グィネヴィア[47]
一人の男が戦争計画を立てた。
その最終目的は皇帝の位を獲ることではないが ――
「事と次第によっては、皇位を奪うことも辞さないそうじゃ」
”なんでも叶えてやる”と言った手前、叶えなくてはならない
「どのような条件で?」
「グレスが皇位を継ぐことになったら奪うそうじゃよ。ただし、それは不本意な簒奪となる……エヴェドリットとしてはな」
エヴェドリットにはエヴェドリットにしか分からない拘りがある。
その中の一つが簒奪に際して、皇位継承権を喪失させてから行わなくてはならないという拘りがあった。
皇位継承権の喪失は王への即位によって成立する。
ゆえに即位せず、祖先より継いだ継承権を所持したままでは「権利を履行した」にしかならず”彼らにとっては”簒奪とはならない。
戦いにしか興味のないと言われる彼ら。戦うために簒奪を仕掛ける者も多く、帝国歴史上簒奪を行った回数は最も多い。
だがエヴェドリットが認める真の簒奪を仕掛けた者は、意外と少なく、彼らは反逆王と呼ばれる。初代王アシュ=アリラシュ、これが第一の反逆王。
第二の反逆王はクレスケン=クレスカ。そして第三の反逆王ゼンガルセン=シェバイアスの三名のみ。うち成功したのは第二の反逆王クレスケン=クレスカだけである。
(第一は法律が定まっていなかった。第二の頃は慣習として皇位継承権の返上が行われていた。故に真にして唯一の反逆王ゼンガルセン=シェバイアスと言われることもある)
「エヴェドリット王位は奪わないということですな」
不本意な簒奪など認めるつもりはないが、そのように言っていることをテルロバールノルも重々理解している。
「そうじゃ。グレスの即位は例外じゃがな。やつの真の狙いは公爵位じゃ」
テルロバールノル王の言葉を聞き、ローグ公爵は「バーローズ公爵」と言いそうになったのだが、すぐにそれが愚か者の証明であると気付いた。
「シセレードですな?」
”やつ”ことクレスターク=ハイラムは次のバーローズ公爵。狙うもなにもない ―― はずなのだが、
「バーローズ公爵じゃそうだ」
狙うものは、生きてさえいれば継ぐことができる実家であった。
「王、それはどのような意味ですか?」
ローグ公爵は彼女が崇める王が聡明であることは、よく知っている。ゆえにテルロバールノル王がわざわざそのように言ったのだとしたら、深い理由があるのだろうと ―― 彼女は表情を強ばらせた。
「やつは戦争をしたいのじゃ。異星人共との戦いは、やつが思い描く戦争ではない。戦争とは同じ生物を殺すもの。殺してもっとも心躍るのは近親者。やつと戦争ができる近親者がおる」
クレスタークが戦争の名人でもある。ほとんどの者はクレスタークとまともに戦争することができない。だが幸いなことに、もっとも好戦的で、もっとも血が近く、もっとも自分の気持ちを理解してくれる存在がいる。
「トシュディアヲーシュとの戦争を望んでおるですか?」
家督争いという名の戦争を仕掛けることができるのだ。
「そうじゃ。エヴェドリットの家督争いには口は挟めぬ。挟みたいと思いもせぬがのう」
皇位や王位の簒奪であれば介入する口実を設けることもできるが、一国の貴族の跡目争いには、その国の王を通さずには介入することはできない。
そしてその国の王は、決して口を挟まない。
「そうじゃ。やつは血統からして、シセレードにも近い」
クレスタークたちの母親はシセレード公女。血筋だけで言えば、継ぐことはできる。
「……」
「やつの第一の策は”こう”じゃ。トシュディアヲーシュにバーローズ公爵家を継がせ、自身はシセレード公爵家を奪い継ぐ。そして実弟と戦争を開始する。第二の策は逆じゃよ。自身がバーローズ公爵家を継ぎ、トシュディアヲーシュにシセレード公爵家を継がせ正面衝突を目論でおる」
クレスタークはシセレード公爵家の面々を殺害しようとしている。だが、これも通常のことなので、殺される側 ―― 黙って殺されるつもりはないが ―― も、気にはしない。帝国建国以前より不仲な公爵同士。
言葉を失っているローグ公爵に、テルロバールノル王は話かけ続ける。
「二人の父バーローズは野心のある男で、軍備を増強しておる。やつはシセレードの戦力を着実に上げておる。戦争をする為だけに。そして、やつの真の希望は第一の策じゃ。どうしてか分かるか? ローグよ」
「儂には分かりませぬ」
「じゃろうな。この第一の策じゃが、この場合、兄弟二人とも簒奪後、戦争をするのじゃよ。やつにとって正当な簒奪となるのじゃ。第二の策はやつが順当に公爵家を継ぐことになる故に、やつの好みではないそうじゃ。やつは本気じゃ。なにせやつは第一の策のために母親殺害に協力したのじゃからな」
順当に爵位を継いで、戦争するつもりはない。クレスタークはあくまでも簒奪に簒奪を重ねたいのだ。
「母親がシセレード公爵となってしまえば、トシュディアヲーシュが正当な跡取りとなってしまうゆえに殺害とは……」
「怖ろしい男とでも言ってやればいいのじゃろうが、残念ながら儂は怖くはない。厄介とも思わぬのじゃが、理解ができぬ」
通常であれば怖ろしい男と恐怖するところだが、テルロバールノル王には恐怖心はなかった。侮っているわけでなければ、無理をしているわけでもない。帝国の礎たる王は、この程度のことで揺らいでいていては務まらず、彼女を揺らがせることは何者にも出来ない。
「儂も理解できませぬ」
「分からなくてよいぞ、ローグ。このような思考回路、分かったところで狂うだけじゃ。……安心せい、ローグ。儂は狂わぬ。儂もこの考えは他人から聞いたものじゃ」
「誰からで御座いますか?」
「やつの戦争相手に選ばれたトシュディアヲーシュ本人じゃ。先達て帰還し、すぐに儂の所へとやってきて説明をしおった……己が負けて殺されるところまでな」
侯爵が淡々と語る姿をテルロバールノル王は思い出す。諦観とは違うが、侯爵は過程も結末も読み切っていた。
「負けると?」
「確実に負けるそうじゃ。だが戦争を受けて立たぬという選択肢はないそうじゃ」
だが読めても負ける ―― それがクレスタークという男。
「戦争好きじゃから……ですかえ?」
「それもあるが、受けて立たねば儂等にも火の粉が降りかかるそうじゃ」
「儂等にですかえ?」
「そうじゃ。やつが第一の策を実行し、シセレードになったとしよう。そうしたら、やつはなにをする? 主があの狂人の考えなど分からぬことは分かっておる。……やはり分からぬか、当然じゃな。やつが取る行動は一つじゃそうだ。トシュディアヲーシュがバーローズ公爵を継ぐのを待つ。やつは父バーローズが生きている間に行動に移すつもりじゃ。死んだ父の跡を継ぐのは、反逆の簒奪ではない……美学に反するとでもいうのじゃろうかのう。弟と父が争っている間、やつは何をするか? 戦争をして時間を潰すのじゃそうだ」
この世界に存在する全てを、自分の戦争のために使う。
「戦争に戦争を重ねて、また戦争とは……儂には到底理解できませぬ」
権力を欲する、戦争をするために。金を欲する、戦争をするために。彼の全ては戦争をするためにあり、そして勝利するためにある。
「そうじゃな。してここで、ヴィスデシュラフスが引き金となる。やつは暇潰しにローグに戦争を仕掛けるそうじゃ。ヴィスデシュラフスの殺害を持って」
公爵家の権力を握ったクレスタークがどれ程危険か?
誰もそれを体験したことがないのに、誰もが”想像を絶する”ことを知っている。
だがクレスタークは、それらの想像を超えてゆく。それを分かるのは、極僅か。
「ヴィスデシュラフスが殺害されただけでは、儂はやつと事を構えませぬ。むろん、今すぐヴィスデシュラフスは殺害いたしますが」
「分かっておる。じゃがな、ヴィスデシュラフスを殺すのがハンサンヴェルヴィオであったらどうする?」
「…………それは……」
戦争狂人が脅威の武力を持って戦争を”ふっかける”ために可愛い息子を殺すのと、不仲な息子が可愛い息子を殺すのでは訳が違う。
「やつはハンサンヴェルヴィオの耳元へ、囁くだけで良いそうじゃ。”お前がローグを継がなかったら、俺が滅ぼす”とな。実際シセレードの武力を握ったやつと、ローグを継いだヴィスデシュラフスでは勝負になるまい。やつが継いでいなくとも、勝負にはならんじゃろうよ」
「なりませぬな」
「儂はローグを継いだヴィスデシュラフス見捨てるわけには行かぬ……狙いは儂じゃそうだ。あの狂人、この王である儂と戦って、暇を潰すそうじゃ。言ってくれるよのう……じゃが、儂がハンサンヴェルヴィオを参謀に添えても、やつには勝てまい」
「儂はヒュリアネデキュアとは不仲でありますが、才能は正当に評価できているつもりです。じゃから、あれがロフイライシに勝てぬことも分かります」
「そうじゃな。だからハンサンヴェルヴィオはヴィスデシュラフスを殺さねばならぬのだ。主に疎まれることを知っておってもな。儂は主ら親子をこれ以上不仲にはしとうないのじゃ。それは優しさではない。主らの親子関係が、やつにつけいる隙を与えた。やつの本当の狙いは儂じゃが、喜ぶべきことではなく、当然のことじゃが、トシュディアヲーシュが言うには、儂はやつでもつけいる隙がないそうじゃ」
クレスタークはテルロバールノル王の軍事的才能も高く評価している。
かつて彼女が軍を率いオルドファダン大会戦にて、異星人を退かせた、素晴らしく、そして激しい戦いぶりを間近でみて以来、戦ってみたい相手の一人になっているのだが、彼女だけはつけいる隙がなかった。
「トシュディアヲーシュから話を聞き、儂はしばし考えて”ヴィスデシュラフスを処刑したら、テルロバールノルは戦争狂人と戦わずに済むか?”聞いた。トシュディアヲーシュは即座に答えおった”やつにも、それ以外の策はない。あなたは完璧だ”とな……テルロバールノルはやつに隙は与えぬ。ゆえにヴィスデシュラフスを殺せ、エイジェンセン」
「喜んで」
「エイジェンセン」
「はい」
「これを儂に伝えたトシュディアヲーシュは死ぬ」
「はい」
「トシュディアヲーシュは賢いゆえに死ぬのじゃが、愚かであっても死から逃れられなかったであろう」
「ですな」
「じゃがな、儂はトシュディアヲーシュを生かしたい。やつに目の者見せてくれる……というわけではない」
「王がそのようなお考えをすることはないこと、ローグは知っております」
「話がしやすくて良いのう。理由はグレスは王とはならぬからじゃ。グレスは皇帝となる」
「帝国宰相の謀略で?」
「確かにゼルケネスはそのような策を講じておる。平民どもの不満を募らせるように、上手く動かしておる。あの男の掌で踊らされる度し難き愚民共、その数一億七千万人……反乱を起こす愚民共は、幸せじゃな。帝国宰相が描いたシナリオの端役であることを知らずに死ぬのじゃから」
下らないが彼らにとっては切実な不満を抱かせ、叩き潰しやすいポイントで反乱を起こさせる。反乱を起こした者たちに皇帝の首を求めさせるように仕向ける。彼らが出来るのはここまで。
なぜか呼応した者たちが大宮殿におり、皇帝は襲われるが、間一髪で助かる。だが運悪く皇太子は死ぬ、皇太子妃も共に。
「反乱は最早おこさねば収まらぬ状態じゃが……ともかく、グレスは皇帝じゃ。そうなったら、ケシュマリスタの軍はトシュディアヲーシュに任せておかねばならぬ。エレーフはグレスはケシュマリスタ王になり、侯ヴィオーヴが軍事を預かるから、そうなったらトシュディアヲーシュを殺していいよと……残念だがエレーフの思うようにはならぬ。じゃがグレスが皇帝になるからと言って、ゼルケネスが描いたシナリオ通りに進むわけでもない。グレスにはグレスの考えがあり、それを実行する力を得るために、儂は少しだけ協力してやった。あとはグレスが自ら考えて皇帝となるであろう」
一人の男が戦争計画を立てた。
その最終目的は皇帝の位を獲ることではないが ――
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