繋いだこの手はそのままに −81
 幼い頃は色々なものが楽しかった。
 儂が兄が持っているもので、欲しいと思ったのは兄が拾った隕石だけだった。玉座は望んでいなかった……つもりだった。
「ライハ公爵殿下、到着いたしました」
 だが考えを変えようと思う。
 まだ確定はしていないが……玉座を獲ることが生に縋ることになるのなら、儂は玉座を獲れば良いのではないだろうか? だが死んでもいいという気分も捨てきれない。
 ザウディンダルは儂がいなくともあの帝国宰相が守ってくれるだろう。儂がここで玉座を獲り、僭主の末裔という過去を完全に消し去ってしまわずとも……あの帝国宰相がどうにかしてくれるのではないだろうか。
 ならば死んでも良いのではないか?
 儂が死んだ方が……何かと……
「レビュラ公爵とは完全に切れたようだな」
 兄に呼ばれ席についた。
「知っていることを一々聞く必要があるのか」
「お前の口からはっきりと宣言してもらおう」
 悪趣味なことだとは思うが、一度はっきりと口にするのも良いのかもしれない。
「レビュラ公爵ザウデディンダル・アグディスティス・エタナエルとは二度と肉体関係を持ちませぬ。これで満足で御座いますか、テルロバールノル王殿下」
 言いながら何かが零れ落ちていった。
 ……本当に好きだったのだな。我侭で決して儂に振り返ることはなかったが、体だけではなく……あれで優しいところもあった。悪いところは考えなければ思い当たらんなあ……別れて既に半年近く過ぎているというのに、綺麗だったなあの黒髪。
 そして美しかった平民帝后に似た藍の瞳。
 笑ってくれるのが嬉しかった……貴族や皇王族に囲まれて暴行されかかっているのを助けては “お前、俺を助けると兄貴と仲悪くなるぞ” と……本当に助けてとは言わなかった。

 “俺のせいで兄王と仲悪くなるの嫌なんだよ”

 気にするな……気にすることはないと何度も言ったが……お前、兄が何よりも大切だったからな……

 玉座を欲しいか? それとも死ぬか?

「ふん。相変わらず口の利き方を知らぬ王弟だな。まあいい、テルロバールノル王国軍の元帥の座に就けてやろう」
 此処で元帥の座につけば玉座を獲る第一歩になる。
 だが……
「そんなもの要らん。儂は国軍の少将の座も返上しにきたのだ」
 全てが通り過ぎて行った。
 今その地位を与えられたとしても何をする気にもならん。
「何のつもりだ」
「少将の座を返上しに来たと言ったのだ。返せというのならばライハ公爵位も返させていただく、気に食わぬのならば王の子の称号も取ればよい」
 ザウディンダル、お前が気にしていたのなら最初から全て捨てておけば良かったな。
 今になって気付くというのもおかしいが……
「テルロバールノルから出てゆくつもりか!」
「ああ。もう要らん、こんなもの。二度と此処に帰ってくる気はない」
 此処に未練すらない。
「何を言っている、貴様」
「帰ってくる気はないといったのだ。お前なんか死んでしまえと貴方はよく言ってくださった。その王のありがたいお言葉に従って死んでみようと思うのだが」
「勝手に死ぬと」
「貴方が儂にかけてくださった、ありがたいお言葉であろうが。儂が死ねば貴方は嬉しいのであろう」
「あの両性具有と別れたのであらば死ぬ必要はない! それに貴様には結婚してもらわねばならぬ」
 結婚……な。

―― ナイトオリバルド様 ――

 サラサラとした色の薄い金色の短髪が揺れる。何故あれほどまでに金髪に心を奪われたのか?
「したくはない。だから死んでくる。納得していただけたかな」
 后殿下ならば心は動くであろう、彼女のことが本当に好きなのかどうかは未だに解らぬが。
「結婚を強要すれば死ぬと、脅しておるのか」
 目の前で怒っている兄貴の金髪が懐かしい。色も質も后殿下とは全く違うが……子どもの頃、あの上質と言われる金髪が羨ましく、そして指触りが好きで良く触っていた。
 手袋を着用する年齢、三歳になった時あの髪に気軽に直接触れられなくなって残念に思った記憶がある。
「奇妙なことを。儂一人死んだところで、貴方はどこも痛まぬであろう」
「確かに痛みはせぬが。貴様、存外屑であったな」
「ああ、貴方はそれを良く知っておられるはずだ。ああそうだ、両性具有と肉体関係を持って堕落した王子だと。ああそうだ、哀れな性玩具、陵辱されるべき存在、虐げて壊せと、そんなものに恋焦がれた男だが。貴方が最も良く知っておられるだろう」
「確かにそう言ったな。取り返そうとは思わんのか」
「思わぬよ」
 何だろうか? 全て壊れてしまったような気がする。
 自分で壊したのかも知れぬ、いや何もしなかったから全て壊れてしまったのか? 他人のせいにする気はないが、気付いたら全て壊れていたとしか儂には言えない。兄から視線を外し黒の手袋に隠れている自分の手を黙って眺めていると、兄の口調が変わった。
「貴様は八年間も側に居た相手と切れたせいで、少々疲れておるのだろう。少し休め」
 昔、儂に言い聞かせるように語った声だ……兄は変わっていないのだろう。
 ならば儂が変わったのだ。兄の幸せの為にも居なくなった方が良かろう。
「此処に来る途中、ゆっくりと休んだ。だからはっきりと言う、テルロバールノルから出てゆくと」
「少し休めば忘れられる。貴様の人生はこれからであって、過去のことなど忘れろ」
 テーブルを挟んだ向こう側にいる兄を見た。

“カレンティンシスを幽閉し、お前がテルロバールノル王になれ、カルニスタミア”

 完全に治っている首の傷が痛み出した気がして手をあてた。父は何故、巴旦杏の塔を動かしたのだ?
 それ以前に何故ザウディンダルを “作った” のだ?
 エーダリロクの見解では、再構築した巴旦杏の塔が本当に稼動するかどうかを試したかったので、両性具有を誕生させる為にわざわざ男王の息子を皇帝の前に差し出したらしいと。それが本当かどうかはまだ解らぬが、それが最も正解に近いように思える。
 そして、もしそれが事実なら儂は最低の男の血を引いているとはっきりと言える。
 塔の稼動を試したかったから “作った” だと? それが許されるとでも思っていたのか?
 実際何の関係もしていないのに、登録されて稼動の元となってしまった者の身にもなってみろ。
「首の傷が痛むのか? カルニスタミア」
 それ程までに自分の作った塔を動かしてみたかったのか?
 ザウディンダルの父親はテルロバールノル系統の僭主だから、王は何をしても良いと?
 そして兄の一族を殺し兄を幽閉して儂に玉座に就けと……。理由も解らぬ、解ったとしても同意する気にもなれん。
 儂は持って来た小さな石を兄に差し出し、
「これはお返しします、テルロバールノル王」
 兄の手をつかみ、無理矢理乗せてその場を去る。それ以上の言葉が見つからなかった。
「こんなもの……」
 兄の呟きが聞こえたが振り返る気力もなかった。

**********


 カルニスタミアの表情があまりにもラティランに似ていて、ぞっとした。
「こんなもの……」
 掌に無理矢理乗せられた “隕石”
 それは最初で最後の幸せな風景だ。
 カルニスタミアが二歳で、十三歳だった儂にも余裕があった頃。
 対空システムを完備していない、別荘のある惑星に儂とカルニスタミアと両親の四人で訪れた。
 隕石などを迎撃することのない惑星には、天然の隕石をみつけることが出来る。簡単に見つかる物ではないが、儂は隕石を見つけて父王に見せた。
 “よく見つけたな” と褒められた足元で、指をくわえたカルニスタミアが羨ましそうに見上げている。
『いいなあ』
 すっかりと男になってしまった今では面影すらないが、幼い頃は儂と同じく「女の子のよう」といわれていた弟の大きな瞳が、欲しい欲しいといっていた。本当はあげたくはなかったが、同時にあげたら喜ぶだろうか? と考え、弟が喜ぶ顔を見たいという欲求の方が強くて、膝を折り目線を合わせて差し出した。
『あげるよ』
 あの時のカルニスタミアの顔は今でも覚えている。
『ありがとう! 兄様』
 今では言わなくなってしまった兄様と呼びかけてきながら、隕石を両手で掴み嬉しそうに笑った。その瞬間嬉しかったことも忘れていない。笑顔を見て嬉しかった。何時からだろうな、カルニスタミアの……実弟の笑顔を見ることがなくなったのは。
 隕石を探すのに夢中になり体のことをすっかりと忘れていた儂はその後、熱を出して寝込んだ。
 父王は儂の体が体なので、治療器や薬を使わないようにされていた。
 父王はそれを隠す為に『子を育てる方針』とし、皆が従っていたので儂は残りの休養をほとんどベッドの上で過ごすことになった。カルニスタミアは他に類を見ない安定度を誇る身体機能を持っているので全く体調を崩さず、ずっと遊んでいた。
 少しだけ羨ましくもあったが、自分の不注意からなったことだと自分に言い聞かせて体を休めていた。寝込んでから三日後くらいだったろうか?
『兄様おかげんはいかがですかぁ?』
 カルニスタミアが見舞いに来た。
『どうした? カルニスタミア』
『おみまい。ほんとうはね、いんせきをおみまいにもってこよーとおもったんだけど、みつからなかったから、これかえす』
 頭の天辺しか見えないカルニスタミアが必死に手を伸ばし、枕元付近にくれてやった隕石を置いた。儂は身を起こしてそれをつかんで返した。
『要らんわ。それはお前にやったものだ、見舞いにとくれてやった品を返されても困る。それに何も要らんよ、顔を出してくれるだけで』
 カルニスタミアは少し考えてから “ちょっとまってて” といい部屋を出て、再び訪れた時に貝殻を持って来た。
『これしかみつからなかったの…… でもね! おみみにあてるとうみのおとがきこえるんだよ! ほんとうだよ!』
 言いながらベッドによじ登ってきて儂の耳に押し付けてきた。窓の外に海が広がっておるというのに……思いながらも、
『確かに聞こえるな』
 その答えに本人は満足したようで、人の隣に寝転がり擦り寄ってきて髪の毛を掴んで昼寝を始めた。
 カルニスタミアの寝顔を見ながら、頬にキスをして儂も目を閉じた。聞こえてくる寝息と、幼子の少し高めの体温が心地よかった。

 何処で間違ったのだろうな……やはり儂が間違ったのだろうな……

「こんなもの……」
 部屋に戻り隕石を見つめながら、あの時貰った貝殻を蔵っておいた箱の蓋を開ける。
「これ程小さかったか」
 隕石を箱に入れ、緋色の布に包まれている貝殻を手に取る。
『よくなったらあそびましょうね、兄様』
 今では誰も信じぬだろうが、あの頃はまだ仲が良かったはずだ。
『ああ。何をして遊びたい』
『なんか』
『考えておけ』
 何の努力をしなくともあのままの関係が続くと思っていたが、そうはならなかったな。悪いのは儂がラティランクレンラセオの策に乗ったせいではある。
 あの時ラティランクレンラセオではなく皇婿セボリーロストに実弟を預けていれば今とは違っていたかもしれない。言ったところで詮無きことではあるが……

― 大変だろう? カレンティンシス。弟を皇婿に預ける? いや弟は私に預けておけばよい。何故って? ほらお前が即位するのに障害となっているのは叔父であろう? もう一人の叔父である皇婿が絶対にお前の敵にならないとは限らない。そんな男の下にお前に継ぐ皇位継承権を持つ弟を預けるのは危険ではないか ―


 皇婿は儂の敵となった弟である叔父につくことはなかったが……皇婿は儂やカルニスタミアを嫌っている。
 何より皇婿の元に通うのを父王が嫌っていた……父王と弟皇婿は完全に断絶していた。
 父王と叔父皇婿が何処で道をたがえたのか? 城に居た頃は不仲ではなかったと聞いたので、少々不審に思い調べてみたところ二十六年前の僭主狩りに関して意見が対立したようだ。
 過去に何度かそれに関し皇婿を問いただしたが、答えは返ってこなかった。
 皇婿にとっては一生の傷なのか、儂に視線を合わせることはない。二十六年前の僭主狩りで連れて来られたのは《男王クレメッシェルファイラ》その処分映像儂も見たが、あれが処分されたのは二十一年ほど前。それ以前から父王と叔父皇婿であったのだけは確か。
 解らなくても良いのかも知れぬが、理由の解らぬ拒絶がカルニスタミアにも影響及ぼすのではないかと考えラティランクレンラセオの元に送り、そして結果はこの有様。

 儂はラティランクレンラセオを信じた。それは全て儂の判断の誤りであることを認めるが……認めはするが……

『兄様、げんきになったらあそぼうね』
 父王が亡き後の混乱。あの時儂は何故、弟を信用しなかったのであろう。

― お前の弟が両性具有と関係を持とうが、私の知ったことではない。馬鹿か貴様! 襲われて頭がおかしくなったのか? これだから両性具有は。両性具有は体を開くしか出来ない玩具だから王につけぬ決まりなのだ。何を怒っている、性欲処理の為だけに生まれた消耗品が! 悔しいか? 悔しいのか! ”性欲処理の為だけに生まれた消耗品” このありがたいお言葉をくださったのはお前の祖先、ルクレツィア・テルロバールノルよ! まさか子孫に両性具有が現れて、テルロバールノル王になるとは! ルクレツィアもさぞや ”お喜び” だろうよ ―

「これで満足か! ラティラン!」

 もう戻ってこないのだ。
 何が? と問われれば答えることはできないが、もう戻る事はないのであろう。
 儂は貝殻も再び箱に蔵い、そして部屋を後にした。


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