繋いだこの手はそのままに −99
帝国近衛兵団団長 イグラスト公爵 タバイ=タバシュ・ダーナメイズス・ビルトハルディアネ は兄である帝国宰相から与えられたコードで輸送艦から皇帝陛下の予備食糧を取り出し、誰も知らない通路を何往復もして食糧を入れ替え終えた。
余人が見たら “大変だな” としか思えない作業だが、イグラスト公爵は何も考えないで良い作業が好きだった。
二百キロ程度の重さの荷物を運び続けるのは、彼の身体能力では全く苦痛を感じない。
全ての入れ替え作業が終わった後、一人通路に座り壁に背を預けて視線を泳がせつつ、胸元のポケットから布の包みを取り出して開く。
「必ずお返ししますけれど……」
タバイの手元にあるのは《国璽》
出立前に帝国宰相から直接手渡された。
『私のはレプリカだ』
帝国宰相はそう言ったが、タバイは《国璽》を持って神殿に向かい本物かどうかを試した。神殿はタバイが渡された《国璽》では “開かなかった”
彼が渡されたものはレプリカだった。《国璽》は帝国宰相の元にある。
「兄よ、簒奪などなさるなよ……貴方は簒奪しても続かない。貴方が皇帝になって欲しいものはザウディンダルだけだ。もしも騒ぎに乗じて簒奪したら、私は手元にいるザウディンダルを殺しますよ。それで貴方の皇帝としての治世は終わりだ……解っておいででしょうに」
両性具有という一点において、兄がシュスタークを信用していないことを知っている。
そして彼自身も、両性具有という一点において兄を信用していない。兄は彼が自分の完全に信用していないことも知っている、それを知っていることも知っている。
互いに知らないことは何も無い、だが知っていても相手に対して何の手を打つことも出来ない。
コップの水はこの歳月で縁まで到達し、後は暗く固い物体が投じられるだけ。その後、コップの水があふれ出して終わりか、投じられた物によりコップの水が熱湯となるか、或いは凍り付くのか? それともコップが砕け散るのか?
タバイは先ほどのことを思い出す。シュスタークはザウディンダルが両性具有だと知ってから、確かに対応が変わった。だがあの瞬間、カレンティンシスが殴ろうとした瞬間までであって、殴った後はザウディンダルよりもカレンティンシスの方に注意が向いていたような気がしてならなかった。
あとザウディンダルの行動も可笑しかった。
知能において人より劣る所などない弟が、帝国で最も厳しい規範を忘れて近寄ってくるなどあり得ない。
持ってきた映像再生装置で、先ほどの御前報告におかしな点がないかを確認すると、そこにはシュスタークの隣に立っていたもう一人、外戚王ランクレイマセルシュがザウディンダルをずっと見ていた。
タバイでなければ見逃すような、僅かな瞳孔の動き。
「ザウディンダルに暗示をかけたのか」
ロヴィニア王ランクレイマセルシュは暗示の力を持つ。
支配音声が存在するように、他者の行動を制御する能力は多数存在する。その中の一つ、暗示。
三年ほど前にジュカテイアス一派というロヴィニア系の僭主が刈られた。その存在をあぶり出す為に、ロヴィニア王はこの力を使ったとはっきりと言い切った。
不満のある庶子達に “僭主と手を組むが良い” と暗示を放ち、それによって踊らされ死んだ者が出ている。その能力、珍しい物ではなくかわす事や、跳ね返すことが出来る者も多数いる。ロヴィニア王がその暗示を庶子達にかけたのは、今から六年前。
即位してから既に十年以上が過ぎてから、先代王の庶子の自爆的抹殺に乗り出した。その間ロヴィニア王は何もしていなかったのか?
王はずっと調べていた、庶子達の中に自分の暗示を受け付けない体質の者や、跳ね返す者がいないかを入念に調べ上げ、それらの能力を持っている者をまずは殺し、それから暗示をかけたのだ。
ロヴィニア王ランクレイマセルシュは不安要素のある相手に暗示をかけることはない。その王がザウディンダルに暗示をかけた。
「あの王はザウディンダルに暗示がかかる事を知っていた……」
ザウディンダルの身体データはケシュマリスタ王を警戒し、帝国騎士本部に厳重に保管されている。主治医であるタバイの妻は情報の漏洩を懸念して記録に一切残さず、全てを完璧に頭にたたき込んで治療にあたっていた。
ザウディンダルの情報は帝国宰相の手の内にある……
「ただ一人を除いては……いや、お一人と言うべきか」
タバイは映像を片付け、タバイはゆっくりと立ち上がり、入れ替えた食糧の積み込みを命じておいたキャッセルの元へと戻ることにした。
帝国宰相の手の内ではない、ザウディンダルをよく知っている者。それは管理者であるセゼナード公爵エーダリロク以外に存在しない。
「王弟が兄王に依頼したのか、それとも……銀狂が傍系王に命じたのか……」
『タバイ』
『なんですか? 兄』
『これに目を通せ。読ませてやるのは一度きり、だが決して忘れるな』
『…………銀狂陛下が銀狂殿下として存在していると……』
『誰にでも解ることだが、セゼナード公爵が銀狂に切り替わると “恐ろしい” 良いか、注意しろ』
『陛下に危害を加える恐れは?』
『それは皆無だ。銀狂は自らが “死” という形で放棄した皇帝の座に再び就いている 《私》 を守護する者を自認している』
『《私》?』
『そう、銀狂は自分のことも、陛下のことも 《私》 と言う。あの男が陛下に向かって 《私》 と言うことがあったら、それは間違いなく銀狂だ』
『この強さは一体……』
『あり得ない数値だ。銀狂は陛下を純粋に上回る。ただ一つ、陛下の声に抗えない、だが声がなければ陛下を容易に押さえ込むことが出来る。先日の奴隷区画での咆吼は銀狂ですら驚いたそうだ。あれほどの咆吼が出る前に取り押さえるつもりだったらしい』
『まさか……』
『后殿下を殴るように仕組んだのはロヴィニア王家。殴るように暗示をかけろと命じたのは銀狂、従ったのはロヴィニア王』
通路を抜け人目につかないように歩き続けて封印をして通路を抜けて、待機しているキャッセルの元へと向かうと、キャッセルの隣に稚児が立っていた。
「お待ちしておりましたよ、帝国近衛兵団団長閣下」
「待たせたようだな、ガーベオルロド。して、お前の稚児サーパーラントは何故此処にいる?」
キャッセルに隠れるようにしている、僭主側に属している少年をタバイは見下ろす。
「何か仕事をしたいと言いだしたので、もらえますでしょうか?」
「食糧庫の運び出し人員が足りなくなっている。それを担当させてやっても良いが、間違っても疑われるようなことはするなよ」
それだけ言いタバイは無人の持ち出された食糧が積まれている輸送艦を確認したあと自動航行させて、
「撃っていいぞ、キャッセル」
「それでは」
キャッセルは銃を構えて、撃ち落とした。
「ところでタバイ兄さん、何故欠員が出たのですか?」
「お前が今撃ち落とした輸送艦に乗っていたからだ。僭主に与していた証拠があがったのでな」
脇で小さく震えていた少年がいたが、二人とも気にする事はなかった。
「所定の配置に戻れ、ガーベオルロド公爵 キャッセル・アレリキャラス・ビルトハルディアネスズ」
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