繋いだこの手はそのままに −108
ディブレシア、二十四歳で死亡した余の生母であり皇帝。
もうじき余は二十五歳となり、母とは思った事は無いが母の年齢を超すことになる。
ディブレシアの子は余を含めて十五人。
帝国騎士が余を含めて五名。近衛兵になる能力を持つものが、帝国騎士と重複するが十四名。ザウディンダル以外は全て近衛になる能力を有しておる。
容姿も五種類全ての特徴を持ったものがおり、正配置の瞳から特殊な瞳まで全て揃っている。
両性具有も存在すれば、異形も存在している。
一つの血統からこれだけ多種多様な 《種類》 が誕生するのは珍しい。
言われてみれば確かに、全てが計算したかのように揃っている。
いや……計算しなければ、此処まで出揃わなかったはずだ。……なんだ? あ……眠くなってきた。とても眠くて……起きていられな……
「陛下」
「エーダリロク?」
エーダリロクが首を振る。
「陛下、今は何も考えずに俺の意見を聞いて下さい。何も考えてはいけません、ただ聞くだけです」
何も考えるな? ああ……考えなければいいのだな。
「解った」
何故考えてはいけないの……いや考えてはいけない。エーダリロクがそう言っているのだから、黙って話を聞き終えよう。
余の意見はそこにはない。余は何も思わない。
得意ではないか、何も考えないで座っているのは。今までもずっと何も考えないで黙って話を聞くだけだったのだから。
「全て聞こう」
「ありがとうございます。これが正しい訳ではありませんが、一つの指針になるかと。先代皇帝ディブレシアが先代テルロバールノル王ウキリベリスタルを愛人にしていた事はご存じでしょうか?」
「いや、知らん」
最早何がなにやら……ウキリベリスタルがディブレシアの愛人だった?
ディブレシアには特定の 《愛人》 は居なかった……デウデシオンは特定の愛人に数えられるかも知れぬが、まさかウキリベリスタルまで?
「俺はこれに関して、陛下の父君達に教えられました。あの人達は皇帝の夫ですので、当然愛人の存在を誰よりも良く解る立場にあります」
「ウキリベリスタルの実弟にあたる皇婿など、複雑であっただろうな」
「恐らく。さて陛下はウキリベリスタルと聞けば何が思い浮かびますか?」
「ウキリベリスタル……カルニスタミアとカレンティンシスの父親で、皇婿セボリーロストの兄で、もう一人の実弟により暗殺された事くらいしか思い浮かばぬ」
考えないで思い浮かぶのはこの程度のことだ。
カルニスタミアの父親らしい、美しい顔立ちの大人しげな男だった事を覚えている。だが実際はそうではない……待て、考えるな! シュスターク。
頭の奥が麻痺する。
何なのだ、この感触は!
エーダリロクは、余の瞳をのぞき込みながら話を続けた。
”あの男は天才で、両性具有隔離棟 《巴旦杏の塔》 を完成させました”
両性具有の管理者というのは、その特殊な身体の特徴を事細かに覚えていなければならない。
両性具有というのは我々の原始的遺伝子であって、それを深く知るということは我々の全てを知ることに繋がる。
「ウキリベリスタルは非常に研究熱心な男でした。それで……ご気分を害するかもしれませんが、陛下の生母皇帝ディブレシアはウキリベリスタルと確かに肉体交渉がありました」
「その程度のことでは気分は害されない。真実を知りたい、何でも言え。言わぬ方が気分を害する事、肝に銘じろ」
何かを考えると、恐ろしいまでに頭の奥が痺れ眠くなる。
何も考えずに聞き続けると、心の奥底が凍ってゆく。
余は何だ? 余は皇帝だが、余は何も……余は余であって余ではなし。そのことは理解していたが、余は実母の事を考える自由も……無いようだ。
何も考えるな、深く探るな。
《よく寝る子にしてやったぞ》
今の光景は何だ? あの美しい女はディブレシア! 余は見上げている。
「畏まりました。それで肉体交渉があったウキリベリスタルとディブレシア帝の間に子はありません。ディブレシア帝が一人も私生児を産んでいないのなら奇異な事ではありませんが、かの皇帝は父親の名すら解らぬ私生児を次々と産み落としました。ウキリベリスタルとの間に私生児を作った所で、誰も驚きませんし、誰も詮索しない。なのに彼女は産まなかった。二人の肉体関係は一年や二年の物ではありません、始まったのは第一子カレンティンシス誕生後、終わったのは陛下の末弟にあたるハーダベイが誕生した後、所謂死によっての関係清算です。その期間、実に十四年。二十四歳で崩御したディブレシア帝の人生の半分以上」
幼い余は誰かに抱きかかえられ、ディブレシアの前に連れて行かれた。
だがこの腕は知らない。
女だ、女が幼い余を抱きかかえてディブレシアの元へと連れて行ったのだ。
抱きかかえている女は、焦っている。
何を焦っているのだ?
《早くしないと、ポルペーゼが来てしまう》
ポルペーゼ公爵? それは余の父、デキアクローテムスのロヴィニア王子の頃の爵位だ。
勿論バーランロンクレームサイザガーデアイベン侯爵になった今も、ロヴィニア王位継承権を持っているデキアクローテムスはポルペーゼ公爵位も持っている。
余を抱えている女は誰だ?
「それは意図的に作らなかったと理解すると良いのだな?」
「はい。そしてディブレシア帝にはもう一つ、相手をした男は死亡するという噂もあり、事実多数の男が死にました。帝君やビーレウストの実兄ヲイエル=イーハもその一人です。ですがウキリベリスタルは死んでいない。ウキリベリスタルは王ですから殺す訳にはいかなかったのでしょうが、ならば最初から寝所に入らなければいい。それを拒否するくらいの権力はウキリベリスタルにはあった。だが彼は通った。何のために?」
《急いで! ティアランゼ》
余が誕生しているのだから確実に皇帝の座に就いているディブレシアに対し 《ティアランゼ》 と呼びかけることが出来る女。それは……それは余の祖母……実父の叔母か!
「彼はディブレシア帝の寝所に入らなければならない理由があった。ディブレシア帝が寝所で行っているのは性交であり、それにより妊娠し子を産む。ウキリベリスタルがそれに携わっていたと考えた時、陛下を含むディブレシア帝の子十五人が帝国の根幹を網羅している理由にたどり着いたのです。ディブレシア帝は誰よりも帝国の 《人間》 を理解しているウキリベリスタルに欲しい子供の種類を言いつけ、相手の男を捜させた。そうでなければ、あれ程までに多種類は揃いません」
《何をした! ラグラディドネス!》
《ひぃっ!》
余は落とされた。腕から落ちた。
あれ? 余は立ち上がった……余が生まれたばかりの頃の話ではない。
余は立ち上がり、ディブレシアを見上げる。
頭上でデキアクローテムスと、祖母。そうだ皇太后ラグラディドネスが言い争っている。
母が笑う。余を観て笑う。嗤っている……やめくれ! やめてくれ! 余はもしかして! この頭の奥に燻る物の正体は!
《怒るな、デキアクローテムス》
《ですが陛下! 幾ら皇太子殿下がシャロセルテを有しているからと言って……》
《なあに。この女に相応の罰を与える事を許してやるのだから、それで引け》
《ティアランゼ?》
「陛下、私は人体生成プラント能力を有しております」
「知っておる」
エーダリロクは余の後継者を作る能力を有している。
「陛下、私の実兄ランクレイマセルシュは、僅かながら人を操る能力を有しております」
「それも知っておる」
従兄王は人を操れる。
「陛下の実父は我々ロヴィニアの王子であり、陛下の祖母はロヴィニア王女です」
「……」
余の実父はロヴィニア第三子ポルペーゼ公爵デキアクローテムス。祖母はロヴィニア第七子ヒーシイ公爵ラグラディドネス。
「血統から考えてもディブレシア帝が私の能力と実兄の能力を有していたとしても、おかしくはありません」
《取引とは?》
《ん? こんな子供の居る前では語れん取引だ。ウキリベリスタル》
《はっ!》
《皇太子を連れて行け。そしてデキアクローテムス、他の夫達も呼んで来い。そして皇太后、お前は部屋で処罰を待て》
《畏まりました、陛下。それでは殿下、このアルカルターヴァと共に》
秘密なのか? アルカルターヴァ
困った顔をしたウキリベリスタルに、余は何度か聞いたが、決して答えなかった。そして余はすぐに興味を失った。
祖母は母であったディブレシアが死ぬ前に死んだと教えられた。余が皇太子と呼ばれており、一人で立ち上がることが出来ていた頃の話。
この記憶の後に祖母は死んだ事になる。
処刑されたのか?
この記憶が正しいとしたら、殺されたのだ。余に何かを施し、父達が激怒して四大公爵の一人は知っていながら目を瞑った。
祖母は余に何をした? ディブレシアは自らの生母に依頼されて、何をした?
「陛下」
「なんだ?」
エーダリロクは余の顔を両手で固定して、のぞき込みながら言い放つ。
「お前は 《神殿》 で、三十六代のことを知る機会があるのに、調べようとはしない。何故調べようと思わなかった?」
「……理由などな……っ……」
全身を倦怠感が襲う。強烈ではなく凶暴な、死に至ると錯覚してしまいそうな倦怠。
瞼が落ちかかるその瞬間、エーダリロクが余の中に入ってきた。
《眠らせるな! ラードルストルバイア!》
《むちゃをいうな! シャロセルテ! いまだって ひっしに おこしてやってんだぞ! はやく りゆうをつげて あんじを とけっ!》
母が笑う。余を観て笑う。嗤っている……やめくれ! やめてくれ! 余に暗示をかけないでくれ!
「《私》よ。三十六代は息子である三十七代が、自らのことを探ろうと考えないように暗示をかけた」
そうだ! だが、これはそれだけではない!
「どういう事だ! 何故暗示を解いたのに、まだ眠りに落ちるのか?」
「もうひとつある。もうひとつ! これは……さけべ! ザロナティウス! さけぶんだ!」
”皇太子はザロナティオン。ザロナティオンなどに統治できるはずがない。黙って玉座に座り眠ってくれればいい”
”その間に祖母のお前が摂政となり宰相となり銀河帝国を統治するのか”
”そうよ。帝婿は自らが摂政となり実権を握ろうと考えて居るようだけれども。だから…………”
”なるほど、そのように暗示をかければ帝婿は摂政の座には就けんな。……面白い事を考えてきたな、皇太后”
「なんと叫べば良いのだ……なんと」
”暗示がかかった! もうお前は摂政の座には就けない!”
”考えたものだな。皇帝の実父が摂政の座に就く事ができないとなると、実祖母が就く……陛下はそれをお望みで?”
”何を言っているの? ティアランゼ”
「嗚呼! 死ね! ラグラディドネス! 死んでしまえ! ディブレシア!」
何故、デウデシオンが帝国摂政の座に就く事ができたのか? 余は深くは考えた事はなかった。
デウデシオンは摂政にならねば他の庶子弟達が殺害されてしまうから、摂政になったと教えられた。
だが殺されてしまう立場の庶子が、どうやって幼君の権力を掌中に収めることの出来る摂政になることが出来るのか?
摂政になることが出来るのならば、殺されはせぬはずだ。
「実父は権力争いで叔母に出し抜かれ、摂政の座に就く事ができなかったのか」
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