繋いだこの手はそのままに −95
 ビーレウストは体にまとわりついた蒸気を指でなぞりながら、彼らしくはない話を続ける。
 カルニスタミアは少々警戒しながらも、話を合わせた。
「お前ももうちょっと、実家に帰りゃテルロバールノル王もザウディンダルに辛く当たらないんじゃねえの? 俺と違ってお前は、まだ王太后も生きてるし、王太后はお前寄りだしよ」
 前王ウキリベルスタルの王妃、カルニスタミアと兄王の実母は誰が見てもはっきりと解る程にカルニスタミア贔屓だった。
 王太后はロヴィニア傍系にあたる女性で、第一子が “体が弱くケシュマリスタ容姿の子” であったことで、前王に散々罵られた経緯がある。ウキリベリスタルはその後暫く王妃とは寝所を共にせず、王妃は一人しかいない次の王になれる “王子” に優しく接していた。
 王がどれほど彼女を嫌おうとも、次の王は息子。それが彼女の支えだったのだが、ある日を境に変わった。
 彼女が覚えているのは “シュスターク親王殿下の立太子式典に参列するために、帝星に来るが良い” その連絡を受けた日。一歳という年齢で皇太子に冊立されるのは珍しいが、皇帝の状況からみてそれも仕方ないことだった。
 彼女は昼寝している皇太子殿下を抱いて式典に参加している実父・デキアクローテムスに挨拶をした。
 ウキリベリスタルはその日上機嫌で彼女を抱いた。十年も交渉のなかった夫の行動に驚きもしたが、断ることなどはせずにウキリベリスタルにその身を預け、そして生まれたのが『テルロバールノルそのもの』の王子・カルニスタミア。
 彼女はそのことで夫に褒められ、今までのことを謝罪までされた。彼女はそれを与えてくれた第二王子に傾倒し、次第に第一王子から遠ざかる。
「儂は実家に戻りたくねえ……実は儂はザウディンダルを隠れ蓑にしていた」
「どういう事だ?」
「儂は兄嫁にあたる王妃のクラドランシェアニが嫌いでな」
 カレンティンシスの妃クラドランシェアニは一年程前に第三王子を産んだ。
 ちょうどシュスタークの正妃を「平民」で調整することに決定したころ。その先年にも王子を産んでおり、立て続けの出産で体調を崩し、次の子は “無理だろう” と言われている。だが王であるカレンティンシスは彼女と離婚する考えはないと公表していた。
「へえ」
 “王” に固執する頑固な男が、子供も産めない王女でもない王妃に固執する理由が誰にも見あたらないので不思議に思われている。
 もちろんカレンティンシスが王妃と離婚しない理由は、自分の体のことが大きく関係している。両性具有でなければ即座に離婚し、新しい王妃を迎えているだろう。
「あれは兄貴の第二子セクトライバレンが生まれて直ぐの時、儂は近くにいたので直接祝いを述べに王城へと向かった。そしたらあの女、何を思ったのかセクトライバレンを抱きかかえて乳を与えると言い出してな」
「……」
「兄嫁の乳、それも授乳なんぞ見ても仕方ないので席を外そうとしたのだが、引き止められてな」
 汗で額にはりついた髪を無造作にかき上げながらカルニスタミアは語る。
「…………」
「仕方なしに見ておったんじゃが、クラドランシェアニが突如 “乳首消毒するの忘れた” と言いだしてな。儂に消毒してくれと言い出した」
「消毒って何するんだ?」
 女は数多く抱くが、妊婦や授乳期の女性を相手にしたことのないビーレウストは “?” といった気持ちを隠さずに尋ねる。
「乳首拭くらしいぞ」
「やったのか?」
「まさか! 医師でも側仕えでも、兄貴でもないのに王妃の乳首触るわけにはいかねえ。これは兄貴が王妃を使って儂を陥れようとしているのか? 王妃が独断で張った罠なのか、それとも王妃が浮気相手として儂を? などと色々と考えて、怒鳴った」
「そりゃまた」
 ビーレウストは言ってみたものの、それ以外無いだろうなあ……とも思い話を聞き続ける。
「儂としても必死じゃ。儂は兄貴には信用されておらんから、下手に触って王妃が騒ごうものならば処分される。だから身を守る手段として怒鳴った “この誇り高きテルロバールノル王家の王子に乳含ませるのに必要な消毒を忘れるとは何事だ! その上、王子である儂にそれをさせようとは! この最古の王家に迎え入れられただけの貴族が、身の程を知れ!” となあ。怒鳴られて王妃は泣き出す、腕に抱かれていたセクトライバレンは痙攣したが儂はそのまま部屋を出た。乳首で身を滅ぼすのは、あまりにも馬鹿らしいのでな」
 王妃は王女ではないが王太子の母だ。対するカルニスタミアは王弟であり、立場的には王太子と対立する。ただでさえ兄王と両性具有を挟んで対立状態にある王弟は、些細なことでも身を滅ぼす可能性がある。 
 産後で弱っている女性だろうが、その部分を差し引いても怒鳴りつけなければカルニスタミアの身のほうが危なかった。
「そりゃ馬鹿らしいだろうよ。でも、お前がそんな事したなんて聞いたことなかったな」
「儂も王妃はともかく兄貴の子が痙攣起こしたわけだから、さすがに呼び出されることを覚悟しておったが、全く呼び出しを食らわぬし咎めもなかった」
「テルロバールノル王はその事に関しちゃ、知らないってことか」
「咎めなしだったが、知らないかどうかは知らん。だがあの時の態度思い返してみると、どう考えても兄貴の企んだことではなく王妃が儂を “義弟” としてではなく “男” として見て、相手にしようとしていたのだろうと判断するしかないので、テルロバールノルには極力近付かぬようにした。その手段の一つががザウディンダルであっただけだ」
 カルニスタミアには伝わっていないが、王妃の行動は夫であるカレンティンシスに知られている。そしてカルニスタミアの想像通り、王妃は義弟の方に男性として興味をもっていた。
「お前年上嫌いか?」
「好き嫌いではなく、兄貴の妻には興味はな……セルガーデイゼ王太子妃とは全く違うからな」
 セルガーデイゼ王太子妃とはビーレウストの亡き実兄リーデンハーヴ王太子の妻、要するにザセリアバ王の生母。三人の息子を産み、夫と死に別れた彼女は今も存命で、リスカートーフォンの名門シセレード公爵と再婚して、跡取りの息子も産み幸せに暮らしている。
 彼女は現在四十八歳。皇帝が二十歳の頃は四十歳前半で皇帝の正妃になってもおかしくはなかったのだが、リーデンハーヴ王太子が存命で「王」として即位していたならば、彼女は離婚して皇帝の正妃に定められていただろうが、すでに彼女の息子がエヴェドリット王として即位していた事から除外されるに至った。
 彼女はさっぱりとした性格と、エヴェドリット王家に終生忠誠を誓っていたので、いろいろな面倒も引き受けた。その一つがビーレウストの初体験。通常は未経験者同士で行われるのだが、ビーレウストは『婚姻除外対象』だった為に、未経験者と行う必要がなかった。
 ただ儀式としては行う必要があるので、誰か適当な人選を……となった時にセルガーデイゼ王太子妃が立候補した。夫の実弟で、自分の三番目の息子と同い年のビーレウストを彼女は気に入り、シセレード公爵と再婚するまで色々と教え込んだ
「あの人は良い女だ。だがお前の義姉は姑息だな」
 再婚する際には別れる方法をも教えて、去っていった彼女にビーレウストは “会いたい” と思うことはあっても、会いに行く事はしていない。これが別れるって事なんだろう、二度と会うことはないんだろうな……と思っていたのだが、最近あらぬ方向から結婚話が持ち上がり、近いうちに会って対処策を伝授してもらおうかと考えている所だった。
 ビーレウストがそんなことを考えていると、カルニスタミアは意外なことを語り始めた。
「それと母である王太后のことだが、儂は個人的に父を殺したのは母ではないかと疑っている」
「どうしてまた」
「父の暗殺は二つあった」
「二つ?」
「一つは父の命を奪ったもの。もう一つは長期的なもの」
「長期的? そりゃ知らねえな。もっとも俺はそっちには興味がねえから、知らないのは俺だけかも知れねえが」
「多くの者が知っているかどうかは知らんが、父は長期に渡り毒を盛られていた。人目をはばかりながら血を吐いていたのが記憶にある。治療をするように父に申し出たのだが《公にできぬ理由がある。お前も黙っているのだぞカルニスタミア》と言われて、結局は何もすることはなかったが」
「公に出来ない理由? そりゃまた……身内を疑うのは基本だが、王太后を疑うのはおかしくないか? お前の親父ウキリベリスタル王が死んだら、王妃だったお前の母親は四大公爵の傍系だから力を失うだけだ」
 だが力を失ったとしても、殺したいと思う感情を制御出来ない場合もあるので、一概には言えないなという考えからビーレウストの語尾はやや力がない。
「だが父が身を蝕まれながらも《公に出来ない》と言い張ったとなると、身内関係以外思い当たらん」
 それとは対照的に、実父の暗殺が実母によるものではないかと語る息子の口調には一切の躊躇いがなかった。
「……なる程」
 人を殺す段階においてはカルニスタミアもビーレウストも違いはないが、人を疑ったり裁いたりする場面においてはかなりの差がある。ビーレウストは『兵器』としての名残が強く、戦闘以外の単独判断を下す能力はあまり高くはない。本人も戦場においては最良の判断を下す自信はあるが、日常生活レベルにおいては判断力が低いことを理解している。
 対するカルニスタミアはエーダリロクには及ばないが、単独判断を下す能力が相当に高い。
「父は、叔父……が放ったと言われる暗殺者により殺害されたのだが」
「お前も叔父が殺したとは思っちゃいねえんだな」
「あの人は無理だろう。だが犯人らしい者は見当たらない……」
「その歯切れの悪さ、見当がついてんじゃねえのか?」
「父が死に誰が喜び、誰が利益を得るのかを考えた時、真先に帝国宰相が思い浮かぶ。いや、父の命を奪った暗殺者は帝国宰相の手の者以外考えられない」
「……」
「儂はザウディンダルを愛していた、間違いなく愛していたが……心の奥底に何か蟠るものがあった、それは帝国宰相に対する疑念。そしてお前が教えてくれたザウディンダルの出生。今まで自分が独自に調べていたことに、ザウディンダルの出生を当て嵌めると全てが納得ゆく」
「俺には詳細は解らねえし、知りたいとは思わねえが……」
「帝国宰相は儂を嫌っている。理由はザウディンダルだが、ザウディンダルとの肉体関係ではない。帝国宰相はザウディンダルの “出生” とテルロバールノル王ウキリベリスタルの血縁を嫌っている、儂個人ではない父王の血を帝国宰相は嫌悪している。そのことに関して皇婿セボリーロストの言動から裏を取った」
 カルニスタミアはエーダリロクと共に巴旦杏の塔の調査に向かい負傷し、ロガと皇帝を見送った後に「皇帝が話をしていた相手」に話しかけた。皇帝がロガを遠ざけて話をしていた相手、それがセボリーロスト。皇婿を問い詰め《皇婿が知るウキリベリスタルが僭主に対して行った事》を聞き出した。
「……」
 ビーレウストはそこまでカルニスタミアが進んでいるとは思いもしていなかったので、愕然とした表情を隠さずに無言のまま話を聞き続ける。
「後一つは兄貴だ。エーダリロクの知っていることだ、お前も知っているだろうが、父王は兄貴から王位を奪え、だが殺すなと “巴旦杏の塔” に関する書類に残している。兄貴を殺すなという遺言の意味が解るまでは、決して動くつもりはない」
 ビーレウストはここで《お前の兄貴は両性具有だぜ》と口にしたくなった。それと同時にラティランに暴行されている事も。
 教えてどうするのか? 教えた後にカルニスタミアがどんな行動を取るのかを《感情》が見せろと叫ぶ。同時に口にしない方が良いことも《理性》では解っている、その感情を抑えるためにもと、ビーレウストは戦闘以外では外さない帝君の遺品であるイヤリングに手を伸ばす。
 想像以上に手に力が入っていたことと、自分の想像に興奮を覚えて手が震えていたせいでイヤリングは外れ床に落ちそして隙間にはいりこむ。
 その音を聞き、ビーレウストは正気に戻った。


novels' index next  back  home
Copyright © Rikudou Iori. All rights reserved.