急いで子爵が寮へと戻り医務室へと向かうと、ザイオンレヴィの治療は既に終わっていた。
「ヨルハ公爵が部屋へと連れていきましたよ」
告げられて再度急いでザイオンレヴィの部屋へと向かう。
「邪魔するぞ」
「あ、子爵……じゃなくて、シク」
―― 子爵の方が良いんだけどな……
真面目に言い直したジベルボート伯爵に、それでも訂正することはなく。子爵はザイオンレヴィが、なぜ入部することになったのか? の経緯を説明する。
聞いていたジベルボート伯爵が「…………」としか表現できない表情になったことには触れず、そして放送を聞いて向かった結果が、
「その放送、僕も聞きました」
「向かったところ、些細な問題ってか色々あって……というわけだ。ここら辺は触れないでくれ」
”こう”であったと語る。
何故反重力ソーサーレース部に入部したのに、首を吊っていたのか? 理由も経緯も不明だが、そこら辺は誰も深くは追求しない。それを追求することがどれ程無駄であり、無意味であるか誰もが漠然とながら感じ取っている。
「来たか、シク」
話終えるのを待っていたかのようにギュネ子爵の紋のかかっているドアが開き、ヨルハ公爵が現れ、まだザイオンレヴィは寝ていると告げた。
起こしてまで話す必要もないので、
「また明日な、クレウ」
「はい! 今日はありがとうございました」
二人の部屋を出て、先程までメディオンと話をしていた場所へと向かい椅子に座り、
「感謝するヴァレン」
「いいや」
突如現れたヨルハ公爵に礼をし、続いて疑問について尋ねる。
「ところで、どうしてあの場に来たんだ? ヴァレン」
「ゾフィアーネ大公の放送で呼び出されたのを聞いたから、念のためにな」
「わざわざ追ってきてくれたのか?」
「そうだ。何事も無ければ帰ろうと思って、即座に攻撃に転じることのできるギリギリの範囲で待っていた」
「気配を全く感じなかったから、そうだとは思ったが、距離としては何メートル離れていたんだ?」
「5km」
ヨルハ公爵はあっさりと言ってのけ、
「……」
子爵は ―― さすがだな ―― と、グラスを両手で持ち、ストローで少しずつレモネードを飲んでいるヨルハ公爵に視線を向ける。
「シクはジーディヴィフォ大公に一方的にやられる程弱くはないから、かなり離れたところで待機できたから、解らなかっただろう」
「解らなかったな」
※ ※ ※ ※ ※
「……」
「ザイオンレヴィ」
二人が帰って三十分もしないうちに、ザイオンレヴィは目を覚ました。自分の部屋にいることに気付くまで要した時間は約三十秒。
念のためにと傍にいたジベルボート伯爵がザイオンレヴィの髪を掴んでかなり乱暴に揺すると、
「あ……クレッシェッテンバティウ」
やっとザイオンレヴィの目の焦点も合った。
ジベルボート伯爵の行為は酷く見えるが、意識が朦朧としているザイオンレヴィの肩を掴んで揺すると、考えていることが流れてきかねないので、この対処が最善である。
「どうして僕は部屋に?」
「それはですね」
子爵に連絡が入り、その後ヨルハ公爵が奪取して医務室に運んでくれたこと、
「二人はもうお帰りになりました」
「そうか。お礼をしなくてはね」
もう帰ってしまったことを告げられて「借りばかり増えるなあ」と呟き、ジベルボート伯爵が出してくれた暖かい紅茶を受け取り口をつける。
「生き返ったような気がする」
「そうですね。なんでも首吊っていたそうですから。不思議がっていましたよ、どうして首吊られてたのかって」
「…………」
不必要に儚く幽し月光のごとき顔立ちのザイオンレヴィ。ヨルハ公爵とは別の意味で病み上がりに見えるその顔に、まるで病が舞い戻ってきたかのに青みが陰を作る。
「いや! 言いたくないなら言わないでいいですよ! 僕も聞きたくないですから!」
同室の同属の不思議な首つりなど、進んで聞きたいと思うものでもない。
「そんなに気にしないでくれ……それはそうと、ヨルハ公爵って良い人だね」
「そうですね。シクも最初はどんな恐い人かと思いましたが、想像よりもずっと誠実といいますか、おかしくないって言うか、気が狂って無さそうってか……わ、悪い意味で言ってるんじゃないんです! 悪口じゃないんです!」
”子爵は良い人”と言いたかったジベルボート伯爵なのだが、元来のエヴェドリットのイメージを一つ一つ潰しながら喋っていると、悪口に聞こえてしまい焦る。
「解ってるよ。子爵は悪い意味じゃなくて、良い意味で普通の人だったよね。ヨルハ公爵も変わっているけれども、付き合えるというか貴族同士として付き合いたい人だよね」
「そうですよね。帝国上級士官学校生活、不安だったんですけれども、シクとヴァレンという友人も出来てザイオンレヴィもいるので、僕やっていけそうな気がします」
ジベルボート伯爵の言葉を聞いた時、ザイオンレヴィの脳裏には長く美しい銀髪を、本人曰く《惜しげもなく》高い位置に一本に結い上げているジーディヴィフォ大公の笑顔が浮かび逃げたくなったが、その顔を消すように黄昏に染まった海に立つ黄金髪のマルティルディが浮かんできて、
「大丈夫! やっていけるさ! そうだとも!」
妙に力強い語気で言いきる。
首を吊られようが、偽装ながら性的に男に迫られようが、ザイオンレヴィは耐えるしかないのだ。
※ ※ ※ ※ ※
メディオンは子爵から貰った炭酸水の瓶を持って部屋へと戻り、ドレッサーの引き出しを開けて化粧品と共に並べたが、
「……」
思うところがあり取り出して、置き場所を捜す。
ドレッサーの引き出しに化粧品と一緒に片付けてしまっては、見たいと思う度に引き出しを開ける必要があると気付いてのこと。
暫くの間、炭酸水の入った瓶を持って部屋を歩き回り、色々な場所に置いてみるが「これは!」と思えず、悩み過ぎてベッドに座り溜息をつく。
「なんで儂、こんなに悩んでおるのじゃろ……」
”悩んで”と呟くと、やっと収まった熱がぶり返し、顔がまた赤くなる。
「メディオン、話があるのじゃが」
「あ、ああ! なんじゃ! イヴィロディーグ」
メディオンは瓶を枕の下に隠して立ち上がり、急いで扉へと向かう。
「……」
「なんじゃ? イヴィロディーグ」
「熱でもあるのか? 顔が赤いぞ」
「熱はなくとも顔が赤くなる事はあるのじゃ! 鉄仮面一族ではあり得んことであろうがな。それで何用じゃ!」
”熱でもあるのか?”と尋ねたヒレイディシャ男爵は、メディオンの答えに該当者は思い当たらないが理由は解った。
メディオンは十二歳、対するヒレイディシャ男爵は十九歳。年を取っていることで解ることもある。特にメディオンの言動は、
―― ルグリラド殿下がガルベージュス公爵に会っている時と同じじゃ
主の娘の取る態度に良く似ていた。
「クラブ活動についてのことじゃ」
「公爵殿下がお決めになった所に入部するつもりじゃが。それがどうかしたのか? イヴィロディーグ」
「儂も当然そのつもりじゃ。それでどのクラブに入部するのか聞きに行こうと思ってな。一緒に来るであろう?」
「もちろんじゃ」
二人は訪問したい旨を伝えるために画面を立ち上げ、直立不動でイデールマイスラが現れるのを待ち、訪問したいと告げ許可を貰って隣室へと向かった。
入り口扉を開き、
「失礼します」
「失礼いたします」
二人は深々と礼をして顔を上げて、硬直した。
ガルベージュス公爵がイデールマイスラに十字固めをかけていたのだ。二人が訪問するまでの一分少しの間に、十字固め。それもしきりに《降参》を訴えているのだが、ガルベージュス公爵は我関せず。技をかけているというのに、本当に他人毎のように一般市民放送を見て笑っている。
「公爵! 儂等の王子になにを!」
「十字固めというものですよ、メディオン」
「放して下さらんか、公爵よ」
「放しませんよ、イヴィロディーグ。この十字固めはイデールマイスラ自身の失言によるものです。貴方たちが到着するまでの一分三十七秒の間に失言をしたのです。王太子婿としての自覚を促すため、わたくしはこうして涙をのんで友であるイデールマイスラの腕を固めているのです! ははは! 面白いですよ、普通放送のコント。今人気のコントだそうですよ、帝星周辺限定ですけれど」
「……」
「……」
顔を真っ赤にし、首から腕にかけて青筋を立てて歯を食いしばっているイデールマイスラは、二人の視線を受けて”頷いた”
自分の失言を認めたのだ。
《王太子婿として》の失言となると、メディオンとヒレイディシャ男爵も口を挟みづらい。
二人は何時でもイデールマイスラの味方であり、ケシュマリスタに対する思考はほぼ同じ。だがイデールマイスラはこのケシュマリスタに対する失言や暴言を抑える訓練をする必要があった。テルロバールノル王家では誰も教えてくれなかった、妻であり未来のケシュマリスタ王への態度を。そしてガルベージュス公爵が皇帝よりその命を受けていることも聞かされている。
イデールマイスラも己の失言も、十字固めが態度を戒めることであることも解っているが、既に腕が千切れそうな程に痛いので、本能が必死に「逃がしてくれ、許して!」と降参を求める合図を送っていた。もちろん聞き入れてなどもらえず、遠くから聞こえてくる耳障りな笑い声を聞き涙目になりながら。
「それで、お二人はどうなさったのですか? この状態でも話はできるでしょう。大丈夫ですよね、イデールマイスラ。はい! 大丈夫だそうです」
残念というか当然というか、メディオンとヒレイディシャ男爵二人だけでは、イデールマイスラを助けることはできない。
「王子。クラブ活動は決められましたか!」
仕方なしにメディオンが声を張り上げ、
「儂等も王子と同じクラブに」
ヒレイディシャ男爵も同じように大声で叫ぶ。
「それは駄目です」
ガルベージュス公爵がイデールマイスラの腕を放し、立ち上がりチャンネルを一般市民用の教育チャンネルに変えその画面に背を向けて二人に《イデールマイスラと同じ顔だが違う笑顔》を作り話し出す。
「なぜ……」
「イデールマイスラはわたくしと一緒に演劇部5に入部です。このクラブ活動を通して、わたくしはイデールマイスラにケシュマリスタ王婿としての態度を叩き込みます。その為には貴方がたと少し距離を取る必要があるのです。理由はお分かりでしょう?」
テルロバールノルが固まっていると矯正し辛いということ。
特に頑固で考えを変えない杓子定規な一族の中でも、選りすぐりと言える王家とローグ公爵家とタカルフォス伯爵家。この三名を一緒にしない時間を作ることが何よりも重要。
「じゃ、じゃが……演劇部5はお前が入部したことで、即座に定員満杯になったであろう。儂が入る余裕など」
「ジベルボート伯爵が譲ってくれましたよ。ケシュマリスタとして”王家の為なら”とね」
全くの嘘である。
ジベルボート伯爵は人体調理部に入部したので、演劇部5を退部したのだ。その空きスペースに、待機者リストNo.1に名を連ねていたイデールマイスラが繰り上がった。もちろん、待機者リストに自分の名前が書かれていたことなどテルロバールノル勢の誰も知らない。
「儂等にも他の者たちと接触しろということじゃな、ガルベージュス公爵」
「その通りです、イヴィロディーグ」
「王子、それでよろしいのですか?」
「構わぬ。お前たちも別々のクラブに入部しろ」
イデールマイスラにそう言われ、二人は《もう十字固めは許して下さい》とガルベージュス公爵に頭を下げて部屋を出た。
「良い家臣ではないですか」
「まあな」
「では続いて、アキレス腱固めを」
「…………!」
ガルベージュス公爵、二人の頼みを聞き入れてイデールマイスラにアキレス腱固めをすることに。
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