多種多様なビーフジャーキーの用意が整った所で、サウダライトは仕事に戻る刻限となった。
サウダライトを見送り入れ替わりにリニアとルサ男爵が部屋に戻って来る。
「はい、グラディウス」
直された服を受け取ったグラディウスは、大喜びでそれを抱き締める。
「リニア小母さんありがとう! このアップリケ、リニア小母さんが作ってくれたの? 可愛いなあ!」
修復専門の機関に出せば、跡形なく直せるのだがリニアは敢えて直した痕を残す。
「そう言って貰えて良かった」
グラディウスは跡形もなく直されるより、人の手で直された方が好きなのではないかと思ってのこと。
「あれ? これは?」
鞄を直した縫い目に、リニアの物ではないとグラディウスですら解る箇所があった。
「それは私が」
「ルサお兄さんが? ありがとう!」
「いいえ、その……もっと上手になったら直させてください」
それに対してのグラディウスの返事はなかった。大切そうにそれを抱き締めて、笑顔を向ける。
グラディウスにとって、それはとても大切なものだったらしく、結局ルサは初めての繕った箇所を直す許可を貰えなかった。
「食堂で食事をするのは今日が最後になりますよ。午後には部屋の移動になります」
朝食と昼食を兼ねて取っていたグラディウスは、腹は空いていないのだが二人と一緒に座って話をしたいと思い頷いて部屋を後にする。
食堂までの道のり、グラディウスはリニアの手を握り締めて、
「あのね、リニア小母さん」
「なあに? グラディウス」
「リニア小母さんの事、叩いちゃって……ごめんなさい」
立ち止まって見上げた。
「良いのよ、気にしなくて」
「ごめんなさい」
リニアは膝をつき、目線を合わせて頭を撫でる。
「”ごめんなさい” よく言えました。私はもう怒っていないし、グラディウスもちゃんと謝ったんだから、これで終わりよ」
「うん!」
嬉しさに勢い余って、リニアとルサ男爵の間に収まり、二人と手を繋いで失敗しているスキップをしながら食堂へと向かう。
食堂で 《お腹いっぱいだから、リニア小母さんとルサお兄さんが食べて》 何時も通りの大きな藍色の瞳で二人をグラディウスは見つめる。
食事をしている人と話をするのが好きなのは重々理解しているので、二人とも注文して話を始めた。
そこに色々な人が来るまでは、平和な時間だった。
「貴方ね」
料理が来る前にグラディウスに近付いてきた一団の一人が敵意しか含んでいない声をかけてきたが、グラディウスは 《貴方》 が自分とは理解出来ずにそっぽを向いたまま。
その態度が相手の機嫌を損ねた。確かにグラディウスの態度は褒められたものではないが、理解できない物は理解出来ない。
怒鳴り散らしてくる彼女とグラディウスの間にルサ男爵が入り、押しとどめようとするが相手は一人ではないので勢いに押される。
リニアはグラディウスを抱き締めて連れだそうとしたのだが、後ろにまで人がいて身動きが取れない。
だがグラディウスはあまり理解できなかった。
事態もそうだが、愛妾達が帝国語、または現皇帝の母国語であるケシュマリスタ語で怒鳴っているので、全く理解ができない。
《ぽえぽえ》 といった感じで顔を歪めて怒鳴っている他の女性を見上げてたグラディウスに、一人の愛妾が助けようと動く。
リニアの為に他の愛妾を押しのけて、グラディウスに、
「早く食堂から出て」
愛妾は彼女自身の母国語でもあり、グラディウスが何時も召使いと話している言語で声をかけた。それは当然グラディウスに伝わったので返事を返す。
「うん! 食堂から出ると良いんだね!」
グラディウスは立ち上がり、喧噪の中を脱出しようとしたのだが、それを見ていた一人が通じる言葉で叫んだ。
「あんな安っぽい硝子球を気に入っているような素振りを見せて、取り入ったんでしょう!」
グラディウスは足を止めてそう言った女性を見つめる。
女性はあしざまにグラディウスを罵り、そして硝子球を壊した事を自慢げに語った。早く行きましょう! というリニアの言葉も耳に入らず、グラディウスは女性の言葉を聞き終えると同時に、女性に向かって気持ちの赴くままに駆けだしてゆき、飛び上がり頬に噛みついた。
驚いたその女性は倒れて、
「助けて!」
叫び声を上げて転がるが、グラディウスは噛みついたまま。
ほぼ全員が暫し呆気に取られた。その間にも噛みつき噛みつかれた二人は転がり、テーブルは倒れて食器が床に散らばる。
噛みつかれている女性は、誰も助けてくれないと知ると光ったフォークを手に持ち、グラディウスへと向かって突き刺そうとする。
「危ない!」
その時もっともグラディウスの近くにいた、先ほど逃げる手伝いをしてくれた愛妾が腕を出し代わりに刺された。
人を刺すような行為をとりながら、実際に刺したした感覚に驚いた女性はフォークを手放し、リニアはグラディウスをやっとの思いで引き離す。
立ち上がったグラディウスは、未だ放心状態の女性に向かい言い放つ。
「ほっぺ、美味しくない!」
他の者には全く理解できなかったが、グラディウスは尚も続ける。
「おっさん! グラディウスのほっぺ美味しいって! だっておっさんほっぺ美味しい人がいいんだ! だっておばさん、ほっぺ苦いからおっさんイヤなんだ!」
ルサの同い年、二十五歳の失礼のない化粧を施した美女に向い、十三歳の化粧一つしていないグラディウスは容赦なく 《おばさん苦い。おばさんマズイ》 と叫ぶ。
あまり難しい嫌味はグラディウスを簡単に通り抜けていったが ”何故シュスターがあんたなんかと、一緒に居ることを好むのかしら” は漠然とながら理解することができた。そして昨日、グラディウスのほっぺが大好きと言いながら噛んで来たことを思い出し、尚かつ 《シュスターは食事前に他の人が味見(正確には毒味)をする》 という愛妾区画での日々も思い起こして、
「あてし、おっさんの代わりに味見したんだもん!」
”おっさん食べちゃ駄目! このおばさん、食べちゃだめ! おいしくない!” と叫ぶ。
腕をフォークで刺された愛妾は、傷口を押さえながら思わずその言葉に痛さも忘れて吹き出した。それにつられ、グラディウスに嫉妬心を抱き嫌がらせをした集団に属していない者たちも笑い出す。
陰険な嫌味で笑いものにしようとしていた集団は 《おいしくない! おいしくない! このおばさん!》 と指さして叫ぶグラディウスの前に、自分達が笑いものになった。
頬にグラディウスの歯形がついて髪も着衣も乱れた 《おばさん》 と呼ばれた女性は、怒りに顔を赤くして立ち上がり叫ぼうとしたが、突然の足音にその声をのむ。
現れたのはケシュマリスタ近衛兵団。
彼等が緑の絨毯を敷き、剣を抜き床に置いてその上に手を乗せる。
「まさか!」
ルサ男爵はそれを観て、呆気にとられて出せなかった声をやっと出した。白と紫の花びらがまかれ、それは現れた。
「ばぁか」
話すのではなく、奏でているとしか表現できない美しい声が、全てを見下す。
「マルティルディ王太子殿下!」
「うわぁぁ……」
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