繋いだこの手はそのままに −126
 余程変わり者でもない限り、死にたいと思うものはいないだろう。
「僕が出撃したついでに、テルロバールノル王の旗艦に届けてくるよ」
 この場合、エヴェドリットは変わり者から除く。あれは論外。
「任せたぜ、キュラ」
「……ああ」
 自爆するならエーダリロクが知らない筈はないだろうな……そう思いながらも、僕は聞き返すことはしなかった。聞き返す必要が無いっていうか、聞いたところで僕には何もできないからね。
 敵の多くを道連れにするために、タウトライバ様は行くんだろうね。
 普通自爆攻撃は無人艦隊で行う作戦だけど、敵の此方に干渉してくるフィールドが破壊できない状況じゃあ、有人艦隊で攻撃を仕掛けるしかないからねえ。
《こちらデネブ。お届けものですよ、君達の大事な王弟殿下ですよ》
 治療器を別のカプセルでコーディングして、持っていってやったよ。出迎えたのは、
「手間をかけたな、ガルディゼロ」
「いえいえ、王自らお出迎えとは……」
 国軍総帥であらせられるカレンティンシス殿下がわざわざお出でになったよ。まあ、カレンティンシスは戦略とか、そういうの得意じゃないから連れてきたリュゼク将軍に全権を託してるんだろうね。
 僕はまだ肉の復元していない目を閉じているカルニスタミアの顔を見て、
「それじゃ」
 立ち去ることにした。
 無事に生き延びてくれよと思いながら。残念ながら僕は自分一人が生き延びることで精一杯、君を助けることなんて出来ない。
 でも、君のお兄様が何とかしてくれるだろう。
「待て……くれ、キュラ」
 体なんて筋肉標本みたいな状態なのに、声だけは綺麗に復元されてた。
 僕は足を止めて立ち尽くす。
 彼が、カルニスタミアが何をいうのかなんて理解している。
「起き上がる必要は無かろう!」
 振り返り開かれた必死な眼差しに僕は悲しくなるのだ。
「カルニスタミア、起き上がっちゃあ駄目だろう? まだ体が ”枠” だけなんだから、内臓とか落ちちゃうよ」
 僕はゆっくりと近付く。
 兄であるカレンティンシス王の肩を借りて、カルニスタミアは立ち上がっている。
「キュラ……頼みがある」
「人の話聞きなよ……それで、なに頼みって」
 君は僕に手を伸ばす。体を失ったばかりとは思えない力で僕の襟を掴んで君は言う。

 僕はさ、聞かないでも解るんだよ。君の願いが何かなんてさ。

「ザウディンダルを……」
「なに? ザウディンダルをどうすればいいの? 連れて来るの?」
 カルニスタミアは首を振る。
 解ってるよ、違うことくらい解ってるさ。君の願いが何かなんて、解ってる、解ってる。君はさ、苦しい息の下、体の枠から内臓を落としてまで、言うんだろ?
 僕が一番聞きたくない言葉を。

「ザウディンダルを……頼む。守ってやって……くれ」

 やっぱり君はそう言った。その言葉は最も聞きたくなかった言葉だ。
「解ったよ。安心しなよ、僕は君程じゃあないけど、守ってやるよ」
 掴んでいる手を掴んで、僕にしがみついている掌を引き剥がす。
「じゃあね」
 解ってる、解っているさ。そこでその台詞が出る男だから、
「カルニスタミア!」
「カレンティンシス様! まずは治療が先です」
 僕は君が好きなんだよ。
 君のことは君のお兄さんと、その側近達に任せよう。
 僕は機体に乗り込んで、
「デネブ、出すよ」
 この旗艦から飛び立つだけだ。

《眼球異物混入無し。角膜損傷無し。分泌異常無し。別の理由を探しますか?》

 ナビゲーションは ”何か” を勘違いして僕に問い返す。
「必要ない」
 何もかも必要は無い。僕は一人で生き延びるのだ。今必要なのはそれだけだ。

**********

「調整完了……何時でも……撤退可能です……」
《待機を続けろ》
「了解しました」

 ザウディンダルは皇帝の機体ブランベルジェンカIVと、撤退する際に自らが搭乗する事になっていたブランベルジェンカ105の機体整備を終え、バラーザダル液の検査も終えて、105の操縦室に入って抱えるようにして座り、顔を膝に何度も擦りつけた。
「……」
 《待機を続けろ》 そういった兄タウトライバの声に、何一つ揺らぎはない。その声が揺らぎ無く冷静であればあるほどに、ザウディンダルの感情が大きく揺れる。
 あの日、ロガが庶子達とその家族と会った後のこと。
 ザウディンダルはロガに話しかけていたタウトライバの子エルティルザと、タバイの子バルミンセルフィドに注意をした。
「お前等なあ」
 二人が幾ら重鎮の息子であろうが、皇帝の最初であり最後になりそうな后に簡単に声をかけて良いものではない。
「本当にみんなで会いたいんですよ」
 特にエルティルザとバルミンセルフィドは、皇帝よりも后殿下に歳が近く、変な噂が立ってもおかしくはない上に、后殿下は好意的ではない輩に変な噂を立てられる心配がある。
「見逃してください、レビュラ公爵さま」
 どうしても両親と一緒に会って遊びたいのだと言い募る甥に、ザウディンダルは今日のことは知らせないという願いを飲んだ。
「だが、二度と后殿下と単独で話そうなんて思うなよ。陛下は……陛下があの状態だから、余計に危ないんだからな」
 二人はザウディンダルに ”ありがとうございます! 今度は! 今度は一緒に! ハセティリアン公爵も一緒に会いましょう” と笑顔で言って二人は去っていった。

 エルティルザは此処で父タウトライバを失い、バルミンセルフィドは此処で母ミスカネイアを失う。

「嫌だよぉ……」
 両親の縁の薄いザウディンダルは、両親が揃っている事がどんなものかは解らないが、両親と一緒に食事をした事を喜んでいた甥の笑顔を思い出すだけで苦しくなる。
 自分は最初から持っていなかったが、甥達は持っていたものをこれから失う。
「止めようよ……」
 他の兵士だってそうだとか、死んだ兵士にも家族がいるとか、そんな事くらいはザウディンダルも理解している。理解していようが、理解など近しい人間の悲しみを想うだけで霧散する。他人の生死と身近な人間の生死を同列に扱い、感情を制御することなど最早どうでも良かった。

 兄が死ぬのは悲しいのだ。

 それは人間としての感情であり、両性具有、人造人間の部分の多いザウディンダルに取って異質であり、また人間であることの名残であり、それは失われてはならない感情であった。
 皇帝の撤退に従い、帝星に到着した後、自分は甥達に何と言うべきか? 残された妻となるアニエスに何と言えばいいのか?
 皇帝と共に撤退するということは、確実に帝星に戻る事。
 そこには最愛の兄が待っているが、その兄に対しても言葉がない。誰も責めはしない、ザウディンダルは艦隊の指揮権はないし、何の咎があるわけでもない。
 だが言葉は続かないだろう。
 何時かこの日が来る事くらいは理解していた。戦場がそれ程甘くないことを、理解はしていたが、その時が来たから覚悟は出来ている訳ではない。
《アルテミシア、帰還》
 ビーレウストの機体が戻って来た報告を聞き、ザウディンダルはより一層顔を深く埋めた。


 懐いてくれよ、ザウディンダル。私はお前の兄のタウトライバだ。なあ、懐いてくれよ……

**********

 ロガが目を覚ますと、シュスタークはまだ隣で眠っていた。
 すっかりと見慣れたシュスタークの整っている寝顔を見て微笑み、長い髪を指で優しく梳く。近寄ってきたタバイが胸に手を当てて礼をするのを受けて、ロガは無言で頷きゆっくりとベッドから降りる。
 隣室まで案内され、タバイはまた無言で礼をしてシュスタークの眠っている部屋へと戻り、ロガは、
「お目覚めは如何ですか?」
「すっきりとは言いませんが、体の疲れは取れたような気がします、ミスカネイアさん」
 ミスカネイアの控えている部屋へと入った。
 体を洗うように促されたので、それに従う。状況が悪いことはロガも理解しているが、シュスタークが目覚めた時、綺麗ではない状態ではミスカネイアに迷惑がかかる事も理解している。
 体を洗って乾かし、着替えを終えて席につく。
 后殿下の湯浴みとしては短すぎる時間だが、それに関して文句を言う者はいない。人が出払い、室内にはミスカネイアしかいないのだ。
「お食事は?」
「あまりお腹が空いていないので、出来れば軽いもので」
 空腹感は全く無いが、やはり気を遣って少し食事を口にすることにした。
 酷い怪我を見たから食欲がないのではなく、怪我人の状況に事態が悪い事を理解し、戦況の不安から食欲がわかないのだが、それでも口の食事を運ぶ。
「ミスカネイアさんは食べましたか?」
 自分の顔がまだ爛れていた頃、鏡やガラスに映る自分の顔に落ち込んで食欲を失ったことはあったが、今の食欲が沸かないのはそれとは全く違う。
「いいえ」
「ミスカネイアさんも食べてください」
 そして自分が周囲の緊張を和らげ無くてはならないことも理解し、徐々に行動に移せるようになってきた。
「……」
「どうしました?」
 ロガの ”后殿下” としての成長は早い。ミスカネイアも目を見張る程であった。
 だが成長は早いが、まだ成長段階でもある。
「后殿下。これからの事です」
 ロガはスプーンを置いて、水を口に運ぶ。
「后殿下は陛下が初陣を終えられたら、すぐに一緒に撤退していただきます」
「……それは私と陛下だけ? という事ですか」
 ロガのグラスを置いた手は震えて、手から離れない。
 ミスカネイアの声の調子から、全員で戻るとはとても感じられなかった。
「帝国最強騎士キャッセル殿と、后殿下の帝国騎士ザウディンダル殿が供を致しますのでご安心ください。それと私の夫タバイが責任を持ってボーデン卿をお連れいたします」
 ロガは手を離す事のできなかったコップを倒して、小さな悲鳴を上げた。
「あのっ! ボー、ボーデンは良いです! ボーデンを助けるくらいなら、別の人を助けてください! ゾイも! ゾイも許してくれる筈です! 私からゾイには説明しますから!」
 自分と皇帝、そして飼い犬。
 人よりも自分の飼い犬を優先するのが信じられなかったが、
「そうは参りません。これはもう決まった事です」
 それは最早決まったことであった。
 震えている手と、水がしみ込んでくる手袋。
「無事にお戻りください」
 何を言うべきか、ロガは必死で考えて、濡れていないほうの手をミスカネイアに差し出し、
「ミスカネイアさん、息子さん達の事は……私に任せてください」
 頼りない声で、やっとの思いで言い切った。
 ミスカネイアはその手を取り、
「后殿下のご温情に、厚くお礼申し上げます」
 ゆっくりと答える。
 深呼吸をしながらロガは震えを収めるように努力する。此処から戻ったら、自分は自分の権力を持たなくてはならない事を理解する。その手立ては全く解らないが、宮殿に残っている皇后の座に最も近い位置にいた女官長であるメーバリベユ侯爵に協力して貰い、地歩を固めなくてはならない。
 その事を噛み締めながら、
「ミスカネイアさん、手袋を取り替えたいのです。新しいのを用意してください」
「畏まりました」
 濡れた手袋を脱ぐ。
 その時、シュスタークが手袋を嵌めたまま寝ていた事に気付いた。何故だろうか? 不思議に思っていながら、新しい手袋を受け取り指を通す。
「あの、ミスカネイアさ……」


− ”私” を眠らせようとするとは。恐れを知らぬ者達よ! −



第七章≪死処≫完



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