけではロガが泣き止まないことを理解し、立ち上がり傍へと近寄り頬に手を伸ばす。
「心配させてしまったな」
シュスタークは理由も言わずに全ての者を部屋から追い出し、灯りを点す事も近付くことも禁止した。”皇帝の乱心”に誰もが従い、誰もが不安を感じていた。
自分の頬に伸びてきた手が”何時ものシュスターク”であることを感じ取ったロガは、その手に自らの両手を重ねる。
「ナイトオリバルド様。なんにもできなくて、御免なさい」
「ロガ」
「ナイトオリバルド様が苦しんでるのに、何もできない! 私、何も解らない!」
「ロガ……」
”皇帝がもっとも気を許している少女”であるロガに、誰もが”陛下の機嫌を取ってくれ”と依頼してきた。
ロガ自身、自分がシュスタークの為にいることを理解している。
そしてシュスタークに直接関することしか出来ない事も。他に近寄ることが許されない者達は、その間にほかの仕事をする必要があった。
だがロガにはそのような仕事はない。ロガは”皇帝の隣にいること”が仕事であり、全てである。
―― 分かんないよぁ。どうしたら、いんだろ……分かんないよ……ボーデン ――
このような状態になったシュスタークに遭遇したのは、ロガも初めてだった。その為、どうして良いのか? 解らない。
周囲の者たちも初めて遭遇するシュスタークの態度。だが人々は、皇帝最愛の少女であれば、どうにかなるのではないか? と期待する。
”皇帝最愛の者”でいることは、楽ではない。その寵愛が責任あることを依頼されることもある。
シュスタークの機嫌が悪くなった理由一つ解らないまま、父の遺品であるエーダリロクに直してもらった辞書を開くが、調べるべき項目が解らず、画面を前にして泣くことしかできなかった。
「お姫様に生まれてきたかったなあ……そしたら、ナイトオリバルド様の考えてること、少しは解って、そして……」
シュスタークはロガの小さな体を抱え上げて、抱き締めた。
「あのな……おそらく、王女であっても解らんよ。そして、ロガはロガのままで」
「ナイトオリバルド様」
抱きかかえられたロガも、シュスタークの首に両腕を回し抱きついた。
先程の謝罪するだけの時間よりも長い間抱き合い、ロガが泣き止んだのを確認して、シュスタークはそのまま歩き、人のいる場所へと向かった。
「陛下!」
シュスタークが目を閉じて過ごして居た部屋から五つ離れた所に、タバイとミスカネイアが控えており、
「陛下! 后殿下」
久しぶりに姿を現したシュスタークと、抱きかかえられているロガに声をかける。
「風呂と食事の用意を」
「畏まりました」
タバイは部下に告げ、
「湯殿の用意は調っております」
ミスカネイアは浴室のほうへと案内した。
服を脱ぎ体を洗わせていたシュスタークは、遅れて入ってきたロガの姿に釘付けとなる。
ロガは薄い入浴用の肌着を着用していたのだが、それ越しでも解る痩せ具合にシュスタークは立ち上がり、体の泡も落とさずに近寄った。
「ロガ?」
「あ、はい」
両手でロガの胸骨のあたりを包み込むと、より一層ロガが痩せたことが解った。
急いで体と髪を洗わせ、ロガと共に浴槽の縁に座り語りかけた。
「ロガ」
「はい」
「その……不安にさせたし、心配させて……悪かった」
ロガが痩せた理由が自分にあることを理解したシュスタークは、擦れる声で謝罪した。
「いいえ。あの……」
それ以上言う事が出来ず、二人は湯に足を浸し、ロガは体をシュスタークに預ける。
預けられている体の軽さに再び衝撃を受けるもそれを押し隠し、浴槽に流し込まれる湯の音を聞きながら、ロガの薄い腰に手を回した。
**********
浴室から出たシュスタークは、ミスカネイアにロガの状況を尋ねた。
ミスカネイアは頷き、平素皇帝には向けない厳しい口調で現状を教える。
「陛下」
「なんだ」
「陛下が部屋から出て行くように命じてから三日間、后殿下は何も口にしていらっしゃいません。水分は僅かに取ってはくださいましたが」
「……」
「陛下。后殿下は私などとは違い、食事で栄養を得て生きてゆく御方ではありません」
「どういう事だ?」
「后殿下は陛下のお心が糧で、それを糧にして生きておいでの御方です。陛下のお心、陛下の愛情。后殿下を生かすのは、それのみ」
奴隷が正妃になる。政治的判断以上に、皇帝の愛情が重要であり、それ以外は何の役にも立たない。
「……」
「食事の代用となる薬を投与することはできましたが、敢えていたしませんでした。后殿下の命を危険に晒すまねをいたしましたが、陛下に知っていただくためには致し方ないかと思いまして」
ロガはシュスタークの気持ちだけで連れてこられた奴隷であって、皇帝が見捨てた時に全ては消え去る。
「ミスカネイア」
「それに対する、主治医としての責任放棄と見なされる行為に関して幾らでも負います。ですが重ねて言わせていただきます。后殿下を生かすも殺すも陛下の愛のみ。この団長夫人である私程度ですら、夫の愛情がなければ大宮殿では生きてゆけません。后殿下は私など比べものにならない程の愛を陛下より受けなければ、生きてゆく事は不可能」
やつれてしまったロガの姿を思い出し、
「教えてくれたこと、感謝する」
己の軽率な行為と、それを教えてくれたミスカネイアに頭を下げる。
「頭を下げるなど」
「いいや。……それで、ロガは大丈夫なのだな?」
「はい。ゆっくりと回復食を取りながら、一週間ほどで完治いたします。薬品で治すことも可能ですが、人間の体は壊れ蝕まれやすく、回復するのは大変であることを、その目でご確認ください。失礼ながら、そうすることにより軽率な行為を取られることも減るかと」
「ロガが苦しいのではないか?」
「后殿下を苦しめたご自身を顧みてください」
「解った……生命に異常はないのだな?」
「ぎりぎりですが」
「そうか」
部屋に到着して目にした 推定死者8,000,000人超
推定死者数と重傷者数の数を見た時、シュスタークの中に感情沸き上がり、支配できなくなった。それを知られるのを恐れて、暗闇の中に逃げたのだ。
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