グィネヴィア[45]
 侯爵は挨拶に片手を挙げただけで、とくに言葉をかけることもなかったが、その泰然と片手を挙げる仕草はまさに貴族然としており、出迎えた者たちに不満をいだかせることなく、ウエルダにも”大貴族様らしい”と感心させるに充分だった。
 正面玄関の扉を開けて入ると、そこには出迎えにしてウエルダへの面会許可が降りた者たちが勢揃いしていた。

「帰りました、父上」
 正面玄関から入った先の「正面」にいたのは、ウエルダも知っている侯爵の父にしてエヴェドリットの大貴族バーローズ公爵。
「そうか。そちらがウエルダ・マローネクス中尉か」
「そうですよ、父上」
 まさに”ずらり”と並んだ彼ら。色彩は違えど、目は鋭く、口元はもっと鋭く。人殺しの王家に連なる者を意味する赤いマントと、軍人を表す黒い手袋を嵌めた手のひら、そして普通より長い腕。
 張り詰め、隙あらば噛みつこうとしているような、緊張感溢れる空気に満たされたホール。
「緊張するななどという、馬鹿なことは言わん」
 息子である侯爵と同程度の身長があり、息子よりも首が太く丈夫さを感じさせるバーローズ公爵は、笑いには見えない笑いを顔に浮かべつつそのように話しかけた。
「あ、はい」
「今日は殺さん。安心しろ」
 限定にも程があるほどの限定。そして、これほど信用のない口約束もない。
「怖がらせないで欲しいものですが、あなたが何を言っても中尉は怖がるでしょうから……仕方ありあませんね」
―― 侯爵閣下が丁寧に……貴族の親子はこれが普通なのかもしれないけど……なんか、仲悪く聞こえる。いや! 両家のご子息と当主はこういう喋り方なんだ! ……たぶん。
 ウエルダをもっとも怖がらせていたのは侯爵の口調。
 邸に入る前までは、普通に砕けた喋り方をしていた侯爵の口調が変わり、まるで別人のように感じられ、同時に恐怖が襲ってきた。

 侯爵とバーローズ公爵は、仲が悪いわけではない。もちろん良好でもないが。ウエルダの思ったとおり、普通の貴族の親子はこんなものである。

 怖い顔の公爵と侯爵と、その他無数の怖い顔の貴族たち。
 似通った容姿の多い貴族たち。むろん睫の長さが違ったり、眉の濃さが違ったりと、差違はあるのだが、それを見極めるためには顔を注意深く見つめる必要がある。
 ウエルダが貴族たちの顔を注目するというのは、自殺行為 ―― 心臓停止 ―― にも等しいこと。わざわざそんな死にいたる行為をする必要はない。

 そんな「怖い顔」が並ぶ中、一際怖い顔立ちの男と、ウエルダからすると化粧が濃いように見える、エヴェドリットでは珍しく一目で女性と分かる二人が近づいてきた。
「我はデルヴィアルス公爵。リディッシュの母親だ」
 化粧が濃い……訳ではなく、顔が派手で少しでも化粧をすると濃く見えてしまうデルヴィアルス公爵と、
「デルヴィアルス公爵の夫でリディッシュの父親、ディギストラーリ侯爵だ。よろしく、ウエルダ」
 顔が怖いことで有名なエヴェドリットにおいて一、二を争うと言われる、笑うと生理的恐怖を与える顔になってしまうディギストラーリ侯爵。
「……は、はい! 初めまして、ウエルダ・マローネクスです」
 だがウエルダは積み重ねた経験により、恐怖に打ち勝ち名乗った。
 積み重なった経験とは、翼が生えたクレスタークに、結構長いこと一緒に過ごして居る(実際はそんなことはないのだが)侯爵。そして彼らの父親 ―― バーローズ公爵家の面々の、抑えるだけ無駄としか言いようのない殺意に晒され続けたウエルダは恐怖に耐えうる男になっていた。

 ロビーでの挨拶はこの三名だけで、その他はウエルダを座らせて流れ作業のように、制限時間五分で自己紹介をさせた。
 むろん一度では覚えられないだろうと、
「作っておいたよ。履歴書みたいなリスト」
「よくやった、シア」
 顔写真つきのリストを用意させておくことも、侯爵は忘れなかった。
「褒めて! ウエルダ!」
 首を”がくがく”と大きく振り、赤地に白い大きな水玉が描かれた生地で作った大きなリボンで飾られている、ぼさぼさの頭髪を振り回しているヨルハ公爵。
「あ、ありがとうございます。ヨルハ公爵閣下」
「シアでいいの! シア。このリボン、グレスから貰ったんだよ」
「え。あ、グレスさまとは、あのケシュマリスタの王女さまですよね」
「違う!」
「え、間違えましたか?」
「グレス!」
「少し黙ってろ、シア」
「はあい、ラスカティア」

 他の者たちは挨拶後、すぐに退出させられたが、ヨルハ公爵だけはウエルダの椅子の回りにまとわりつくことを許されていた ―― 制限時間を超えたらヨルハ公爵が排除する事になっていたのだ。排除はなかったので、ウエルダは当然知らない。

 挨拶は終わったものの、緊張が続くウエルダは、そのまま食堂へと連れて行かれ、ロビーで挨拶をした三名と侯爵、そしてヨルハ公爵とイズカニディ伯爵の姉ソーホス侯爵と共にテーブルについて、昼食を取ることになった。

「あの……」
 ウエルダの前にはバーローズ公爵家の紋が刻まれた食器が並んでいたが、他の貴族たちの前にはなにもなかった。
 このときウエルダは”エヴェドリットの人たちは手づかみなんだろうな”と考えた。
 これは帝国臣民にとって珍しい思考回路ではない。むしろ妥当であり、当然の考えである。
 だが皿に乗った料理が運ばれてきたのはウエルダだけで、他の貴族たちの前には袋に入ったスナック菓子が無造作に置かれただけ。
「ウエルダ、気にせずに食え」
 侯爵にそのように勧められ ―― 大貴族に勧められたら食べなくてはならない。それが平民の平民たる所である。
 だが気にはななったので、野菜サラダを食べながら、
「はい。……おいしいですね。ところでラスカティアさん。あの、どうして皆さんは袋で?」
 この状況について尋ねた。
 清潔なテーブルクロスで覆われ、花と燭台で飾られたテーブルを前にして、袋入りスナックを貪る侯爵たち。
「ああ、これな。うちの親父とリディッシュの親父は、食事を食ってる姿、平民に見せられないんだ。エグいわ、グロいは、酷ぇんだよ」
「あー」
 侯爵の説明は大声で、席についているもの全てに聞こえた。
 バーローズ公爵は動きはしなかったが、ディギストラーリ侯爵は今にも虐殺を始めるかのような怖ろしい顔で(当人は微笑んでいるつもり)ウエルダに手を振ってくる。
 気さくな態度なのだが、顔が怖い上に、動きも怖い。
 だが手を振られた以上、振り返すべきではないかと、ウエルダはフォークを置いて必死に手を振る。ディギストラーリ侯爵は平民に手を振ってもらえたことが嬉しく ―― 十割硬直される ―― 今度は両手で手を振り、隣に座っている妻にしてデルヴィアルス公爵の当主に額を殴られ、椅子ごとひっくり返り……ディギストラーリ侯爵は何ごともなかったかのように立ち上がり、召使いたちが新しい椅子を静かに、だが速やかに運び、壊れた椅子を運び出した。
 誰も何も言わず、誰も何も触れないので、ウエルダはナイフを手に取り、食事を再開するしかなかった。

 こうして平民はフルコース、邸の主や貴族はスナック菓子という、非常に奇妙な食事は続けられた。
 それ以外については和やか……席に着いている六名の貴族の経歴を考えると、和やかという言葉ほど滑稽なものはないが、彼らとしては和やかに時を過ごしたつもりであった。

「オランベルセのヤツは、思いっきり使ってやってくれ。”ちょっと多いかな”と思うくらい仕事を預けても、あれは簡単にこなすからな」
「はい。ソーホス侯爵閣下」
 イズカニディ伯爵の姉、ソーホス侯爵。容姿はイズカニディ伯爵と似ている。違うのはなにか直視し難い華やかさが溢れ出している ―― ウエルダはそう感じられた。
 ウエルダが感じ取ったそれは、人殺しへの飽くなき好奇心。イズカニディ伯爵も前向きに人殺しを楽しむ性質であれば、ソーホス侯爵に負けないくらい派手になるのだが……そんなことは決してありえないだろう。
(兄ユシュリアは父親似なので、怖くなるだけ)

 わざわざ食事の時間を設けてくださらなくとも ―― ウエルダにそう思わせた奇妙な食事はやっと終わり……そして更なる「平民は付いていくのが大変」な出来事に遭遇する。

「ラスカティア、充填終わったぜ」
 呼びにきたバンディエールの案内で、部屋を移動する。
「家の案内はこの後でな。いまを逃すと標的がなくなっちまうんだ」
「は、はぁ」
 なにが起こるのかさっぱり分からないウエルダは、こうして屋根のない四角い部屋へと案内された。
 床が汚れていないことと、部屋の中心にある物体から、この部屋の屋根が開閉式であることはウエルダにも分かった。
「撃ってるところ、見た事ないだろ」
 侯爵の爽やかな今にも人を殺しそうな笑顔とオルダンファルディーナ。
 帝国歴史上、生身の人造人間が撃てる最強の銃はキーサミーナ、通称ザロナティオンの腕と呼ばれるもので、これを越える貫通銃は作ることは不可能だと ―― 未だ帝国において、越える者はいないと讃えられる大天才、セゼナード公爵というロヴィニアの王子が断言している。
 そしてザロナティオンの腕の次に威力がある銃がオルダンファルディーナ。
 劣るとはいっても、
―― 帝星持ち込み禁止だったような……帝星は鉱石熱分裂変換エネルギー系は全部禁止だよな
 その威力は絶大で帝星どころか人間が住んでいる惑星での使用、また部品を持ち込むことすら法律で禁止されている。
―― 違法だけど、ここはエヴェドリットの人たちが住んでいる区画だから治外法権? いや、帝星には治外法権はないよな。皇帝陛下の惑星だから……特別に許されてるんだろうな。そうだ! トシュディアヲーシュ侯爵は銃なら何でも撃つことが許されているから。きっと!

 ウエルダはそのように解釈したが、実際は完全な違反である。だがその存在自体が無法地帯とも言えるエヴェドリット貴族。知ってはいても守りはしない。守る気などさらさらない。帝国も守らせる気はほとんどない。守らせる位ならば、殺したほうが早い。

「新しいハルバンディウ鉱石、入れただろうな? バンディエール」
「もちろん。鉱石は昨日オランベルセが用意してくれた……んだよな、シア」
「うん。オランベルセが怒って削ってた”エネルギー炉に無理矢理突っ込むな! こんな大きいものをつっこんだら、一撃で銃が壊れる! ウエルダがいないなら構わな……構うが、ウエルダがいるんだから、安全を第一に!”って、噛んで小さくしてた。ごりごりやってた。オランベルセ、口おっきい! 丈夫!」
 ハルバンディウ鉱石とは、通常の状態でもかなりの熱と、人間には有害な成分を放出している鉱石。硬度はさほどではないが ―― ウエルダが噛んでも小さくはならない
「オランベルセがハルバンディウ鉱石に噛みつく姿か。見てみたかったな、デルヴィアルス」
「そうだな、ディギストラーリ。あれは幼いころから、食べ物以外には噛みつかない、変わった息子だったからな」
 両親の回顧。イズカニディ伯爵は、幼いころから本当に大人しく扱いやすく、そしてエヴェドリットらしからぬ子供であった。
「あんなに顎とか歯とか胃袋とか強いのに、噛みつかなかったの! もったいない」
 ヨルハ公爵は心底驚いたと、その肉が削げた血色の悪い顔に恐怖を添える、落ち窪んだ目を見開く。
「これがまた、本当なんだよシア。我が弟ながら……笑い話にはなるから、それはそれで良いのだが」
 姉のソーホス侯爵の言葉に、笑いが起こり、
「ソイツはおもしれえ」
―― どこが面白いのか俺には分からないけど、多分ここ、エヴェドリットの皆さんは笑うところなんだな……無理だ。顔が引きつる
 ウエルダは必死に笑い顔を作った。
 ちなみに当初用意されていたサイズの鉱石をエネルギー炉に入れると、撃ったあと確実に炉が耐えられなくなりそのまま爆発し、周囲に多大な影響が及ぶ。
 バーローズ公爵邸はもちろん、向かい側にあるシセレード公爵邸も、両公爵邸の隣にあるリスカートーフォン公爵邸も……吹っ飛んだところで、どの家も気にはしないが。

「どこを狙うのだ? トシュディアヲーシュ侯爵」
 デルヴィアルス公爵は画面に映る標的とされた惑星六つを指さす。
 このオルダンファルディーナは射程距離が長く、狙って撃つ標的は帝星外でなくてはならない。
「んー。ウエルダ、どこか撃って欲しいところあるか?」
 侯爵が邸の案内よりも先に銃を撃ってみせようとしたのは、銃を設置する公爵邸の位置から、標的となる有人惑星を狙うとなると、この時間しかなかったためである。
 この時間以外は行路上で、民間船が行き来していたりするので ―― 侯爵はウエルダのために細心の注意を払っていた。いつもの彼なら、巻き添えも辞さないというか、巻き添えについて考えることすらしない。
「えっと……」
―― 画面の下に書かれている数字って、人口だよな! 人口……一番人口が少ない場所を選ぶべきか……でも人口が一番少ないところは、若い人の比率が多い。えーっと……違うところはナシなんだろうな。そうだよな、距離がある程度ないと。撃ってるところ見てみたいのですが、標的は人が住んでいないところで。前線から異星人相手……駄目か。それだと、映像が記録されないから、うーん

 ただ標的に関しては、ウエルダに見せてやる! と浮かれてすっかり忘れていた。

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