グィネヴィア[44]
薔薇の花を観賞していると、いままで姿が見えなかったバンディエールが、自宅前に止まった車から降りてきた。
「おーい! ラスカティア」
その手に純白の箱。
「来たか」
「おう。ほらよ、プレゼントするんだろ」
その箱をラスカティアに手渡しながら、苦労をユシュリアに語る。
「大変だっただろう、バンディエール」
「おう。聞けよ、ユシュリア。手続きが面倒でよ。一日二日じゃ、認可は下りないとか言うから、お前の残りの寿命は一日もないとか言ったら、やっと重い腰をあげやがった」
平民たちが聞く分には脅しだが、ユシュリアもバンディエールもおかしい事とは思っていない。もちろん受け取った侯爵当人も。
「ウエルダ」
「はい、ラスカティアさん」
「ほらよ」
手渡された純白の箱……の中身が生き物なのは、受け取ったウエルダにもすぐにわかった。小さななにかが”ごそごそ”している。
「えっと、これは」
「生き物だから開け見ろよ」
平民などは生き物を贈る習慣はないのだが、貴族となると稀少な生き物を相手の承諾なしに贈ることも珍しくはない……どころか、生き物を贈るのはごくごく有り触れたこと。
動物から奴隷、平民でも贈る。
「そ、そうですか。では失礼して」
ウエルダはテーブルに箱を置いて、開けそうな場所を見つけるために指でなぞり、違和感を捜す。
少しばかり指を動かすと、段差が見つかったので爪をかけ、長方形の箱の天井を開けるような形でその箱を開けた。
「みーみー」
中にいたのは猫。
それも、純白で左右の目の色が青と緑。エイディクレアス公爵が見せてくれたあの猫である。
「えっと……この猫さまは」
思わず”さま”付けしながら、ウエルダが聞き返すと、
「新しい猫だ。飼うといい」
侯爵は箱にあの長い腕を突っ込み小さな猫をつまみ出す。
「えっと」
「以前飼っていた猫、死んだんだろう? だから新しいのを用意した」
マローネクス家の人たちも猫は好きだが、大貴族から贈られる皇帝を表す色合いの猫を飼うような勇気はない。
「いや、あの、その。この猫さまは、あれですよね。皇位継承権持ちの人しか飼うことを許されていないという」
姉や妹から「お断りするのよ! ウエルダ」との視線を確かに感じ取り、ウエルダは必死に丁重にご辞退を申し上げる。
「気にするな。書類上は皇位継承権所持者が飼っているが、どの猫も世話係は別だ。世話係をしながら楽しんでくれりゃあいい……煩い猫だな」
侯爵の手のひらに乗せられた白い猫は、侯爵の体の中心を目指して進もうとする。
「世話……うちの家族は粗雑ですから、皇位継承権所持者専用猫を飼育するような……」
「気にするな。これ、見た目は小さくて弱そうだが、結構丈夫だ。お前も優しい人間のほうがいいだろう? 猫」
侯爵は黒い手袋をはめた指で、白い猫の小さな額をぐりぐりと撫でる。そして猫はと言えば、遊んでもらった! とばかりに、その指に噛みつき、全身でじゃれつく ―― もちろん侯爵が痛みを感じることはない。
「ご安心ください。費用はトシュディアヲーシュ侯爵持ちですので」
マシュティは必要書類が挟まれた革張りバインダーを開き、カードを取り出して見せる。
「好きに使っていいぞ。猫の餌を飼いに行く為の交通費はもちろん、途中で休憩した際のお茶代とか好きに使っていいぞ」
「ええ!」
それは魅惑的な申し出 ―― などと思う平民はいない。
侯爵の言葉に裏があるとは思わないが、
―― 裏がない分、怖い……
善意でそんなことを言われても困るのが平民というものである。
「結構入金されてるよな」
バンディエールはウエルダの「ええ!」が金額が分からないので不安なのだろうと受け取り、バインダーに挟まれている書類を捲り、入金額表を捜す。
ウエルダを含むマローネクス家の面々は紙の書類に驚き、そして提示された金額にも驚いた。
「ラスカティアさん。この額は」
普通にマローネクス一家の年収を軽く超している ―― 月収の段階で。
「基本的な額だ」
侯爵の指にじゃれつき続ける猫。
「基本的って」
猫はなにかおもいついたようで、突然遊ぶのを止め侯爵の顔を見つめ、そしておもむろに腕を昇り始めた。
「この猫を飼う際に支給される金」
だが途中で肉球を滑らせて落下。ウエルダを見たまま話をしている侯爵が、空気の流れを読んで掴み、テーブルに置く。
「えっと……皇位継承権所持者しか飼うことが出来ない猫だから、猫にも領地があるので税収があるってことですか」
だが猫は諦めずに、再度侯爵を攻略しようと登り ―― そして滑る肉球。滑落する白い毛玉。
「そうだ……お前、さっきからなにしてるんだ」
ずり落ちる猫を持ち上げて自分の目線まで持って来て話しかける。
「みぃーみぃー」
猫は手足をばたつかせて、必死になにかを訴えるが、だれも猫の言葉を理解できるものはいない。
「侯爵閣下の服には爪引っかからないんですね」
猫が必死に服にしがみつこうとするのだが、爪がかからずに落下している……ことに気付いた兄コーデント。
猫を掴んでいた侯爵は、
「俺が着てるのは、丈夫な繊維を寄りあわせて作られたもんだ。船外活動用服と同じ素材だぜ」
船外活動の場所はもちろん宇宙空間。
人間が活動するためには必要な防護服だが、彼らには基本必要ない。稀に防護服を必要とするような弱い個体が生まれることもあるが、侯爵は全く必要ないタイプである。
「防弾服とかにも使われるやつですね……侯爵閣下とか、必要ではないような」
「防護服としては使ってねえよ。俺は軍人だから自分で服着るんだが、普通の布で作られた服はちょっと力を入れるとすぐに裂けちまうから面倒なんだ。それに普通の素材の服は動きについてこれなくて、すぐに裂ける」
侯爵が防護服を着ているのは、外敵から身を守るためではなく、単純に布が動きに付いて来ることができず、すぐに濡れたオブラートよりも脆いものであるかのように裂けてしまうためである。
脇で話を聞いているバンディエールにユシュリア、そしてレティンニアヌ王女も同じなので、合成の強化繊維を用いた服を着用していた。
「あ、そっか。ラスカティアさんならそうなりますね
「まあ……気をつければ普通の服でもいけるんだが、わざわざ服にそこまで気使いたくないからよ。貴族王様あたりに言わせると、品のない作業服だそうだが」
「貴族王……じゃなくて、ヒュリアネデキュア公爵閣下は普通素材で?」
「あたりまえだ、ウエルダ。あの御方は最高級のシルクやら、熟練の職人たちが五十人がかりで三年かけて織り上げた布とか、そんなんばっかりだ」
猫は侯爵の手の中で身もだえし ―― 王女が猫を受け取り、マローネクス家の面々に見せて回る。
「へえー」
「そんな高価で手間暇かかった布で仕立てられた服は、もれなくクレスタークが”びりびりびり!”として遊ぶ」
バンディエールが笑い、
「貴族王は一度袖を通した服は二度と着ないが、布そのものを捨てるわけじゃなくて、解いて別の物を仕立てさせるから、怒る怒る……っても、年がら年中怒っているので、怒ったところでなあ」
ユシュリアが首をすくめて、やはり笑う。
「貴族王様の怒りの理由の六割はクレスタークだからな」
そして侯爵は本日も機嫌が良かった。白目はもちろん漆黒で――
「・・・・・」
「かまわねえぞ」
侯爵の後ろに回った王女は”許可”が出たので笑顔で侯爵の頭に猫を乗せた。
「えっ……」
凶悪面の男の頭に小さい猫。その光景はとても……ヘンであった。どれほど言葉を飾ろうとも”ヘン”以外に言い様がない。
王女に侯爵の頭上に乗せてもらった猫は”侯爵を踏破した!”とばかりにやや自慢気な鳴き声をあげ猫らしく丸くなった。
「俺の頭がベッド代わりか。変わった猫だな」
「・・・・・・・」
「ねえよ。ウエルダ、レティンニアヌが”にゃんにゃんの名前”と言っているから、付けてやってくれないか」
「・・・・・・・・・・」
「にゃんにゃんは猫って直して言ってよ! とは言われてもなあ。いいじゃねえか」
―― 直して言っていただけたほうが、俺としても嬉しいような……
そんなことを考えていたウエルダだが、いまの彼はそんなことをぼーっと考えている場合ではない。
「な、名前ですか! あの……猫ですけど、そんな白くて皇帝眼の猫はちょっと……その、緊張するって言いますか。偶に見せてもらえると嬉しいんですが、家族もその……」
この高貴な猫を飼うわけにはいかないので、気分を害さずに引き取ってもらうべく、必死に言葉を重ねる。
「…………そうか。そんなに気になるか」
侯爵は頭の上で満足そうにしている猫を触り、
「レティンニアヌ。お前が飼え。そしてたまにマローネクス家に見せて遊ばせろ」
王女に仕事を振ってやった。
「・・・・・・・!」
「我、頑張る! だそうだ」
「・・・・・・・・・」
「でも名前はウエルダ中尉にお願いするのー……というわけで、考えてやってくれ」
「あ、はい」
こうしてマローネクス家は、帝星において平民が住むことを許されている区画の五分の一を買い占められるような資産をもった猫を飼わずに済んだ。
だが猫そのものは可愛いので、偶に遊びに連れてきてくれるのならば嬉しいと。
「お待ちしております」
「猫もですが、王女殿下も」
「・・・・・・」
「絶対に来ます! いいか、レティンニアヌ。世の中には社交辞令ってもんがあってな。……マローネクス家はそうでもないようだな」
喜ぶ王女と頭に白い丸い物を乗せた侯爵と共に、
「じゃあ、俺いってくるから」
ウエルダはバーローズ公爵邸へと、家族に見送られながら出発した。
善良なる市民ならば死を覚悟するその場所……の前に、
「ここ、俺の実家」
ユシュリアの実家デルヴィアルス公爵邸に立ち寄った。
「は……広いですね」
「今日我はバーローズ公爵邸には行けないから、ここでお別れだ。暇があったらまた来てくれ」
「それじゃあな、ユシュリア。次に会う時は公爵様かな」
「そのつもりだ」
ここで一行はユシュリアと別れ、車を再び走らせてバーローズ公爵邸を目指す。
「ユシュリアさん、公爵を継がれるんですか?」
「継ぐというよりは、戦いで勝ち取る。ルギアングロディド公爵を継ぐはずだ」
侯爵からざっくりとした説明をしてもらう前に、車はバーローズ公爵邸へと辿り着いた。
帝星は土地が少ないので、門から邸までの距離があるような家を建てることは「大金持ちの平民」には不可能。だがバーローズ公爵邸は塀で囲まれ門があり、門扉が開いてからも距離があるため車などの交通手段で玄関まで移動しなくてはならない。
ウエルダはそれだけで度肝を抜かれ、
「公子。お帰りなさいませ!」
車から降り、軍隊式の出迎えに……無意識のうちに歯を食いしばった。
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