繋いだこの手はそのままに −100
 ビーレウスト=ビレネストは知的な男だった。
 読書を趣味としており、王子に生まれた特権から現存する地球時代の書物を全て読む事が出来る立場にいることを、心から喜び読書に精を出す男だった。
 他の趣味は、トランプタワー作りとサイクリングと人殺し。
 一番目のトランプタワーはコツがあるらしく、そのコツを伝授したのはエーダリロクのみ。
 二番目のサイクリングは、帝君宮の庭で基本的に一人行っている。マシンを漕ぐのが早過ぎて他の人の殆どが付いてくることが出来ないためだ。一緒にサイクリングできるのは、カルニスタミアくらいのものであり、カルニスタミアとは時間が合うと疾走している姿が見られる……らしい。
 三番目は一族の趣味なので、特記することは何も無い。
 代表的な四つの趣味に、カルニスタミアに勝手に付随させられた『お菓子作り』という偽装の趣味を背負い、ワインレッドのロングギャルソンエプロンという戦闘服を身にまとい大理石の板の前で困惑していた。
『ああ、地球時代の芸術家が言っていたな。大理石は芸術家を刺激するって……刺激されすぎだろ?』
 ビーレウストは大理石の上にあるロガの作った生地と、見本用に作った自分の生地を見比べながら、大理石芸術の深淵を見ていた。実際に見えているのは、麺棒で必死に生地を伸ばしているロガだが。
『なんでこんなにグデングデンな生地になんだ? さっき作ったのはドロドロで、今は……』
 製菓用大理石板の上は、小麦粉のシュールレアリズムが繰り広げられていた。
『俺の教え方が下手とかじゃなくて、もっと根本的なもんだろ。分量はしっかりと機械が計測して、室温の低めに設定。后殿下には手の温度を下げるために氷水にまで手突っ込んで貰ってつくってるってのに、ぶぁぁぁぁぁぁ! ぐあぁぁ! なんじゃそりゃああ! 后殿下! あんた! 何を手から出してるんだ? 小麦粉原子還元分解光線とか?』

 人なら腐乱から水死、拷問陵辱死体も何も恐れない男が、小麦粉とバターと砂糖が混ざった物体を前に完全に腰が引けていた。

 だが此処で負けるわけにはいかないビーレウスト=ビレネストは、己を奮い立たせてその類い稀な運動能力を持ってして、ロガの生地(らしい)を少し奪っては、自分の生地を足していった。ロガが触れているうちに、また破壊されそうなので猛スピードで、だが知られないように音すらも立てずに行っている。
 現在ロガの警備担当のエヴェドリット属シセレード公爵(ザセリアバの生母と再婚して跡取り息子がいる)は “すげぇ……ビーレウストの表情が真剣そのものだ” ビーレウストの妙技に見惚れ、隠れて撮影していた。妻が可愛がっていた義理弟の成長ぶりを撮影して帰ろうと思ったのはこの時が初めてだった。
 エヴェドリットの名門公爵家の当主すら感動する技で、入れ替え終わった生地は無事に整形され冷蔵庫へと投入されるに至る。
「ありがとうございます、デファイノス伯爵さん」
「ど、どういたしまして、后殿下。力になれて良かったっす……」
 冷蔵庫入れて “形になったの初めてなんです” と嬉しそうに言うロガに、シセレード公爵は顔を背けて笑い涙していた。
 ロガは手を洗ってから、シュスタークに会うために部屋へと戻り、ビーレウストは後片付けを命じて床に座り込んだ。そのビーレウストに録画した映像のコピーを投げてシセレード公爵は去っていった。
 やれやれと部屋で再生して(録画された媒体のみでも小さいながら再生可能)自分の真剣さに苦笑いしている。
 そこにやってきたザウディンダルも肩越しに見つめながら、
「お疲れさま」
 と声をかけながら、カモミールティーを差し出した。ありがたく受け取ったビーレウストの、少し疲れた横顔を見ながら “さっきカレティアに殴られかかった” などという会話をしながら、力の抜けた時間を過ごす。
 器具が片付け終わった頃、
「ロガが菓子を作ってくれたと聞いたのだが」
「陛下」
 ロガから話を聞いたシュスタークが “みたい” と言うことで部屋にロガを伴って訪れた。
「固まって切って焼くと食べられるのか?」
「はい」
「楽しみだな」

『作ったのは、ほとんどビーレウストだけどいいのかなあ……』

 映像を見ていたザウディンダルはそう思ったが、口にはしなかった。シュスタークの喜びようを前に、口にすることが出来なかった。
 シュスターク、余程楽しみなのか “此処で待ちながら、軽い食事とロガとの勉強をしたい” と言い出す。その程度の希望を叶えることは容易いので、護衛から座り込んでいたビーレウストに、ザウディンダルも全員で安らげるスペースを作り、
「陛下。俺とザウディンダルはこれから次の段階に向かうべく、場所を確保して参ります。后殿下もお待ちください」
 言って部屋を出た。 “ 固まった後は切って焼く”  クッキーを焼くオーブンが存在する場所の安全確保が次のビーレウストの仕事。

**********

「オーブンは貸せない? どういうことだ、アイバス!」
「調理室には料理人以外の者の立ち入りは禁止されております! 例え后殿下であろうとも、料理人として通すわけには参りません!」
 菓子を作るのは借りてきた器具で作る事が出来たのだが、仕上げは皇帝陛下専用の調理室で……と思っていたのだが、料理人は頑として譲らなかった。
 色々な物のある空母だが、オーブン室などはない。
“貸せ!” 叫ぶビーレウストの声など聞こえないとばかりに、厳重な扉を閉じて拒否する。
「諦めろ、ビーレウスト」
「諦めろって! お前が兄を説得しろよ! ザウディス!」
「無茶言うなよ。アニアス兄だぜ。アニアス=“ロニ” なんだぜ。アニアス兄がなんで “ロニ” になったと思ってんだよ!」
 『=』で繋ぐ、リスカートーフォン特有の名前は前後が同じような綴りなのが最大の特徴であり、全く違っている場合は戦死者と交換したことを表す。
 アイバス公爵アニアス=ロニは生まれた時に付けられた名前は『アニアス=アリデアス』
 この皇帝陛下の料理人(菓子専門)の名前が交換されている理由は、皇帝の食材を運ぶ途中に僭主と交戦状態になり、その当時食材運搬の責任者だったロイラス=ロニが部隊を率いて死兵として盾になっている間に戻った。
 その際に代理の責任者を任されたアニアスと名前を交換したのだ。
「料理人だけなら逃げられたんだぜ。それをあいつ等 “陛下の食材を手放すくらいなら死ぬ。間違って僭主の口に入るくらいなら、この場で食材もろとも死んでやる” で僭主と交戦したんだぞ」
 彼等の中では「陛下の食料>自分たちの命」という図式が当然のように浸透しており、食材を捨てて逃げ帰ってこいと命じた帝国宰相にまで『それはできません!』と言い返したくらいだ。
「……確かにそのくらい職務に真摯でなけりゃ毒殺の誘惑とかに負けるだろうが……時と場合選べよ」
「アニアス兄に言わせると、皇帝の正配偶者が最も毒を混入することが多いんだって。料理人の歴史や闇に葬った毒殺未遂の歴史とか……独自の資料があるらしい」
 “もちろん門外不出で部外者には見せてくれないけど、暗黒時代も料理人達はそれ持って逃げ回ったそうだよ” とザウディンダルの追い打ちにビーレウストは腕を組んで頭を軽く振る。
「じゃあ、違う場所でオーブンを用意して焼くか」
 言外に “とりつく島もない” と言いながら、当然考えられる策を提示するが、
「オーブンなんてどうやって用意すんだよ。オーブンの製造元だって問われるんだぜ」
 ことごとくザウディンダルに否定される。
「あーそうだったなあ」
 部品一つ一つにも証明を刻印する世界。
「エーダリロクに頼めば直ぐだろ?」
「エーダリロクは直ぐ作るだろうが、書類面倒だ」
 慣れない書類作りにそろそろ鬱々としてきているビーレウストの背中をザウディンダルが軽く叩く。振り返ると満面笑みを浮かべたザウディンダルがそこにいた。何か良い考えでも浮かんだのだろうか? と口を開く前に、提案があった。
「俺が兄貴に直接連絡入れてみようか?」
 ザウディンダルが “兄貴” というのはただ一人・帝国宰相。皇帝と近衛兵団団長、皇后の主治医や代理総帥は毎日定期通信を行っているが、ザウディンダルは特別なことがない限り、三日に一度の割合でしか通信する許可がおりていない。
 だがこの場合は特例であり、帝国の全てを支配している権力者たる帝国宰相が特例を許可すれば、書類を書かなくても済む。
「あっ! それ頼む」
 デウデシオン大好きレビュラ公爵と、書類大嫌いだが皇帝と后殿下に関することは自分で書かなけりゃならない、だが! 面倒だ! のイデスア公爵の非常に子供っぽい利害が一致したわけだ。


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