繋いだこの手はそのままに −131
 シュスタークは 《一人》 訓練室に入り軽い銃を構えて撃っていた。
 どのような銃を撃っても、星系をも貫いた銃の練習にはならないが、
《撃っておけ》
 自分の内側に存在する、嘗て銀狂と共にあり、銀狂を狂わせながら銃の引き金を引いた事のある男が命じたので、それに従っていた。
 内側にいる男・ラードルストルバイアは、シュスタークの意識が徐々に変質してゆくのを、誰よりも感じ見続けている。
 彼に 《体》 があったとしたら ”生前” と同じく、崩れたように足を組み、肘掛けに体を預けた体勢で、表現のしようのないロヴィニア特有の嗤いを浮かべて、シュスタークのことを見つめているだろう。
 シュスタークの内側にある、三十六代皇帝に封印された感情、自らが押し込めていた感情。皇帝として押し込めなければならない感情、そして今己自身を立たせている感情。
 全てを込めて引き金を引く。
 引き金を引く都度、シュスタークは皇帝になってゆく。その皇帝になる様にラードルストルバイアは快感を覚える。
 嘗て実弟に食われ、その内側で存在しながら感じたもの。狂った弟が、弟を狂わせた感情が、また違う人格のなかで生まれ育ち、そして越えてゆく感覚。
 狂わせ、狂っていった実弟ザロナティオンの中では決して味わえなかったものを、精神の中に存在する男は、含み味わう。一人の人間が皇帝として立とうとしている時のその意志、その決意、弱さも悲しさも不安も全てが極上だと、ラードルストルバイアは自らしか味わえぬ皇帝の精神に身を委ねる。
「引き金を引くのは簡単だな」
《そうだ》
 それだけでは皇帝となり得ない。ラードルストルバイアが言わずとも、引き金を引くシュスタークという ”体の本当の持ち主” は気付き始めていた。

 シャロセルテ・デレクテーディ・ラインバイロセアの体に入っている、自ら 《希薄な存在》 といっていたナイトオリバルド・クルティルーデ・ザロナティウスは ”ロガ” という奴隷の少女を愛する皇帝として、確固たる意志を持ち自らの体として支配する。

 《銀狂》 の体は 《皇帝》 へと、三十二代皇帝は三十七代皇帝へと成りつつある。それは、この体の中にいながら所在のない 《男》 が待ち望んだ時間でもあった。

**********


「用意はこれでいいでしょう」
 ミスカネイアは銀狂の銃を動かすためのシステムとして必要なキャッセルの生命維持のために、必要で ”この状態” で絶対に誤作動しない医療器具を鞄に詰め込み、蓋を閉じた。
 皇帝の私室は「がらん」として、酷く寒々しい。
 内装の全ては高価で、シュスタークに見合う程に豪華なのだが、主不在の大きな部屋は価値を全く持たない。
 ミスカネイアは自ら鞄を持ち、部屋の真ん中で横たわっているボーデンの隣に立って迎えが来るのを待った。ミスカネイアを迎えに来るのはザウディンダルで、ボーデンを迎えに来るのはメリューシュカ。
 少しでもロガの不安を抑えようと、メリューシュカは艦橋にボーデンを連れてきたいことを申し出て、当然ながら許可された。ミスカネイアも、自らがこの場から出て危険に近い場所へと出向くので、その申し出はありがたかった。
 シュスタークの撃つ銃の直ぐ傍で、エネルギーを集め送る指示を出すシステム機となる 《キャッセル》
 脳にかかる負荷の大きさの数値はエーダリロクから貰っていたミスカネイアだが、正直な所、目を背けたくなるような数値だった。
 普通の人間の脳にこれほどの負荷をかけてしまえば、脳は簡単に潰れ弾ける。
 人造人間の脳はこの程度では即座に壊れないが、負担は大きい。特に今、脳が大きく傷つき 《致命傷》 を負っているキャッセルにとって、取り返しの付かないことになる程の負荷になる。
 他にシステムの代役になれる人はいないのか? 尋ねたものの、答えは無きに等しいものだった。
「このシステムに調整なく入れるのは、他にビーレウスト王子しかいない。だが王子は今、体が動き機動装甲をも操縦できから、陛下の補助にはいる。……壊れてしまうのは、仕方ない事だ」
 夫であり、キャッセルの兄である彼はそれだけいって通信を切り、二度とミスカネイアの通信に応えようとしなかった。
 ”……壊れてしまうのは、仕方ない事だ” 《誰が》 とは言わなかった夫の心の内は、推し量る必要もない。
 キャッセルがザウディンダルとカルニスタミアのお陰で生還したとの報告があった時、妻である自分にしか解らないが、彼は立場を忘れて大喜びしていた。
 無表情のままだったが、今にも泣き出しそうなほどに、その大きな体が床に崩れ落ちそうになるほど喜んでいた。だから余計に辛いのだろうと、ミスカネイアは夫の優しげで、気の弱そうな笑顔を思い浮かべて、取っ手に力を込める。絶対に生かしてみせるという決意と共に。

**********


 シュスタークの 《補佐》 に入る三人は、エーダリロクから説明を受けていた。
「つー訳よ。質問は?」
 一時間にも満たない間に作られたものとは思えない程に完璧な ”説明書” を手に、ビーレウスト、ザウディンダル、キュラは軽く何度も頷く。
 シュスタークが命じた作戦自体はシンプルな物だ。キーサミーナ銃を船外に出し、エネルギーを充填してシュスタークが撃つ。
 キーサミーナ銃自体は船外に出せるような仕組みになっている。船外に出すまでの動力は、エーダリロクが自らの機動装甲で補う。
 だがキーサミーナ銃を動かすとなると、機動装甲一機程度の出力では足りない。使えるようにするための、最も重要なエネルギーの充填は、先ほどまでビーレウストが用意していた 《自爆》 用のエネルギー収集に、追加を加える。
「後三万、追加すりゃあ良いんだな?」
 自爆は士気の関係もあるので、隠れて行っていたが、シュスタークが撃つとなれば士気も上がるので、隠さないで作業が出来るので、仕事を振り分けられたビーレウストとしては非常に楽だった。
「おう」
「僕は掃除ね。確かに大切だけどさ」
 キュラはシュスタークが飛ばされると思われる空間の熱処理。
 キーサミーナ銃を撃った後の反動は制御できない。体をその反動に任せて飛ばしてから対処するのが、最も確実な措置。
 通常の人間ならば、衝撃で体が潰れるが、幸いながらシュスタークの体はその反動で飛ぶくらいで済む。だが反動で飛ばされた先に破片などがあると、厄介なことになる。
 高速で宇宙船の残骸ぶつかると、当然ながら宇宙服が裂けたり体に穴が空いたりしてしまう。
 シュスターク自体はかなり頑丈で少々生身で宇宙空間に居ても、死にはしないが、それらは人々に見せるものではないし、皇帝が何の処置もされていない空間で、大きめの破片にぶつかり負傷する……等ということは、避けるべきことでもある。
 その為に、シュスタークが反動で飛ばされると推測される宇宙空間に散っている破片を熱兵器で蒸発させてしまう措置を行うことにした。
 勿論、熱処理後に破片が移動しないように戦場その物をも動かす必要があり、それは ”今” 行われていた。
 艦隊を移動させ、確保空間を計算しつつ主砲のエネルギー対流などを用いて、安全区画の用意を進めている。
「綺麗に掃除しておいてくれよ、キュラ」
 熱処理用の銃の作り方の設計図を描いたエーダリロクが、怪しいとしか言えない笑顔をキュラに向ける。
「それにしても、カルのヤツ、連合で上手く戦場維持出来てるな。これが続いているうちに、全てを終わらせてぇもんだ」
 艦隊戦巧者のタウトライバとカルニスタミアが、エーダリロクからの指示のもと 《指示通り》 に敵の攻撃を受け流しつつ、残骸の流れを完全にコントロールしていた。
「上手いよなあ。やっぱりセンス……どうした? ザウ?」
 一人書類を見ていたザウは、ちょっとだけ不安になった。
「あのな、エーダリロク」
「何だよ、ザウ」
「あのさ、陛下……反動で前に飛んでいったりしないよな。いや! 俺だってさ! 反動がどういう物なのか解ってるけど! 解ってるけど! 陛下が、何か変なことして上とか前とか下とか斜め方向にいったらどうする? って……不安に……」
 ザウディンダルの言葉を聞いて、三人は笑うに笑えなかった。
 彼等の皇帝シュスターク。それは想像できない行動をとる男。この真剣で重苦しい空気の中にあっても、必ず後方に飛ぶとは言い切れない。
 エーダリロクは頭を抱えて、
「うわ……そこまで考えてなかったが、無いとは言い切れねぇ……でもよ、俺の能力じゃあ、後方に吹っ飛んで貰うしか、対処方法が浮かばねぇ……」
 頼りないというか、当たり前のことを語り出した。
 当代最高の頭脳と言われる王子が呻く姿に、三人は掛ける声もない。
 エーダリロクは頭を抱えたが、抱えて続けている余裕もないので立ち直り、四人で神に祈った。だが自分達の祈る神はシュスターク。
「祈るって、全く持って無意味だよな」と、ビーレウスト。
「まあな、直接言ったほうが早いと思う」と、ザウディンダル。
「言ってみたら? 陛下、後ろに飛んで下さいって」と、キュラ。
「でもよ、言ったせいで、気にして変に力はいって、あらぬ方向に飛んでったらどうすんだよ」と、エーダリロク。
《ラードルストルバイアに注意しておこう》と、ザロナティオン。

 神、それは人々の考えなど及ばない存在。

「陛下の偉大さが身に染みるぜ」
 ビーレウストは増産を命じているケーブル作成場所へと向かい、
「陛下だからなあ」
 ザウディンダルは 《移動スピードを軽減させる》 銃を作るために、試作室へと足を向け、
「陛下だもんね」
 キュラは既存の銃の先端部に加工を施すために、技術官の居る部屋へと向かう。
 エーダリロクは溜息をつきながら、
− ねえ、あんた……後方以外に飛んだことある?
 内側にいる 《銀狂の銃》 を最も多く撃った男に尋ねて、
《八回くらいは前方に飛んだ記憶がある》
− こういう時って、一度もないって言うモンじゃないのか?
《お前が真実以外を求める気持ちになるとは、珍しいな》
 余計に暗澹たる気持ちになりながら、資材調達へとむかった。

**********


 ミスカネイアとボーデンがいる皇帝の私室に、先に訪れたのは、
「メリューシュカ」
 メリューシュカの方だった。
 ミスカネイアは用意していた、ボーデンの食事や水、そしてロガに使っても良い医薬品の説明をする。
「ミスカネイア義理姉様には何時も頭が下がります」
「何も下げる必要は無いでしょう。頼んだわよ、メリューシュカ」
「はい。后殿下のことはお任せください」
「一つ聞きたいんだけど夫……いいえ、近衛兵団団長は今どこに?」
 質問にメリューシュカは一瞬言葉に詰まったが、正直に答えた。
 ”陛下より許可をいただき、艦橋の会議室に入り完全異形化なさって、万が一に備えておいでです”
 ミスカネイアも ”そうだろう” とは思ったが、敢えて聞いたのだ。自ら嫌っている己の ”完全異形姿” となり、后殿下を守ると決めた夫に報いることが出来るのはただ一つ。
「近衛兵団団長に、后殿下とボーデン卿を必ず守るように伝えておいて。その代わりといっては何だけど、私が必ずガーベオルロド公爵を、貴方の弟を守ってみせると、そう伝えて頂戴」
 ミスカネイアは少々高めの位置に手を出し、メリューシュカはその手を握り閉めた。
 互いにかわした固い握手と、悲痛さなどない表情を確認しあい別れる。
 一人っきりになった部屋で、自らの胸の辺りを鷲掴み肺腑から息を吐き出した。
「言ったからには、それ相応の事をするわよ!」
 自らに言い聞かせていると、自分を迎えにきたザウディンダルが入ってきた。
「遅れました」
 部品の削りだしに必死になって、銀色の粉をあちらこちらに付着させた状態で現れた。
「途中で何かあったのかと、心配してたわよ」
 ミスカネイアは近寄って、美しい黒髪にかかっている銀色の粉を払おうとしたが、それが銀粉であることに気付き手を止めた。
「純銀?」
「あ、うん。試作用の銃の部品を削りだしててさ……」
 ミスカネイアの用意したトランクを持ち ”行こう” と促す夫の数多くの異父弟で、たった一人の異父妹の表情は、とても美しい。
 人気のない廊下を歩きながら、エーダリロクから渡された銃の試作品を作っている事を語るザウディンダルに、
「無理はしないようにね」
 ミスカネイアはそれしか言えなかった。
 本当は ”危ないから行かせたくない” のだが、言えるはずもなく。
「大丈夫だよ、ミスカネイア義理姉様。ほら、銃で追うだけだし、俺は第三陣だからさ」
 二人は目的の部屋へと向かい、移動用治療器に入っているキャッセルを押してエーダリロクに指定された場所へと向かう。本来ならば誰でも簡単に動かせる ”動力付” のものだが、今は自動制御系の暴走が危険されているので、最大の利点である ”移動” の部分を使用不可にしているために、動かすのには少々 《人力》 が必要だった。
 意識を取り戻し、回復し始めているキャッセルは、
「ザウ、無理しちゃ駄目だよ」
「キャッセル兄の方が無理してるって!」
 ザウディンダルの任務を聞いて、譫言のように ”無理しちゃ駄目だ” 繰り返す。あまりに繰り返して治療器に備え付けられている脳波計の数値に少々異常が出た。
「ザウディンダル、ここで良いわ。これ以上一緒にいると……ね。それに陛下の為の銃を作る仕事もあるんでしょ。もう行きなさい」
 ミスカネイア一人で、治療器を押せないことはない。重くて少々骨は折れるが、それで患者の精神が安定するのなら、医師としてそう判断を下すことは当然。
「キャッセル兄。じゃあな!」
 ミスカネイアに頭を下げて、ザウディンダルは走り出す。
 皇帝の旗艦、純白の廊下に漆黒の髪が星を散らしながら、去っていった。
 残り僅かの距離を少々時間をかけて押し、ドアを開かせる暗証番号を入力後、自分の身分証をさしこむ。
 開いた扉の向こうに居る、エーダリロクに ”失礼ながらも殿下に運ぶのを手伝っていただこう” とミスカネイアは考え、まずは医療器具の入っている鞄だけを持ち歩み声をかける。
「セゼナード公爵殿下。ロッティス伯爵ミスカネイアです。お願い……」
 ミスカネイアはその光景に言葉を失い、危うく手から鞄を落としそうになった。自らの誇りである医療器具を落としそうになるほどに驚き、息を飲み、そして言葉を失った風景。
 透過された壁が映し出す宇宙と、ミスカネイアには何の為に使われるのか解らない青白い光。光の中心にあるのはキーサミーナ、銀狂の銃。
 普段は平行に設置されている皇帝の権威たる長大な白銃は今、天を向いていた。
 宇宙を撃つように垂直に立っている銃は、抱かれていた。持っているのではない、抱かれているのだ。
 青と白の服、そして白銀の髪。
 かつてこの銃を使い宇宙を再統一した帝王のように膝をつき、銃を垂直にして抱き締めている。
 右腕は銃身に添うように、左腕は銃把を包み込むように。
 目を閉じ、表情はなく、何もかもが静止しているかのようなその場。
 だがよく見ると、白い銃を抱き締めている白銀の男は、何かを呟いていた。音なく唇を動かし続ける。
 全く聞こえてこないのに、ミスカネイアは 《歌っている》 のだと確信した。”無言の歌” は終わり、口を閉じた男はゆっくりとミスカネイアの方を向き目を開く。
 男の瞳は夫の苦悩が秘められた昏い瞳よりも遙かに深く、ミスカネイアは自分の息が止まり、このまま止まり続けてしまうのではないかとまで思った。

「気付かなくて悪かったな」

 ミスカネイアは言葉につまりながらも、キャッセルを運んで欲しいと告げると、いつの間にかエーダリロクは何時ものエーダリロクになり、部屋から出て行った。

 もしもミスカネイアが ”戦争好き” であったなら、エーダリロクが銃から離れるときの腕の動かし方、立ち上がり方その全てが ”ザロナティオン” と寸分違わず同じであることが解ったであろう。


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