繋いだこの手はそのままに −103
『はあ…… “あの爬虫類” と “その人殺し” では致し方あるまい。では緊急措置として……』
 ザウディンダルから連絡を受けた帝国宰相は、溜息交じりに緊急措置を伝えて “くれぐれもあの馬鹿王子共から目を離さないように” と命令して通信を切った。
 シュスタークとロガの仲が良くなるのは帝国宰相としても喜ばしいことだが、それと平行して帝国の重鎮である筈の王子達のバカ言動が逐一報告されるのは、彼に大きな精神的ダメージを与えていた。
「バカ王子ばかりだな」
 通信を切った後、真夜中よりも暗い室内で酒の入ったグラスを傾けながら、呟きとはいえないくらい大きな声で『語る』
「長兄閣下……本当のことを言ってはいけませんよ。バカでも帝国の王子達なのですから」
 背後に立っていたデ=ディキウレに、座れと命じグラスに酒を注いで差し出す。ありがとうございますと言いながら受け取り酒を口に運ぶ。
「バカ王子といえば、お前には教えておこう」
 自分のグラスにも酒を注ぎながら、帝国宰相は話し始める。
「バカのバカたる所以を聞かされても困るのですが。バカは強力ですから、聞いたら私までバカになってしまいそうで」
 デウデシオンが酒を飲みながら、王族に関して話す時は “ほとんど愚痴” になることを知っているデ=ディキウレは、聞きたくは無いと言いながらも聞く体勢を取った。
 それが遊びの少ない兄のストレス解消の一つだと知っているので。
「バカ王子の一人エーダリロクの子は確実に “女” になるそうだ」
 だが今日は愚痴ではなかった。
「え……」
「陛下が巴旦杏の塔を確認された日の夜に、帝婿より教えられた。同親をもつ男兄弟の中に無性が存在する場合、無性の後に生まれた一人目が子を成すと、その子供は必ず性別が逆転するのだそうだ。ランクレイマセルシュは男、ガゼロダイスは無性、エーダリロクは男。ランクレイマセルシュの子は男ばかりだが、エーダリロクの子は女だと。確認もしたそうだ」
「セゼナード公爵は知っているのですか?」

 ザロナティオンでもあるセゼナード公爵の姫は必ず姫が生まれる。

「知っていると言っていた。実験には立ち合わせたらしい」
「ケシュマリスタ王はそれが狙いですか」
「おそらく。あの憎たらしいほどの長寿の持ち主は《正妃》と四十歳近く離れていても、なんら問題あるまい」
 ラティランクレンラセオは帝国騎士としてその身体情報を採取されている。
 彼の推定寿命は120歳、人造人間として生きられる寿命の限界値に限りなく近い。未だ四十前のラティランクレンラセオは、簒奪をまだ焦る必要は無い程に時間がある。
「長兄閣下、両性具有にはそのような法則はないのですか? 無性にそのような法則があるとしたら、両性具有にも」
 他者は知らない情報を多数持ち、その寿命と善王の仮面。
「孫が両性具有になる確率が高いのが、それに当てはまるのではないか?」
「ラティランクレンラセオはほぼ全て知っているのですよね」
「そうだろう。帝婿に無性の “弟” の特性を教えたのは皇君オリヴィアストルからだ。ケシュマリスタの正統継承者であるラティランクレンラセオが知らないわけはなかろう。……帝国の歴史が無くなったのが痛手だ」
 少しばかり暗闇で、まるで人がいないかのような沈黙が続いた後、
「長兄閣下。バロシアン一行は無事フォウレイト侯爵領に到着したそうです」
 思い出したかのようにデ=ディキウレは告げた。
「そうか」
「バロシアンと妻となる少女の顔合わせも無事終了して、これから諸所の手続きを行うそうです」
 他の弟達は全員好きに結婚させたが “弟であり息子であるバロシアンだけは” 政略結婚してもらう形になった。フォウレイト侯爵は他の兄達の家庭を見て、自分が結婚しないことを気にしていたが、バロシアンに『今まで苦労して、これからも苦労するのですから。この上意に染まらない結婚までしてはお体に触りますよ』と言われ、説明をも受けた。
 バロシアンは殆ど “帝国宰相の息子” であることを知られてはいない。
 対するフォウレイト侯爵は “帝国宰相の異母姉” であることを、完全に知られている。
 よって彼女の異母弟にあたる帝国宰相と関係を深めるために、結婚の申し込みが引きも切らなくなるだろうと。
 『私がフォウレイト侯爵家の遠縁の方と結婚することにより、はっきりと後継者が定まります。それによって帝国宰相の雑事が一つ減るのです。それに好きな方が出来たら何時でもご結婚ください、私はすぐに身を引きますので。もちろん遠縁の少女との結婚は破棄しませんよ、ご安心ください』
 自分が結婚するよりも、この “異母弟の実の息子である弟” が結婚した方が良いだろうと判断し、彼女は引き下がった。
「バロシアンには抜かりはない。ザウディンダルは失態ばかりだがな」
「ザウディンダルも最近は頑張ってるじゃないですか。バカ王子……ではなく、セゼナード公爵の部下となり、かなりの成果を上げていると聞きましたよ。仕事に関しては情報局長官で特別研修を許可したテルロバールノル王も正式採用を認める方向であるとも」
「…………」
「何かご不満でも?」
「情報を扱う仕事である以上仕方ないのだが、どうも私に隠し事をしているらしい」
「ザウディンダルが?」
「そうだ。守秘義務に関しては口を挟むつもりはないし、それほど知りたいとも思わんが、嘘つくのが下手で……見ていて苦しくなってくる」
「陛下の次くらいに嘘つくの下手ですからねザウディンダルは。特にザウは長兄閣下に嘘をつくと……」
「私の前で右手右足、左手左足が一緒に出るの歩き方が全く治らん……はあ、本人は “あれ” でばれていないつもりなのだから……気付かない振りをしてやるのも辛い」
 両性具有は嘘をつくのがあまりというか、全く得意ではない。特に無条件で信じているデウデシオンに嘘をつくのは心苦しいのだが、仕事上の守秘義務を持って “言っちゃ駄目だけど、言わなくて良いことは知ってるけど” 悩んでいる状態。

 ザウディンダルが帝国宰相に対しての隠し事と思える仕事は、皇帝の旗艦と空母の通信システムの第二補佐管理を任されたことにある。
 メインはテルバールノル王だが、彼は帝国軍人ではない上に国軍総帥。開戦してしまえば、シュスタークの艦にいるわけにはいかない。第一補佐としてカレンティンシスに抜擢されたのは、当然のことながらエーダリロク。
 ここで済む予定だったのだが、ロガが進軍に従ったことによりエーダリロクの仕事が増えた。自分がロガの艦隊の方に出向いている時や国軍に出向いている時に、何かあった場合の事を考え、ダーク=ダーマの第二補佐として帝国軍にしか籍のないザウディンダルを抜擢した。
 ザウディンダルを伴った進軍は代理総帥や帝国最強騎士が目を離すことを嫌い、絶対に旗艦に置かれている。
 無理をしなくてもその場所にいることが出来、指揮官が絶対の信頼を置いているという、とても大きな利点があった。
 “ヒステリーな王様には後で俺が責任を持って説明するから、今は覚える事だけに集中してくれ”
 “解った”
 出発直前に決まった后殿下軍の形態を整えつつ、エーダリロクが艦内の通信システムを重点に、“必要事項” を教える。
 基本的には長官以外は触れてはいけない場所であり、任務に就いていること自体を隠さなくてはならない。それがザウディンダルにとっては苦痛であった、だが同時に 《この仕事を終えたら、少しは兄貴も見直してくれるかなあ》 という思いで、我慢に我慢を重ねて……同手足が一緒に出てしまう歩き方で何とか頑張っている状態。
「探らせましょうか?」
 デ=ディキウレがそう言ったが、
「必要はない」

**********

「ビーレウスト! 兄貴がさあ……」

 そんな渋面の達人であり、帝国の権力者たる帝国宰相がザウディンダル指示したのは『第80059食堂を使え』とのこと。
 ザウディンダルが理由を尋ねると、その食堂が艦内で最も使用人数が少ない食堂のため、多少の融通が利くからだと、眉間に皺を濃くしながら帝国宰相は語った。
 その許可を持ち中心部からかなり離れた、皇帝や王子が足を運ぶことを全く想定してはいない食堂へ七人が向かった。
「焼くのは一般食堂でとは。楽しみだな」
 シュスタークとロガ、そして五人が付き従う。
 皇帝にとって大切な『后殿下ってか、俺が殆ど作ったアイスボックスクッキー』を運ぶビーレウスト。打ち粉やナイフなどの機材を運ぶカルニスタミア。オーブンの具合を調べる為に同行する、エーダリロク。
 シュスタークの今現在の警備責任者キュラティンセオイランサ。同じくロガの現在の警備責任者ザウディンダル。
 ロガと肩を並べて……全く肩の高さは違うが、言葉として肩を並べて歩くシュスタークは、初めて歩く空母の外れを楽しそうにキョロキョロと見回し、宇宙で最も長いマントの端を踏んで “何度も” こけそうになりながら目的地へと向かう。

『此処に至るまで、結構大変なことがありましたがねえ……』

 彼等は楽しそうな陛下と、緊張している后殿下を交互に見ながら指定された食堂へと入る。
 話を聞かされていた食堂の調理器と食材管理をしている小柄な女性は、頭を下げてロガを調理室の中へと通した。空母は基本的に細かい作業は全自動なので、一つの食堂を管理するのは、大体一人。多くても二人程度。
 この外れにある、人気の少ない食堂は当然一人で装置を管理している。
 調理室の中に入ったロガを優しく見送ったシュスタークは、食堂の椅子に腰をかけて、向かい側で食事をしている兵士二人に “ロガの元へと通った経験で知った気さくさ” を持って声をかける。
「お前達、仕事はどうだ?」

 だが声を掛けられた方は、たまったもんじゃない。

 どれ程気さくに声を掛けられようが、相手は統一国家の頂点に座す皇帝。背後には王子二人に大貴族。
 最も恐ろしいとされる人殺しの王子は、前皇帝の庶子と共に后殿下に従い調理室に入ったが、テルロバールノル王弟とロヴィニア王弟、前ケシュマリスタ王の庶子を従えた皇帝と気さくに話しができる平民など滅多に居るものではない。
 国家的には居られると非常に困るという面も確かにあるが。
「あわわわああ……だ、だ、が、頑張っておりまする」
 有人惑星を気分一つで破壊することなど珍しくないと言われる王族達を従える宇宙最大の権力者前に、彼等は口に運んでいる食事の味も何も吹き飛んだ。
「そうか。無理せずに、だが努力してくれ」
 吹き飛ばしてしまった方に、そんな自覚はない。
「う、う、勿論にございます!」
 皇帝は食堂の中を、それは楽しそうに眺めながら、ロガのクッキーが出来上がるのを待っていた。

 素晴らしき沈黙の時間が過ぎゆく。

 途中で食事にきた兵士は逃げたかったが、
「余のことなど気にせずに食するがよい」
 皇帝にそのように言われては、逃げる事もかなわない。シュスタークの言葉をありがたく受け取り、トレイを持って食事を載せシュスタークから出来る限り遠くに座り、緊張した面持ちで食事を口に運ぶ。
 何を食べているのかも解らないままの時間が過ぎ、そして ”焼き上がり報告” の音が響く。
「ナイトオリバルド様! 焼き上がりました!」
 初めて成功したクッキーに満面の笑みを浮かべて振り返り、食べてもらえる喜びを含んだ声で報告するロガに、
「そうかぁ。楽しみだなあ」
 こちらも喜色満面で、デレデレな声で答える皇帝。
 感情の一切存在しない声しか聞いたことのない兵士達は驚いた。
 シュスタークは 《皇帝として》 発言する際には、全く表情もなければ感情もない話し方をする。話し方も皇帝特有のもので、一般人とは隔絶された存在を誇示する。シュスタークが特別という訳ではなく、皇帝とはそのような存在なのだ。
「待っててくださいね! 今急いで!」
「急がなくて良いぞ、ロガ。本日の余の残り時間は全てロガにと一緒だ。だから焦らないでくれ」
 ”后殿下を気に入られている” 事は彼等にも容易に理解できた。
 他人の目など全く気にせずに、幸せそうにロガを見つめている皇帝の背後に立つ王子と貴族は、この先の事態を全く予想していなかった。
 焼き上がったクッキーをトレイに載せてシュスタークに近付いてきたロガだが、着慣れていないドレス風の軍服の裾を踏んで躓き、前のめりになった。
 普段はそんなに早く動くことの出来ないシュスタークだが、ロガが転びそうになった事に、全運動神経が反応して椅子から立ち上がり支えようとしたのだが、慣れない行動のために、長い自分のマントを思いっきり踏みつけた。
 横から見ていた兵士には、皇帝と后殿下が両方前のめりになっているのが確認できたが、彼等は動くことは出来なかった。
 兵士は動けなくても良いが、護衛や王子達はそんな訳にはいかない。
 最も運動神経の良いカルニスタミアが、シュスタークとロガの間に入り二人を支えた。
 倒れたシュスタークがロガの上になってしまうと、その体重差からロガが大怪我をしてしまうために。
 ロガは倒れた事に驚きトレイを手放していた。宙に舞っているトレイをカルニスタミアが肘ではね飛ばす。
 空中に散らばった無数のクッキーを救出するべく、四人は動く。
 ザウディンダルがエーダリロクのマントを力尽くで外し、二人で端を持ってクッキーが床に落ちないようにそれで受け止める。
 同じくとビーレウストのマントをキュラが外して、同じ行動を取っていた。
 食事をしている兵士など無視したまま、彼等は食堂のテーブルなどを蹴り飛ばし、破壊して全てのクッキーを無事に受け止める。
 そしてロガが持っていたトレイが床に落ちて大きな音を立て終えた時全て終わった。
「陛下、后殿下の作られたクッキーは守りきりました」
 笑い一つ無く真剣その物で報告する王子達と、
「良くやってくれた」
 これもまた真剣に答える皇帝を前に、兵士達は何をしたら良いのか解らなかった。
「ごめんなさい」
「その軍服は慣れねば軍妃ですら裾を踏んだと言われているから気にするな、ロガ。慣れれば……慣れれば」
 何時も長いマントを着用しているシュスタークは、自分が踏みつけてしまった事を思い出し……
「陛下! 落ち込まないでください!」
「そうですよ! 陛下は后殿下をお守りするために」
「陛下! 后殿下の作られた焼きたてクッキーをお食べください!」
 落ち込んでいる皇帝を必死に持ち上げる王子達を観て 《何処の世界でも上官をもり立てるもんなんだなあ……》 兵士達はそう思ったとか。


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