藍凪の少女・後宮配属・愛妾編[04]

 ベッドの軋む音と共に、
「いちぃぃ……」
 グラディウスの声が漏れる。苦しそうな呼吸の下、軋みと僅かな水音と共に、
「……にっ!」
 数を数えていた。
「少し早くなるから、間違えないで数えるんだよ」
「あう……あっ、うん……」
 一定の早さで打ち付けられる、内臓を押し上げるような圧迫感を感じながらグラディウスは必死に数える。
「さん! よん! ごぉぉ! あっあっ……じゅうぅぅ!」
 音は止まり、
「間違っちゃったよ、グラディウス」
 サウダライトが笑いを含んだ声をかける。
「お、おっさん……手をはなして、指でぇ……んっ!」
「指を使わないで十まで数える練習だよ。さぁ、一から数え直しだよ」
「ん……いち、にい、さんっ! ……はやいよぉ……ろくっ!」
 体がしなったのではないかと思わせる音がした。

 ”……なんだろうこの気持ち。こう……尊敬ではなく、軽蔑?”

 一人そんな突っ込みを心で入れてしまった彼は、己の皇帝に対する非礼に眩暈がして倒れかけた。
 食器が片付けられたテーブルに手を置いて、額を指で押す。
 倒れそうな彼に気付いた彼女が近付き小声で声をかける。
「あの、片付けは終わりました。小間使いの部屋へどうぞ」
 ベッドの上から聞こえてくる嬌声とは全く違う声を聞きながら、二人は部屋を出て休憩に入った。
「あの、男爵様はお食事は?」
「私は必要ありません」
「ですが、これから私に小間使いの仕事を教えて下さり、陛下が後でお話があると……」
 この部屋に来てから一切食事を取らない彼を彼女は心配していた。
『男爵様が倒れるのは、空腹からでは?』
 全く見当違いな方向に。
 それで口には合わないだろうがと、総菜を二人分買ってテーブルに並べ勧めたのだが、彼は食べようとはしなかった。
「それでは食べながら聞かせていただきます」
 彼女は彼の説明を聞きながら、食事を口に運ぶ。
 淡々と説明をする彼の横顔は、影が濃い。今日のグラディウスとの会話で疲れただけではなく、何か別の影を彼女は感じた。
 思った所で彼女が口に出せる物ではない。精々口に出せるのは、
「やはりお腹が減っているのでしょう。お口に合わないでしょうが、少しでも食べられた方が」
 空腹で胃が鳴り続ける彼に、ポテトグラタンとチキンサラダを勧める事くらい。
「後で料金は補充しておきますので」
 そう言って彼は、スプーンを取って食べ始めた。
 食べながら説明は出来ない。静かな空間に響くのは食事の音だけ。
「……はっ!」
 彼は手に持っているパンを見て、気付いて顔を上げた。
「どうぞ、よろしければ食べてください」
「あ、あの……」
 彼の手にあるのは彼女が千切った痕跡のあるロールパン。
「私は昼食もとりましたので」
 彼自身気付いていなかったのだが、かなり空腹だったのだ。無意識のうちに食が進み、彼女の取り皿の上にあったパンにまで手を伸ばしてしまった。
「申し訳ない……」
「まだお腹空かれてますか?」
「あ、ああ……多分な」
「それでしたら」
 彼女は明日の朝用に用意した半調理品に手を加えて、テーブルに乗せた。
「よろしければ」
 目の前に出されたリゾットを、彼はかき込んだ。
「はあ、本当に申し訳ない」
 結局彼は、彼女が用意した料理の全てを食べきる。
「いいえ、気になさらないでください」
 そして彼女は持参していた茶葉で茶を淹れ、彼に出した。それを飲みながら、彼は惚けたような顔をする。
 無言の時間が流れた後、呼び出しがかかった。
 彼女と彼は寝室へと向かう。幼い愛妾は既に意識はなく、シーツにくるまりソファーに寝かせられていた。彼女はシーツとカバーを一人で取り替え、その間に皇帝は彼に指示を出す。
 取り替えが終わると皇帝は愛妾を抱きかかえて、ベッドへと戻る。白に近いほど薄い紫色のシーツからのぞく褐色の足。皇帝の精液と、体の未成熟さから性交で傷ついた幼い愛妾の血の混じった液体が、褐色の内腿を伝うのを見て彼はなんとも言えない気持ちになった。

 彼は彼女に挨拶をして部屋へと戻る。
 一度座ったら二度と立てないだろと、急いで服を脱がせるように命じ、ベッドに身体を沈めた。
 眠るまでの時間がこんなにも短かったのは、彼にとって初めての経験だった。

 《男爵》 は 《男爵》 で判別される。
 皇王族の男爵の名前は エルセ・テル・ラー 以外に存在しない。血統で名を付けられる、名は血統を表す、よって最終的には同じになってしまう。
 彼の隣に住んでいる男爵もエルセ・テル・ラーでその隣に住んでいる男爵もエルセ・テル・ラーだ。
 それに問題があるとは彼は思わない。
 彼にとって判別に使用される個体名は 《ルサ男爵》 以外ない。だからグラディウスを 《7095殿》 と呼ぶのに、何の躊躇いもない。
 名前は人を判別するものだと、彼は思ってはいない。
 だが 《名前で呼ぶように》 と命じられたのだから、彼は呼ばなくてはならない。

 彼は空腹を感じた事は今まで無かった。彼は定時に食事を出され、それを食べる生活を続けていた。
 特別に動くわけでもなく、全く動かないわけでもない。
 空腹を感じた事の無かった彼は、食事を途中で取らなくとも平気だと思っていた。そうではない事、身を持って知った。

「ルサ男爵、指定の時間です」
「……」
 今までは規定の時間に起きていたのだが、その時間に目を覚ましてからでは仕事が間に合わないと、早めの時間設定をして起こせと命じておいた。
「如何なさいました? ルサ男爵」
「……何でもない」
 身体は重く気分の晴れない。
「今までこんな事はなかったのにな」
 呟いた後、彼は苦笑した。今まで目を覚まして何かを考えた事は無い。
「何か?」
「いいや」
 彼は用意を調えて部屋を出た。
 男爵の部屋が並ぶ廊下を歩いていると、声を掛けられる。
「ルサ男爵」
「フォル男爵か、何か用でも?」
「用が無ければ呼び止めては駄目か?」
「ああ。私は仕事だ、用が無いのなら」
「お前が付いた7095は皇帝のお気に入りなんだってな」
「7095は昨日までの呼び名だ。今日からは1」
 それだけ言い、彼は歩き去った。彼の背を睨みつけているフォル男爵には気付かず。
 ルサ男爵は皇王族の中では一般的なタイプで、フォル男爵は変わっているとい言われていた。どのように変わっているのか? 彼には理解できない。
 他の者達が 《フォル男爵も侯爵くらいならね。あれは身を滅ぼす男爵だ》 そう言っていた事だけは覚えている。
 彼が何故侯爵であったなら良いのか? 身を滅ぼす男爵なのか? ルサ男爵は知ろうとも思わない。

「失礼致します」

 愛妾の部屋に入ると、入り口には彼女がいて、
「陛下がもう少し待つようにと」
 告げてくる。皇帝が自分で召し上げた愛妾を気に入らない筈もないだろうと、彼は座り仕事を開始する。
 端末を打ち続ける彼にそっと飲み物を置いた彼女に、彼は戸惑う。戸惑いながら、彼は記憶を探り見つけ出し礼を言う。
「ありがとう」
「いいえ」

 皇帝が遅い朝食を愛妾と取りはじめてから暫くした時、彼と彼女が呼ばれる。何事だろうかと思っていると、
「グラディウスから聞いた。お前達、私が同席出来ない時は一緒に食べるように」
 その様に命じられた。
 二人は顔を見合わせたが、それだけで命令には従う。
 自分で結わえた不格好な三つ編みと、揃えられていない前髪の下から二人を見つめる愛妾を前に彼は気分が重くなった。

 重くなった理由は解らないが。

 皇帝を見送った愛妾を連れて、彼は仕事に向かう。彼女は部屋の掃除をするので残った。
「昼食はご一緒に」
「はい。それまでには終わっていると思いますので」
「行ってくるね! リニア小母さん!」

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