裏切り者の帰還[27]
存在を無にされるエシケニエ・ラグーニ。
「ご名答。もう一人のテレーデアリアは未だに納得していないようだ」
別の方法で存在を消されることとなるルド公爵の一人娘テレーデアリア。
「その者自身、侯ヴィオーヴの人生を権力で取り上げたというのに。同じ目に遭うと納得できぬとはなあ」
ケシュマリスタ特有の華やかな美しさとは違うが、調和の取れた美貌を誇るゾローデの隣に立つには、あまりにも不格好な女 ―― 大公にテレーデアリアはその様に映った。
他のエシケニエやバルネトラよりはマナーなどには詳しいが、所詮”家名を持たぬ貴族”
下手に”貴族”と名乗っているので、大公は彼女に対して特に厳しい。
礼儀作法などなっていないようなティスレーネだが、動きの一つ一つに、平民やそれに類する貴族程度では持ち得ない気品があり、乱暴な動きでも大公はその品に息を飲むことすらある。
「昔から好きだったらしいよ、ゾローデ卿のこと」
伯爵もカプチーノを飲み終え、ソーサーに戻す。
「昔から?」
「そう、昔から。ゾローデ卿はテレーデアリアの親の領地ルド星に住んでいたわけだから。ルド惑星でもっとも頭脳明晰で運動神経が優れた美形となれば、興味を持っても仕方ないかもね」
彼女にしてみたら、ゾローデとの結婚は当然のこと ―― 彼女としてはゾローデがいつか自分の前に現れて傅きプロポーズをすることを夢見ていた。
そんな日は訪れることなく、ゾローデが奴隷の女性と結婚しようとしていると聞き、父であるルド公爵に懇願した。
ルド公爵は表面では難色を示したものの、領内で最も優れている男を婿に迎えられると、実際は乗り気であった。
「興味を持つのは個人の自由じゃが、その女は侯ヴィオーヴが興味を持つほどに優れたところがあったのか?」
貴族の女性らしい髪型や洋服をまとっているが、テレーデアリアに人目を惹くような箇所はなかった。
「可もなく不可もなく。ゾローデ卿は興味なかったようだが」
ゾローデは領主の娘だと紹介されたとき、なんの感慨も持たなかった。恋人と別れることを強要した相手であったのにも関わらず。むろん恋人と別れる決意を下したのはゾローデ自身。責めてもいいだろうが、ゾローデの性格では責任を押しつけはしない……だが、それらを差し引いてもなんら感情がわかなかった。
無感動や無関心ではなくゾローデは「はあ? ……?」としか思い浮かばなかった。
テレーデアリアという女性はゾローデの関心を引くものを、何も持ち合わせていなかった。彼女は自分が何も持っていないとは思ってはいない。口では彼女自身”そう”言っているが、内心では自負があった。その自負はひどい欲目であったが。
だからこそ見合いなどをした。自分に興味を持ってもらえると甘い考えで。
そんなことをせず、何も持たない、ただの貴族の一人娘として結婚式当日に式場で初めて出会ったのなら、ゾローデはもう少し興味を持ったであろう。
そんな少々貴族としての自負を持つ、肥大化しているとまではいかないが、根拠のない自信と我が儘さを持ち合わせた、昔からゾローデのことを気に入っていた貴族女性。
彼女はエシケニエとは違い、存在を抹消されはしないが、存在なき者として扱われる。話しかけても誰も答えず、身の回りの世話をする者もなく。
「そうじゃろうな。それで消されないたった一人、バルネトラという女はどうなのじゃ?」
「エシケニエと同じように金を積んだが”奴隷なのでお金は持っても無意味です。口止め料として帝国監視下で働かせてください”とのこと。ゾローデ卿に一生会うことない場所で、ひっそりと生きていくことを望んだ。帝国宰相としては許可できる回答だが、ティスレーネさまはどうかな?」
「下らない女であれば蔑みで、自分よりも以前から知り、愛していると知れば嫉妬し、相手のことを考えて綺麗に身を引くような女には敵対心……といったところじゃろうかのう?」
「だね。馬鹿な女はゾローデ卿の初めての女性でもあるし」
「女皇殿下の憤怒からは逃れられぬのう」
二人にとって女性三名の命運などどうでもよい。
ティスレーネが気分よく、だがゾローデに”引かれない”ように処理するだけのこと。また帝国宰相近辺が、結果として彼女たちを生かす方向に進めたのは、ティスレーネを皇帝にしようと目論んでいるからに他ならない。
一般階級と接しやすい女性たちを、殺さないというのは大きい。
「まあねえ。女性との初体験と言えば、イズカニディ伯爵に連絡してくれたんだって?」
伯爵はテーブルに乗っている、銀色のベルを弾き、入室してきた召使いに空になったカップを指さしてから、人差し指を立てて”お代わり”を求める。
「したわい…………」
「その沈黙に含まれているものはなに?」
召使いはすぐに空のカップを下げてカプチーノが入っているカップを置き立ち去る。再び二人きりとなってから、大公が語りたくないという気持ちを隠さず、意志の強さを物語る引き締まった唇を少し開き息を吸い込んでから喋り出す。
「画面越しじゃから自信はないが、イズカニディはトシュディアヲーシュの性癖について気付いているようじゃった。儂らが気付いたのじゃから、同族で学生時代も重なったイズカニディならば気付いていてもおかしくはないが。なんじゃ? デオシターフェィン。その表情は」
表情をほとんど崩さない大公とは違い、イズカニディ伯爵は”どうしようもない面倒ごと”に遭遇すると、表情が現れやすい。政治的であったり策略的に面倒なことと遭遇した場合はそんなことはないのだが、侯爵の性癖というイズカニディ伯爵にとってどうすることもできないし、どうもしたくないことなどを振られると知的な目元が半開きになり、柔らかながらしっかりと閉じられている口元が半開きになる。
皇太子妃はそんな表情も気に入っているようだが ――
「以前ラスカティアから学生時代の話を聞いたことがあって、その中にたしかイズカニディ伯爵を侯爵領に招いたことがあると……とっても楽しそうに言っていた記憶が甦ってきた」
伯爵が話しを聞いたのは、知り会ってすぐのころ。
まだ相手に対して手探り状態で、話を聞いて親睦を深めている段階で、性癖については知らなかったため「同族同士、仲いいのか。デルヴィアルス公爵家といえば結構な名門だが、たしかフレディル侯爵家が本筋になっていて……」と、関係図ばかりを考えていた。
「トシュディアヲーシュ自身、自分の性癖に気付いておらぬのだから、イズカニディは上手く逃げられたのであろうな」
「だろうね……」
伯爵は大公の意見に同意しながらも、何かに引っ掛かった。
その引っかかりは ―― イズカニディは上手く逃げられたのであろうな ―― もちろん伯爵はどの部分に引っ掛かったのか? 分かってはいないが。
「トシュディアヲーシュは映像を見て引かれたようじゃから、あの平民とイズカニディそれと侯ヴィオーヴ。どこか容姿に共通点のようなものはあったかのう」
名を挙げられた三人とも、性格は間違いなく善い。だが見た目はまったく違う。ゾローデの容姿は完全なる左右対照でまとまりよく、どれほど単体で代を経ても、奴隷や下級貴族の血が入ろうともケシュマリスタは美しいものだと納得させる。
イズカニディ伯爵はローグ公爵家から見たら下賤扱いだが、帝国貴族としては文句なしの名門。気性の荒いエヴェドリット貴族が多いなか、芸術を好む者が”その国の貴族としては”頻繁に出る家柄で、イズカニディ伯爵はその一人である。
男性とも女性ともつかない”中性的な容姿”
その代名詞でもある十六代皇帝オードストレヴの面差しを持つ、落ち着き過ぎではないかと感じさせるほど涼やかな目元。実際は巨大で顔が”開く”ような口だが、平素は穏やかで無害だと思わせる。
ウエルダは一目で好青年といわれる顔立ち。整っているという程ではないが、人間らしい確りとした眉と、左右で少々形の違う瞳。鼻筋が通り、鼻そのもの造りも確りとしている。口元は大きめで、笑うと白い歯が嫌味無くのぞき、好感度が増す。
輪郭は男らしく顎のあたりはゾローデよりもがっしりとしている。
「髪型が大きいかも。ウエルダ・マローネクスは短髪。ゾローデ卿は現在は……だけど、学生時代はウエルダと同じような髪型をしていた。卿はもともと”士官学校”に入学する予定だった。士官学校は上級とは違って髪型も統一されてる。それも受験の段階からね」
「イズカニディも学生時代は髪が短かったはずじゃ」
「……そう言えばそうだったね。なんで髪を短くしていたんだろう?」
「オムライス大祭の際に、食べるのに邪魔だからだと聞いた」
「あ……なるほど。彼は食べることに関して”だけ”はラスカティアよりも…………」
伯爵は額に右手を乗せて、無言のまま口を動かす。
「どうしたのじゃ? デオシターフェィン」
彼にしては稀な、あまりにも困り果てたような表情に、大公は物珍しさを覚えつつ話すように促す。
「自分の少々明晰な頭脳が恨めしくてさ」
額に手を乗せたまま、自嘲を含んだ声ながら、しっかりと返事を返してくる伯爵。
「どうしたのじゃ?」
「聞いても恨まないでね、ベルトリトメゾーレ」
「分かった。それでなんじゃ?」
「ラスカティアって抱かれる側なんだね」
”なにを下らないことを”大公は反射的にそう思ったが、その言葉の意味が脳ではなく血管から細胞に浸透してゆくにしたがい意味が薄ぼんやりとだが見え、それらの意味を含んだ血液が脳へと巡った時に鳥肌が立ち、そして理解した。
「………………ああ! そうか、自らの性癖に気づけぬのは、受け身故じゃからか!」
「うん。侯爵領に招待されたイズカニディ伯爵が逃れられた理由だろう」
抱くほうならば、二十五歳まで気付かずに過ごすこともなかったという結論に達した。
「ますます人間を逃がしてやらねばならぬな」
「そうだね。……イズカニディ伯爵は気付いているだろうね」
「じゃろうな。兄のロフイライシは儂らとは違い、気付いているじゃろうなあ」
「まあねえ。私たちはラスカティアが強いことを前提に話していたけど、クレスターク卿は立場が違うから」
二人からすると侯爵は無類に強く、誰かに組み敷かれるというイメージが沸かない。侯爵自身が気付いていない「正答」に辿り着いた二人だが、言葉だけで、その姿を想像することはない。怖ろしいなどではなく、相手がクレスターク以外には思い浮かばず。だが ―― それだけはないだろう ―― 普段の侯爵の言動からあり得ないと候補から除外してしまい、結局言葉だけで。
それはそれで良いことなのだろうが。
「それにしてもトシュディアヲーシュも、同族とまで限定はせぬが、人間以外の階級から好みの者を選べば良かろうに」
「選んでも、ことごとく振られてるけど。気付いていないから、ダメージはないけどさ」
「じゃがなあ。トシュディアヲーシュ好みの短髪で、男を抱く趣味のある……」
大公は大貴族の子息に相応しい相手を上位から考え、すぐにある一人を思い浮かべて声を失った。大公との付き合いが四年になる伯爵ですら見たことのない打ち拉がれ、絶望したかのような表情。そして自分にむける縋るような眼差しに、誰を想像したのか気付き、大公の両肩を掴み全力で否定する。
「ちょっ! ベルトリトメゾーレ。いや、確かにうちには短髪の両刀の王子はいるよ。うん、イズカニディ伯爵を巡って皇太子妃と対立しているけれども。いくらそっちの大切なお姫様の恋路に邪魔だからといって、それは酷いだろう」
「言うな、デオシターフェィン。儂とて皇太子妃のことまでは考えてはおらんかった。ただ上位から考えた結果、真先に思い浮かんでしまったのが、主の王子フィラメンティアングスじゃっただけじゃあ! 儂の矜持にかけて宣言する!」
同性愛者の王族は他にもいるが、短髪は彼のみ。
「一応信じてあげるけれど……グレイナドア殿下はちょっとなあ」
大公の両肩から手を離して座り直した伯爵が、眉間に苦しげな皺を寄せて、少し下唇を出すようにして否定する。
「主の主家の王子じゃろうが」
「ディディンフェル王子よりはマシだけど。彼の場合は髪は長いから好みから外れるけれど」
ディディンフェル王子とはテルロバールノル王の実弟の一人で同性愛者。
その性質は酷いもので「才能が一つもないという希有な存在」とまで言われる程の人物であり、
「王が存在を無視しておる者と比べるとは、フィラメンティアングスに失礼じゃろうが」
テルロバールノル王が存在を無視するよう命じ、城の一角に隔離されている状態の王子である。
「結構言うね、ベルトリトメゾーレ」
テルロバールノル貴族や皇王族は王に並々ならぬ忠誠を誓う故に、王が王族と認めぬ相手に対しては他国の貴族が驚くほどに冷酷である。
「儂らの方は良いとして、主は誰が良いと思うたのじゃ?」
王族の該当者はフィラメンティアングス公爵しかいない。他に該当者がいるのであれば ―― 大公は尋ねたことをすぐに後悔することになる。
「そうだね。王族じゃなくて皇王族から考えたら……」
尋ねられた伯爵も大公と同じく侯爵の相手を皇王族上位から考え、即座に一人の人物に思い当たった。黄金髪は短く顎のラインまでの長さで、頬にかかるようにカットされている。右の瞳は緑で、左の瞳は深い蒼。彫りが深く、黙っていれば芸術的な彫刻のような……黙っていれば。
「デオシターフェィン! 貴様というヤツは!」
大公は言葉を失った伯爵が誰を思い浮かべたのか気付き怒鳴りつける。
「御免、御免! 違うって! ちが……いや、あ、そっか! だからベルトリトメゾーレ、皇王族からは考えなかったのか!」
怒鳴られる筋合いはなのだが、こればかりは怒鳴られても仕方ないと伯爵も納得した上で謝罪した。
本当に謝罪を受けるべきは侯爵だが。
「当たり前じゃ! ……で、念の為に聞くが誰を思うかべたのじゃ?」
「パスパーダ大公ジャスィドバニオン」
「やはりその男かあ! 貴様、そこに直れ! 貴様の性根をたたき直してくれるわ!」
パスパーダ大公ジャスィドバニオンとイルトリヒーティー大公ベルトリトメゾーレは才能が拮抗し、年齢も近かったため一緒に遊ばされていた。
そこでいつもジャスィドバニオンの類稀なる性質にごちゃごちゃにされて、へろへろにされて、くたくたになるまでキラキラさせられて……。
ジャスィドバニオンは決して性格は悪くないのだが、悪くない分手の施しようがないほどに帝国軍人であり、紛れもなく燦然と煌めく誇り高きほとんど全裸に近い皇王族であり、他者の追随を許さない輝きを持つガニュメデイーロであった。
要するにイルトリヒーティー大公としては少々苦手だということだ。
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