花弁をまき散らしながら現れたマルティルディに、グラディウス以外の全員が膝をつき頭を下げる。
グラディウスは人の担ぐ輿に座る、宇宙で最も美しいと言われている女性を前に、口を半開きにして見上げることしかできなかった。
「観られない顔ばっかりで、僕もびっくりだよ。ねえ、その顔で恥ずかしくない。そのスタイルで恥ずかしくない。僕のような美しい人間には、君達の厚顔無恥ぶりに驚くばかりだよ。本当に不細工だね! さてっ!」
輿から飛び降りたマルティルディは、グラディウスの顎を掴み、
「ふむ。まあ、この程度の中じゃあ美の上下もあったもんじゃないからな。これで良いだろ」
顔に対して意見を述べた。とても好意的な意見ではないが、グラディウスは理解できていない。それよりも、自分の顎を掴んで見つめている美しい女性が気になって仕方がない。
「ほぇほぇ」
「”ほぇほぇ”ってなんだい?」
「ほぇほぇ様」
「もしかして僕の名前を言っているのかい?」
グラディウスの顎から手を離したマルティルディの問いに、グラディウスは元気よく頷く。
「どうやったら僕の名前が ”ほぇほぇ” になるのかなあ。マルティルディ、やっぱり ”ほぇほぇ” に聞こえるかい?」
グラディウスは笑顔のまま、相手に伝わるようにと何度も首を縦に振る。
マルティルディの気性を知っている者達は、グラディウスの言動に凍り付く。凍り付きはするが、特別に助けてやろうとはしなかった。
皇帝の愛妾の権力とマルティルディの権力では比べものにならない事を、誰もが良く知っている。知らないのは、
「ほぇほぇでぃ」
グラディウスだけ。
腕を組んで、グラディウスを見下ろしているマルティルディは溜息をついて、
「君はテルロバールノルの出身だから、発音が聞き取れないのかもね。仕方ないか」
企みを含んでいると容易に解る笑顔を浮かべた。
「淡いオレンジの箱を持て」
輿に付き従っていた召使いの一人が膝をついてマルティルディに近寄り、それを差し出す。
「下僕、箱を開け」
「御意」
箱が開かれると、そこには赤とピンクが混じった可愛らしい花が大量に詰められていた。
マルティルディはそれを一つ摘み、
「食べられる花だよ。食べてみな、美味しいよ」
グラディウスの手に乗せた。グラディウスは言われた通りにその花を口に入れる。実はその花、食用ではあるが非常に苦い。
マルティルディがわざわざ作らせた、見た目と香りは良いが後味も悪い一品だった。
権力に恐れをなしている者達ですら「あまり性格のよろしくない御方」とついつい口にしてしまうマルティルディらしい行動だが、
「ぺっ! 苦い」
グラディウスは知らないので、口に入れて噛んだ花を即座に吐き捨てる。
普通はマルティルディの機嫌を損ねる事を恐れて、冷や汗を浮かべながらも笑顔を絶やさずに感謝を述べるのだが、グラディウスはそんな事は知らない。
「……」
「美味しくなかった。口痛い」
「そうかい」
少しだけ考えたようなポーズを取った後、マルティルディは笑い出した。
「くっ……はははは! 良し! 仲直りの品だよ」
そしてマルティルディの手自ら、輿に乗せている箱持ち、直接グラディウスは与えられた。王太子が自らの手で直接物を与えるのは珍しい事。
「開いてごらん」
言われたグラディウスは、素直に箱を開く。
「お花だ」
中には白とオレンジの小さな花弁を持った花が詰められている。
「食べてごらん」
グラディウスの手にあるのは、ケシュマリスタ王族専用の物。
「やだ」
「何で?」
「さっき美味しいって言ったのが、美味しくなかったから」
「さっきはごめんよー間違っただけだよ。それが不味かったら、僕の顔叩いても良いから食べてみてよ」
マルティルディは腰をかがめてグラディウスに顔を近寄らせ、この高さなら届くでしょうと顔を近づける。
「やだ」
でもグラディウスは頬を膨らませて拒否した。
「どうしたら食べてくれるの? 僕の捨て身のアピールも通じないのかなあ」
「美味しくなかったらほぇほぇでぃ様の顔叩かなきゃならないなら、やだ。人の顔叩くの嫌い。叩くなら食べない」
綺麗な花を前に、食べたい気持ちはあれどその結果叩くかもしれないと考えると、グラディウス泣きたい気持ちになった。
「こんな綺麗なお顔叩くなんて嫌だ」
感情が直ぐに現れる藍色の瞳。濡れたその藍色の瞳に映る自分の姿に、マルティルディは気怠げに手を叩き楽しさを露わにする。
「君、良いな! どれどれ、では試しに僕が食べて、美味しいよ。さてそこの第十親等と小間使い、それに先ほどこれを庇った愛妾、僕の近くに寄ることを許可してやる。跪いたまま近づけ。そして食え」
声をかけられたリニアとルサ男爵、そして庇いフォークで刺された愛妾レルラルキスが、やはり召使いと同じように膝をついたまま近寄る。
三人の目の前に、花が落とされる。床に落ちたそれを三人は手を使わずに、動物のように顔を近づけ直接口に入れる。手を使ってと言われてないので、このように食べなければならない。
間違って手を使って食べようものなら、容赦なく腕を切り落とす。それがマルティルディ、いや支配者たる 《王》
「美味しいわよ、グラディウス」
「とても」
「美味しいですよ、グラディウス殿」
マルティルディは何時もの権力に抗えない人々の態度を、笑いながら眺めた後、
「ほら、みんな美味しいって言ってるよ。食べてごらん」
マルティルディは花を一つ摘み、顎を掴んでグラディウスの口の中に放り込む。
「……あ、美味しい」
「よろしい。次は館で会おうね。君の知り合いも館で待ってるよ」
合図をし、床すれすれまで降ろされた輿に乗り両手で黄金にも似た髪を弾く。
「?」
「誰? って顔してるね。会えば解るさ! じゃあねえ!」
鞭を持ち輿を叩き、歩けと命じる。
周囲の召使いは再び花を撒き、輿を運ぶ者達はマルティルディの気分を損ねないように静かに歩く。
「ばいばい! ほぇほぇでぃ様! お花、ありがとう! ほぇほぇでぃ様! 美味しかったよ!」
振り返りはしなかったが、マルティルディは鞭を持った手で口元を隠して微笑んだ。
グラディウスはこの騒ぎの後、愛妾区画から去った。グラディウスを庇ったレルラルキスは大金を与えられ愛妾としてずっと留まる。
グラディウスの私物を破壊するのに関係した者達の行方はレルラルキスにも解らなかった。
彼女の元にサウダライトが足を運ぶ事はあったが、彼女は行く末は聞かなかった。聞いたのは、グラディウスが今どうしているかだけ。
「正妃様方と仲良くしている」
グラディウスが幸せだと聞く度に彼女が浮かべる笑顔は、中々に美しいものだったと言う。
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.