藍凪の少女・おっさん……[04]

「マルティルディ殿下」
 ザイオンレヴィに声をかけられたマルティルディは足を止め、不機嫌さを隠さずに振り返る。
「なんだよ」
「お疲れのようでしたので……」
「ああ、疲れているさ。だからお前は此処から去れ。区画から出ろ」
 ザイオンレヴィは言いたかった事の一つも言えないまま、引き下がる。大宮殿のケシュマリスタが泊まる区画は、普段ならばザイオンレヴィは居て、細事を取り仕切りのだが、今回は 《ケスヴァーンターン公爵の配偶者》 に叙されるために、夫であるイデールマイスラも居るので、直ぐにこの区画から出て行かなくてはならない。
「御意。……ガルベージュスと共に様子を窺ってきます。報告は明日の朝でもよろしいでしょうか?」
「ああ」
 マルティルディはそう言うと、ザイオンレヴィの髪を鷲づかみ、自分の顔の傍まで近づけ唇を寄せてくる。
 確りと掴まれた頭を動かす事のできないザイオンレヴィは、マルティルディの後方にイデールマイスラがいることを知りながら目を閉じた。
「卑怯だな」
 自分の唇に触れたのは、果たして唇だったのか? 声を掛けてきたのは、誰だったのか?
 自分を掴んでいた手が離れ、足音が遠離っても暫くの間、ザイオンレヴィは目を開く事ができなかった。


 マルティルディは全裸でベッドの上に座り、夜空を眺めているような姿勢で、感情を完全に失った眼差しを虚空に向けていた。
 扉が開き、背の高い 《夫》 が訪れる。
「マルティルディ」
「何だよ、イデールマイスラ」
 マルティルディの問いかけに言葉ではなく、行動で答える。
 イデールマイスラは大股で近付き手を取り、マルティルディ指先に口付ける。指を食み、舌で指を舐めながら顔を近づけてくる。
「セックスの前にキスでもして欲しいかい?」
 答えはやはりなく、行動によって成された。
 三日月の微かな明かりに照らし出された汗の浮かぶ白い肌は、まさに真珠のような光沢のある肌。
 深い部分に何度もつきたて全てを放つ夫である男との行為に、背中を駆け上るような快感を感じ、マルティルディは目を閉じた。

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 様々な話をした。
 彼女は手芸が好きで、特に刺繍が大好きで……いつの間にか、巴旦杏の塔から彼女が刺繍した数々の品が運び出されていて、余達はそれを貰う。繊細な指から作り出された刺繍は絵画のようであった。
 母は刺繍はしなかった。
 繕ったりすることができたが、刺繍は……母の幼い頃の生活からすると、贅沢品でしかないだろうから、全く 《知らなかった》
 だが母は羊の毛を刈り、羊毛を紡ぐことは出来た。それも手で回す道具で。
 母は何でも作ることが出来た。
 馬鹿と言われてはいたが、農作物を栽培し、家畜を育て、布を織ることが出来た。
 母の実用品を作る姿を見て、彼女は 《軍妃》 について語ってくれた。第十六代”賢帝”オードストレヴの皇妃、ジオ・ヴィルーフィ。異称が 《軍妃》
 《軍妃》 という呼び名で解るように、軍に関係の深い女性で、彼女を育ててくれたリスカートーフォン出の両性具有ランチェンドルティスが、特に興味を持っており、多数の逸話を教えてくれたのだそうだ。

 軍妃が余の前で話題に出されたのは、この時だけで。
 母と同じく平民から正妃になったジオ・ヴィルーフィだが、母とは正反対の女性であり……周囲は気を使った結果のようだ。
 母があまりにも賢くないので、同列の話題にしては余が不快に感じるであろうと。

 ジオ・ヴィルーフィは確かに全てにおいて、母よりも勝っていた。
 帝国最難関の帝国上級士官学校に特待生として編入し、主席で卒業後に皇妹の警備となる。精々似ているといえば、家族運が悪かったことだろう。
「軍妃は魚を捕るための網を直すのも得意で、漁も得意だったんだって。素潜りも得意で、村で一番長く潜っていられたそうよ」
 平民なのにリスカートーフォン並の身体能力を所持していた軍妃。その能力は荒海で鍛えられたものだというのは有名だ。
「我にとっても軍妃の話はとても興味深かった。特に海。僅かな期間だけれども、生まれた時から海の中だった。此処に来るまでは、海の中で」
 ケシュマリスタ王城アーチバーデは海洋惑星に存在し、海の上と下に広がってることも。
「エリュシちゃんは、海の中にいたの?」
「そうね。朧げにしか覚えていないけれども、光が届く範囲だったけれども、周囲は……そう、グレスの瞳のような藍色の世界だったわ」


 深海の王とはなれず、地上に居場所なく、塔の住人


 余と母と彼女は遊んだ。沢山遊んだ。
 飛行船で帝星の周囲を回り、食事をして、風呂に入り、歌をうたってもらい、楽器を奏でて、やはり妹が ”ごちがちぃぃーん!” を繰り返し。
 母と一緒に縫いぐるみ等を作ったり、海まで行き砂に埋もれてみたり、波打ち際でビーチボールを投げ合う。
 母は暴投が多く、ビーチボールは海に流れ、その都度ケーリッヒリラが走って取りに向かっていた。
 そのうち、隠れることを止めて、一緒に遊び始めた。
 本当は隠れて居なければならなかったのであろうが ”おじ様も一緒に遊ぼうよ” に負けたらしい。

 彼女は疲れやすかったが、休憩を入れると元気を取り戻した。だから、明日も遊べると余や母は信じて疑っていなかった。

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 金で縁取られた緑色の国旗。

「何を見てるんだ? ピラデレイス」
「レンディア。いや、ケシュマリスタ国旗が一斉に下げられてるから。叙爵式典が終わったんだなと思って」
「次は王城で即位式典か。グレスも行くらしいぞ、レルラルキスが言ってた」
「マルティルディ殿下の即位式典か。叙爵式典を特別に見させて頂いたが、本当に……お美しいだけでは済まない、見惚れるというか……なんというか……その」

 叙爵式典は終わりを告げた。

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 リュバリエリュシュスはグラディウスと三人の子供達の寝顔を見ていた。
 ”あてしは 《かあちゃん》 って呼んで欲しいんだけど、お行儀良くて母上って言うんだ”
 満面の笑みで、子供達の間で眠るグラディウス。
 手袋を脱ぎ、その頬にそっと触れる。特別にきめ細やかな肌ではないが、触っていたいと思わせる触り心地。

「時間だよ」

 リュバリエリュシュスが声にゆっくりと振り返ると、そこには純白の着衣をまとったマルティルディが 《家臣》 を連れて立っていた。
 リュバリエリュシュスは頷き、ベッドから降り一度だけ振り返り、マルティルディの前で跪く。
「ダグリオライゼ、君は館に残れ。行くぞ、ザイオンレヴィ。ついて来な、リュバリエリュシュス」
 歩き出したマルティルディ。リュバリエリュシュスは立ち上がり、サウダライトは気配を消して近寄ってきたケーリッヒリラ子爵から受け取った外套を、一礼してリュバリエリュシュスの肩にかける。
 リュバリエリュシュスは無言のまま外套を ”羽織らせてやり” 会釈だけをして、マルティルディ後を追った。
 そしてザイオンレヴィは、ベッドの上で幸せそうに眠っている四人をちらりと見てから、サウダライトとケーリッヒリラ子爵に頷き、部屋を後にする。
 最低限 ”以下” の人しか揃えられていなかった瑠璃の館は静まり返っていた。
 その最低限のうちの二人、ルサとリニアは玄関で頭を下げて 《リュバリエリュシュス》 を見送る。
 白く軽い素材の正装が風に踊り、黄金の髪が舞うマルティルディ。黒く軽い素材の夜着が風に舞い、黄金の髪が踊るリュバリエリュシュス。ザイオンレヴィの軍人特有の硬いマントは、裾が少し風に揺れるだけ。
 開かれた扉から見える、月の砂を敷き詰めた白い道。
 空には鋭い程に細い月。その道半ばに皇帝の警備担当者であるガルベージュス公爵が立ち、頭を下げる。

 誰もが何も言わず、誰もが終わりへと向かって歩き続ける。

「両性具有は粉砕して、この溶解液で溶かしてしまうのが 《しきたり》 だ」
 重い扉の前で、マルティルディは両手を高く掲げ、自分とよく似た両性具有・リュバリエリュシュスに声をかける。
「でも粉砕はしない。君は分解されるだけだ。さあ、来いよ」
 ”その力” で扉を押し開き、マルティルディはついて来いと促す。
「あの! お願いがあるのですが!」
「聞いてもらえると思っているのかい? 言うだけなら自由だけどさ」
「この手袋を、グレスが用意してくれていた手袋を返して……」
「そんな物返されても困るだろう。それに、君が今日まで身に付けていた手袋は全て処分されている。痕跡を残すなよ。あの子に手袋を残して、泣かせたいのかい?」
 リュバリエリュシュスは手を握り閉め、踏み出す。
 そして今まで後ろをついてきていたザイオンレヴィが入り口で待っている事に気付き、軽く頭を下げる。それを見て、ザイオンレヴィは深く頭を下げた。だがその姿を二人は見ていない。扉はすでに閉ざされていたからだ。


 ザイオンレヴィが立っている所は、マルティルディにとって出入り口だが、リュバリエリュシュスに取っては入り口。出て行くことはない 《入り口》

 
 無機質な作業所。大昔の溶鉱炉のような内部を通り抜け、溶解液の上に架かっている橋を進み、その先端部分でマルティルディは止まり振り返る。
「両性具有 ”が” 隔離される ”真” の理由を教えてやるよ」
「え……」
「知りたいとか知りたくないとかは関係無い。君は知って死ぬんだ。無知なまま死ぬなんて許さない。この大宮殿に住み、無知なまま死んで良いのは、あの子だけだ」

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 両性具有よ人類よ全知よ無知よ、かくありて、死を乗り越えて不滅となる。ここに両性具有、在り。それは何のためなのか? 答えられる者はただ一人。両性具有と……を共にした……

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 リニアは三人を見送った後、サウダライトの元へ酒などを用意しに向かった。そしてルサは先に部屋へと戻り、連れてきていた息子の寝顔を見ながら溜息をつく。
 マルティルディの即位と共に 《皇王族男爵の一斉処分》 が行われる事を、彼は聞かされた。
 悩んだところでどうにならない、何も出来ない。
 それ以上に生き延びられた事を喜んでいる自分が確かに存在し、感情を持て余していた。自分だけ生き延びて、安堵することに罪悪感が 《無い》 ことに、ルサは罪悪感が募る。
 だが、息子の寝顔を見るだけで、そんな罪悪感すら消えてゆく事に困惑する。
 自分が嘗ての自分であったなら、こんなにも感情が乱れることはなかったのにと思い両の掌を眺めことしか出来なかった。

 − 皇王族男爵の殺害指揮はシルバレーデ公爵 −

 マルティルディとリュバリエリュシュスが消えた間の前に立ち、ザイオンレヴィは携帯用のディスプレイで ”機密書類” に目を通す。
 それは自分に直接関係のない 《輸送》 について。
 輸送の担当総責任者はガルベージュス公爵。彼は輸送してきた 《女王》 を巴旦杏の塔へと、完璧に収容する。疑いの余地のない事だった。

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 両性具有よ人類よ全知よ無知よ、かくありて、死を乗り越えて不滅となる。ここに両性具有、在り。それは何のためなのか? 答えられる者はただ一人。両性具有と……を共にした……

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「マルティルディ殿下、貴方は何故それを知っているのですか? それが正しいかどうか、我には解りませんが……あ、貴方はまさか……」
 語られた事が 《真実》 であるかどうか、リュバリエリュシュスには解らない。だが、語られた事が正しかったとするならば、それは 《マルティルディが両性具有を産んだ》 に他ならない。
「そろそろ終わりだ。体も辛くなってきたようだね」
 苦しい息と弱まってゆく鼓動にリュバリエリュシュスは膝をつき、橋の上で横たわる。
 歪んでゆく視界と、冷たくなってゆく体。
 マルティルディは膝をつき、苦しんでいるリュバリエリュシュスの顔をのぞき込む。美しく、楽しげな笑顔で。
「君、僕に同情したかい?」
 痛みでもなく恐怖でもなく、喜びでもなく溢れ出す涙と共に、リュバリエリュシュスは最後の言葉を紡ぐ。
「いいえ」
 リュバリエリュシュスは今ここで ”この世で最も美しい生きた存在” の地位をマルティルディに譲る。それによってマルティルディはケスヴァーンターンとなる。
「それで良い」
 自分によく似た、だが全く違う 《王》 の満面の笑みの下、リュバリエリュシュス・アグディスティス・ロタナエルは三十四年の人生を終えた。
 死体となった 《両性具有》 をマルティルディは片手で持ち上げ、溶解液へと投げた。堕ちてゆく死体の結末を見届けてから、瞼を閉じて ”藍凪の少女” を歌う。
 誰に聞かせるわけでもなく、歌っている自分すら聞いていない。

 両性具有よ人類よ全知よ無知よ【真;祖の赤/それは神:話だ】かくありて【僕たちは僕と;永遠だ/海を】死を乗り越えて【待っていたのに![《死》んだ?/だから?]】不滅となる。ここに《置いて行くの、私達をわたしを;それは?》両性具有、在り。


 光が深くまで届く凪いでいる海。空は闇夜ではなく陽が。
 自らが支配する王城の海層上部から見る事の出来る、光を持つ藍色の海に似た瞳を持つ少女。


 それは何のためなのか?【《真》実/だから|どこに;】答えられる者はただ[シェー;ト]一人。両性具有と……を共にした……《だから》 【あなた】は/それが【答え】となって《塔》に/残る「歌」を[待っていたのに!]【あなた】 か;正解は四通りだ」君がいうのかい;「《妾妃》[無様]/笑え;笑う」真実だ「」 


「じゃあね」
 歌い終えたマルティルディは 《出口》 へと向かった。
 書類に気を取られていたザイオンレヴィは、戻って来たマルティルディに気付くのが遅れ、目を通していた書類を奪われた。
 手の中で握り潰されてゆく端末を前に、ザイオンレヴィは出迎えの挨拶を忘れたことを詫びる。
「おい」
「なんでございましょうか? マルティルディ殿下」
「イデールマイスラが煩いからさ、お前は残れ。僕の即位式典には居なくて良いよ」
「御意。その時間を有効に利用させていただきます」
 下げていた頭を上げて、自分を見下ろす主と視線を合わせる。
「勝手にしなよ」
「皇王族男爵は、貴方の即位を祝う為の供物とさせていただきます」
 マルティルディは何も言わずに立ち去った。

**********

 明日はエリュシちゃんと、何をして遊ぼうかなあ!

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