繋いだこの手はそのままに −109
「陛下、今なんと?」
 余の暗示は一時的かもしれないが解けた。いや、ディブレシアのことを考えるのを止めたから眠気が消えたのかもしれないが。
「いや、記憶が甦ってきたのだ。余は幼い頃、皇太子だった頃に祖母皇太后の策略により、ディブレシアの暗示を受けた。エーダリロクが知っている暗示とはまた別の……物で、実父を摂政の座につけさせずに、祖母自らが摂政となり支配するつもりだったらしい」
 慣例的に幼君の摂政に実の親以外の正配偶者が就くことはない。だが皇帝を継いだ時に実の親を失っていたら、皇帝側の血族が摂政になる。
「叔父貴め! 全部教えたって言ったくせに! 油断も隙もありゃしねえ!」
 余の言葉を聞いてエーダリロクが叫んだ。
 揺れる銀髪と鋭い眼差、そして僅かばかりに焦った声。
「知らなかったのか?」
 本当に知らないのであろう。
 そして離れた所に待機している召使い達が震えた。それはそうだろうな 《怒気を露わにしたエーダリロク》 程怖い物はない。
 背後の流れてゆく漆黒と星達を少しだけ振り返る。
 ここも余の支配する空間だが……余は何も支配していない。余こそがこの宇宙に支配されているような……
「はい。あの人も……まあ俺も全部教えているわけじゃないから、まあ……どっちもどっちですがね。暗示についてはまだ不確かな部分もあるようなので一度話題を切り、元に戻りましょう。ディブレシア帝がウキリベリスタルに依頼して作ろうとした物の完成形態、それは 《真祖の赤》 と見るべきです」
 《真祖の赤》 を欲した真の理由は解らないが 《製造工程》 からして、狙ったのは間違いないのだという。
「だが、真祖の赤は計算では不可能と聞いたぞ」
 だが肉欲にふけっていた理由にはなる。
 通常の性行為……あまり通常には思えないが、普通の繁殖方法で身籠もる事が 《真祖の赤》 誕生の絶対条件だから、執拗なまでの性行為の理由にはなる。
「その通り。だから陛下の兄弟に真祖の赤は存在しない。言葉は悪いのですが、その副産物とは一定の成果はでました。何より本当の狙いを誤魔化すための乱交だと考えるべきでしょうね」
「何故隠すのだ……真意を述べれば、他の者達は黙って従ったはずだ」
 理由があらば誰もが納得したであろう。それを拒否した理由は何なのだ?
「言えない理由があったのだと思います。おそらく 《真祖の赤》 を使い、他人には言えないような事をしようと」
 ディブレシアは一体何を考えて 《真祖の赤》 を? 帝国のためを思ってではなく、別のことに使うと? 何に使う? 《神殿》 の何を書き換えるつもりだったのだ? あれを書き換えて何に書き込むつもりだった……
 余はそこまで考えて愕然とした。
「エーダリロク」
 余の声が乾く。別に余はディブレシアに愛されているとは思っていない。だが……
「何でございましょうか?」
「余は、ディブレシアに邪魔にされていたのだな」
「陛下……」
「《真祖の赤》 であろうが、神殿に立ち入れるのは皇帝と皇太子、そして国璽を持った者のみ。余は皇太子であったが 《真祖の赤》 ではない」
 ”あの暗示” と ”この事実” を前に、余は何も望まれていなかった事を実感した。
 父達が大切にしてくれたお陰もあろうが、今までそのことに気付かなかった。その最大の理由こそがディブレシアのかけた暗示なのだ。
 余は……知っていたのだ。

 ”ディブレシアの呪い”

 王女が生まれぬことを余はそのように呼んでいた。それは余の中にあった、余自身が受けた暗示に他ならない。
 余は余のことを知っているのだ。
 ただ考えられないように暗示を受けた。
 実父が摂政の座に就けない暗示、その内容も覚えているだろうが、思い出せない。それは余にとり……
 エーダリロクは余の意見を否定しなかった。
 余はディブレシアのコレクションの一つであり、帝国の為に作られた、まさに 《暫定皇帝》 だったのだ。
「ですが、これが正しいという確証もありません。一つの考えです、この考えに囚われてしまわないで下さい」
「ああ……」
「陛下はフォウレイト侯爵を継ぐであろう異父弟ハーダベイ公爵バロシアンの父親をご存じですか?」
「帝国宰相デウデシオン。余の異父兄だ」
 この言葉を口にする都度、何かが壊れる。
 全く関係のない余ですらそうなのだ、デウデシオンやバロシアンの心の内はどれ程のものか? そしてデウデシオンの父であり、バロシアンの祖父であるフォウレイト侯爵の父は、何を思い何に縋り生きているのだろう。
 救いを求める相手が 《皇帝》 はないことだけは解る。《皇帝》 はその四人の全てを直接破壊した張本人だ。
 例え代が変わり、余となろうとも受け入れがたかろう。
「それでは話を続けます。私が調べた所では、陛下の異父兄であるパスパーダ大公と異母弟にあたるハーダベイ公爵だけは、ウキリベリスタルが 《生産》 に関与していないのです」
「関係していないということは……」
 そうだ……デウデシオンはカレンティンシスよりも年上だから、エーダリロクのもたらした報告から外れるな。他にも外れるものが何名かいるな。タバイもキャッセルも除外……いやキャッセルは対象範囲内か。タバイははっきりとは解らないが、デウデシオンは確かにウキリベリスタルの関係から除外される。
「ハーダベイ公爵が生まれた理由は叔父貴から聞きました」
「なんと?」
「聞かれますか?」
 此処まで話しておきながら、エーダリロクはその鋭い目を不思議と優しく細めた。 聞かぬ方が良いと……ああ、ザロナティオンが言っておる。
 素晴らしい男だ、エーダリロク。自分と銀狂帝王を同時に宿し、尚余を気遣う。
「聞くに決まっておろうが。余をあまり甘やかすな」
 お前に返してやれる物を余は持たぬが、それを受け止めることだけはしたい。口に出さずとも伝わるなどとは思わぬ、だが直接伝えるつもりもない。
「ディブレシア帝はパスパーダ大公を異性として愛していたと。はっきりと聞いたそうです」
「……」


 《陛下。この度はシュスターク親王大公殿下の皇太子冊立許可をくださり……》
 《バーランロンクレームサイザガーデアイベン侯爵。ただではくれてやらぬ》
 《……何故彼を推すのですか? 彼以外にも……》
 《お前や皇君など、候補は多数おるなあ。ではお前達を黙らせることの出来る真の理由を教えてやろう。余はなデウデシオンを愛しておる。男として、雄としてな》
 《私は摂政の座には就けないのですか?》
 《お前が摂政の座を狙っていることは知っているが、それ以外にも狙っておる輩がいる。お前がデウデシオンよりも摂政に相応しいと判断したら、摂政にしてやるやも知れぬ》


 この記憶は余が視覚と聴覚から得た物だが、記憶していたのは違うな。余の中におるザロナティオンの別人格、ラードルストルバイアが記憶していたのだろう。
《おもいだせたか》
− ああ……だが何故これをもっと早い段階で教えてくれなかったのだ
《おもいだせないようにされていたのさ おまえのははおやは おれがなかにいることをしっているんだ そのくらいのことはするだろ》
− 見せておきながら、記憶を封じるとは面倒なことをしたものだな。最初から余を除外して話をしていけばよかったものを
「それに関しては、俺は調べる事は出来ません。もしも調べられるとしたら、それは陛下だけです」
 重要な部分が欠けているのもディブレシアの仕業なのだろうな。
 導入部のような部分だけを余の記憶として留めさせ、重要な部分は余を抜いた場所で話し合われた。
 余がその重要な部分を知る為には 《神殿》 に入らなくてはいけない。余に 《神殿》 でディブレシアのことを探らせないようにするため暗示をかけて……。
「だがっ! エーダリロクも……エーダリロクも調べられるであろう? 《神殿》 に痕跡があるのだとしたら、余であるそなたも!」
 ……駄目だ! 長いこと暗示をかけられていたせいなのだろう、解かれたからといってすぐに全ての思考が余の自由にはならない。
 まだ余の中で、全てを考える力がない。恐ろしい倦怠感はないが、吐き気がしてくる。この嘔吐感の向こうには、先ほど感じた押しつぶされそうな程強大な倦怠感が待っている。
 解けた今の方が恐ろしい。
 考え続ける事で、あの倦怠感に再び支配されると思えば、考えることを拒否したくなる。いやこれもまだ……ディブレシアの支配下にあるのか?
「陛下、俺はロヴィニアのセゼナード第二王子エーダリロクです。俺は先代ロヴィニア王の息子で現ロヴィニア王の王弟。皇太子になることも、暫定皇太子になることも、ましてや皇帝になることもない、ただの王子です」
「……そうか。だが調べたくば自由に調べよ。余は聞かぬし 《神殿》 警備の皇君も何も言うまい」
 胸元を握り閉めながら余は固く瞼を閉ざした。
 この恐怖は一体何なのだ? 言葉にし難き恐怖。これは……
「ありがとうございます。さて、此処からは余談になりますが……もう后殿下の元に戻られますか?」
 言いながらエーダリロクが、余の胸元を握り閉めている手を掴み、指を一本づつゆっくりと開いて話掛ける。
「いいや、最後まで聞く……その前に、一つ聞きたいのだが」
 口にするのも億劫なのだが、言わねばなるまい。
「何でしょうか?」
「ウキリベリスタルは何故そこまでディブレシアに隷属したのだ?」
「……」
「皇帝の命令だから、というだけではなかろう。それ相応の見返りがなければ、そこまではせん。それが王というものだ、違うか? エーダリロク」
 もうこの気が狂いそうになる倦怠から逃れたい。だが問わぬわけには行かぬ。

「申し訳ありません。俺はそれに関しての情報は掴んでおりません」
 《うそついてるな シャロセルテ》

「本当か?」
 何故この場で嘘をつくのだ。
 全て言ってしまえ、エーダリロク。
「はい。もしもこの言葉が嘘でしたら、冷白の間に引き出してくださっても結構で……」
「重ねて聞くぞ! 本当に知らんのだな!」
 余はそなたを王族の処刑場、冷白の間で処刑したくはない。
 首など落としたくはない。お前も死にたくは無かろう? ザロナティオン!
「はい。王族の栄誉の全てと命をかけて知らぬと」

 まだ知らぬと言い張るか! エーダリロク! 何故余に告げぬ!

「第三十七代皇帝シュスタークに誓うか? 余は皇帝ぞ! 全人類統一国家の頂点に立つものぞ!」
 此処まで語っておきながら、語られぬ物があるのか? エーダリロクが此処までして拒否するとは……ビーレウストが関係しているのだろうか。
 ビーレウスト本人ではないが、何かそれに関係した大切なものが。
「虚言の際はこの肢体と首、刎ね溶解液に放り込んでください!」
「今の言葉忘れるなよ! セゼナード公爵 エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル!」
「御意!」

《しってるぜ こいつ》
− 今は不問だ。此処まで言い切るのには、それ相応の覚悟があろう
《あまいっていうか》


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