繋いだこの手はそのままに −132
酸素呼吸していないのに ”生きている” その事実にタバイは慣れることができない。慣れないというのは正確な表現ではないことも知っている。
タバイは認めたくないのだ ”この姿” が自分の本当の姿であり、酸素呼吸せずとも生きていられる 《人造の生物》 であるという事実を。タバイと結婚した妻のミスカネイアは酸素のある、重力も定義範囲内(地球重力)の惑星環境でなければ生きていけない。だがタバイは宇宙空間でも生存が可能。ブラックホールからは逃れられないが、それ以外の空間であれば自力飛行で移動も可能であり、人間とは一線どころか完全に存在を画した生物。
この二人の間に産まれた子供達は全員 ”二人の特性の中間” で、人造人間の子孫としては丁度良い状態と言える。
艦橋二階部分にある会議室の窓を、完全に外側からの視界を遮断してタバイは完全異形化し、この姿になる度に考えることを再び考えていた。
幾度も同じ事を考えて、答えが出ないのだから無意味だと、他者には笑われてしまうことかもしれないが、タバイにとっては ”それ” を考えていることが、重要だった。
”自分よりも人間に近い息子達” はタバイにとって重要な意味があり、人間から遠離っている姿に目を背けることができる拠り所であり、息子達の母親であるミスカネイアは、それらを与えてくれる唯一の帰る場所でもある。。
出来る事ならばなりたくはない 《完全異形》 辛うじて基本形態は二足歩行 ”できる” 形ではあるが二足歩行 ”以外” も容易にこなすことのできる 《形態》
弱いと言われようが、自らを否定していると言われようとも、タバイは出来る限りこの姿になりたくはないので、自らに枷を嵌めていた。その枷とは 《皇帝の許可を得て異形化する》 こと。異形化はむろん皇帝の許可など必要ない。だがタバイはそれを求め、皇帝であるシュスタークは理解を示し、
『では命じよう。余の許可なしに異形化することは認めない。余の許可を得て異形化するがよい』
口頭ではあるが、帝国宰相を隣に置いて ”命じてくれた”
皇帝の権力は強大であり、それに唯々諾々と従えることは、タバイにとって何事にも代え難い幸せであった。抑え付けられているという事実が、タバイの中にある殺意の一つを抑え、安らぎをもたらす。
そして今、皇帝に捧げた忠誠に報いるべく、タバイは皇帝に封じてもらっていた 《異形》 を解き放つ。
− 体内に空洞を作り、酸素を供給することも可能。旗艦になにからば……
「……」
誰も近付くなと厳命している会議室の扉が僅かに開き、外から明かりが差し込み、頭部を持ち上げてその方向を見る。
「タバイさん」
声の主はロガ。
「あの……中を今は見ません」
タバイと話をしたいと言うロガの申し出に、タウトライバは ”中を見ないことを条件” に会議室前へと案内させた。真の姿を ”見る” ”見ない” を議論している暇はなく、タバイの真の姿を見た後にロガが恐慌状態に陥らないという保証もないので、タウトライバはロガに譲歩を求め、ロガはそれに従う。
「声が出ないそうですね。一方的になってしまいますけど聞いて欲しいんです」
「……」
声は出るが唸ることしかできないタバイは、黙ってロガの言葉を待つ。
「メリューシュカさんが言ってました。タバイさんが居るから私は絶対に安全だって。あの……信じてます」
「……」
「色々と失礼な事しました。ナイト……陛下は謝らないほうが良いと言われたので、勝手に謝ることはしませんが、落ち着いたらお話してください。たくさんお話したいことあるんです……あの、たとえばベッドから落ちた陛下を何時の間にマットに乗せて、天蓋まで付けられたのかとか……一杯、いっぱいお話したいことあるから……ありますから……」
「……」
「何言ってるのか解らなくなっちゃったけど、よろしくお願いします」
ロガは軽く頭を下げて、自らの手で扉を閉めた。
タバイがどんな表情をしているのかどころか、どんな姿なのかも解らないロガだが、少しだけ開いた扉から生まれた初めて感じた 《圧力》 という物に驚く。
タウトライバが中を見ないように言った意味を、僅かな隙間から流れ出た空気が伝えてくれた事は、はっきりと解った。
ロガにとっては高い位置にある手すりに軽く触れながら、もう片方の手で長いスカートの裾を掴みゆっくりと白い階段を下りる。一段一段、そして高さが 《シュスタークの為に》 に設計されている為に、ロガにとって手すりの位置は高く、階段の高さも幅も非常に大きく、上り下りは大変であった。
その上、慣れない特殊な女性将校用を着用しているので、裾を踏まないようにするのも大変で、その範囲内で、できる限り動きを上品にしなくてはならない。
タバイに伝えたかったことを少しだけ言えたロガは「ナイトオリバルド様はすごいな」と、僅かに生まれた余裕からそのような事を考えながら、階段をゆっくりと下りる。
シュスタークは階段を下りる姿も美しい。この旗艦ダーク=ダーマの全てがシュスタークの為に作られているという事実を差し引いても、完璧だった。
本人の内心の動揺がどうであれ、ロガを含めた臣民は洗練された皇帝の所作に、溜息すら出ない程のものに映る。
ロガ以外の臣民は憧れ、尊敬の眼差しで見るだけで済むが、ロガはそれだけでは済まない。シュスタークの隣で、それ相応の優雅さを人々にみせる必要がある。
「ふう……」
今はまだ、階段などを注意深く下りるのが精一杯だが、それを目指して日々ロガは努力していた。
階段から無事に下りて、座るべき場所へとまたゆっくりと進み、総司令官の席に座ろうとした時、メリューシュカがボーデンを抱きかかえて戻って来た。
「ボーデン?」
全てが整えられている皇帝の旗艦、全軍を指揮する艦橋に、みすぼらしい犬。
あまりにも 《浮いている》 状態であり、
「勝手ながら、ボーデン卿をお連れいたしました」
「ボーデン!」
あまりにも嬉しそうな声であった。
ボーデンは何時もと全く変わらず、緊迫した空気など知った事ではないといった表情のまま、ロガに黙って抱かれている。ロガは少し抱き締めた後、ボーデンを床に置いて司令席へと座る。
タウトライバが「抱いたまま座っても良いのですよ」と言ったが、笑顔で首を振る。
「陛下からこの席をあずかったのは、私だけですので。私以外の者は……たとえボーデンであっても座らせません」
ボーデンはロガの言葉を理解しているかのように、足をおく箱の傍に横になり目を閉じた。
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帝星・大宮殿。
その省庁の一つで、まだ幼さが残っている女性がトイレの脇にあるパウダールームの鏡を見ていた。黄色みが強い肌に、茶色とオレンジ色の中間色の軽い癖毛は肩につく位の長さ。目の色は黒で、顔全体の作りは並。自分の姿を鏡で見ている本人は、自分の顔を不器量だと思っている。
ゾイには子供の頃、笑うと可愛いと言ってくれた男の人がいた。その男は、自分の母親と共に開拓用惑星へと送られて、今ではどうなったのか解らない。
残された自分が可哀相だとは思わない。残されて実父と過ごし続けていたら、間違い無く母親と男を怨んだだろうが、実父と失ってから過ごした日々が、自分の母親を怨まなくて済む時間と余裕を与えてくれた。
顔は崩れているが優しい、自分にとって妹のような存在、ロガ。
そのロガの両親ビハルディアとニーが与えてくれた優しさの数々。自分のことを守ってくれた犬共々引き取ってくれた恩返しにと、難関を突破して省庁に入る。
その理由は厳しい生活といわれている開拓団に、ロガを組み込ませない為。何時か帝星の官舎に引き取り顔を治療して、ささやかな幸せを掴ませるのだと日々努力していたが、もうその努力は必要無くなってしまった。
ロガは皇帝の正妃になってしまったからだ。
ゾイは開戦の知らせを聞き、皇帝と共に前線に向かったロガのことが心配で気分が悪くなり、人気のない綺麗過ぎる化粧台の前に手をついて、大宮殿後宮で再会した日のことを思い出して、本当に誰にも言えない不安を口にする。
「ロガ、怖がってないかな……」
鏡の中の自分に語りかけながら ”ロガ” ではなく ”皇帝の正妃ロガ” と出会った日を思い出す。
− 皇帝陛下が正妃を迎えられたが、どうも奴隷らしい −
皇帝が正妃を迎えたことに人々は喜んだが 《正妃は奴隷らしい》 という噂に諸手を挙げて喜んで良いのかどうか悩み、多くの者達はその話題にあまり触れなかった。
その奴隷も正妃として迎えられたらしいのだが、称号も与えられておらず、奴隷が正妃になった最大の理由ではないかと考えられている 《後継者》 の存在も全く明かにされない為に、人々は確定するまで知らぬ振りをするしかなかった。
ゾイも通達に目を通した後、この 《奴隷の正妃》 が無事に後継者を産み、生きながらえてくれたら良いなとは思った。同じ階級出ということで、幸せを願ったがそれはあくまでも ”知らない誰か” に向けの事。
それ以上、深く考えることはなく、しばらく同じ生活を繰り返していた。
ある日、何時ものように目が合うと因縁を付けてくる、仲の悪い同僚の貴族女とゾイは何時ものように目が合い、向こうから何かを言ってこようとした。
有り触れた何時もの事だったが、突如上司に呼び出され、大至急総務省に書類を取りに行くように命じられて、ゾイは目的地へと向かった。
貴族省は書類などに豪華な紙を使用することが多く、他省から送られてくる書類も紙でできているために、職員が取りに向かわなくてはならない。
無駄だなと思いながらも、それが貴族というものなのだと自分を納得させて、ゾイは珍しくもない仕事へと向かった。
何時ものように受付に身分証明書を提出して、書類を受け取る先を教えて貰おうとしたゾイは、受付の奥にいる 《案内役》 に挨拶されて、連れて行かれる。
何時もとは違う扱いに警戒するも、ゾイにはどうする事もできないので、黙って従い結局貴族省の移動艇に乗せられてしまった。
「あのっ! 私は、総務省に書類を!」
案内役に向かって叫ぶが相手は全く取り合ってはくれなかったが、その背後から一人の男性が現れてゾイは声を失った。
ハーダベイ公爵バロシアン。帝国宰相によく似た秘書の一人であり ”異父弟”。彼は無言で案内役に戻るように命じ、ゾイに頭を下げた。
「驚かせて申し訳ございません」
「閣下?」
「貴方様を ”后殿下” の元へ案内することを、帝国宰相閣下から命じられたハーダベイ公爵バロシアンです」
「后殿下? 私、后殿下など知りませ……」
「父君にビハルディア、母君はニー。ご存じですね?」
ゾイは頷いたまま顔を上げることができなかった。
ハーダベイ公爵バロシアンの案内で大宮殿後宮の一角へとゾイは案内された。
「お連れいたしました。私はここで」
俯いて歩いていたゾイは、バロシアンが声を掛けた相手の顔を見て、嘘ではないことを実感する。
「ありがとうございます。帰りはまたお願いします」
「はい、メーバリベユ侯爵殿下」
メーバリベユ侯爵ナサニエルパウダ。皇帝シュスタークの皇后の座に最も近付いた女性。彼女は今 ”后殿下” の女官長を務めている。
彼女に促されてゾイは室内庭園へと案内された。
「ゾイ!」
聞き慣れた声に、何時ものように声が出る。
「ロガ!」
駆けてくる ”顔の治った” ロガと、すっかりと年を取り、おっくうがって動かなくなったボーデンが自分を遠くから見ていた。
抱きついてきたロガを抱き締め返して、
「お……おめで……とう」
ゾイはそれだけ言うのが精一杯だった。
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