皇帝のお気に入りというのは、直ぐに噂になる。グラディウスも当然噂となり、本人の知らない所で悪意が育っていた。
こればかりは、どれ程命じようが支配できない物である。
「三日続けて通っただけで、ここまで悪口を言うとは思わなかったなあ」
全ての部屋に備え付けつけられている装置で、音声を拾い、映像を見ながら 《帝国で最も美しい女性》 が笑う。
「マルティルディ殿下」
「はっはっはっ! 楽しいぞ、ビデルセウス。5488番など一度もダグリオライゼが渡った事もないのに、7095番だった娘が居るから自分の元に寵愛が来ないのだと叫んで、滑稽だなあ」
彼女は本当に楽しそうに笑う。
「元1番、現7095番の醜い顔を見ろ。別に番号など変更されたとて構わないじゃないか。そう考える僕がおかしいのかね?」
「マルティルディ殿下のお考えに、おかしな事などありません」
父親に対してはある程度の文句を口にする娘だが、主家にあたる王家の実質的な権力者の前では大人しい。
「面白い! 面白い! あの程度の顔や身体で美しいと思える姿! 面白いから、遊んでやろう!」
「マルティルディ殿下?」
当代宇宙で最も美しい女性は、グラディウスを寵妃にすることを決めた。ビデルセウス公爵はそれを聞いて血の気が引いたが、マルティルディ王太子に意見する事も出来ずに頷く。
「ふむ。もう少しで 《寵妃》 に出来るようだな。僥倖、僥倖、これ幸い。さあ、僕の忠実なる下僕たるビデルセウスよ、言われた通りに動くのだよ」
寵妃とは身籠もれば皇帝の正配偶者になることが明文化されている地位。親王大公を産むのなら、ビデルセウス公爵はまだ我慢できるが、間違って一番に親王大公を産もうものなら、その子が皇太子になってしまう。
「勿論従います。私はマルティルディ王太子殿下の忠実なる下僕です。ですが……本当に寵妃に出来るのですか? 寵妃は他王家との兼ね合いもあると聞きましたが」
「ああそうだね。だが僕の実力を持ってすれば、あの娘を寵妃にしてやることなど容易いよ。ダグリオライゼには無理だけど、僕は出来るね。実力の違いってやつさ」
言い切って、他の質問は受けないと部屋から出て行った。
一人部屋に残されたビデルセウス公爵は、皇帝の寵愛を受けられない事を 《娘》 のせいにして、文句を言い続ける女達の映像を ”ちらり” と観た後に切り、彼女も部屋から出た。
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グラディウスは元気に毎日を過ごしていた。
リニアを手伝い掃除洗濯をこなし、二人と一緒に食事を取り、午後はテラスで絵本を読んで勉強。
一冊数百万円の絵本に目を輝かせ、毎日届けられるケーキにも目を輝かせ 《今晩は残念だけど行けない》 というサウダライトからの手紙にしょんぼりし、二人に励まされて覚えたての字で 《はやくきてくらさい、さみひのれる グラディウス》 書いて手紙を返し、夕食をとりながらちょっとだけルサ男爵からテーブルマナーを学び、またそれを直ぐに忘れて食事を続け、部屋に戻って寝る。
手入れしてもボサボサ感が無くならない白髪と、褐色の肌に大きな藍色の瞳を持った少女は、七千人を超える愛妾の半数以上から敵視されていた。
リニアはそれを感じ取ってはいたが、グラディウスは自分が嫉妬の対象になっている事も理解していないので、当然ながら何も感じはしなかった。
それが余計に妬心を煽っているのだが、これはもう仕方のない事だった。
ルサ男爵は、グラディウスが本当に皇帝に気に入られている事を知る。
グラディウスに勉強を教える際に、小間使いであるリニアの意見を聞き、まずは絵本を読み聞かせる事にした。
グラディウスに興味を持って貰うために、絵本のサンプルを写しだし、好きなのを選ばせた。その際に、かなり高額な物もあった。
愛妾の費用ではまかなえないが ”皇帝陛下からの贈り物にでも” と補足文を付けて朝にリストを提出しその日の夜、自室に戻った所、全てが揃えられていた。
そして ”費用の上限は気にしないように” とのメモ。紙からそれがケシュマリスタ王家の血筋の者と解り、皇帝の一族でグラディウスを優遇しているのだろうと理解した。
それとは別にルサ男爵はサウダライトから、
『グラディウスが欲しいと言った物は、何でも用意しておくように』
命じられたが、グラディウスは特別に欲しいと口にするタイプではない。精々、
『雌山羊の乳を陛下に飲んでいただきたいと、日々言われておりますが』
そのくらい。
『そうか。まあ、何でも聞いて直ぐに用意しておけ』
ルサ男爵がそう告げた日の夕方、山羊を引いて訪れたサウダライトと、それを見て大喜びで山羊の乳を搾り、ボウルの口切り一杯に乳を入れて差し出しているグラディウスを見て、彼は何とも言えない気持ちになった。
大量の宝飾品よりも、硝子細工の方が好きなグラディウスと、
「おいし? おいし?」
「ああ、美味しいよ。グラディウスが搾ってくれたものだからね」
好きでもないのに、笑顔でボウルに直接口を付けて山羊の乳を飲むサウダライト。
二人のやり取りを思い出しながら朝食を取っていたルサ男爵は手を止めた。
「……」
「如何なさいましたか?」
「いや、味が……」
「お口に合いませんでしたか? 調理方法などに変更があったと報告は受けておりませんが」
給仕が二人いる部屋で無言で食べ続けていたルサ男爵は、脳裏にグラディウスが過ぎった。
「下げろ」
「はい」
テーブルに肘をつき、窓の外を眺める。
最初はグラディウスの部屋に向かうのが苦痛だったが、最近はそうではなく、男爵の人生には無かった何かが男爵の身体に浸透してきた。
それは洗練された物ではなく、見る事はできないのだが酷く不格好な物だと解る。それは今の男爵にとって手放しがたい物でもある。
「グラディウス殿の元へと向かう。用意を」
召使いに身支度を整えさせて、男爵は部屋を出た。
「久しぶりだな、ルサ男爵」
「そうだなフォル男爵。何か用か?」
「お前の仕事大変そうだが、替わらないか」
「断る」
フォル男爵の言葉が終わらないうちに、強く言い放つ。
「そうか」
「二度と口にするな」
それだけ言って、ルサ男爵はその場を立ち去ろうとした時、後ろを振り返った。睨み付けるフォル男爵の視線に、ルサ男爵は口元を歪めた。
「似ているな、フォル男爵」
「誰に? 私が誰に似ていると?」
「名もない者達だよ」
これが小間使いのリニアが恐れている嫉妬なのだとルサ男爵は知り、自分が皇帝の近くに居る事で、他の男爵から嫉妬を受けている事も理解した。