繋いだこの手はそのままに −82
 宮殿内ロヴィニア邸では若妻メーバリベユ侯爵が夫であるセゼナード公爵が出兵前の今生の別れになるかもしれない “しんみり” とした会話をしていた。
「しっかりと無事に帰ってきてくださいね」
 例え夫が宮殿警備エヴェドリット担当のジュシス公爵アシュレート=アシュリーバ(実兄はザセリアバ王)にボコられて椅子に縛り付けられた状態であったとしても “しんみり” している会話なのだ。
「は、はい……」
 目の周りに逃げる際に失敗して自作の青あざ作りつつも、はいはいと頷くエーダリロク。
 それを見守り話続けるナサニエルパウダ。
「全く、結婚して四年。いまだ指一本触れられていないのですから、関係一つ持たないで未亡人になるなんてゴメンですわ!」
 それを脇で聞くいつの間にかエーダリロク捕獲担当になった、ナサニエルパウダに岡惚れのアシュレート。まったく手を触れないで態度にも極力ださないでいるのは、一重に本気でナサニエルパウダに惚れて幸せになって欲しいと願う、エヴェドエリットなのに妙なところで紳士なところがあるせいらしい。
「別に……その……あんたなら幾らでも相手はいると俺は思うなー兄の妃になってもやっていけるぜー」
 そうやって上目遣いにナサニエルパウダを見るが、
「私は貴方がいいのです! セゼナード公爵殿下! 宜しいですわね!」
 顔を近づけられてはっきりと言いきられる。
「あ、あい……はい」
 ここまでは何時もと同じ会話の繰り返しだが、今回はそれ以外の依頼もあった。
「それとは別に、后殿下の身の安全もお頼みいたしますわ」
「あんたは付いて来ないんだってなー」
 ロガが陛下に付き従うと聞き、女官長のナサニエルパウダもついてくるのではないかと? 心の底から恐怖していたエーダリロクだが、
「なに嬉しそうに言われているのでしょうかね。私は私で忙しいんですのよ」
 元々ロガは伴われない予定で宮殿の用意を計画していたので当然ながらナサニエルパウダは従う余裕はなく、残って全ての用意を整えることになっていた。
 それを聞いて喜んだのは言うまでもない、どうしようもない夫・エーダリロクである。
「いいですか? 重ねて言いますが后殿下のこと、よろしくお願いしますよ! 后殿下の身辺警備で強くて絶対に間違いが無いのは、この魅力的で男に言い寄られること鬱陶しいほどで、陛下の正妃にもなれたメーバリベユに触れられるのに四年間一度も触れないでいる二十五歳の童貞殿下だけなんですから! 解りましたか!」
「はい……」
 “妻に毎回毎回、顔をあわせるたびに童貞童貞言われる夫もどうか?” 思いながら脇に立つジュシス公爵。
 好きな女が好きな男にある意味振られ続けている姿をずっと間近で見るのは、奇妙な気持ちになるようだ。
 だが、ジュシス公爵は率先してナサニエルパウダのためにエーダリロクを捕まえてきて逃げないように見張っているのだから……ある種の三角関係かもしれない、ベクトルが全員あらぬ方向を向いてはいるが。
 とりあえず夫婦のらしからぬ会話を交わして、最後に捕縛を解き『出発前のキス』を『エーダリロク側から』して、一仕事終えた! 表情で去ってゆくエーダリロクをナサニエルパウダは笑顔で見送った。

 ちなみにキスはロヴィニア王の脅しによるものである。
 完全にナサニエルパウダの味方であるロヴィニア王は、実弟妃の要望を聞き “そこまで譲歩してくれるなら……” と金をかけて脅しをかけた。
『貴様いい加減に結婚しないと、アジェ伯爵シベルハム=エルハムに襲わせるぞ。どうしても回避して欲しくば、三日に一度メーバリベユにキスすること!』なる貞操の危機の前に屈したもの。
 シベルハム=エルハムはビーレウストの二つ上の実兄で、ジュシス公爵とは同い年。オーランドリス伯爵キャッセルと共にサド同性愛者として名を馳せる赤毛のエヴェドリット王族。
 キャッセルとは違いペディラストではないのでエーダリロクも十分射程範囲に入る上にエーダリロクよりはるかに強い。その当人、乗り気で意気揚々と襲いに来た為、エーダリロクはナサニエルパウダの頬に “チューチュー” 繰り返している。
 ちなみに “チュー” と “キス” はエーダリロクにとっては違うらしい。

 何が違うのかは余人には解らぬところだが(ジュシス公爵談)

 童貞夫と横恋慕公爵が去った後に、吝嗇で有名な義理兄にあたるロヴィニア王が訪れた。
「メーバリベユ」
「ロヴィニア王。わざわざご挨拶に来て……下さるわけが御座いませんね。何用です?」
 王に椅子を勧めるが直ぐに退出するからとそれを拒否し、ロヴィニア王は話続ける。
「インペラール(僭主)の気配が宮殿にある」
「二年前のロヴィニア系ジュカテイアスに関係するものですか?」
 基本系統僭主以外には他王家はほとんど興味を示さないが、今回ばかりは少々違った。
「ジュカテイアス一党はもういない。今回はリスカートーフォンのビュレイツ=ビュレイア一党。帝星に攻め入る勢力があるほどだ、注意せよ」
「今宮殿に攻めてくるというのですか? 陛下が前線に向かわれる時に。帝星を落としたところで、陛下がいらっしゃらなければ無意味では?」
「……実はそうでもないのだ。逆に言えば、陛下を弑逆しても……直系が途切れ、ケシュマリスタが選出した二十三代皇帝サウダライト、イネス公爵であったあの男は皇太子認定を受けずに即位しただろう? あの時暫定皇太子認定を受けていたのはケシュマリスタのマルティルディ王太子。暫定皇太子認定はされていたが、暫定であろうがなかろうが皇太子は皇帝になれても別の者を皇帝に指名することはできない。あの女は後にケシュマリスタ王となったところからも解る通り、皇帝には即位しておらぬ。一時的にでも即位してしまえばケシュマリスタ王即位権を失うこととなるのでな」
「お聞きできない部分があるのですね」
「本来ならば教えたいところだが、生まれつきの王族以外に皇位継承に関することを教えるのは、皇帝陛下の許可が必要となる。私はお前とエーダリロクを離婚させたくはないので、事実を教えてしまい離婚不可としたいのだが……《皇帝》の許可がおりなくてな。こればかりは私にもどうすることもできない」
 何故かロヴィニア王は《皇帝》の部分だけ、ロヴィニア語で発音した。
 存在してもあまり使われることのない《ロヴィニア語の皇帝》それが意味するものを、彼女は漠然とながら理解した。
 皇帝の正妃候補であった彼女に与えられた知識 “シュスタークはザロナティオンそのもの” 
 ロヴィニア王が《皇帝》をロヴィニア語で発音したのは、シュスタークではなくザロナティオンを指しているは容易に想像がつく。

『陛下の中に潜むザロナティオンが深く関与しているのでしょう』

 それは正答ではないが、外れてもいない。
 メーバリベユ侯爵の表情を見て、自分の投げた言葉の中からある一定の回答を得たことを確認したロヴィニア王は、最後にもっとも重要なことを伝える。
「一つ忠告しておこう。帝国宰相に近寄るな、あの男が敵の目的となること疑いなし」
「御武運を、ロヴィニア王殿下」
「任せろ、死ぬ気はない。私の乗っている艦は新調したばかりだ、元を取るまで最低十五年は乗らねばならぬ! 次に新調するのは陛下の御子である皇太子に従う時と決めている!」
「リスカートーフォン公爵など毎年変えていらっしゃるのに」
「あれは趣味だ! 私の趣味は節約だ! ではな、メーバリベユ」
 去って行った吝嗇王ことランクレイマセルシュを見送った後メーバリベユ侯爵は髪をなでながら、
「帝国宰相……何か持っているのでしょうね。でも逆を返せば陛下が宮殿からいなくなった時、彼もまた簒奪することが可能となるわけですね。あのように王が言われたということは、彼が一番近いのでしょうね……見張らないわけにはいきませんね」
 帝国宰相を見張ることにした。今まで何もおかしな行動をとっていなかったから、この先もおかしな行動をとらないとは言い切れない。
 何よりも帝国宰相をけしかけている女が居ることをメーバリベユは知っている。
 かつて皇帝の正妃候補として並んだケシュマリスタ選出のエダ公爵バーハリウリリステン。帝国宰相に不穏なことを囁いていると “本人が直接” メーバリベユ侯爵に言ってきたことがある。
 正妃候補時代メーバリベユ侯爵とエダ公爵は熾烈に争っていた。階級は王家で決めても、後宮内で権力をつかむのは己の能力次第。正妃の座に就く前から互いに牽制しあっていた過去がある。
 そのようにメーバリベユ侯爵と敵対していたエダ公爵は、今回宮殿警備のケシュマリスタ担当指揮として残る。
「后殿下を皇后にするためには色々とあるようですわね」
 やることがたくさんで大変ですこと……そう呟きながら、父と共に帰宅するフォウレイト侯爵を見送りに向かった。
「メーバリベユ侯爵」
「フォウレイト侯爵。帰宅の準備は出来まして?」
「はい」
「ダグルフェルド子爵とハーダベイ公爵と共にゆっくりと過ごしてきてください。これからしばらく長期休暇は取れないでしょうから。后殿下が御戻りになられたら、それは忙しいことになりますからね」
 フォウレイト侯爵は既に故人となっている父と、次ぎに侯爵家を継ぐ少女の夫となる非公式の甥を連れて一時帰宅をするように帝国宰相から命じられていた。
 ハーダベイ公爵は直ぐ上にあたるセルトニドアードと、その恋人にあたるギースタルビアをも伴い始めて祖父の実家へと向かった。向かう際に、メーバリベユ侯爵に注意するように囁いて。

「お気をつけください侯爵殿下。最も危険な場所は帝国宰相の隣、最も安全なのは……皇君オリヴィアストルの傍でしょうね。それでは」


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