子爵はゾフィアーネ大公からハロウィンは暴力的なイベントではないことなどの説明を受け、
「これをシンボルにします」
ゾフィアーネ大公から伝統的な”オレンジかぼちゃに顔”がプリントされた紙を差し出され、一緒に彫刻刀と手のひらサイズのかぼちゃをも子爵は渡された。
「作ってみてください」
「わかりました。ランタンにすればいいんですね?」
「そうです」
子爵は下部を切り中身を上手に取り出し、規定の目と鼻と口を刻んでゆく。その最中、
「お兄さん、参上!」
ゾフィアーネ大公が言っていた通り、ジーディヴィフォ大公がやって来た。ジーディヴィフォ大公だと解ったのは、
「兄さん。さすが声の通りが良いですね」
「もちろんだとも、弟さん」
弟だけ。
接したことがあるザイオンレヴィと子爵は、ゾフィアーネ大公が”そう言っている”ことと、髪の毛がいつも通り惜しげもないので、彼なのだろうと納得した。
一般の軍人たちは、息を飲んだままはき出せない状態。
ジーディヴィフォ大公、服は着ているのだが頭に巨大かぼちゃを被っていた。弟であるゾフィアーネ大公がはいている358kgのかぼちゃよりも若干小さいが、収穫時の重さ342kgの巨大かぼちゃ。
彼はそれを弟同様、頭の部分だけ刳り貫いて被ってやってきた。
彼のトレードマークとも言える『惜しげもなく結い上げた髪』は巨大かぼちゃからもはっきりと解る。それというのも、彼はかぼちゃを刳り貫く際に、中心ではなく後ろ側よりにした。その美しい髪を露わにするために。そのせいで、巨大かぼちゃ面はおそろしくバランスが悪い。
巨大かぼちゃ面は中身を全てを刳り貫いていないので、普通の人では声が通らないのだが、美声ケシュマリスタに属する彼の声は、肉厚かぼちゃの水っぽい中身に阻まれることなく、響きわたる。普通の人の場合は、声が通る前に重さで首が折れるか、かぼちゃの水分で窒息するか――だが、そんなことはこの悲惨な状況の前では些細なことである。
水分が首のあたりから漏れ出して、
「やあ、君たち。本日付で上級大将になったお兄さんだよ」
真新しい軍服を、オレンジ色の汁で汚しながら、気にする素振りのない《お兄さん》
―― 今日、上級大将に任命されたのは、ゾフィアーネ大公閣下の兄君、ジーディヴィフォ大公閣下だけだったよな、ケルディナ
―― ゾフィアーネ大公閣下のお兄さんはジーディヴィフォ大公しかいなかったよな……
中尉二名は、子爵から「駄目だと思ったら部屋から出ろ」と言われたことなどすっかりと忘れて凝視することしかできなかった。安定の悪い巨大かぼちゃ面を被ったまま、
「おにぎり、いただきます」
残りのおにぎりに手を伸ばし、
「どうぞ」
子爵は一応手を止めて、具の解説をする。
笑いの沸点の低い子爵だが、ジーディヴィフォ大公の奇行は……以下、弟と同じなので省略するが、ともかく笑える隙がないので、真顔で対応できる。
「はっ!」
そして中尉二名、以下隊員たちは見た。
ジーディヴィフォ大公がかぼちゃ面におにぎりをぶつけ、そしてゆっくりとテーブルに置き直し、巨大なかぼちゃ頭を長い腕で抱えて、銀髪を振り乱し、
「うわあ! 食べられない!」
かぼちゃ面が割れるのではないかと、中尉たちが身構えてしまうほどの絶叫をあげた。
「兄さん。どうして口を作ってこなかったんですか? ハロウィンマークとしては怠慢ですよ!」
「いやあ、弟さんが刳り貫いただけだったから、良いかなーと思って」
「私は顔を刻んだら、露禁だから刻まなかっただけです」
「そうだったのか! でも弟さん。チラリズムなら露禁ギリギリ回避できると思うよ」
ぎりぎりで回避されても困ることこの上ない、ぎりぎりである。
おにぎりを食べることができないので――と、かぼちゃ面を脱ぎ汁まみれの顔を拭くよりなら、洗い流したほうが早いと浴室に消えて、再度新調した上級大将の格好で戻って来た。
その頃には子爵はハロウィンランタンを完成させており、
「相変わらず上手だね」
「シンプルですから」
それを片手に、もう片方の手でおにぎりを口に運ぶ。
「そうそう、ハロウィンの計画書は皆様に配ってきたよ。もう皆様、やる気で充ち満ちていて、正直恐かったねえ」
誰がどう見ても恐がっていないのが明かなジーディヴィフォ大公の爆弾発言。
「……皆様って?」
”やる気”が何故か脳内で”殺る気”に変換されてしまったザイオンレヴィが尋ねると、
「正妃様がたと、マルティルディ様。イレスルキュラン様の所にイダ王とキーレンクレイカイム王子がいたね。参加するんじゃないかな」
本決まりで引き返すことが出来ない状態になっていた。
「……」
「ルリエ・オベラが回る順番を巡って、血で血を洗う争い級のじゃんけんを繰り広げていらっしゃったよ」
『最後はお腹いっぱいで食べられないかもね。それか、眠くてまわるの諦めて帰宅しちゃったりするかも。ねえ、ルグリラド』
『貴様! 一番じゃからといって良い気になるな! マルティルディ』
じゃんけんは「公平」ではない。
マルティルディの動体視力と運動神経の前では、普通のルグリラドの手の動きなどゆっくりで、勝つのは簡単。精々マルティルディが見破れないのは、本当に実力で勝ったデルシだけ。ちなみにデルシはマルティルディの次、二番手。
「あの……陛下に報告は?」
「まだ報告してない。ザイオンレヴィ、お願いね。私はガルベージュス公爵に連絡してくるから」
「はい」
皇帝はゴーサインを出すだけの存在である。
先代皇帝もたしかにそうであったが、なにか現在の皇帝とは違う。だが、それを深く追求する者はない。
子爵が作ったランタンをテーブルに置き、今度は両手でおにぎりを持ち交互に頬張りながら、
「ケーリッヒリラ子爵、別の話もあるのです」
「なんでしょう? ジーディヴィフォ大公」
彼は自分の仕事をもする。
「今年中には中佐昇任試験受けてください」
本日付で上級大将となった彼は帝国軍人事院次官。軍在籍日数と身分その他から、試験を受けて昇進することを促す仕事を受け持っている。
「……今年中ですか?」
「はい、今年中です」
自分から昇任試験を受ける人は放置しておいてもよく(例・ゾフィアーネ大公)皇帝からお声掛かりがある人も何もしなくてよいが(例・ガルベージュス公爵←対極例・キルティレスディオ大公)世の中には控え目で消極的、出世したくないので必要最低限で済ませたがる人もいる(例・ケーリッヒリラ子爵)
本当に無能であれば放置しておいてもよいのだが、そうではない者には、相応に出世してもらい仕事を割り振りたいというのが本音であることは、誰でも解ること。
軍人事院次官の他の仕事は、学校を出ていなくても優秀な人などをスカウトして、研修を受けさせて少しばかり地位を上げて、配置したかった部署に置くなど。帝国の基礎を維持する人材を発掘、適所に配置するかなり重要な職である。
「正直に言いまして、ルリエ・オベラ殿が正妃に昇格したら、退役したいのですが」
「はっはっはっ。言うと思ってました」
正妃警備の実働部隊最高責任者は大佐。
グラディウスは寵妃なので、当然ながら正妃警備担当以下の地位の者《少佐》が割り振られたのだ。
「急なこと故に我が選ばれただけであり、本来ならばジーディヴィフォ大公の配下が担当するべきかと」
子爵は割れた硝子細工を直すだけのつもりでやって来て、そのまま警備実働部隊の責任者になってしまった子爵。それでも仕事を充分にこなせているあたりは、間違いなく優秀であり、立派な実績をはからずも積み上げている状態。
「では、私の配下になりますか?」
「いや……その……」
ジーディヴィフォ大公が嫌いなわけではなく、苦手でもないのだが、なんだかとっても曖昧に濁すしかできない子爵。
「弟さん」
「なんですか? 兄さん」
「最後のおにぎりに手を伸ばすことは許しませんよ! 最後のおかかは私のもの!」
「それは譲れませんね、兄さん!」
「私だって譲りませんよ!」
最後のおにぎり(おかか・のり)を巡り、高貴な兄弟が喧嘩を始めたので、
「よし、帰るか」
子爵はランタンとハロウィン計画(案)と書かれた書類を持ち、部下を連れて部屋を出る準備をし、
「僕、父上……じゃなくて陛下に計画書を届けるね」
ザイオンレヴィも同じように準備して、部屋をあとにした。
「子爵閣下、なにを?」
「(案)に線を引いているんだ」
「確定ですか?」
「確定だな」
**********
有名な二人のグレス。
一人は最初のグレスことグラディウス、もう一人は六十代皇帝ゼスアラータ。
このグレスと呼ばれていた皇帝ゼスアラータは、いまさら説明する必要もないがケシュマリスタ王の子。
ケシュマリスタ王族は、根底に流れる「小食」両性具有の血の反動なのか? 普通に食べることができるタイプで生まれてきた場合、食い意地が張っている者が多い。
貴族も若干その傾向があるが王族ほどではない。
王族は自分の取り分は自分の物で、人に分け与えたりは決してしない。
ケシュマリスタ王の子であった彼女も、この例に漏れず食い意地が張っていた。夫が作った料理を誰にも一欠片も与えず、鍋ごと抱えて食べてしまうような人物であり、
”ヴァレドシーアに絶対あげないんだからね!”
”要りませんよ、陛下……隙あり!”
”ああああー! ケシュマリスタ滅ぼすぅ!”
”待って、ギィネヴィア。もっと作るから、落ち着いて”
”追加と奪われたのは違うもん! 違うもん! うわあああん!”
”あの、じゃあ追加しませんから”
”いやー食べるうぅ! 追加分食べるうぅ!”
身体能力で勝る叔父(ケシュマリスタ王)に塩茹で野菜を一個奪われて大泣きしたこともある――。
彼女の治世は偉大なる支配者による完全統治(四王完全服従)であったので、人々は暮らしやすかったが、幾つかの制限もあった。
その制限の一つに「”もらい!”などとと言って他人が作り、食べようとしていた食品をつまんで逃げるような作品は作らないように」というものがある。
彼女は自分の料理を取られたら戦争も辞さず(夫たちの尽力によりすべて未遂)そのような作品を見ること自体、我慢できなかった。
生まれてから一度も食に苦労したことはない彼女だが、生まれる前から刻まれた飢餓感と略奪の記憶がそうさせていた――だが、世間に公表するわけにはいかないので、食い意地が張っていること自体を含めて秘密にされた。
その対極にいるのが最初のグレスこと、グラディウス。
「良い匂いするね」
ご飯はみんなで一緒に、少なくても分けて食べようの精神の持ち主グラディウスは、どこからともなく流れて来る美味しそうな香りに幸せになっていた。
「そうね……これは、多分。こっちよ、グレス」
海苔の香りに覚えのあるジュラスがグラディウスの手を引いて、子爵が住んでいる区画へと連れて行く。
「なに? ジュラス」
「秘密よ」
―― おにぎり幾つか残ってるだろうから、グレスにあげちゃおう!
子爵のおにぎりを食べたことのあるジュラスは、グラディウスが喜ぶことは解っているので、喜ばせようと。
「秘密?」
「ええ。とっても美味しい秘密よ」
「なんだろ」
ジュラスに手を引かれて幸せ一杯な気持ちで連れていかれた先は、子爵が使用している台所。
「あった、あった」
ジュラスは作業用テーブルの上にあった、おにぎりが乗っている皿を持ちグラディウスの前に差し出す。
「これなに?」
「おにぎりって言う食べ物。はい、どうぞグレス」
皿からおにぎりを掴んで口元へと運ぶ。
「だ、駄目だよ、ジュラス。勝手に食べちゃ」
「気にしなくても良いわよ」
「駄目だよ、ジュラス。帰ってきた時に、おにぎりなかったらおじ様悲しむよ。とっておきかもしれないよ」
「……(食べても全然気にしない人だけど)」
見たことはない形だが、美味しそうな匂い。一瞬は食べたいと思ったが、他人の部屋にあった物を許可なく食べるなど、グラディウスにはできなかった。
食べてしまったところで子爵は「もっと食べるか? 作るぞ」と、ジュラスが考えている通りの返事をするのだが、
「ジュラス、待とうよ」
「そうね。グレスの言う通りね」
無理して食べさせる必要は無いと、ジュラスはテーブルに戻す。
「なに騒いでるの?」
「あ、ヨリュハさん」