イデールマイスラがアキレス腱固めをされているのに二人は気付くことはなかった。
その時二人は、
「そう、私の名はマルファーアリネスバルレーク・ヒオ・ラゼンクラバッセロ! 誇り高きガニュメデイーロ」
廊下でゾフィアーネ大公と遭遇していたからだ。
いつの間にか服を着て寮に戻ってきていたゾフィアーネ大公が二人の行く手を阻む。
「放送部にいらっしゃい! 部長も喜びますから!」
「……メディオン、放送部に入るつもりはあるか?」
「儂は違うところが」
「そうか。では儂はこのクラブにする」
「良いのか! イヴィロディーグ」
「ああ。儂はゾフィアーネ大公から説明を聞いて、入部手続きを取ってくる。お前は先に部屋に戻っておれ」
ヒレイディシャ男爵を見送り、
「……そういうことか。さて儂はどこのクラブに……」
メディオンは部屋へと戻り、クラブを考えるよりも先に枕の下に隠していた炭酸水の瓶を取り出して、必死にあちらこちらに置いて”どこが最もいいか”を考えて夜更かしする羽目になってしまった。
メディオンが《……そういうことか》と呟いた理由は、ゾフィアーネ大公がケシュマリスタ系皇王族であること。
メディオンの進路は卒業して、ルグリラド王女の側近となり警備など軍事部門の責任者になる。
ヒレイディシャ男爵はと言うと、卒業後イデールマイスラの側近となりと共にケシュマリスタへ赴くことになっている。妻とは結婚して半年はケシュマリスタに滞在させ、残りの半年は領地に返すことも決まっている。
よってメディオンは然程ケシュマリスタとわかり合う必要はないのだが、ヒレイディシャ男爵はイデールマイスラ以上にケシュマリスタのことを知っている必要がある。
イヴィロディーグも側近になるのだから、相手側のことを理解してなくてはならないことは以前から聞いてはいたのだが、王国内で真摯に聞かされたり導かれたわけでもなく、どこか他人毎のような気がしたまま。
試験が終わってからイデールマイスラに従いケシュマリスタへと向かって、そこで自分たちがケシュマリスタに恨まれていること肌で感じ取り、なにかをしなくてはと考えるも明確な案は出せなかった。親兄弟や親族に聞いても答えなど出ないことは解っていたので尋ねることはせず入学し、そして辿り着いた。
「最初から儂を誘うつもりであったのじゃろう」
「そうですね。ケシュマリスタ風の喋り方とか覚えたら楽だと思いますよ」
「他にも様々聞きたいことがある。全部教えて貰おう」
「良いですよ。私が知っている事でしたら。兄にも頼んでおきますよ」
「……」
「ヒレイディシャ男爵は好みじゃないのでご安心ください」
「儂はそんなことを心配したわけではない。お前達兄弟は一人ずつだよな?」
「二人同時にお相手しますとも!」
「……一人ずつにしてくれ」
鉄仮面一族の意地と信念が今試される。
※ ※ ※ ※ ※
「返事の書き方?」
レモネードを啜っているヨルハ公爵に、
「ああ。返事を書く時の決まり事を聞きたいのだが」
子爵はメディオンへの返信の決まり事を尋ねる。
「誰に?」
「リュティト伯爵メディオンだ。個人的にはメディオンさまと呼びたくなるが」
「テルロバールノルの大名門のお姫様か。それは大変だ」
同属相手ならば礼儀作法や忌み語も解るが、他属となるとそうは行かない。先程メディオンが”戦って相性がよい”と言ってしまったように。手引き書や辞書もあり自分で調べることは可能だが、
「他属相手の最初の手紙がローグ公爵家相手というのは、かなり厳しいと」
テルロバールノル一門に出すとなると、知っている人に教えてもらいながら書くのが最善。
「我等の王に手紙出すより面倒だろうな」
「ヴァレンなら詳しいかと思って」
「書けるとは思うが自信はないぞ。デルシ様に最終確認してもらうか? あの方ならどの国にも書状を送られてるから確実だぞ」
「いや、カロシニア公爵殿下に聞くのは……もっと複雑だったり深刻だったりしたら聞いてもらうが、返事その物は単純なものだから」
公的な返事ではなく私的なやりとりを王女に確認してもらうとなると、尻込みしたくなるもの。
「私が指南してやろう」
「フェルディラディエル公爵!」
日課である缶詰販売機前の懐古を楽しんでいたフェルディラディエル公爵が、二人の会話を聞き声をかけてくれた。テルロバールノル王子に礼儀作法を仕込まれ、ガルベージュス公爵にその技術を教えた帝国最高の執事。
「お願いしようではないか、シク」
「そうだな。お願いいたします、フェルディラディエル公爵」
教えてもらえるのならば、これ以上の人はいないと子爵も頭を下げる。
「では自習室へと移動しようか」
「はい」
自動販売機の並ぶ部屋の隣には自習室がある。
自習室とは言っても無言で静かにノートに向かうような場所ではなく、議論を交わしたり教えを請うための場所で、静けさとは程遠い。
「先に自習室に行くといい。我は部屋に戻って……お、エルエデス」
ヨルハ公爵の言葉に子爵が振り返ると、リュックサックを背負ったエルエデスが此方に向かって歩いていた。
「エルエデス」
「ゼフか」
呼び止められたエルエデスは無表情のままだが、律儀に返事をする。
「エルエデス、今日も図書室に行くのか」
「そうだ」
「ノートとペンの予備は持ってるか」
「持っているが。欲しいのか?」
資源の問題で紙が使用されなくなって久しく、それらを使用できるのは現在では貴族のみ。
「ノートとペンを各一つずつ。料金は後で払う」
エルエデスのリュックサックは共有スペースに借りてきた本と一緒に置きっぱなしなっていることが多く、ヨルハ公爵は口の開いたリュックサックの中身も知っている。エルエデスも隠してはいないので、持ち物を知っていることに驚きはしない。
「なんに使うんだ? ゼフ」
「フェルディラディエル公爵から手紙の書き方を習う」
「他属相手にか?」
「そうだ。テルロバールノル貴族宛」
「料金は要らん。我も同席させろ」
他属への手紙の書き方は、大貴族の当主の座を狙うエルエデスとしても、是非とも知っておきたいことの一つ。エルエデスはノートを三分割し、ペンを渡してリュックサックを足元に置き、講義を聴く事にした。
子爵は依頼内容を説明し、
「それで、依頼は受けるのかね?」
「はい」
メディオンの依頼を受けることを告げる。
「よろしい。それにしても最も難しい手紙を最初に書かねばならないとはね」
「最も難しい?」
エルエデスが”どういう意味だ”と語気強く反芻し、答えろと無言で強要する。
「公的なものは格式高ければ良いだけだが、私的となると格式高くありながら公的なものにはない部分も書かねばならぬからだ」
「面倒な一門だな」
エルエデスが舌打ちをして背もたれに体を預けて伸ばし、足を組む。フェルディラディエル公爵はエルエデスの態度を咎めるようなことはしなかった。公爵執事自身、教えられた当時”なんでこんなことを”と思ったことを覚えているので。むしろ「当然の反応だろう」と。
ただ執事としてそんな事はおくびにも出さず、手際よく要点を説明してゆき、子爵の書いた文を訂正したり、エルエデスの文章を添削したりする。
「基本は抑えているから、これで失礼には当たらないだろう」
「ありがとうございます」
げっそりとした子爵と、難しい顔のままのエルエデス。
そして脇でずっと黙って聞き、説明がまとめに入ったあたりから書き始めたヨルハ公爵が、ページを割いて折りたたみ、
「失礼でしょうが。お礼です、フェルディラディエル公爵」
公爵執事に手渡した。
「……ふむ、文章は合格点だ。ノートの切れ端に書かないことくらいは知っているだろうから指示する必要もないし。それでは礼儀作法で聞きたいことがあったら何時でも聞くがいい。爵位は得るよりも維持するほうが苦労するものだからな。それでは」
公爵執事を見送って机に俯せになった子爵のノートをエルエデスがのぞき込む。
「お前、わりと軍字なんだな」
「個性とか追求しませんから」
「二人ともなにか飲むか。我はホットミルク」
「我も同じで」
「じゃあ我も貰うか、ゼフ」
「ヴァレンでいいぞ、エルエデス」
「誰が言うか!」
エルエデスの返事を聞いているのかいないのは、判断し辛いヨルハ公爵の背中を見送り、
「難しいな。それにしてもさすがヴァレン、当主なだけはある。しっかりと手紙書けてる」
目を手の甲で擦りながら、子爵は置かれていたノートを手元に引っ張り目を通す。
「そうだな。……にしても、ゼフも本当に軍字だな」
軍字というのは軍使用文字。癖や特徴がなく、大きさが一定を維持する物。上級将校になると指示を紙に書き伝えることも多く、その際に癖があったり特徴的過ぎて読めなかったり、やたらと崩し過ぎてやはり他者が読めないでは困るので、将校はこの文字を使用することが定められている。この軍字以外を使用した命令書は正式な命令ではないと見なされてしまう。
もちろん癖や特徴は最小限に抑えられているが、どうしても個性は出るもので、誰が書いたのかは判別はつく。
帝国上級士官学校は帝国で唯一紙による筆記試験が行われる学校で、この軍字で回答しなければ点数が付かない。
この試験が鬼門なのがケシュマリスタ。
彼らの始祖は触れるだけで意思伝達できたせいもあり、あまり文字というものに執着心を持たなかった。今は独自の文字を持っているが、その文字は非常に独創的で部分部分に象形文字の名残すらあり、自由奔放な書き方が許されている。
彼らは罫線に沿ってならば字を書けるが、升目に一文字一文字を入れて書くのは非常に苦手で、軍字とは相性が悪い。
次に駄目なのが悪字のロヴィニア。
早書き、自分だけにしか解らないように書く、騙すために文字を崩すなど。自分だけの文字のようなのを持ってしまうので、偶に軍字から遠ざかる。
他の皇族、皇王族。テルロバールノルにエヴェドリットは文字では苦労はしない。
全くの余談だがエンディラン侯爵が自分の名前《ロメララーララーラ》を嫌いな理由は、父親であるウリピネノルフォルダル公爵が名前記入の際にキーを押しすぎて《ラ》の数が増えたためである。本当の名前は《ロメーラ》訂正するのが面倒だったのでこの名前のまま。事実を二年前に知ったエンディラン侯爵は父と不仲になった。
この悲劇はウリピネノルフォルダル公爵が字を書くことが苦手だったため、端末を使って登録したことが原因。
ホットミルクを飲み終えて、
「今日は世話になったなヴァレンとケディンベシュアム公爵」
部屋に戻ろうとしている二人に挨拶をする。
「シク、エルエデスのことはエルエデスと呼べば良いと思うぞ。そうだろう? エルエデス」
「ゼフ……お前に言われると腹立たしいが……エルエデスと呼べ。我はケディンベシュアム公爵では終わらんから、その名で呼ばれるのも腹立たしい」
「は、はい」
殺して地位を奪うと言ったエルエデスのリュックサックに荷物を放り込んで掴み上げ、
「また明日な! シク」
「我を引っ張るな! ゼフ!」
エルエデスも引っ張ってヨルハ公爵は部屋へと帰っていた。
「二人とも……元気で……」
普通では考えられない組み合わせに子爵は圧倒されながらも、なんとなく微笑ましいと思いながら。
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