「グレス!」
叫び声にグラディウスはイレスルキュランに気付き、元気よく手を振った。
乳房を ”ぶるぶる” させながら
「え! あ、ふぉあ! ほっ、げほぁあ! ぼふぁぁぁぁぁあ!」
エビフライの衣が気管支から鼻から何からに入り込み 《ワインを吸ったパン粉の逆襲》 を食らっている王子キーレンクレイカイムは、自分でも意味のわからない言葉を発しながら、
「何してるんだ!」
召使いに大きなタオルケットを持って来るように命じ、近くにある宝石箱に駆け寄ってブローチを選び出している妹王女を見る事しかできなかった。
「でかいお乳のおきしゃきしゃま!」
庭で昼食を取っていた王族兄妹を混乱の極みに陥れたグラディウスは、驢馬からのっそりと降りる。
「何でお前! 全裸なんだ! グレスゥ!」
何故かグラディウスは全裸だった。
ブラジャーもパンツも靴下もなにもない。三つ編みお下げに褐色の肌をさらし、驢馬に乗って現れたグラディウス。
召使いが持って来たバスタオルでグラディウスをくるみ、ブローチで止めて全裸を回避した後に、
「着替えを持って来るように連絡をしろ!」
イレスルキュランは大声で命じた。
人々の混乱など全く意に介さない驢馬は、草を食み始めた。
その驢馬の尻付近から水が滴っている。何事だ? と荷物に手を伸ばし、召使い達にそれを開くように命じた。
出て来たのは濡れたグラディウスの服。
「何をしているのだ? イレスルキュラン」
「突然だな、デルシ」
グラディウスに気を取られているうちに、デルシ=デベルシュが訪問していた。
「いいや。余った娘はくれてやるとお前達の姉王に言われたので取りに来たのだが。グラディウス、いやグレス、どうしたのだ?」
弟王子が用意した娘達の全てが使える筈がないと理解している姉王は、残りをデルシ=デベルシュに売却すると持ちかけていた。娘の好きなデルシ=デベルシュは、買う買わないはさておき、可愛い娘達を観ようと訪問した先で、
「きゅっと酸っぱくて。あてし走ったら、石がごろっ! 川でじゃぼん! エリュシ様がびっくりして泣いちゃって、あてし一生懸命! ぎゅっと絞って、絞って!」
一番のお気に入りである、グラディウスと遭遇することになった。
この状況になった原因を尋ねているのだが、誰もが理解できない。デルシ=デベルシュは何度か聞き、
「リュバリエリュシュスなら全てを知っていそうだな」
目の前でこの事態に遭遇したであろう人物の名を口にして、
「どれ、我が聞いてきてやろう。あとは任せたぞ、イレスルキュラン」
その場を一時的に立ち去った。
総額五十億円くらいのブローチの数々で留められたバスタオルにまかれたグラディウスを、やっとパン粉の逆襲から立ち直った王子は落ち着いて見る事ができた。
大きな藍色の瞳が特徴的な褐色の肌と、白髪の少女。
聞いていた通りだが、自分の想像よりも遙かに不細工で驚く。何処にでもいるような顔立ちのなかでも、ちょっと下にはいるくらいの不揃いな顔のパーツ。
そして先ほど見た、腰にも足首にもくびれなく、尻はもったり、胸ももったり。
「髪が濡れているな。乾かせ」
解いた髪は、もっさり。そしてゴワゴワでボサボサ。
「手入れしていないのかっ!」
「してるよ、でかいお乳のおきちゃきちゃま。すっごく、艶々になったって!」
「どーこーがー! 頭髪専門医ども! 集まれ! 早くしろ!」
白いだけでボサボサの頭髪を前に、陽を反射する雪山の輝きと言われる銀髪の一族の王女は叫びに叫んだ。
《たしかに馬鹿だ。なんというか……馬鹿だ》
キーレンクレイカイムは妹王女が本当の事を言っていたことを理解した。そして怖い馬鹿見たさに、何かないかと辺りを探すと、フライの乗っていた皿の残り物が目に入った。
フライの下敷きにされていた、油を吸ったレタスを摘んで、
「ほうら、ご飯だよ」
グラディウスに差し出してみる。グラディウスは初めて見るキーレンクレイカイムに驚くも、
「食べて良いんだぞ」
言われたので、両手でその油を吸ったレタスを受け取り、
「ありがとー。あてしグラディウス・オベラ。グレスって呼んでね!」
自己紹介を終えた後、何時も通りもぎもぎと食べ始めた。
「ぶはっ! ……くっ……はっ!」
”もぎもぎなんだって! そうもぎもぎ! 解らないだろうが! もぎもぎなんだよ! もぎもぎしてるんだっての! そう! もぎもぎ!”
”馬鹿とはなんぞや?” の問いに、イレスルキュランが何度も重ねた答え 《もぎもぎ》
それを目の当たりにして、キーレンクレイカイムは涙が混じってかなり緩い鼻水を垂らしながら笑いを堪えた。余人の感覚では、最早耐えているような顔ではないが、キーレンクレイカイム的には耐えたつもりだった。
グラディウスの 《もぎもぎ》 が楽しくなったキーレンクレイカイムは、下敷きで彩りの油を吸ったレタスを与え続ける。
「美味しいか?」
「美味しい。衣がついてて、とっても美味しい」
それは衣がついているのではなく、落ちた衣の受け皿だっただけなのだが、グラディウスは正式な料理と勘違いして食べる。
《わあ……面白ぇ……こりゃ、売ってたら買うし、娘好きなデルシ=デベルシュの目にもとまるわ》
もぎもぎ食べ続けるグラディウスを前に、自分が用意した娘達が全く見当違いだったことを理解した男・キーレンクレイカイム王子。
その背後に、濡れたような光沢の黒髪と赤い瞳を持つ王女が立ち、
【この痴れ者が! 儂のもぎもぎに残飯食わすなぁ!】
怒号と共にキーレンクレイカイムのこめかみに扇を炸裂させる。
[うわ、プライドの化け物! 何の用事だよ。というか ”儂のもぎもぎ” ってなんだよ! もぎもぎしてるのは、前イネス公の玩具だろうが!]
プライドの化け物とはテルロバールノル属の者をさす。王家ではなく属している貴族ですら、異常に気位が高い。属している貴族達は、テルロバールノル王家と昔から関係のある、地球時代から続いている貴族もいるので気位が高いのだが、実利のロヴィニアにしてみると、当然無意味なプライドにしか映らない。
「睫のおきちゃきちゃま、こんにちわー。食べる?」
グラディウスには解らない言葉で会話している二人を前に何時もと変わらない笑顔で、食べかけのシナシナになったレタスを差し出す。
「挨拶したことは褒めてやろう。だが、そんなもの……」
「衣付いてて美味しいよ。パンを油であげたのが付いてるんだよ! 凄いよ!」
【あとで覚えておけ、キーレンクレイカイム】
「どれ、儂が味をみてやろうではないか」
受け取ったレタスを口に入れグラディウスの頭を撫でてやりながら、赤い瞳に憎しみと殺意を込めて凝視してくるルグリラドを前に、
《この子供すげえなあ。あの潔癖症のルグリラドになあ》
マルティルディを ”ほぇほぇでぃ” と呼ぶ少女の実力を肌で感じていた。
その後、ルグリラドは持って来たフルーツとプリンの盛り合わせをグラディウスの前に出し、パウダーシュガーをかけてやる。
バウダーシュガーが色とりどりのフルーツに降る様を見て幸せになり、どれほど良い匂いなのだろうと鼻を近づけて思い切り息を吸ってくしゃみをして、折角かけたパウダーシュガーが周囲に飛び散り、オロオロするグラディウスに、
「黙って待っておれ」
ルグリラドは変わらない態度で、再びパウダーシュガーを降らせ、
「余り物じゃから、遠慮はいらぬ。なにより先ほど分けてくれたレタスのお返しじゃ」
そう言って差し出した。もちろん余り物どころか、輸送費用や器の価値もいれると、普通貴族の生涯年収に匹敵するのだが、そんなものはグラディウスの 《笑顔でもぎもぎ》 を前にすれば安いもの。
笑顔でプリンと、砂糖の甘みで美味しくなるフルーツ各種を口に運んでいるグラディウス。そこに、
「理由が解ったぞ。なぜルグリラドが此処に……ガルベージュスからの連絡か。まあ良いか」
リュバリエリュシュスから話を聞いてきたデルシ=デベルシュが戻って来た。
デルシ=デベルシュは満面の笑みでフルーツを食べているグラディウスの隣にいたキーレンクレイカイムを放り投げて、当たり前のようにそこに座る。
そして話を聞いた所によると、グラディウスはレモンを食べて酸っぱさに走り出し、小川に突っ込んで転んで、服を脱ぎ、着替えを求めて戻る途中だった。
[リュバリエリュシュスも ”酸っぱいわよ” と言って勧めたのに、一個丸ごと口に入れてそのまま、走り出したグレスを前に混乱していた]
とても 《グラディウスらしい》 理由に、誰もが頷き、そして、
[前々から打診のあった、あの塔の前に簡易の宿泊所をつくるという話]
グラディウスが夜にリュバリエリュシュスを訪れていることは、他の正妃達も聞いていた。行き来に負担をかけたくないので、出来たら巴旦杏の塔の前に家を……とサウダライトに打診されていはいたが、誰も好意的な意見は返していなかった。
[まあな。あの辺りにはプラムもあれば、特殊マンゴーもある。マンゴーにかぶれて泣きながら走ってくる可能性も考えられるから]
だがグラディウスが、フルーツを食べて一大事になるのは問題だった。
今も驢馬が何時もとは違うルートを通った ”せい” で、グラディウスは王女と王子の前に全裸で現れたのだ。これが別のルートを通り、よからぬ召使い達の前を通っていたらどうなっていたことか。
また、他の寵妃の邸傍を通っていたら、何をされていたことか。
[警備のケーリッヒリラが報告に上がっている際に起きた事件じゃが、この先も起こしそうじゃなあ]
「生クリーム美味しい」
「私も貰って良いか」
「いいよ。あ、お名前教えて」
正妃達の会話を聞きながらも、全く無視してキーレンクレイカイムはグラディウスに話しかけて、フルーツを貰っていた。
「私の名前はキーレンクレイカイムだ」
「き、きーれ……」
グラディウスは当然覚えられない。
「グレス、それはでかいお乳のおきちゃきの兄だ。でかい乳男と呼ぶと良いぞ」
フィラメンティアングス公爵キーレンクレイカイム。乳のでかい女は好きだが、当人の乳は別にでかくはない。