藍凪の少女・後宮配属・寵妃編[02]

 ザイオンレヴィと子爵の 《おじ様》 は帝国上級士官学校の同期。
 子爵の生家フルディル侯爵家はエヴェドリット家名を持つ名門で、一族全員軍人になることが決まっているエヴェドリット属だった。
 その中で、硝子工芸が好きな子爵は変わり者に分類されている。趣味を持つことは否定されないのだが、一族の職業 《軍人》 の道を選ばないで、硝子細工だけをしているのは、その世界では変わり者と呼ばれる。
 能力的には何の問題もなかった子爵は ”軍人になりたくないと” 拒否したが一族の権力に負け入学した。
 だがせめてもの抵抗を! と、エヴェドリット王領内の上級士官学校ではなく、帝星の生粋の軍人が集う場所を選んだ。
 殆どが皇王族で形成されている帝国上級士官学校で、傭兵上がりの軍人王家属の子爵は珍しい。
 そしてケシュマリスタ属で、主家の王太子の命を受けて帝国上級士官学校入りを果たす事となった、当時はギュネ子爵だったザイオンレヴィと出会った。少数の王国出で、何より 《軍人になりたくはないのに》 この場にいる二人は、それなりに仲良くなる。
 ちなみに二人は成績は悪くはなかったが、主席ではなかった。主席は帝国上級士官学校の大多数を占める皇王族の中でも、抜きん出た才能を持った男性が取り、彼は圧倒的な支持を受けて現在帝国軍総司令長官の座に就いている。

 その男はザイオンレヴィの婚約者にあたるロメララーララーラに恋をしており、かつて決闘を申し込んできた事もある。

「遅れました」
 ザイオンレヴィと、
「参りました」
 《おじ様》 が部屋に通されると、既に署名は終わっていた。
 振り返ったグラディウスは 《おじ様》 の顔を見ると途端に目を潤ませて、
「おじ様ぁぁ」
 涙を零しながら抱きついた。
「ふ〜ん。おじ様ねえ」
 マルティルディの冷たい視線と、
「おじ様なあ」
 サウダライトの物言いたげな声。
 そして意味ありげなジュラスの視線を受けつつ、
「おじ様……おじ様……」
 壊れた硝子球を思い出し、抱きつきながらすすり泣きはじめるグラディウスの背中を怪しい笑顔を作りつつ叩きながら、引き剥がす。引き離すではなく引き剥がすが妥当な状況だった。
「大丈夫だからな。直すから、直すから離れてくれ」
 皇帝一番のお気に入りに、胸というか腹というか、下半身の近い辺りを貸すのは身の破滅。
「おじ様って、お前そんな趣味あったのか……」
「無い」
 隣に立っているザイオンレヴィから ”おいおい” と言った視線を受けながら、グラディウスをゆっくりと引き離す。
「直せるから、泣くな」
「う、うん……」
 膝をつき視線を同じ高さに合わせながら、おじ様はグラディウスを慰めた。
 涙を流して鼻を啜っているグラディウスに、ザイオンレヴィはハンカチを差し出す。
「どうぞ」
「?」
 受け取ったグラディウスはそれで何をするのか解らず、持ったまま不思議そうに透かし観たりを繰り返す。
「あの……」
 この時点でザイオンレヴィはグラディウスの事を良く知らなかった。
 後に誰よりもグラディウスの事を理解してしまった ”皇太子の側近” と ”皇太子の生母” の初対面はこんな形だった。
「グラディウス、そのハンカチを渡したのが前に話した私の息子・ザイオンレヴィだよ。仲良くしてやってくれよ」
 グラディウスはサウダライトの言葉にハンカチから視線を外し、ザイオンレヴィを見直した。
「……おっさん。この人、女の人じゃないの?」

 グラディウスが言うや否や、部屋に笑いが木霊す。

 笑っていないのは訳の解らないグラディウスと、言われ慣れているザイオンレヴィだけ。
「女顔ですが男なのです」
 生まれてこの方初対面の相手に一度も ”男” と言われた事のない、妹と間違われてしまうザイオンレヴィ。
 ちなみに双子の妹、ビデルセウス公爵クライネルロテアは兄ほど美しくないので、大体 《お兄さんですか》 と言われてしまう。
「凄い綺麗……」
 着席したグラディウスは、うっとりとザイオンレヴィの顔を見つめる。
「まあ、僕の方が綺麗だけどね」
「うん! ほぇほぇでぃ様はなんだか分かんないけど、おっさんの子供は女の人みたいだから。んとね……ほぇほぇでぃ様は嵐とか大雨とかが終わった後、丘から見た空みたい」
 他の者達は ”ほぇほぇでぃ様はなんだか分かんない” の部分で首をすぼめて、彼女が怒り出すのではないかと身構えたが、言われた当人は少しだけ唇を開き、キスでも投げかけるような音を上げた後に満足げに頷いた。
 グラディウスから見てザイオンレヴィは「息子なのに女の人?」という疑問がわき出るくらいに、美しさに性別が付随していたが、マルティルディの美しさにはその感情がわき上がらなかった。
 グラディウスにとってマルティルディは美しい存在であり、その美しさを前に彼女の性別を知ろうと考えることすら出来ない。
 ザイオンレヴィは ”まだ” 人間の範囲に留まる美しさであり、人間を表す記号 ”性別” を持っている者に見えるが、マルティルディは美でありそれは最早性別を超越している。
 無学で多くの言葉を知らないグラディウスですら語れる程に、彼女の美は ”人間” を超越していた。

 マルティルディは嬉しそうに語ったグラディウスから ”僕の家臣で、僕の悪戯道具” と認識しているザイオンレヴィに視線を移す。

【まあ、ザイオンレヴィの顔はレイプされやすい顔だからね】
 マルティルディの顔は初代皇后と瓜二つで、ザイオンレヴィは初代皇后の娘の顔その物。
 初代皇后はロターヌ・ケシュマリスタ、皇帝との間に生まれた一人娘で二代目皇帝はデセネア・ベルレーという。
 皇后は皇帝シュスター・ベルレーと不仲になり、夫の可愛がっていた一人娘も疎ましく思い、最終的に娘を家臣の一人に強姦させた。
 皇帝の一人娘にして皇帝を強姦した男こそが、現エヴェドリット王の開祖アシュ=アリラシュという。
【いや、もう否定はしませんけどね】
 デセネアはアシュに強姦され、身籠もりそのまま結婚する事になった。その二人の間に生まれたのが、ダーク=ダーマとプロレターシャという二人の娘になる。
 この容姿を持った者は大体が、強姦されて黙って結婚したデセネアを嘲る言葉 《レイプされやすい顔》 の誹りを受けるハメになる。
【レイプ、レイプ】
 そもそもこの王太子、ザイオンレヴィに初対面で『部下使ってレイプしても良いかい?』と言ったくらいだ。今更この程度では、ザイオンレヴィも驚きはしない。
 だが、
「れいぱ! れいぱ!」
 不必要に美しい音律を持って楽しそうに語っていたマルティルディにつられて、グラディウスも聞いた音だけを拾って、本人的に ”歌い出した”。
【子供にそのような卑猥で有害な単語を教えるのは止めた方がよろしいかと】
 ケシュマリスタ語がはっきりと聞き取れないので、微妙な発音のズレを持って、見事な音痴ぶりを披露する。
【そうだねえ、止めた方が良いかい? ダグリオライゼ】
 サウダライトはテーブルに手を付いて頭を下げて、言わないで下さいと申し出た。
【仕方ないねえ……】
「グラディウス」
「はい、ほぇほぇでぃ様!」
「今の言葉を使っちゃいけないよ。僕の決定には絶対に従わなけりゃならないんだからね。解ったかい?」
「はい! ほぇほぇでぃ様。あてし、れいぱ、れいぱって絶対に言わない!」

 そんなやり取りの後、マルティルディは寵妃の書類を持ち館を去り、一応皇帝としての仕事のあるサウダライトも、
「行きますよ、陛下」
「グラディウス。今夜は絶対に帰ってくるからね」
「待ってるよ! おっさん!」
 名残惜しがるも、真面目な警備責任者息子に連れられて館を後にする。
「後のことは任せたぞ、ケーリッヒリラ」
「ああ、シルバレーデ」

 ”おっさん! いってらっしゃい! おっさんの子供もいってらっしゃい!”

 両手を振って見送るグラディウスに、何度も振り返りながら車に乗り込み溜息混じりに、
「早く夜にならないかなあ」
 にやけた顔でサウダライトは言う。
 向かい側に座っているザイオンレヴィは内心 《まだ何も出来ないのに、随分と楽しそうだな》 と思いながら、父親を眺めていた。
 この父親が 《女性》 となったグラディウスの前ばかりか後ろの開発にまで夢を羽ばたかせているとは、息子には想像することすら出来なかった。

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