STORY/01
カルニスタミア・ザウディンダル
- 窓から見ているだけの景色に近づけるのが嬉しかった
「……痛っ!」
それは初めて感じる類の痛みだった。
”それ”はこんな痛みを感じたことはなかった。
「なんだ」
それは葦であったが”それは”は葦など知らない。湿地帯特有の足元の感触も”それ”は知らない。
「えっとここは……どこ」
目印となるものはない。
背の高い葦だけが”それ”の眼前に広がっているだけ。
”それ”は恐ろしくなった。―― えっとここは……どこ ―― その意味が解らなかったからだ。
”それ”は確かにそう言った。
だがそれの意味が解らない。
葦の中で体を抱き込む。頭上から聞こえてくる鳥たちの囀りに頭を上げる。
「飛んでる」
”それ”は飛んでいることは解っても、なにが飛んでいるのかは解らなかった。空を飛ぶものが鳥であることを、それは《知らない》
だが空は知っている。
”それ”は鳥を眺めた。
そして、それを持っているような気がしたが、辺りを捜しても見つからなかった。
捜して無かったと思うと同時に”それ”は自分が何を捜していたのかわからなかった。
どうして良いのか解らずに、だがこの場いいてもどうしようもないだろうと”それ”は歩き出した。
どこへ向かって歩いて良いのか解らない”それ”だが、どこかに向かって歩き出した。
昔々一度だけ見たことのある、美しい塔を目指して。
**********
”それ”は道を進み、村に辿り着いた。
”それ”は大勢のなにかを見て驚いた。人も”それ”を見て驚く。
”それ”は美しかったのだが”それ”は自分が美しいことは知らなかった。いままで一度も言われたことがないからだ。言われたことがないことを、それは《知らない》
「怪我をしているではないか」
”それ”は解らなかった。
怪我をしていることも、自分が話しかけられていることも。
「おい」
肩に触れた大きな手のひらになにかを思い出したが、すぐに消え去った。
「いま治療してやる」
「……」
”それ”は治療が解らなかった。
「どうしたんじゃ?」
”それ”は声をかけてきた男を知っているような気がしたが、
「わからない。なにも解らない」
やはり解らなかった。
”それ”は優しげな男の腕の中で意識を失った。
**********
目の前にいるのは黒髪が美しい、男が女か解りかねる人物じゃ。
顔の目立つところに青痣があっても、美しさを損ねん、それは美しい人物……なのじゃが、話しがどうも通じない。
本人の言動は外界と隔絶されていたか、なにも知らないのどかな村で育ったか? じゃが、どうみてもなにもない村で育った体つきではない。
肉体労働などしたことのない手のひらと、着衣の布の上質さ。
布は帝国製の絹。これほど上質な絹だけを用いた着衣など、帝国で余程の金持ちでもない限り着られんじゃろう。
帝国縁の上流階級であれば、儂は全員知っているのじゃが、目の前の人物は記憶になかった。理由があり、隔離されて育てられた存在か? そう思っていたのじゃが、相手は自分の名前すら知らんと言い切った。
「記憶喪失に近いようじゃな」
本当に記憶喪失かどうかを調べる方法はない。
儂は隣国の王子じゃからして警戒されているのかも知れん。
「記憶喪失?」
「強い衝撃による記憶の……自分のことを少しの間、忘れてしまうということじゃよ」
怪我をしているのだけは事実じゃし、この怪我は自分でつけるには不可能じゃ。誰かに追われ逃げたか。
「……」
「儂が面倒をみるから、安心しろ」
「あの……カル? ニス……」
「カルでよい。まずは当面のお前の名前が必要じゃなあ。自ら一時的な名前を付けられるか?」
「えっと……名前、付けてくれる? か」
「わかった。そうじゃな、エタナエルと呼ぼう。お前は空から舞い降りてきた永遠の少女によく似ておるからな」
任務で帝国へと向かわねばならぬのじゃが、素性も身分も怪我をした理由も不明なものを連れ回すのも危険じゃろうと……は思ったが、付いて来ると言い張ったので、目深にフードを被せて帝国まで連れてきて、陛下と会う間は街の宿に預けた。
「は?」
「わざわざ足を運んでもらったのに悪かったな」
「いいや」
陛下はすでに宮殿にいらっしゃらなかった。
なんでも、親戚のエーダリロクの逃亡に巻き込まれるようにして旅立ったとのことじゃ。
「ビーレウストも一緒だから心配はないと思っているが」
あれと一緒では余計に危険ではないじゃろうか?
「はあ。儂も任務ですので、陛下の後を追わせていただきます」
「……ああ」
目の前の男、帝国宰相デウデシオンは明かに上の空じゃった。陛下に関する話をしている最中に上の空。なにを考えておるのじゃ?
「なにか心配ごとでも、帝国宰相」
「いいや」
帝国宰相にエタナエルのことを尋ねようかとおもったが、陛下の後を追うのが先じゃろうし、
「おかえり、カル!」
「帰ったぞ、エタナエル」
心当たりがあると引き取られるのも……癪というのもおかしいが、手放すのが惜しいのは事実。抱きついてくる体を抱き締め返す。
ずっとこのままであればと思いながら、宿の窓から僅かにみえる塔を見た。
あの宿からあの塔の先端が僅かに見えたのは、このことの暗示であったのか? どうなのか。
陛下の妃となるはずの神聖を手に入れたあの日。そしてなぜ、存在が隠されていたのか?
STORY/02
シュスターク・カルニスタミア
- カルニスタミアと共に城下町の外へと出た。
初めての経験に感激しすぎて、気付くと夕刻となっていたので、また街へと戻り、ついでに宮殿にも戻った。
デウデシオンは所用があって出かけたとのこと。
良かった、良かった。午前中に「では、大魔女討伐に行ってくる!」と宣言した余が、夕食をとりに宮殿に戻ってきたとなれば、デウデシオンも脱力してしまうであろう。
他の者たちは余が大魔女討伐に出ようとしていることは知らないので(知らせると退治するまで戻ってこられなくなるので、あまりプレッシャーをかけないように)普通に出迎えてくれた。
外を歩いたせいか、いつもよりも美味く感じる夕食をとりワインに舌鼓をうち、談話室でまずもって重要な疑問を。
「カルニスタミア」
「はい、陛下。なんでございましょうか?」
「あのな。大魔女とは一体なにものなのだ?」
「陛下……ご存じないのですか」
「あ、うん。その……」
なんかこう……帝国宰相が教えてくれなかったので、聞きそびれて今の今まできてしまったのだ。ふふふ……大帝国皇帝なのになあ。
「大魔女はその昔、皇帝付きの魔道師でした」
「ほぉーそれはそれは」
「陛下もご存じの光魔法ロターヌ。その女こそが大魔女の正体です」
「なんと! ロターヌがまだ生きておったとは!」
「魔女の時の流れは我々のそれとは違いますからな……どうなさいました? 陛下」
「ん……なんというか、ロターヌって強そうな名前だなあと思って。普通はジギスムントやヒンデンブルク、またはシルヴェスターとかティガーのほうが強く感じそうなものだが、余にはロターヌとかティアランゼのほうが強そうに感じられる」
「えーまあ、その。陛下が挙げた名前はほとんど男性名ですが、ロターヌもティアランゼも女なので、ここはシルヴィアとかヒルデガルドとかでどうですか?」
その後魔女話ではなく、過去に遭遇した怖い女性について語り合ってしまった。
(ヒンデンブルクは名前というより名字では?)
「女性か……」
女性といえば、余はまだ独身。
そろそろ結婚したいのだが、相手が見つからず困っておる。
皇帝が伴侶として迎えることができるのは、空と海と大地と風が造り上げし両性具有のみ。両性具有が伴侶に与えられるので、皇帝は男女どちらでも即位できることになっておる。
「そろそろ諦めるべきであろうか」
大体余が生まれる前後に、両性具有も造られて”そっと”どこかに置かれる。だいたい人の良い夫婦に拾われ養育され、両性であることが知られて皇帝の元へとやってくるのだ。
帝国宰相も方々に手を尽くして捜してくれておるのだが……ほとんどの者たちは諦め気味だ。もう両性具有は死んでしまったのでないか? と。
不慮の事故や、なにか事件に巻き込まれて。
もちろんデウデシオンは、事故や事件で該当しそうな被害者があれば、片っ端から調べさせているが、いまのところ結果はでていない。
皇帝は両性具有以外とは結婚してはいけないわけではないが、死亡してしまっているのであれば、死亡したとはっきり解ってから別の者と結婚したいというのが余の気持ちだ。
大魔女討伐もあるが、この地上のどこかに存在しているかもしれない、まだ余の伴侶となることを知らないのかもしれない両性具有も捜したいなと。
STORY/03
デウデシオン・ザウディンダル
- 「そろそろ諦めましょう」
「そうだな」
この意見が出るまで、二十年以上かかった。
「まだ諦めるつもりはない」
「そうは言われますが、帝国宰相閣下」
「陛下ももう二十八歳。これ以上は」
まだ手を緩めてはいけない。私が喜んでいることを、望んでいることをさとられてはいけない。
「私個人としては、もうしばらく両性具有を捜したいのだが……各々、思惑もあるようだな。私は陛下に勧める娘もいない。最後まで言わなくてもわかるな?」
各自、娘や親戚の娘などを集めてくるがいい。
会議は解散となり、私は一人席に座ったまま腕を組み目を閉じる。
「……」
「諦めきれませんか? 閣下」
―― 誰?
「まあな。ここまで時間をかけて捜しておきながら、見つかりませんでしたでは陛下に会わせる顔がない」
―― デウデシオン? 俺、ザウディンダル。そうザウディンダル! よろしくな、デウデシオン
「陛下も閣下がどれほど努力なさったかは解っていらっしゃいますでしょうから」
―― どこに行くの? どこに俺を連れて行くの? デウデシオン
「努力ではない、これが任務だ。私は任務を遂行できなかった、それだけだ」
「閣下」
―― 解ったよ。待ってるからね、会いに来てね……
「だがお前が言うとおり、陛下は私を労ってくださるだろうよ」
私は自らを優秀だとは言わないが、無能だとも思っていない。
陛下の妃となる「両性具有」は、それこそ二十年以上前に見つけ出した。あれはもともと、皇帝に届くように《おかれる》存在だ。
戦場や貧民街に《おかれる》ような存在ではない。選ばれた存在に与えられる、選ばれた存在なのだ。選ばれた存在がいる場所はまた、選ばれた大地となる。
私の領地である年から異常に農作物の収穫量が上がった島があった。なにごとか? とその地区へと視察に向かった先に《ザウディンダル》はいた。
どこから来たのかは誰も解らなかった。
温暖な気候の島。周囲は海に囲まれていて、子供が泳いで別の島からやってこられるような距離ではない。
葡萄に巴旦杏、レモン。
子供が作った、木の枝とシダ類の葉を組み合わせた屋根と、誰かから貰った毛皮の寝床。
真水がわき出したというそこで、潮の満ち引きで浜に上がった魚を捕まえて、枝に刺して食べる。
「へえ。デウデシオンは俺を捜しにきたんだ」
「ああ」
私は裸で水浴びをしているザウディンダルの体を確認する。
間違いなく両性具有。
このまま宮殿に連れて行けば、両性具有を見つけたという功績で、様々な財宝をいただけるだろう。
「デウデシオンと一緒に住めるのか」
「いや……私と一緒には住まない……だろう」
連れて行けばいいのだ。連れて行けば……
私はザウディンダルを連れて、宮殿ではなく、大昔に建てられた魔法の塔へと連れてきた。
「たまに会いに来る」
島はまだ収穫量が高いままだ。
ザウディンダルがいなくなってから、上がることはなくなったが維持している。あの島はザウディンダルが存在する間、祝福され続けるのだろう。
皇帝は私を疑うことなく、
「世界が与えたたもう奇跡の妃ではないとなると、かなり面倒がおこるであろう?」
「そうなりますな」
私を信頼する。
「これからまた大変になるだろうから、休養をとれ」
「はい」
ザウディンダルがいる魔法塔へ転移魔法で足を運ぶ。誰にも見つからないように、ずっと、ずっと……。
私はずっとこのままザウディンダルをここに……
「ザウディンダル?」
いつもは訪れるとすぐにザウディンダルは姿を現すのだが、今日は静まり返ったままだ。
なぜだ? 眠っているのか?
叫び声を上げたい気持ちを抑えて、私はどこかで眠っているかもしれないザウディンダルを静かに捜した。
「ザウディンダル……どこへ……」
さほど大きくはない塔の捜索はすぐに終わり、冷や汗にも似た唾を飲み込んで、再度塔を探し回る。
「ザウディンダル! ザウディンダル! どこだ!」
今度は大声をあげて探し回った。
だが叫んだところで変わるはずもない。
「ザウディンダル!」
塔の外へと出て、周囲にいないかを捜す。
ザウディンダルが一人で塔からでるとは思えない。だが誰かが通った形跡はなく、転移魔法の痕跡もない。
「ザウディンダル!」
―― 窓から見ているだけの景色に近づけるのが嬉しかった デウデシオンの傍にいけると思うと嬉しくて、嬉しくて ――
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