君雪 −5
 皇帝に『二十五歳離れた妹の誕生を祝ってくると良い』と話を切り出されたとき、エバカインは一度それを辞退した。
 本人はまだざわついている宮殿から離れたくはなかった。
 だが皇帝に『ゼンガルセンの機嫌をうかがう事と、あれの様子を直接見てきて欲しくもある』と言われれば、エバカインには断る理由はない。
 そして母親の婚家の傍系からかなりのプレッシャーを受けている側近を、本拠地に伴ってくるのも可哀想だと休みを与え、エバカインは一人『お兄様の命を果たしてまいります』と言い、宮殿を後にしエヴェドリット王城へと向かった。
 それを見送った皇帝の表情は穏やかに微笑んでいた。この先にあることを知っていても、皇帝は微笑まずにはいられなかった。
「今頃アダルクレウスは領地で何してるかなあ」
 エバカインはその裏にあることは解らず、暇を貰った形になったサベルス男爵は エバカインが宮殿から遠ざけられた理由を何となく感じてはいたが “それは憶測だ” として振り払い、ありがたく休みを貰い領地へと戻った。
「あ……母さん」
 到着したエバカインを出迎えてくれたのは母のアレステレーゼ。
 何時も連絡を取り合っていたのだが、直接見る母親の体の変化に息子はかなり戸惑った。
「わざわざ来てくれてありがとう。でも良いの? 此処に来てて」
 明らかに “不躾な視線でうかがってる” 息子に、珍しくもないものをと苦笑しつつアレステレーゼは尋ねると、
「あーうん。母さんのことだけだったら、ちょっと……だけど、殿下のことも少し心配だったし」
 腹から視線を外さないでエバカインは返事をする。
「 “すこし心配だったし” なんて随分と偉くなったものねえ。相手は大君主殿下でいらっしゃるのに」
「ごめんなさい! 言葉間違いました! えーとね! お兄様じゃなくて皇帝陛下が大君主殿下の事を気にしていらっしゃり、直接様子を見てくるように命じられました。……でも俺も心配してたんだよ、本当に」
「陛下へのご報告は確りとね。それとあんたが心配するような事は全くないわよ。殿下は普通に接することで十分日常生活が成り立ちますしね。人前に出る仕事の時は大変かもしれないけれど、こうやってご休憩なさってらっしゃる分には何の問題もないわ」
 何時までも、母親から見れば呆けた顔で腹を見ている息子の手を引いて歩くように促す。
「すごいねえ、母さん」
 その母親の言葉を聞き、自分は二人きりでいると結構苦労したけどなあ……と思いつつ、純粋に母親を褒めると、
「皆さん褒めてくれるけれど、本当に大した事ないのよ。さ、あんたが来るって聞いて大君主殿下がありがたくも喜んでくださって、お茶の用意をなさってくれているわ。待たせると悪いから行きましょう」
 何を言っているのよ、と言った風に手を振って “慣れれば誰でもできるわよ” と興味なさそうに、そして少し腹が重たそうにして歩きだした。
 勝手知ったると進んで行く母親に、
「俺、ゼンガルセン王に挨拶してこないと」
 どっちに行けば会える? と聞いてくる息子に、
「後でいいわよ。多分定時に来て下さるでしょうし」
 そんな物必要ないと言う。
 別にアレステレーゼの独断ではなく、ゼンガルセンが≪所用があるゆえ出迎えられぬ。代わりに出迎えておけ。そして挨拶も不要だ≫と言っていた為だ。
 ゼンガルセンが所用で皇君を出迎えられぬ理由。
「定時に来るって?」
「医者に言われた胎教を真面目にしに来るのよ」
 それはこの胎教に時間を割いている為、仕事がどうしても押してしまう。
「た、胎教……そ、そうだね、ゼンガルセン王の第一子ってことはエヴェドリットの後継者だもんね。期待とかいろいろ……色々」
 “似合わない” と心の中でエバカインが呟き、それは発せられていないが母親に届いてしまったとしても、誰も責められないだろう。息子の変な顔を見ながら、
「さあ? 私と会話するのが胎教らしいのだけれど……本人は私と会話して安心させているつもりらしいのだけれど……あの人、あれでしょう」
 母親も非常に困った表情になった。
 普通の感性の持ち主と、人殺しの一族の頂点に立つ男。会話のかみ合わなさは絶望的。
 同族同士なら『今朝、人を五百殺してきた』も談笑になるのだが(当初ゼンガルセンは実際に語った)アレステレーゼはそんな事を言われて笑える精神の持ち主ではない。
 その後、医師とシャタイアスに言われて当たり障りの無い会話を構築する為に、サフォントに負けず劣らずの頭脳を必死で稼動させ、意味の無いことをつらつらと語るゼンガルセンの姿に、アレステレーゼは困るながらも嫌とは言えないでいた。
 エバカインはゼンガルセンが胎教している姿を想像して、恐怖に軽く囚われて “考えない、考えない” と頭を振った後、
「あーエヴェドリットだね……ねえ、母さん。お腹重いなら支えながら歩くけど大丈夫」

***************

 エバカインがフィダ星のハスケルセイ城に到着し、ゼンガルセンが胎教と称し母親に話しかけている姿を、恐怖に慄きながら手の隙間から覗き見たり、久しぶりに会ったカウタマロリオオレトと母の作ってくれた人形で椅子などを使って遊んでいたりして、母の出産を待ちながら過ごしている時に “それ” は帝星で起こった。
 産後僅かに崩れた体形を整えることに余念がない皇妃クラサンジェルハイジの下に、乳母の一人が駆け込んでくる。
「皇妃様! 大変です!」
「何よ」
 乳母が息を切らせて自分の下を訪れる理由は、皇子のこと以外にはないのだがクラサンジェルハイジは素気なく聞き返す。
 彼女にとって興味があるのは自分の息子が皇太子の夫になれるか否かであり、一歳になったばかりの皇子自体には何の興味もなかった。
「親王大公殿下が! 親王大公殿下が!」
 混乱している乳母を鬱陶しそうに眺めていたが、やっと続いた言葉に皇妃は顔色を失い、事実を確認後半狂乱に陥る。


「皇妃クラサンジェルハイジの皇子、ジェルデン親王大公殿下が何者かによって殺害された」


 その報は直ぐに各王たちにも伝えられた。
「連絡が来たぞ、ゼンガルセン」
「どちら様からだ?」
「もちろん皇帝陛下から」
 皇帝が四王に直々に連絡を寄越す場合順番がある。
 皇帝の前で名を呼ばれる順と同じで、家臣になった順でもある。一番はケシュマリスタ、二番はロヴィニア、三番はテルロバールノル、そして最後はエヴェドリット。皇帝が三王に連絡を入れている間に、エヴェドリット側では情報の詳細を掴んではいたが≪真実≫だけは解っていなかった。
 実際は解っているのだが、確認が取れない。
 皇帝からの通信に、事の外大げさな挨拶をするゼンガルセン。
「これはこれは、この度のこと陛下のご心痛いかほどかと」
 それに対して何時もと変わることなく、皇帝は話しかける。
『そこにはシャタイアスしかおらぬのであろう? 思ってもおらぬことを言う必要もなかろうが。余の子、それも皇妃が産んだ子が死んだところでそなたに何の関係もなかろう。関係ない者の死を悼む一族ではあるまい。関係あったとしても死を悼む一族でなかろうに』
「確かに。もしも帝后の子が死んだところで、我としては何の感情もわきませんなあ。ではわざわざ連絡をくださったのですからお尋ねしましょうか? デバランの溜飲は下がりましたか、陛下」
 カウタマロリオオレトに狂愛を注ぐ後宮の権力者が、死んだとはいえロヴィニアの王太子に馬鹿にされて黙っていられる筈がない。
 その事はロヴィニア王も理解しており、クロトハウセの処分決定後は主だった者達を連れて王領に戻り守りを固めていた。
『下がったようだ。後は黙って死ぬであろう、害はない』
 だが幾人かは連れては戻れなかった。
 その一人が親王大公ジェルディン。ロヴィニア王は妹の皇妃と、甥に当たる親王大公、そして皇太子の安全を皇帝に託したが、皇帝はロヴィニアに対し失態の結末を突きつけた。
「それはよろしかったですな。それで我は近衛兵団団長として犯人を捕らえればよろしいのでしょうか?」
 “親王大公の死” と言う形で。
『必要ない』
「ほう……」
『その犯人、今のお前では決して捕まえられぬ相手であり、お前が万が一皇帝となった場合その犯人は必ず死んでいる』
 ゼンガルセンが決して捕まえられず、ゼンガルセンが仮に皇帝となった場合、必ず死んでいる人物。それはただ一人、今ゼンガルセンとモニター越しで話をしている皇帝に他ならない。真紅の髪を持つ皇帝はそこに何の感情もなく、淡々と語る。後悔も寂寥もなにもない、そこにあるのは皇帝のみ。
「陛下」
『どうしたリスカートーフォン公爵よ』
「貴様に惚れそうだ、レーザンファルティアーヌ」
『ほぉ、お前に恋焦がれられるとはこのレーザンファルティアーヌにも狂気なる魅力があるという事か? ゼンガルセン=ゼガルセアよ』
「よく言う。皇君は雑事が終わってから帰そう。出産後まで引き止めておこうではないか。それまで引き止めれば全てが完了するだろう? 我が惚れた男ができぬわけがない」
『十分過ぎる程だ。それほど時間があればデバランも死ぬ。それではな、リスカートーフォン公爵』
「クラサンジェルハイジ様にリスカートーフォンが “気を落とさぬように” と言っていたことお伝えください」
『笑顔で言っていたと伝えてやろう』
 ゼンガルセンとシャタイアスが頭を下げ、皇帝は通信を切った。
 しばらくの沈黙の後、頭を下げたままのゼンガルセンの押し殺した笑いが室内に響き渡る。それを聞きながらシャタイアスは頭を上げ溜息交じりに、
「やるとは思ったが、躊躇い一つない方だな」
 今聞いた出来事を反芻する。
 サフォント帝はデバランが死ぬ直前に大暴れしないように、怒りを収める為にロヴィニア系の親王大公を一人人身御供としたのだ。
 うつむいたままゼンガルセンは笑い続け、そして誰に伝えるわけでもなく叫ぶ。
「さすがサフォント! 治世安定の為ならばわが子も叩き殺すか。偉大なる支配者に恵まれた臣民共め、今生きていることに感謝せよ」


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