藍凪の少女・おっさん……[03]

 余が彼女と共に過ごした日数は、はっきりとは覚えていないし 《存在しない存在》 と共に過ごした時間なので、誰も教えてはくれなかった。
 よって推測するしかないのだが、恐らく長くても六日だ。
 彼女と館で会う前に、余は母の正式な住居である帝后宮にいた。そして、あの朝確かに大量のケシュマリスタ国旗が揺れるのを見た。
 よって余は、出会ったのはケスヴァーンターン公爵叙爵式典開始当日であったと考えている。
 そして彼女が消えた日、旗は全て降りていた。だから六日であると。

 彼女は容姿ではケシュマリスタ王に勝っていたが、声では劣っていた。美しい歌声という面では半歩ほど、それ以外の性能では全く及ばない。
 ケシュマリスタ王の声は人造人間の全てを支配する声。
 完全なる支配音声と、それを惑星中全てに響かせる能力を持っている。彼女にはそんな能力はない。彼女は限りなく、人間の理想とした 《天使の歌声》 だった。
 人間が 《天使の歌声》 に求めた治癒能力があったかどうかは不明だが、確かに心に安らぎを与える声であった。
 彼女が歌をうたい、母は、
「ちーんちーん、ちちん! ちちん!」
 トライアングルを、本人としては歌に合わせているつもりで奏でていた。
 母は音楽の才能は皆無とは言わないが……あまり得意ではなかった。だが、彼女と短い期間ながら触れ合ったことで、音楽が好きになっていた。
 そんな母は世間的には音楽家の良いパトロンであった。説明する必要もないが、父が母の名に箔を付ける為にしてやったことだ。
 悪いことではなかったし、母は音楽を聴くのが大好きだったので、余も適していたと思う。
 余の弟妹の中で、すぐ下の弟は音楽の才能があった。一歳になる前くらいから、聴いただけの音をヴァイオリンでいとも容易く弾いていた。
 トライアングルの母と、才能溢れる弟はヴァイオリン、手を握り上下させるくらいしか出来ない妹は、鈴が付いた物を持ち、余はカスタネットで彼女の歌に合わせた。
 彼女の声の美しさを考えれば、弟のヴァイオリン以外は余計なものだったのは言うまでもないが、非常に楽しかった。

 薄く赤味の全く無い、桜色ですらない彼女唇だが、歌うと同時に色づいてもいないのに、とても艶やかであった。「艶やか」なる表現は成長してから、無理矢理言葉を当てはめたものではあるが。

 ”ごちーん!” と ”がしゃゃーん” が混ざった音がし、全員が音源を見る。
 生まれて間もない妹は、生まれたばかりの赤子がそうであるのと同じく、腕が短く振り上げても目の上くらいまでしか届かなかった。
 逆に言うならば、目の上まで届いてしまったのだ。鈴が付き振り回して音が出る楽器が。
 腕は普通に短かったが、生まれた頃から負けず嫌いであった妹は、ものすごい顔で我慢していた。
 余は驚きで指の肉をカスタネットの間に挟んで泣きそうになったというのに、強い妹だ。

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 国家がはっきりと解るように 《風》 を作る。旗が美しく揺れるように 《風》 を作る。
 大宮殿内にある海に、国旗を掲げるポールで取り囲まれている円形の台があり、その中心へマルティルディは一人で歩いていた。
 海を隔てた周囲に円形の台を取り囲むように観客席がある。
 観客席は台よりも低い場所もあれば、高い場所もある。マルティルディよりも高い位置に居るのは皇帝サウダライトと、皇妃ルグリラドのみ。他の者は低い位置にある座席の前で膝を突き、頭を下げている。
 マルティルディは円の中心に立ち、皇帝の方を見上げた。

 公爵位を得て 《王》 となる者はこの場で独唱し、皇帝に忠誠を捧ぐ。

「ケシュマリスタ国家、独唱」
 ザイオンレヴィの合図の後、マルティルディは歌い出す。その声は全てを無にする。即座にマルティルディの声以外、存在しない空間となる。
 響き渡る声ではなく、響き渡らせる声。
 自然の囁きをねじ伏せ、人々の呼吸音すらも奪い、威圧する。全ての音がマルティルディの支配下におかれた。人々はその声を聞き終えた後、自らの声を聞き、その凡庸で聞く価値もない声を聞き、マルティルディの偉大さを知る。

 マルティルディにはどんな伴奏も必要は無い。無意味なだけだ。だが 《彼女の歌声を損ねる》 というのは正しくはない。
 マルティルディの歌の前には、全ての音は音を失い沈黙するしかないのだ。どれ程の音を重ねようと、人々の耳には聞こえない。人々が聞くことができるのは、マルティルディの歌声のみ。

 ケシュマリスタ王の言葉だけが、人々に届くのだ。

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「もぎもぎはうす!」
 彼女は母のその言葉を聞いて、笑った。

 彼女の希望を聞き、瑠璃の館から巴旦杏の塔の前にある、通称……誰が呼んだのか知らないが、通称「もぎもぎはうす」へとやってきた。
 彼女にとって、この「もぎもぎはうす」は、近くて遠い場所であっただろう。
 目の前にありながら、決して手が届かない家。
 ガンダーラ2599世に乗り、未来の2600世の背に荷物を乗せ、驢馬の先導の元やってきた。
 ガンダーラ親子は私達を置いて直ぐに去り、驢馬だけが残ったが。
 彼女は「もぎもぎはうす」よりも、自らが三十年以上収められていた 《塔》 を眺めていた。
「外観を眺めたのは初めて」
 塔に蔦が絡まり、葉で外壁のほとんどが覆い隠されている。
 巴旦杏の塔に両性具有が収められている場合、塔は蔦と葉で覆われてしまう。もう中には 《誰も居ない》 のに、葉は風に揺れて、まるで中に誰かがいるかのように見せかけている。
 彼女はかなりの時間、この塔を眺めていた。
 どんな思いで眺めていたのか、余には解らない。

 後年、この塔に収められている両性具有に 《もしも》 で良いから答えて欲しいと言ったのだが、言下に切り捨てられた。

 余は彼女の隣に座って、彼女と共に巴旦杏の塔を見つめ続けた。
「ごはんだよ!」
 その間に母は料理を作り、庭のテーブルへと運んで来る。
 ビスケット、アーティチョークの塩ゆで、塩こしょうで味付けし焼いた肉と、野菜スープ。母の作る料理は非常に大雑把な味付けで、盛りつけ方も豪快と言えば豪快、乱雑と言えば乱雑だが……母らしいので、それで良かった。
 母の手料理は凄い美味しいというのではなく、さりとて不味いのでもなく、要するに食べられる味というものだが、余は嫌いではなかった。
 専用の料理人が用意した料理と、母の料理が並べられたら、余は間違い無く、何度であっても母のを選ぶであろう。
 彼女は小量を口に運び、微笑む。
 彼女の笑顔を見ながら、余はビスケットを噛む。混ぜ込まれたアーモンドは苦く感じられた。

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 皇帝サウダライトの挨拶の後、全員がグラスを視線の高さまで掲げ、乾杯をする。
 皇帝がケスヴァーンターン公爵夫妻を招いて晩餐会を開くのも、叙爵式の一つの行事である。
 皇帝と共に席に並んだのは、ケスヴァーンターン公爵夫の実姉である皇妃ルグリラド。彼女はこの叙爵式典中、皇帝の正妃としての役割を果たすことが決まっていた。
 ケスヴァーンターン公爵が領地で 《ケシュマリスタ王》 に即位する際、皇帝に同行するのは、叙爵式典に一切参加していない帝后グラディウスとも決まっている。
 ケスヴァーンターン公爵マルティルディの権力下で帝后となったグラディウスが、全く出てこない理由は 《産後の肥立ちが悪い》
 十代で立て続けに三人の親王大公を産んだ帝后が欠席するに相応しい理由であろう。
「つまらんな」
 マルティルディは皇帝と正妃の二人に囲まれている形となっており、その一人ルグリラドが料理を前に、心底つまらなさそうに言い放つ。
「同意だね」
 マルティルディの言葉が聞こえたサウダライトだが、何事もないように表情を変えずに料理を口に運び、妻と共に自分を挟んでいる形となっているケスヴァーンターン公爵夫イデールマイスラと、差し障りのない話を続ける。

 不仲で有名な正妃と公爵は、料理を前に 《何か》 を思い出しては手を止めては ”つまらん” と言い、再び手を動かして晩餐会を終えた。

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