危険だが安心できるという、矛盾した評価を持つヨルハ公爵は、グラディウスと相性も良く大宮殿滞在中は子爵が与えられているグラディウスの館に滞在することが多かった。
子爵が警備を連れてこの館を離れても心配していないのは、ヨルハ公爵がここにいることが大きい。
彼ならばグラディウスの行動すべてに上手に対応してくれる―― たまにグラディウスと波長が合いすぎて、混乱が激化することもあるが、それらを考慮してもヨルハ公爵は信頼できた。
狂わない限り、ヨルハ公爵ほど安心できる警備はおらず、ヨルハ公爵ほどいつも正気を保って狂っている人はいない。
矛盾する狂気を持っているヨルハ公爵は、
「ジュラス、困らせちゃだめだよ」
「解ってるわよ」
【でも泣かせないあたりは、ちゃんと考慮しているんだね】
【もちろんよ】
「……」
グラディウスに聞かせたくない話は、早口のエヴェドリット語で語り、詳しい経緯を聞いて、
「そっか。それじゃあ具を作って待っていようよ」
「ぐ?」
「うん”ぐ”だよ。この中にね、おかずが入ってるんだよ。……残りが……あった、あった。こういうの」
まとめられている残り物を取り出し指さす。
「……」
「ちょっとつまむと良いよ」
「でも」
「味見してから中身を作って待つんだ。そしたらシクがご飯を炊いて、握ってくれるからさ」
ヨルハ公爵は子爵手作りの土鍋の中に、水に浸されている米を発見していた。そして具を作るための材料が残っていることも。これからまた米を炊き、おにぎりを作ってくれることは確実。
「……」
「それが良いわよ、グレス」
「おかかも、鮭フレークも、昆布の佃煮も作り方知ってるから、我が教えるよ」
「うん!」
こうして仲良く”おにぎりの具”を作ろうとしたのだが、子爵が使用している台所はグラディウスからすると高い。
グラディウスは顔がかろうじて乗る高さに調理台がある。
ヨルハ公爵の提案もあったのだが、
「キッチン前に部屋の端から端まで紐を丁度良い高さに”ぴん”と張って、その上を歩いて調理すれば」
【ヨルハ公爵のことだから本当に気付いてないんでしょうけれど、人間はそんな芸当できないわよ】
【そうなのか! ジュラス! 教えてくれてありがとう!】
生まれつきの身体能力が並外れている彼の提案は、グラディウスどころか人間には無理。
台を作るにしても時間がかかるということで、結局ヨルハ公爵が片腕にグラディウスを乗せて高さを調節し、調理をすることになった。
「ヨリュハさん、重くない?」
「重くないよ。我はシクより強いから、安心して乗ってるといいよ」
具を二品完成させたところで、
「なに作ってるんだ?」
「おじ様!」
子爵が帰ってきた。
ジュラスとヨルハ公爵から話しを聞き、
「そうか。じゃあ……よし、追加で人数分作ってからみんなで食べよう」
―― リニアとルサも呼ばないと駄目だから……
土鍋に火をかけて米が炊けるまでの間、追加の具を作り、
【変なものは入っていないから、あまり不味そうな顔はしないで食べてくれ】
生まれも育ちも不吉極まりない、人食一族と言われる子爵は、リニアとルサ男爵にこっそりと指示と安心を与える。
「おじ様、驢馬にも食べさせていい?」
「あ……ああ」
―― 驢馬、食うのか? 食えるのならいいが
驢馬も案内され、おにぎりを味わうことに。
一口かぶりついたグラディウスのあまりに幸せそうな顔……を前にして、おじ様は一時台所を離脱。笑っていることが誰にもばれない驢馬は、部屋の隅で一人思う存分笑っていた。
「うまい」
「シクは握るの上手いからね」
「おっさん食べたことあるのかな?」
「あるよ。我とシクとクレウが、白鳥の家に遊びに行った時作った。とっても気に入ってたよ」
「そうなんだ」
「陛下のために作る?」
「……作れるかな?」
「練習するといいよ。失敗したのは我が食べるから」
「ちなみにあのおやじ……じゃなくて、陛下は種なし梅干しが好きよ」
**********
グラディウスがおにぎりを握る力加減が上手くいかず、四苦八苦しているころサウダライトはザイオンレヴィが持ってきた計画書に目を通していた。
「陛下」
「あ、はいはい。ハロウィン計画……じゃなくて、ハロウィン祭り開催ね」
「ルリエ・オベラにはまだ話してもいませんから、開催できるかどうかは……」
「今更開催できないとも言えないだろ。皆様仮装用の衣装の型紙採寸を始めているし、専属のお菓子部門に号令かけたしね」
「……」
引き返せはしないとは思っていたザイオンレヴィだが、あまりの行動の速さに絶句。
「あの子は”うん”と言うよ。あの子、マルティルディ様に正妃様方が大好きだもの。遊んでもらえると知ったら、大喜びだ」
「そうですけれどもね」
「実行はともかく、計画のこの部分、本気なの」
グラディウスと皆様のお遊びは、サウダライトにどうすることもできない。
ザイオンレヴィに聞いている計画も、聞いたところでどうすることもできないのだが、さすがにこれを尋ねないで済ませるわけにはいかなかった。
「本気のようです」
目を通したザイオンレヴィも、最初は己の目を疑ったものの、周囲に中尉たちがいたのでゾフィアーネ大公に確認はしなかった。
「三番目と四番目の間にリュバリエリュシュス様って」
書類は打ち出された『機械文字』なのだが、この順番の部分に計画書を用意した彼の手書きで《ここにエリュシさま。調整はこちらで》なる注釈。
リュバリエリュシュスの所へイベントで足を運ぶとなると、ガルベージュス公爵と皇帝との話合いが必要になる。
「父上は、そこで待機したらどうですか?」
「うん……まあ……そうだね、一緒にまわるのは……彼が適任だし。うん。リュバリエリュシュス様にもお菓子を用意してもらおうか。小さいお菓子なら私を介して渡せるしね」
「いいんじゃないんですか?」
サウダライトの提案に軽く答えたザイオンレヴィだったが、
「お菓子について、私は思いつかないから、お前が考えておくように」
「えええー!」
かなり面倒なことを押しつけられた。
「ケーリッヒリラもいるし、いまはヨルハも滞在しているだろう。クレッシェッテンバティウに聞いてもいいから」
「……はい。じゃあ陛下はガルベージュス公爵と警備計画について話合ってきてください」
警備計画についての話合いとは、警備される側が警備する側から説明を受けることである。サウダライトはガルベージュス公爵が許可した場所だけに居ることを約束し、身の安全を確保してもらうのだ。
ただこの誰が見ても完璧なまでのお飾り皇帝は、誰も排除しようとはしないので、かなり安全で気ままに生きている。この男を殺して後継者問題が再燃したら、帝国が混乱に陥ることくらい誰でも解っている。後継者を作ったとしても、この男を排除すると今度は……長くなるが、それほど真剣に警備しなくても、また警備してもらわなくても問題はないのだが、長い間培ってきた警備技術や、連綿と続く警備のノウハウを途切れさせないためにも、形だけはいつも通りに行うのが重要だということで、こうして警備が続いていた。
「解った。それとだね、ザイオンレヴィ」
「なんですか?」
「お前も初日自由にしておくから、仮装してマルティルディ様のところに”お菓子くれなきゃ悪戯するぞ”って言いに行きなさい」
「”お菓子なんてやるもんか、悪戯してみせろよ”って言われたらどうするんですか!」
「その時はその時で頑張りなさい。お前も子供じゃないんだから」
「子供じゃないから問題なんでしょうが!」
**********
計画書によるとハロウィンは二日がかりで行われる。
初日はグラディウスが仮装してお菓子を貰いに行く日。二日目は仮装した皆様方がグラディウスのところにお菓子を貰いに来る日となる。
初日の移動の付き添いは、同じく仮装したヨルハ公爵(←完璧です)……という手書きの文字が添えられている)
二日目の仮装については(みなさま恐いです)……という機械文字が印刷されている。
サウダライトは(みなさま恐いです)と書かれている部分を、印刷も消せる消しゴムでゆっくりと、丹念に念入りに、それはもう念には念を入れまくって消した。
**********
話合いを終えたサウダライトは、重要で珍しく”彼にしかできない”仕事をするために、グラディウスの元へと帰ってきた。
「おっさん、お帰り! あてし、おにぎり作った。はろいんってなに?」
帰ってくると聞いたグラディウスは、子爵に教えてもらい、失敗作をヨルハ公爵に食べてもらい、マシな形になった三つほどのおにぎりと子爵が作ったランタンを盆に乗せて持ち、帰ってくるのを今か今かと待っていた。
「おにぎり? もしかしておっさんの為に作ってくれたのかな?」
子爵が作った形の良いおにぎりしか知らないサウダライトだが、盆の上でグラディウスと共に彼の帰宅を待っていた、形の悪い《たぶんおにぎり》に目を細める。
「うん! それで、おっさん、はろいんってなに?」
「どれどれ。おにぎりを食べながら説明しよう」
二人はリニアやジュラスを引き連れて部屋へと消えた。それを見送った子爵と、ルサ男爵。
「ルサ、お前は頑張った。誇っていい」
おにぎり作りに精を出したグラディウス。その間に読む用にと子爵から計画書を渡されたルサ男爵は、説明ポイントを書き込みおにぎり作りが終わってすぐに説明を始め……ようとしたのだが、「ハロウィン」の説明をする前に「ハロウィン」とグラディウス発音させることに、全員(ヨルハ公爵以外)が、いつも通り悶絶した。
最初「へろいん」で次に「へろりん」……と変化に変化を繰り広げ、なんとか似たような発音に持ち込んだところで”陛下がお越しになります”で時間切れ。
「はあ……ありがとうございます。失礼して、書類を読み込んできます」
子爵に慰められたルサ男爵は、曖昧な返事を残して、また書類と向き合う。彼の計画の理解度、そして咀嚼度が、この祭りを成功させる鍵の一つであることは説明する必要もないことであった。
「無理するなよ、ルサ」
子爵が作ったオレンジ色のランタンが関係する「はろいん」
「そのかぼちゃのランタンどうしたの?」
「おじ様が作ったんだって! あのね、おっさん。はろいんするよ、だからおっさんもお菓子を、お菓子を!」
「うん。おっさんもそれをグレスに説明しようと思ってね」
サウダライトがグラディウスに説明して理解させなくてはならないこと。
1.ハロウィンは二日開催で、初日はグラディウスがお菓子を貰いに行き、二日目は皆様をお招きし、お菓子を渡す
2.グラディウスが渡すお菓子は、グラディウス手作りが好ましい。味や形はわりとどうでもいい
3.初日菓子を貰いに行く際は仮装をする。グラディウスの仮装はかぼちゃパンツに魔女ハット(顎紐つき)できることなら衣装も手作り(リニアが協力)
4.一緒に行くのはぶかぶかズボンに、ぶかぶか上着、赤い棒ネクタイを格好悪く結び、グラディウスと同じ魔女ハット(顎紐つき)を被る
5.専用移動機《魔法のほうき》に乗る。操縦ヨルハ公爵、グラディウスはヨルハ公爵と一緒にほうきに跨っても、荷物運び用に吊す巨大ハロウィンかぼちゃの容器に座ってもよい
ちなみに巨大ハロウィンかぼちゃ容器の作製は子爵。
もちろん子爵は知らないが、決定されている。
「おっさん、仮装ってなに?」
「仮装っていうのはね……」
サウダライトはゆっくりと解りやすい言葉で説明したのだが、
「おっさん。御免、全然わからないや」
グラディウスは仮装がなんなのか皆目見当が付かない。
「そうだよね。仮装したことないだろうし、見たことないだろうからね。あのね……」
サウダライトは根気よく、ぎっちりとしたおにぎりを食べながらグラディウスに説明を続けた。
夜が更けグラディウスが眠りに落ちる。何時もなら、ジュラスの監視が厳しくエロイことできなくても、眠ったグラディウスの隣で横になり、胸を揉むサウダライトだが、今日はそんなことをする余裕もなく、
「話、通じたとおもうかね? ケーリッヒリラ」
「さあ……」
グラディウスが初日で理解できたのは「おじ様手作りのおにぎりは美味い」「このオレンジ色のははろいん」それと「お菓子をみんなから貰い、手作りのお菓子を配ることができる」この三つ。
「さて、作戦会議でもしようか。みんなを集めてくれ、ケーリッヒリラ」
「御意」
枕元に置いたハロウィンランタンの柔らかい明かりに照らされたグラディウスの寝顔は、何時もと変わらず喜びに満ちていた。