君想う[012]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[63]
「気付いてしまいましたね」
「……」
「気付いてしまいましたね」
「はい」

 子爵は危機的状況に陥っていた。

※ ※ ※ ※ ※


 メディオンの淡い気持ちに気付く暇もなく、全力で走り呼び出された薄暗い反重力ソーサー格納庫に到着した子爵が見たものは、
「ギュネ子爵!」
 反重力ソーサーレーススーツに着換えたザイオンレヴィが、世に言う「ぼろ雑巾」状態で、ソーサーからぶら下がっている姿。普通に表現すれば、首を吊っている状態。
 子爵たちは首を吊ったくらいでは死にはしないのだが、首に紐がかかって振り子のように揺れている状態は、見た目が非常に良くない。
 子爵は差し入れが入った篭を投げ捨てるようにして置き、飛び上がってザイオンレヴィの首に絡まっているロープを引きちぎり《それを持ったまま》横にする。意識を失った人間に触れると、相当内側までのぞき込むことができるので、子爵はそれを避けるためにロープを持って移動した。仕方ないといえば仕方ないのだが、傍目では悲惨の一言である。
「ギュネ子爵!」
 寝かせて首のロープを引きちぎり、レーススーツを掴み体を揺する。人間には決してしてはいけない対処方法だが、この学校に入学できる者達であればなんの問題もない。
「彼は才能があるよ」
 突然現れたジーディヴィフォ大公に、
「差し入れです」
「ありがとう」
 子爵は普通に話しかけて、スーツを掴んでザイオンレヴィを引き摺る。
「我に何用でしょう?」
「彼を連れて帰ってもらおうかと思ってね」
「では失礼いたします」
 長居は無用とばかりに子爵はザイオンレヴィに触れないようにして帰ろうとしたのだが……
「少しくらい話を聞いて欲しいな。どうして彼がこのような状態になったのかとか? 興味ないかね?」
「我等は負傷には興味はありません。あるのはあくまでも戦闘に関してのみ」
「そう言わずに」
 ジーディヴィフォ大公はそう言って子爵の肩を掴んだ。
 その時、
「……! 閣下、我はロターヌ=エターナなのですが」
 子爵の中にジーディヴィフォ大公の思考が流れ込んできた。特に興味のない男性相手に、男性好きを装っているその理由がダイレクトに。
「気付いてしまいましたね」
「……」
 性的嗜好を皇帝からの密命で偽り、髪を結い上げて独身を表明し、それなりの噂が立つように生活していたジーディヴィフォ大公の真実の一端どころか、全体を把握してしまった子爵。黙って通り過ぎたいところであったが、肩を掴まれて離してもらえそうになかったので、告げて離れてもらう必要があった。
「気付いてしまいましたね」
「はい」
 それが身の危険に繋がると知っていても。
 手を離したジーディヴィフォ大公と子爵は向かいあう。意識を失っているザイオンレヴィをどこに向かって投げてから逃げようかと考えていた子爵にジーディヴィフォ大公が踏み込んでくる。掴まる寸前でかわした子爵を捕まえようと、もう一歩踏み込んで来る。
 襟元を掴まれた子爵は、持っていたザイオンレヴィから手を離して手首を掴んで大公を体ごと回して外す。
「良い腕だ」
「それはどうも」
 足元から”ごちん”とザイオンレヴィが頭を打った音が聞こえ、

―― 悪い、ギュネ子爵

 子爵は詫びつつ、ジーディヴィフォ大公から視線を外さずに構える。”さて退路はどこだ?”と考えながら、今度は子爵が攻撃を仕掛ける。
―― この建て方からすると、あちら側に避難通路があるはずだ
 施設の概要から避難通路を割り出し、いかにして逃げようかと探っていたその時、目の前のジーディヴィフォ大公の体勢が大きく崩れた。
 崩れた大公も目を見開き驚きの表情で、遅れてやってきた自らの痛みに攻撃方向を理解して視線を向けるが、すでに敵の姿はそこにはなく、
「助けに来たぞ、シク!」
 ジーディヴィフォ大公と子爵の間に立ちはだかっていた。
「ヴァレン?」
「無事だったか! シク」
 攻撃された脇腹を手で押さえてているジーディヴィフォ大公に、無言のままヨルハ公爵は攻撃を続ける。《素手》のヨルハ公爵を相手にするのは危険極まりない。相殺能力を持つガルベージュス公爵でもない限り、破壊されてしまうのでとにかく避けるしかない。
 それで避けられるかというと、とても簡単に避けられるような相手ではなく、
―― ジーディヴィフォ大公より強いな。さすが……
 ヨルハ公爵が完全に主導権を握っている。
 《格闘のセンス》というものがこの世に存在すると万人が認める動き。
 ヨルハ公爵に余裕があることは素人目にも解るほどで、動きの一つ一つが外見の異質さを隠すほど優雅で自信に満ちあふれている。
「悪かった」
 ジーディヴィフォ大公は攻撃の合間を縫い、膝を折り頭を下げる。ヨルハ公爵はすぐに距離を取り、攻撃体勢を解いた。
「冗談だったのだ」
「そうかな?」
「あれは殺意ではない、焦りだヨルハ公爵」
 死に至る気配を感じ取る能力に優れている子爵や、優れ過ぎているヨルハ公爵は”僅か”でも存在すれば攻撃を仕掛けてしまう。
―― なるほどな
 事情を知っている子爵は焦りに死があること、その死は己《ジーディヴィフォ大公》の物であることに気付く。
「いや、死だ」
「それは子爵に向けた死ではなく、私自身の死が入り交じった焦りだ……死が存在しなかったとは言わない。驚かせたね」
 ヨルハ公爵が隈の濃い目で子爵を見つめる。
「本当だヴァレン。大公閣下が焦って死を覚える程の秘密ってのは……聞かないほうが良いいだろう」
「そうか。では我はギュネ子爵を寮の医務室へと連れて行く」
「頼む」
 無造作に見せかけて触れぬようザイオンレヴィを掴み、ヨルハ公爵は来た時と同じように、まさに二人の目にも止まらぬ速さで格納庫から出て行った。
「悪かったね、子爵」
「殺意さえなければ我も反応はしませんでしたが」
「陛下より他言を禁じられていた命なので、私も焦ってしまったのだよ」
「我は他言はしませんが。やはり”そういう事”ではないと?」
 子爵が他言する、しないではなく、ジーディヴィフォ大公自身が皇帝の命令を守れなかった自分を許せるかどうかが問題。
「子爵の言う通りだ。焦り失態を償うには死しかないと混乱して、ますます知られてしまうとは情けないものだ」
―― さすが皇王族。皇帝に対する忠誠心が尋常じゃないな
 王に対する忠誠心が最も薄いとされる一門の子爵には不思議に思えた。そして、
―― これを上回るのがテルロバールノル一門か……
 王に対する忠誠心が《狂気》とまで言われるテルロバールノル一族を思い浮かべて、背筋に寒さを感じる。
「我はこれ……」
 この場で対処策を話合うような立場ではないと、子爵は辞そうとした時に《呼び出し放送》をした本人がやってきた。
「とうっ!」
 ”鍛えられた瑞々しいその肉体を着衣の下にどうぞ隠して下さい”と表現するに相応しい、惜しげもなく肢体を見せてくれる子爵の隣部屋の住人。
「呼び出ししておきました……ってどうしたんですか? 兄さん」
 ゾフィアーネ大公が《彼の正装》でやってきた。
 それも高い位置から足を大開で独楽のように回転しながら。
「彼にバレテしまいました、弟さん」
 ジーディヴィフォ大公とゾフィアーネ大公は実の兄弟。
「兄さん。意識障壁が脆弱なんですね」
「いやいや彼はなかなか」
「ケーリッヒリラ子爵が凄いと言うわけですか。でも知られてしまったわけですよね、兄さん」
「その通りです、弟さん」
 ”帰ります”と言いたい子爵だが、大公兄弟の畳み掛ける会話に中々口を挟めず、
―― 放置して帰ろうか。それが良いよな
 妥当過ぎる解決策を実行しようとしていた。
「仕方ありません。ここは私が最後の領域より出でし衝撃により、ケーリッヒリラ子爵の記憶を曖昧にせざるを得ない状態に持ち込みます」
 己の腰布の留め具部分に手をかけて引き剥がそうとするゾフィアーネ大公。その彼の腕を掴んで、
「止めなさい、弟さん。腰布は弟さんの絶対領域! 陛下より賜りし名誉の一枚は不可侵を約束された場所」
 ジーディヴィフォ大公が必死に止める。
「兄さん、実は今日は腰布の下にもう一枚腰布が!」
「何枚腰布を装着していようとも、弟さんの陛下より与えられた領域を不必要に覚醒させるわけにはいきません! さあ! 急いで逃げるのです、子爵」
 仲が良い兄弟なのかどうなのか? 子爵は判断することもなく、
「では失礼いたします。差し入れ食べて下さいね」
 さっさと寮に戻ることにした。
 子爵の姿が見えなくなるまで《領域》の前に、絶対やら不可侵やら神聖やら様々な言葉をくっつけて遊んでいた兄弟は、
「……飽きたから、差し入れ食べませんか? 弟さん」
「それがよろしいですね、兄さん」
 二人は篭を漁って、菓子を取り出し口に放り込む。
「ケーリッヒリラ子爵に知られたことはガルベージュス公爵に報告しますから、兄さん」
「うー……仕方ないね、弟さんは厳しいからね。それにしてもヨルハ公爵強かったよ」
「そりゃそうでしょう。なにを当たり前のこと言ってるんですかヨルハ公爵ですよ、ヨルハ公爵。当たり前のことと言えば、マルティルディ様お綺麗でしたよね」
「綺麗だったね。近くで見たら吃驚したよ。あの内側に七十二の悪魔が飼われているとか、陛下に聞いた時、思わず”嘘でしょう”と言ってしまったよ。家臣として失礼なことを言ってしまったものだ」
「兄さんの気持ちは分かりますけれどね。私が解らないのはイデールマイスラ王子の気持ちくらいのものです。マルティルディ様と結婚なんて幸せなことなのに、どうしてあの人はあの様な態度をとるのですかね」
「他人の気持ちは分からないね。ケーリッヒリラ子爵に探ってもらう? でも本当に勿体ないよね。マルティルディ様って結婚前にテルロバールノルの料理を覚えてイデールマイスラに振る舞ってやろうとしていたらしいしね。マルティルディ様大好きな弟さんなら、調理器具まで舐め取って喜んだでしょうに」
「ええ。私で良ければ、喜んで婿になるのですけれどもね」
「残念だね、弟さん」
「仕方ないですよね、兄さん。でも私はマルティルディ様を好きではないと思うのですよ。憧れているが正しいのだと」
「あのお美しさだもの、当然だよ弟さん。私もそうだよ」
「ところで兄さん。寮に通っている間に仲良くなることができたらマルティルディ様のこと《ルディちゃん》って呼んでも良いと思う?」
「えー私、ぺちゃんこになった弟さんを治療器に入れる役割ふられたの? 一回くらいなら良いけど、三回くらいやると陛下に呼び出されるよ、弟さん」
「その時は兄さんも一緒に呼び出されるかと」

 この大公兄弟、後に『ほぇほぇでぃしゃま』と呼ばれ機嫌の良いマルティルディを見て幸せに浸りつつ、二人でこっそりと「ほぇほぇでぃさま」と言い合っていた。もちろん二人が「ほぇほぇでぃさま」と呼びかけたことはない。


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