裏切り者の帰還[28]
 侯爵が自分の性癖に気付かなかった最大の理由は、近辺に碌な男性がいなかったことがあげられる ――
「いや、でも、ウチの王子よりはよっぽどマシだよ!」
 フィラメンティアングス公爵とパスパーダ大公。後者は帝国上級士官学校を首席入学で首席卒業を果たした、帝国軍の将来を担う人物である。
 前者フィラメンティアングス公爵も帝国経済の安定には欠かすことのできない頭脳を持つ、若き帝国の頭脳。
 両者とも容姿に優れた、華やかな男性である。
「馬鹿めぇ! 貴様ジャスィドバニオンの何を知っておると!」
 才能だけ羅列すると特に問題はない。性格も遠くから見る分には”面白い”で済むが、近くにいる人はたまったものではない。
「ベルトリトメゾーレだって、ウチの王子の真髄知らないだろう! ウチの王子、イズカニディ伯爵を側近にする方法を教えたら」
「その方法となどのようなものじゃ?」
「ケシュマリスタ女性を自分の側近に迎える」
「確かに……まあ……それで?」
「ウチの王子、ミーリミディアとルキレンティアアトを自分の側近にしたら、イズカニディ伯爵が心配して側近になってくれると考えて、実行しちゃったんだからな!」
 伯爵がフィラメンティアングス公爵に教えた張本人である。
 彼としては精々一人くらいで止めると思ったのだが、数が多ければもっと心配してもらえると ―― イズカニディ伯爵に心配される前に、実兄のギディスタイルプフ公爵に頭を抱えさせることに成功するという快挙を成し遂げていた。
「馬鹿も突き抜けると恐怖しか沸いてこないわい! なぜ止めなかったのじゃあ! 教えた主の責任じゃろうが!」
 ジベルボート伯爵とは仲良く、彼女の我が儘気まま、残酷さは許容範囲内の大公だが、ミーリミディアとルキレンティアアトに関しては、恐怖のあまりに怒りが沸いてくる。
「そこまですると思わなかったんだよ。マニーシュラカあたりだろうと」
「マニーシュラカ……イズカニディの元婚約者であったエダの姫か!」
「イズカニディ伯爵は彼女の怖ろしさを知っているから良いかな? と。ウチの実家、エダ公爵家とそれなりに交流あるから、彼女となら上手くやっていけるかなと」
 伯爵の実家、メーバリベユ侯爵家が歴史の表舞台に躍り出たのは、三十七代皇帝の正妃候補に選ばれたことが始まり。諸事情があり正妃とはならなかったが、他の国が選出した貴族女性と皇后の座を競った。そのライバルこそがエダ公爵。
 伯爵の祖先は皇帝の従兄であり大天才として今尚称されるセゼナード公爵と結婚し、エダ公爵はケシュマリスタ王妃を殺害し後釜に収まった。
 立場も考え方も違い、決して仲がよかったわけではないが、交流を持ち現在に至る。
 王妃を殺害して王妃の座に収まった彼女 ―― 名をバーハリウリリステンという ―― の子孫は、彼女に似て苛烈である。
「恐ろし過ぎて近づけまい! じゃが、マニーシュラカのほうがその二人よりもマシじゃああ。なんてコトしたのじゃあ!」
 サゼィラ侯爵姫ルキレンティアアトとウリピネノルフォルダル公爵ミーリミディア。前者は通常の名門ケシュマリスタ貴族だが、後者は皇后をも出したことがあるほどの家柄で、気位が高いというよりは性格が……語るも怖ろしい存在である。
「否定はできない。だから、ジャスィドバニオンのほうが」
 この三人を並べると伯爵などは「女という性別の他に、ケシュマリスタ女という性別を作るべきである」と思うほど。そのように思っている女性を側近にしたらどうでしょう? と提案する伯爵も伯爵だが。
「ジャスィドバニオンは一つ一つの馬鹿エピソードでは、確かに主の王子に劣る」
「一ついい? ベルトリトメゾーレ」
「なんじゃ?」
「主の王子って止めてくれないかな。まるで私がグレイナドア殿下に仕えているかのようじゃないか」
「王家に仕える存在じゃろう」
「王家には仕えているけれども、グレイナドア殿下はちょっと……私の主はギディスタイルプフ公爵殿下だしさ」
 イズカニディ伯爵を側近にするために、二人のケシュマリスタ女性を側近に迎えたことからも分かるように、フィラメンティアングス公爵には側近がいなかった。理由は簡単で、彼は馬鹿だがすこぶる頭脳明晰で、恋愛が絡むと奇行激しいが普段は明察で合理的な行動を取ることができるため、側近が必要なかったためである。
 彼に側近がいたならばイズカニディ伯爵を捕らえる罠として、つっかえ棒をしていない直径十三pのザルを地べたに置くようなことはしなかったであろう。
 もっとも側近がいたとして、彼を止められたか? それは不明。
 伯爵はフィラメンティアングス公爵とは違い、奇行に走ることもなく、奇怪な行動を取ることもない、紛れもない賢い男ゆえに、ギディスタイルプフ公爵に「弟の面倒を見る気はないか?」打診されたことがある。とうぜん伯爵は丁寧に、そして慎重に辞退した。
 ギディスタイルプフ公爵もそう言われることは分かっていたので「無茶を言って悪かったな」とすぐに引き下がった。
「まあ良かろう。話を戻すがジャスィドバニオンはさすが上級を首席で卒業しただけのことはあるが……皇王族成分が強すぎて、王国貴族には無理じゃ。ジャスィドバニオンは裏表なく優しい男で……万が一恋人同士などになったら……トシュディアヲーシュを掌中の玉のようにあつか……う……」
 ゾローデにも優しかったことから分かるように、ジャスィドバニオンは非常に優しい。同性愛者なので下心があったのでは? その様に邪推されそうだが、彼には一切の下心などない。誠心誠意、皇帝より賜りし腰布に誓って下心などなかった。
「え、なにそれ……」
「そもそも、あれ程の男に恋人がいない理由はただ一つ、その愛が重たいからじゃ」
 彼は愛した人にはまっすぐで、回り道などしない。そして自分の全てを捧げる。故に、常人では受け止めきれず、大体が逃げてしまう。
 ペットを構い過ぎて殺すのにも似ているようだが、それよりも数段怖ろしい。
 別に独占欲が強いだとか、嫉妬で「他の男と話しをするのも、見られるのも駄目」などという愚かな男でもない。
 純粋に好きをぶつけてくるだけなのだが、それが重たく無形ながら攻撃力があるのだ。
「ウチの王子のほうがいいかもね」
「そうじゃな。あとトシュディアヲーシュはジャスィドバニオンの好む容姿ではない。あやつは美少女と見紛うような美少年を好む。トシュディアヲーシュは文句なしの美形で、祖先の面差しもあるが男顔じゃ」
「あーそっか。グレイナドア殿下はイズカニディ伯爵が好みだから……でもラスカティアには……」
「ついでにジャスィドバニオンは何故髪が短いのか教えてやろう。その理由を知っておるか?」
「いや。正直彼にはあまり興味はなかったから」
「では教えてやろう。あやつの頭髪が短いのは、背中から腰、そして腰布かけての美しいラインを頭髪で隠したくはなかったためじゃ」
「それはみんなに美しい背中のラインを見せたいからじゃなくて?」
「違う、皇帝陛下に見せようとしてのことじゃ。あやつはガニュメデイーロ。皇帝陛下に酒を注ぐもの。じゃが皇帝に背を向ける者はない」
「……頭良いんだよね?」
 皇帝に背を向けてはいけないことは、拝謁が叶うものならば誰でも覚えている。特に皇帝の側に控える者であるジャスィドバニオンが知らないはずもない。
「フィラメンティアングスと同じじゃよ」
 分かっているし、行動に万に一つも間違いないのだが、やってしまう ―― それが皇王族。
「幸いというか、まあ……じゃあ、髪は眺めだけどヒュリアネデキュア公爵はどうだろう?」
「容姿も重要じゃが、察するにトシュディアヲーシュは貴族らしくない男が好みのようじゃ。上級階級で選べとは思うが、公爵はもっとも好みから外れる相手じゃろう」
「そうだね。ヒュリアネデキュア公爵は貴族そのものだものね……どうしようね」
「分からぬわい。イズカニディはおそらくロフイライシに直接話すじゃろうから……どうにかなるじゃろう。ギディスタイルプフといいロフイライシといい、弟に悩まされて大変なことじゃ」
「一人っ子の私や君には分からないよね、ベルトリトメゾーレ」
「ああ。もっとも儂が兄の立場じゃったら、すぐに見捨てるが」
「それは同意する。だから弟いないのかもね」
「じゃな」
 解決策の見いだせぬ話を打ちきり、大公は勉強してみて苦手な部分を伯爵に提示し、主であるティスレーネと共に帝星へとむかった際に、合格に必要な家庭教師を手配するよう伯爵に頼む。
 大公の提示の他に伯爵は第三者として、苦手な部分を見つけ指摘して教師の数を増やすことを提案するなど ―― 二人は先程の侯爵の相手捜しとは違い、己の努力や冷静な計画で結果を出せる話に没頭した。

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「ノーツ!」
「王太子殿下」
 ケシュマリスタ王の後宮。それは生贄が集められ、いつ訪れるかも分からないが、確実な”虐殺の日”に怯える者たちが集めらる場所。
 そのような場所だが例外は存在する。
 それがノーツという奴隷。ヴァレドシーアの寵愛を一身に受けているとされているシラルーロ子爵所有の家奴。
 家奴とは奴隷の一種 ―― もともと奴隷は奴隷でしかなく、差はなかったのだが、四十五代皇帝の頃から、教育が施された奴隷を高く評価するようになり、奴隷教育が盛んになった。
 むろん元来の奴隷 ―― 平民よりも知識も学力もない ―― のほうが圧倒的に多いが、ごく少数の奴隷は家名を持たない貴族を凌駕する知識と学力、そして礼儀作法などを身に付け、大貴族たちの権勢をより飾り立てる存在となる。
 家奴は漠然としたものではなく、厳正な試験によりその称号が与えられる。
 最低でも五カ国語を自由に操り、上級貴族、或いは皇王族の爵位を網羅し、上級士官学校卒業生なみの礼儀作法を身に付けていなくてはならない。
 ゾローデが士官学校の入学試験を受けることができたのは、この家奴育成システムが存在したためである。この教育機関の存在により、ゾローデは士官学校を目指すことができた。
 ただ家奴の道はなかった。ゾローデがどれ程優れていようとも、純粋な奴隷ではなく、下級貴族の私生児であったため、家奴にはなれないのだ。

 家奴は帝国が認めた奴隷でなくてはならない。

 ゾローデは奴隷としても下級貴族としても私生児扱い故、家奴となることは不可能。家奴というのは奴隷を奮い立たせるための称号ゆえに、近い祖先に貴族の血が混じっている者は弾かれる。
 帝国が示す近い祖先とはどれ程昔か? 
 ジベルボート伯爵とクレンベルセルス伯爵が、ヨルハ公爵とイズカニディ伯爵が千五百年前の学生時代の友好を持ち続けるのが帝国。
 そのような解釈が成り立つ世界において、近い祖先とは十代を指す。
 ゾローデのように父親が下級貴族では決して家奴の道は開かれない。
「ねえねえノーツ」
「なんで御座いましょう」
 対するノーツは完全なる奴隷であり、家奴以外には見えない男である。
 肩胛骨の辺りまである濃い灰色の癖がない髪を首と肩の境で一本にまとめている。前髪も後ろ髪と同じ長さで、全部後ろへとなでつけており、顔がはっきりと見ることができる。
 目は小さめだが”つぶら”ではなく”抜け目ない”と言われる類のもの。痩せているわけではないのだが頬は痩けている。若々しさに影をさすようなことはなく、だが十七歳の若者とは思えぬ雰囲気を醸し出している。
 口元はほとんど真一文字に結ばれ、後宮に囚われている者たちの前で開かれることは滅多にない。
 ティスレーネを出迎えたノーツは、群青色で袖が長い家奴の制服でもある上衣を着用している。
 襟元はV型に開いており、下に着用しているブラウスがのぞく造りとなっている。ブラウスの色でどの王家に属する家奴か判別され、家紋入りの大きなピアスでどの家に属しているのかを表す。
 ノーツのブラウスの色は山吹色。これはテルロバールノル王家に属することを意味し、耳に刺さるピアスはもちろんシラルーロ子爵家の家紋。
 長い袖は両手を下げている状態だと、上着丈と同じ踝までの長さがある。両手を広げると袖は長方形を見せる。
「ゾローデの昔の彼女、殺しちゃったら、僕嫌われちゃう?」
 皇帝の容姿を上回る”悪戯好き”の表情で尋ねてきたティスレーネに、
「……わたくしには分かりかねます」
 ノーツは出来る限り無難な返事を返した。
 内心では嫌われると分かっているが、ティスレーネが嫉妬深く、夫の元の女性を生かしておくような性格ではないことを、一緒に育った彼はかなり正確に理解している。
「ええー嘘つかないでよ。家奴って知性に溢れる生き物でしょ。教えて、教えて。僕とノーツの仲じゃない!」
 ノーツはティスレーネにとって唯一にして大切な”幼馴染み”
 彼が真面目に勉強し、礼儀作法を習っていることを知って、ティスレーネはそれらに興味を持った。ノーツが存在しなければ、ティスレーネはかつての王弟《オリヴィアストトル》と同じように、なにも知ることなく生きることになっていた ―― 本当に大切な存在ならば一人で生きていけるようにするべきでは? 
 だがそれは無駄な忠告なのだ。
 ケシュマリスタ王太子はケシュマリスタ王よりもずっと早く死ぬ。
 彼らは寿命を測定することが可能で、それは確実に当たる。ティスレーネは三十二歳で死去し、ケシュマリスタ王は七十二歳まで生きる。
 よって彼は退位して大君主となってからも、ティスレーネを守ることができる。王となったティスレーネが息絶えるその時まで。
 彼はその為にすべきことをした。
 自ら王国軍を率い戦争に赴くことなく、死から遠ざかりティスレーネの側にある。
 彼のティスレーネは何も知らずともよかったのだが、ティスレーネは彼にはなかったものを持ち合わせていた。それは嫉妬の一種で敗北を極端に嫌う精神。
 他人が出来ることを自分が出来ないのは許せない ―― その嫉妬は出来るものを殺す方に向かわず、自らを高める方向をむいた。理由は簡単、それらを提示したのがノーツであったため。ノーツを殺したら新たな世界を知ることはできない、だが負けるのは悔しい。そしてティスレーネの知性は高まり、精神は強固なものとなり、そしてケシュマリスタ王《ヴァレドシーア》の意図を知り……目を閉じて考えている。

 その未来が正しいものであるかどうかを。

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