藍凪の少女・後宮配属・愛妾編[03]

 二十五年間自分に施された皇帝教育が崩壊し、意識を失った男爵は、小間使い用のベッドの上で目を覚ました。
 がらんとした部屋に、急いで鋏を取り出し、そのままになっているリニアの鞄が一つ転がっているだけ。
 仕事に戻らなくてはと、ベッドから下りて二人を探しに行くと、
「……」
「大丈夫? グラディウス!」
「これはだいじょーぶ」
 ホールでグラディウスが、自分の髪の毛に絡まって転がっていた。
「……あの……何故?」
 結婚を許可されていない男爵は、選択肢その物がないので髪を結うことはない。胸の辺りまである黒髪に隠れた昏い表情は今、
「お掃除してたら、こうなって……ぐちゃぐちゃに……」
「……はあ」
 人生初の困惑を浮かべていた。

 無事に自分の髪から脱出したグラディウスに、やっとの思いで自己紹介をする。
「ルサ男爵です。案内と教育係を命じられました」
「グラディウスです。グラディウス・オベラです。解らないけど、よろしくお願いします」
 そうやって礼をした所、二人の間にあったテーブルに乗っていた紅茶カップに髪の毛がドサッと入り、
「グラディウス! 洗わないと!」
 リニアが手を引き浴室に連れて行く。
「大変だよ! 髪が! 髪が!」
 男爵の仕事は全くと言って良い程、先に進まなかった。

「どうしたら良いのだ」

 髪を洗い終えたグラディウスの希望で、昼食へ向かう。
「7095殿の食事は基本的に食堂で、個別の部屋で食べられます。食事は家庭料理が主ですが、希望なされればフルコースも。小間使いは備え付けのキッチンで。材料は端末の方で発注を。基本料金内でしたら無料です。作るのが大変な事も考慮して、総菜を購入しておいても良いでしょう」
「7095殿ってなに?」
「グラディウス殿の呼び名です。愛妾は部屋番号で呼ばれる習わしですので」
「おっさんは、あてしのことグラディウスって言うよ」
 ルサは足を止めて冷や汗を浮かべながら、
「あの御方は……その……。また後で、お部屋でお話しましょう。7095殿」
「9055って難しいよ」
「7095です」
 リニアは黙って二人の後ろを歩くしかなかった。
 食堂と言われて楽しみにしてきたグラディウスは、
「……」
「お口に合わないのですか」
「……」
 しょんぼりとしてしまった。
 グラディウスはてっきり、二人も一緒に席について食べるのだと思っていたのだが、ルサ男爵に 『私は食事は致しません。小間使いは別の部屋で。同席は許可されていません』と言われフォークを持ったまま動かない。
 個室の隅にいたルサ男爵は、グラディウスの気分を悪化させる訳にはいかないので、どうしても自分やリニアが同席することは出来ない事を伝えたのだが、グラディウスは首を傾げてばかり。
 急いで食事を終えてきたリニアは、
「男爵様、ちょっとだけよろしいでしょうか?」
 グラディウスの事を知らない男爵に 《難しいことを言っても、まだ理解できない年頃だ》 そう告げた。
「私の言い方が悪いのですか」
「ここはサウダライト陛下が許可していないから、そう言った方が収まると思います」
「お知恵をありがとうございます」


 サウダライト帝が誰なのか解らないグラディウスには全く話は通じず、やっと  《おっさん》 の皇帝名がサウダライトだと理解した後も中々理解してもらえず、話は遅々として進まなかった。


 げっそりとしたルサ男爵と話をしながらもグラディウスは楽しそうにデザートを食べ終えた。
「じゃあ、おっさんに聞いて ”良いよ” って言ったら良いんだね!」
 本当はルサ男爵とリニアと共に食べたかったのだが、同じ部屋にいて話はしてくれるので元気を取り戻し食べ終えた。
「はい」
「そうね」
 食後、ルサ男爵は食堂以外の重要施設を案内してから、三人は部屋へと戻り、
「必要なものなどございましたら、お申し付け下さい。7095殿」
「5022って覚えられないよぉ」
 座ってお茶を飲んでいた。
 お茶なども命じれば淹れに来る者がいる。
「リニア小母さんのお茶が飲みたい」
 だがそれらの茶はグラディウスの口には合わなかった。食事は何でも合うのだが、茶を飲む事のなかったグラディウスは、癖の強い高級茶葉を使用したお茶が美味しいと感じられない。
 リニアが淹れてくれる、持参した安い茶葉の方が口に合った。
「規則に触れる事を望まれる場合、陛下に許可を頂くしかありません」
「陛下っておっさんの事だよね。さっきはウダ……サウダラ……とかだったけど、今はシュス? シュータ? 何で違うの」
「それは基礎と言いますか……」
 子供の頃から皇帝があっての自分、皇帝あっての世界と教えられた彼に 《何で違うの》 という質問は、質問自体が理解できない。
「あのさ、ルサ……ルサ……あのね! 難しいんだよね!」
「 《男爵》 ですか。発音し辛いかもしれませんね。お好きな用にお呼び下されば」
 その一言に、グラディウスは不揃いの前髪の下にある、大きな藍色の瞳を輝かせ、
「ルサお兄さんでいい?」
 大声で叫ぶ。
「は、はあ……お好きなように」
「それで、あてしの事もグラディウスって呼んで。あてし頭悪いから覚えられないよ」
「慣れないだけで直ぐに覚えられると」

 愛妾を迎えた初日という事が知られていたので、サウダライトは夕刻早くにグラディウスの部屋へとやって来る事ができた。
「グラディウス!」
 ほどほどの薔薇の花束に、大きなアイスケーキを抱えて。
「おっさん! お仕事終わったの!」
「うん、今日はもうお終い。明日の朝までグラディウスと一緒だ」
 食後のデザートを楽しみに、グラディウスは部屋でサウダライトと共に食事を……
「せっかくのご飯なのに……」
 やはり髪が絡まり、皿に髪が落ちて一々食事が中断される。
「そこの、小間使い。あのベゼラでグラディウスの髪を纏めてくれ」
 リニアは男爵から教えられた礼をして、グラディウスから許可を貰って鞄からベゼラを取り出し大きく髪を二つに分けて結った。
「……」
「どしたの、おっさん?」
「ん。グラディウスの ”おさげ” 好きだったなあ。また ”おさげ” にしてくれるかい?」
「いいよ! あてしも髪結ってる方が好き! 何で駄目なの?」
「駄目な理由は説明すると長いけれど、グラディウスは食事中は結ってたほうが良いかな?」
「うん!」
「それじゃあ、グラディウスには食事中は髪を結っても良いように言っておく。専用の髪留めも用意させるから、明日から食堂についたら小間使いにそれで留めて貰って食べなさい」
「リニア小母さんだよ」
 グラディウスは笑顔でサウダライトが 《小間使い》 と言っているリニアをフォークで指した。
 行儀の悪い行為だが、サウダライトは咎める筈もない。
「リニアか。おっさんもリニアって呼んだ方がいい?」
「うん。あのね、おっさん……だって難しいもん。色々な名前で呼ぶと、あてし覚えられないから。だからね、ルサお兄さんに4562って言われても、わかんない」
 サウダライトが男爵を見ると、彼は頭を振って否定する。
「いいえ! 7095殿と呼ばせて頂いております! 決して4562殿とは呼んでおりません!」
 サウダライトは頷き、
「そうか、グラディウスには7095は大きすぎたか。数字は幾つまで数えられる?」
 食後のワインをゆっくりと回しながら尋ねる。
「10までなら数えられるよ!」
 お土産のアイスケーキは切り分けられずにグラディウスの前に置かれ、それを大きなスプーンで必死に掘って食べ進んでいる。
「そうか。じゃあ番号変えよう 《1》 なら忘れない?」
「うん!」
 肌と同じ褐色の唇をバニラアイスで白く濡らしながら食べる様は 《おっさん》 の気分を高揚させるのに充分だった。
「でもグラディウスって呼ばれる方が好き」
「そうか、じゃあアレにもグラディウス殿って呼ぶように命じておくから、それでいい?」
「殿ってなに?」
「それはね、そのうち解ると思うから」
 その後、
「身体が寒くなってきた……どうしたんだろ……」
 アイスの食べ過ぎで身体の冷えたグラディウスを抱きかかえて、サウダライトはベッドへと入る。
「おっさんが暖めてあげるから、安心してねグラディウス」
「おっさん、服脱ぐと寒くなるよ」

 天蓋の降ろされたベッドの中からそんな声がした。

戻る目次進む