グィネヴィア[33]
 国王が退位し王位を譲る。
 その相手が実子、または実孫であれば問題はないが、弟妹あるいは伯父叔母、伯父叔母などが継いだ場合は、王位を退いた後、王国を出て二度とその王国へは足を踏み入れることができない。
(行路の関係上、どうしてもそこを通らなければならない場合は特別に許可される)
 国を出た元国王は、国外の身分が高い親族の元へと引き取られ、そこに身を寄せて余生を送る。国王と血の繋がりがあり、身分が高い者 ―― 皇帝。

 だが皇帝が上記国王と同じように、自らの直系に跡を継がせず退位するに至った場合は、どうなるのか?
 国から出る必要はない ―― 全宇宙は皇帝のもの故に、そこを去る事は不可能。むろん外宇宙という支配されていない領域はあるが、出て行くものはいない。

 皇帝は決して帝国を捨てることはできない。

「どうなさいました、兄上」
 視力を失い皇位を弟に譲ったナイトヒュスカ。
 先天的に言語が不自由で本来ならば王位継承権など所持していないはずのレティンニアヌ王女と同じように、即位していようが、後天的であろうが、補えぬ欠損が”発症”した場合、皇帝も国王も退位しなくてはならない
「エルロモーダが好きだった酒だな」
「はい。私は兄上が好きな酒も、今は亡き兄上たちが好きだった酒も、何時だって常備しておりますよ」
「そうか……ところで、デオクレア」
「はい」
「ラベンパルペスに許可を出した。帝国の実質支配者に、事後報告というのもどうかとは思ったが、面倒でな」
 ラベンパルペスはナイトヒュスカや帝国宰相にとって「甥の子」にあたる人物。
「なんの許可ですか? 兄上」
 特に帝国宰相と血が近く、ラベンパルペスの祖父は、帝国宰相の実兄バトロビニー親王大公。
「帝国最強騎士の婿候補リストに名を乗せて欲しいと」
 二十年ほど前まで、帝国宰相ゼルケネス親王大公と帝国の”帝国の実質支配権”を争い、敗北した人物の孫、それがトステオン侯爵ラベンパルペス。
「許可なされたと」
 帝国宰相に完膚無きまでに叩きのめされたバトロビニー親王大公一族だが、血は途絶えてはいない。
「ああ。名を乗せるくらいならば良かろう」
 酷く冷遇されてはいるが。
「構いはいたしませんがね」
「ラベンパルペスは、バトロビニーに似ているか?」
 三十年以上前に視力を失ったナイトヒュスカは、現在二十四歳のラベンパルペスの容姿など知らない。容姿が似通う”人造人間”なので、基礎容姿を教えてもらえればある程度は脳裏に描くことは可能だが、あくまでもある程度。
「容姿、性格ともども、若干面影があるくらいですかね」
「そうか……帝国最強騎士は、どのような男が好みなのだろうな」
「聞いてみましょうか?」
 帝国宰相は夜更けだが全く意に介さず、オーランドリス伯爵の私室へと通信を入れたのだが、『睡眠中』という無機質な文字が画面に映し出されるのみ。
「取り次ぎは……あ、そうか」
 普通であれば側近が対応するのだが、その役目をになっているジアノールは現在、グレイナドアに愉悦を与えられすぎて、そろそろ自分は死ぬのではないかと恐怖している所である。
「どうした? デオクレア」
 そんな事とは知らぬナイトヒュスカは ―― 知ったところで、助けるような男ではないが ―― 弟から現状を聞き、
「帝国最強騎士の側近は、ただいまグレイナドアと合歓を楽しんでいるところでして」
「そうか。まあ無理に起こさずともよい。最強騎士に下手なことをすると、グレスに叱られてしまうからな」
 さっくりと流した。

**********


 この宇宙で、あいつほど憎い男はいない――

「ていこく! ていこく!」
 帝国宰相に命じられたのでクレンベルセルス伯爵の自宅から去った彼らだが、そのまま各々自宅へと帰ったわけではない。そもそも、彼らの自宅は「大宮殿」
 ある意味自宅で騒いでいるだけ。
 皇王族のなかでもかなり有名で、才能溢れる前途有望な青年ジャスィドバニオンの恋路を全力で応援することに決めた彼らは、
「黙らせるにはどうしたら良いと思う? シュダンレヴィトニ」
 思い人であるノーツが保護されているケシュマリスタ王の元へと大挙し ―― 王の住居区画を取り囲み、一糸乱れぬラインダンスを披露していた。
 もちろん無音ではなく、ジャスィドバニオンがプロポーズにも使われる歌曲を歌いながら。ノーツは部屋の隅で、ジャスィドバニオンの経歴を調べ読み、震えている。
「トシュディアヲーシュ侯爵を呼び戻すしかないかと」
 ケシュマリスタ王に尋ねられたカロラティアン伯爵は”自分は無力です”と早々に宣言し、責任を放棄した。だが彼が悪いとも言えない。テンションが上がりきった皇王族を排除するには腕力しかなく、それも並の腕力と精神力では、いつのまにか飲み込まれてしまう。
 帝国上級士官学校で彼らの習性を学んだ侯爵は、見事な対処能力を持っている。

 ちなみに侯爵が通ったのは、軍事学校であり、腰布一枚に蔦冠を被っている男の操縦方法を習う場所ではない。

「ラスカティアを呼び戻すなんて、そんなこと出来ると思う?」
「出来ませんね。いいえ、出来ますがアルカルターヴァさまに叱られてしまいます」
「……だよね。ん? 声が止まった」
 美声が止まり、動く気配も止まり、そして皇王族の気配が次々と消え去る。
 なにが起こったのだろうか? とカロラティアン伯爵が辺りを見回すと、ノック一つなく扉が開かれ、
「儂等の王の家奴を預かりにきた」
 ケシュマリスタ王がもっとも嫌いな男ヒュリアネデキュア公爵が、貴族然した格好で現れた。
「ハンサンヴェルヴィオ!」
 黒髪を飾る古銅色の台に古めかしいカッティングを施され、色とりどりの宝石が埋め込まれたヘッドドレス。家臣とは思えぬほど緋色が使われた、一目で重いと分かるほど刺繍が施された服。
 極上の大理石が敷き詰められた床が、空から降り注ぐ日の光を彩色するステンドグラスの下が、数多の宝飾品が似合う、太古の昔より人々を支配していた一族の男。


 ケシュマリスタ王とテルロバールノル王が初めて出会ったあの日。
「はじめまして、くろちるれいでさま」
「確かに初めてじゃのう、タシュタキアリュス公爵オリヴィアストトル」
「くろちるれいでさま」
「なんじゃ」
「くろちるれいでさま」
「だから、なんじゃ」
「かっこいい」
「主は可愛らしいのう」
「くろちるれいでさま」
「なんじゃ?」
「うふふ。すてき」
「なにを言っているのやら」
 マントを掴み歩いていた、王弟だったころのケシュマリスタ王の前に現れた、
「ハンサンヴェルヴィオ」
 自ら声をかけずとも、テルロバールノル王が声をかけ、当然のように彼女の側に立つ少年。
「だれなんですか? くろちるれいでさま」
「ローグ公爵の息子じゃよ」
 美しさも可愛らしさも、玉のような声の響きも ―― 王子であるケシュマリスタ王のほうが勝っていたが、
「……」
 テルロバールノル王の隣に立つのは彼であり、自分ではないと思い知らされた瞬間。その見下す眼差しと、完全なる貴族の優美。
 慣習に則り、決して他国の王族に対して自ら口を開かないが、
「クロチルレイデ殿下。明日の学習予定が変更となりましたのじゃ」
「そうかえ」
 自らの国の王にだけは話しかける。
 もっとも規則や慣習に拘る王家が、その家臣だけは話しかけてくることを許す。
 話す時の少年であったヒュリアネデキュア公爵の表情。その優越感に溢れた表情に、ケシュマリスタ王は握っていた彼女のマントを、より一層強く握り絞めた。


 どれほど強く握っても、彼女は他国の王であり、彼は彼女の第一の家臣。他国の王である彼にはどうすることもできないほどに深い関係。

―― 貴様の王ではない、儂等の王じゃ。貴様はあの方を王と仰ぐことはできぬのじゃ。
 それは事実であった。真実であるがゆえに、悔しかった。

 ヒュリアネデキュア公爵は、あの日と変わらぬ態度で、
「王よりのご命令だ」
 皇王族の集団に囲まれてケシュマリスタ王が難儀しているであろう ―― 側近たちの親交を深めるための計画を立てたのがテルロバールノル王なので、ある程度の協力はせねばと、一時的にノーツを引き取り、皇王族の猛攻に耐えようではないかと。
「……持って行けよ」
 排除してしまいたいと願うも、
―― それを持ってないテルロバールノル王は滑稽だぞ
 ケシュマリスタ王の気持ちを誰よりも理解しているクレスタークが、笑いながら殺害を拒否する。
―― テルロバールノル王を表す品だろうなあ。影とかそういう可愛いもんじゃない。そこに在ることを主張することを許された存在とでも言うのかなあ。いくらお前でも勝てないだろうなあ。あいつを殺したところで、お前が寵臣になれるわけでもない

「ではな」
 ヒュリアネデキュア公爵はノーツについてくるよう命じる。
 ノーツは頭を何度も下げながら、無言のまま付き従った。

 この宇宙で、あいつほど憎い男はいない――

「ヴァレドシーア様……」
「クレスタークは言うんだよ。僕はあいつのこと、本気で殺したいと願ってはいないって! そんなはずはない! 僕は……」

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