君雪 −6
「デバランよ、満足したか」
「ええ」
「そうか。ではこれで余の訪問は最後だ。あとは黙って死ぬが良い」
「……ええ、どうぞ。それではお帰り下さい」
皇帝は後宮の権力者に最後の訪問を終え、ゆっくりと自らの執務室へと戻る所であった。
その途中、一人の少女が待っていた。
「陛下、お聞きしたい事が」
「付いて来るが良い」
警護を全員下げ、向かうはずではなかった方へと足を進める。
そして歩きながら皇太子に話すように促す。ゆっくり過ぎる程ゆっくりと歩く皇帝の背中を見つめながら、皇太子は意を決し口を開いた。
「皇子を殺害した犯人の捜索をなさらないとはどういう事ですか?」
生母は生理的嫌悪すら覚えるが、もしかしたら自らの夫になるかもしれなかった弟。銀河帝国皇帝の息子である親王大公が何者かに殺されたというのに、周囲の反応の鈍さに皇太子はいらだっていた。
反応の鈍さとは、犯人を捕らえようとする気配がほとんどないこと。
「必要がないからだ」
皇妃が人に好かれない性質なのは皇太子がよく解るが、それを差し引いても何かがおかしかった。
「あのっ! 警備責任者が一年の自宅謹慎で……それ……」
「皇太子よ犯人を知りたいのか?」
「はい!」
「命じたのはデバランだ。それで良いか?」
その名を聞き皇太子は声を詰まらせる。
“デバラン” その権力の前には、誰もが率先して犯人を捕まえる気にはならないことは理解できる。理解は出来るが皇太子は犯人を捕まえてやりたかった。
成長すれば嫌いになったかもしれないが、何も知らないまま殺されてしまった弟に対ししてやれる事は、
「命じたのはデバラン侯爵でしょうが、死の床についている侯爵の代わりに手を下した者が」
直接手を下した者を、それなりの刑罰に処すこと。
彼女はそう考えたのだが、それが出来ない事を皇帝の口から告げられた。
「余だ」
「……」
父である皇帝に、面会許可も貰わずに廊下で待ち伏せて尋ねる。
「想像していたのではないか?」
自分のとった行動から考えてみても、認めたくはないが≪皇帝を疑っていた≫ことは確かだった。それを突きつけられ一瞬怯むが、それでも彼女は皇帝の背に声をかけようと必死になる。
「あのっ!」
どう言葉を続けようか悩んだまま発した声に、皇帝は足を止め振り返る。
その変わらない表情と声に、彼女は気圧され後退したくなるが、必死にこらえて自分が捕まえようとした【犯人】の言葉を聞く。
「皇太子よ、言葉にすれば簡単だ。デバランはカウタマロリオオレトを馬鹿にしたロヴィニア王太子に激怒した。それを殺害したクロトハウセを殺せというロヴィニア王にも激怒した。その上クロトハウセとカウタマロリオオレトを引き離したロヴィニア勢。その一族を一人殺せと、一人で溜飲を下げてやるから殺せと言ってきた。だから余の血を引くロヴィニア王女の息子を殺した。解ったか?」
“デバラン” の意見を聞き入れなければ、多くの者が彼女の怒りの巻き添えで死ぬことになった事は理解できる。
だがそれを直ぐに全て受け入れる事は彼女には出来なかった。
「何故……何故皇妃の息子だったのですか? 私のほうが地位高く殺害される価値が高いかと」
【犯人】を捕らえ裁けぬのならば、その経緯を知りたいと皇帝を見上げながらも真直ぐに見つめる。その視線に皇帝は、言葉濁さずにはっきりと告げた。
「確かにな。だがなライバロストよ、デバランが望むものはお前の価値ではないのだ。死んだ人間を悲しむ人の嘆き、デバランはそれを欲しておるのだ。物わからぬ赤子や皇太子の地位にあるお前ではなく、それらが死んだ後に嘆き悲しみを楽しむのだ」
「…………」
「殺された者などどうでも良いのだ。デバランが見たいのは、その者を殺されて嘆き悲しむロヴィニア勢。そなたを殺しても “デバランが望む慟哭” は得られない。むしろ、そなたが死んで悲しむ人物の慟哭など慟哭とも見るまい。デバランの中にある悲しみ、それは[皇帝の正配偶者になれるはずだった自らの子が死んで、権力から遠ざかったことを悲しむ]それをデバランは欲しておる。クラサンジェルハイジの悲しみは、まさにその一点。それの良し悪しではない、それをデバランは欲し、クラサンジェルハイジはそれを与えられる唯一の女だった」
皇帝は表情一つ動かさず、淡々と娘である皇太子に語る。
皇帝の傍にいるのは、全て同じ系統の人間では意味が無い。他者から見れば悪人に見えるようなものでも皇帝の裁量で、いかほどにも “使える”
それを使えてこそ皇帝であり、多種多様な人間の利用方法を冷静に、時には冷酷すぎるほど冷酷に見極めるのがサフォントという男であった。
「私が死んで悲しむとは?」
「皇君が泣こう。恐らく皇君はジェルディンの死も泣くであろう。だが皇君の “死した者を思う涙” ではデバランの溜飲は下がらぬ。デバランが欲しているのはあくまでも自らと同質の悲しみであり、それ以外の悲しみはあの女の理解の範疇にはない。多くの者は自らと同質の感情以外の感情を認めぬ。お前を殺せば皇君はお前に対して真摯に泣くであろう、だが失われた権力のために泣く事はない。それはデバランにとっては異質であり到底納得できないものだ、よって権力の喪失を嘆く女の息子を殺した。解ったか」
「はい……」
皇帝は身を翻し、手で刺繍が施された重さのあるマントを払いのけ、そのはためく音と共に宣言するかのように語る。
「銀河帝国全臣民の頂点に立つ皇帝たるもの、内乱の恐れを自らの子一人の命で潰せるのであれば何ら躊躇うことはない。お前も帝国を継ぐのならば覚えておくが良い、この帝国で最も重き命は皇帝であり、また軽き命は皇帝である。皇帝は皇帝として君臨統治ができている間は重き命であるが、皇帝が皇帝として統治できなくなった時、その命は風にそよぐ羽毛よりも軽い。己が重き存在であり続けるか、軽き存在となるかそれは己次第。忘れるな」
皇太子は目の前にいる男が父である以上に皇帝であることを再認識し、膝をつき深く頭を下げる。
「……陛下」
「どうした?」
「皇君が戻ってきたら、お会いしてもよろしいですか?」
「存分に会うがよい。あれはお前のことを案じておるであろう」
そう言い残し『皇帝』は頭を下げている『皇太子』から離れていった。
− 貴方が弟である親王大公を自らの手で殺害したと知っても、私は嫌うことはできません。そして……皇妃を哀れに思うことも出来ません。皇妃がそのような女でなければ、無力な親王大公は殺されずに済んだのですから……私は一生あの皇妃に優しい態度を取ることはできないでしょうし、同情もいたしません −
**************
呼び出されたエバカインは通された部屋で向かい側に座っているゼンガルセンの “妙に嬉しそう” に見える表情に不安を感じていた。エバカインの皮膚に突き刺さるような “歓喜”。通常では喜ばないだろう事を、目の前の男が喜んでいることはわかった。
「どうなさったのですか?」
「殺された」
『殺された』と『嬉しそう』をエバカインは自分の頭の中で必死に繋げる。ゼンガルセンが “殺されて嬉しい相手” それを探して、今一番立場が危うい弟が思い浮かんだ。
「誰が? まさかクロトハウセが?!」
「あいつが黙って殺されるような男に見えるか? それに今はケシュマリスタ王の下に身を寄せてるんだ何もありはしねえよ」
「では、誰が!」
では何故目の前の男はこれ程までに嬉しそうなのだろうか? 人の死が最も軽い一族の頂点に立つ男が喜ぶ。そんな相手がいただろうか?
皇帝ではなく、帝国軍総司令長官でもない。それ以外の人が死んでゼンガルセンが喜ぶだろうか? エバカインは必死に考えるが、誰一人思い浮かんでこない。だがゼンガルセンは喜んでいる。
エバカインには理解しえない喜色を浮かべてながらその人物の名を告げた。
「ジェルディン皇子。クラサンジェルハイジ皇妃と陛下の間に生まれた親王大公だ」
「なっ……」
何故それがゼンガルセンにとって嬉しいことなのか?
元ゾフィアーネ大公の妻の子が死んで嬉しい理由、それはエバカインには解らなかった。だが、何故殺害されたのかは解った。
「デバラン侯爵の報復だ。もう死が目前に迫っているせいか、今まで以上に自分の権力を誇示したがるから皇帝も扱いには細心の注意を払っている」
死ぬ直前だから誤魔化せるや、暗殺できるほどデバランの権力は安くはない。
ゼンガルセンも自ら殺したいと何度か思いはしたが、警告は出来ても直接手を下すのは難しかった。それは宮殿の主である皇帝も同じこと。
「あ、あの……実行犯は?」
皇帝は不用意にデバランを刺激せず、被害を最小限にとどめて天寿を全うさせるよう動いた。
「捕まらんよ」
「捕まらないって……死んだということですか?」
「いいや、死んではいないが、捕まってもいない。誰も捕まえられん。皇妃宮の警備責任者が責任を取らされて一年間の謹慎処分だが、それ以外はないだろうな」
誰も犯人を捕らえようとしない。
後宮の権力者と宮殿の主が合意の上で親王大公を殺害したことは明白。
「ゼンガルセン王……わ、私! 帰ります!」
ヒヤリとしたものが背中を流れたエバカインは、急いで宮殿に戻る用意をしようとしたが、
「駄目だ」
「どうしてですか!」
肩を掴まれ、止められる。骨が軋むほどの強さで掴んでくるゼンガルセンは先ほどと変わらず、ずっと喜色を浮かべたまま。
「お前も気付いたんだろう? 誰が犯人なのか」
耳元に口を近付け、囁くのとは違う威嚇するような低い声で語る。
「……」
顔にかかる吐息、それは良い香りなのだが、エバカインを不安にさせる何かを含んでいた。
「元々お前の立場は悪いし不安定だ。それに子も決して生まれないから……嫉妬したとか間違った解釈で犯人候補にされかねねえんだよ。だからこうやって此処に送られたのさ、犯人じゃないとはっきりさせる為に」
皇帝がエバカインを宮殿から離れた王城に送った理由。
それはゼンガルセンがシャタイアスの息子を王城に呼び寄せた理由に良く似ていた。
両者共 “皇妃” によく思われていないために、次の犠牲者にされる恐れがある。皇妃は直接手を下した犯人の処刑を望むが、皇帝はそれを捕らえようとはしない。そうなれば皇妃はどのように動くか?
犯人を捏造する方向に動く可能性が最も高い。
その際に犯人候補に挙がるのが『エバカイン』と『ザデュイアル』
皇妃によく思われていないこの両者は、この場合悪いことに警備をかいくぐる事が出来るだけの能力を持っているので、犯人に仕立て上げられてしまうこともある。
それを見越して皇帝はエバカインを、ゼンガルセンはザデュイアルをエヴェドリットの王城へと集め、王妃の出産立会い確認証明の書類に署名させ、その場に居た事を最も重要な書類を持って立証させた。
「犯人って、決まったわけじゃあ……」
兄を信じていないのではなく “できることならば違って欲しい” というエバカインの思いも、
「なら本人に直接聞きな。あの男は自らの罪から逃れることをするような男じゃない」
“これらの事に関してはエバカインよりも皇帝の性質を理解している” ゼンガルセンによって完全に否定された。
自分の不安とは正反対の、自信のあるゼンガルセンを前にエバカインは頭を落とし、肩に食い込んでくる手に手を乗せて、離して欲しいと意思表示をする。
「あの……エヴェドリット王……」
「何だ?」
「何故貴方はそれ程嬉しそうなのですか?」
エバカインの肩から手を離し、顎を掴み顔を上げさせゼンガルセンはその目を覗き込む。エバカインが震えるほどの、不気味な光がそこにはあった。
「どうしてだと思う?」
エバカインには理解できない、また理解しようとも思えない、その深遠なる狂気。
「解りません……」
ゼンガルセンに比べられないにしても、人を殺したことはあるエバカインだが、殺戮者の目を前に完全に異質なものを感じ取った。
「そうか、それなら解らないままでいろ」
顎から手を離し、ゼンガルセンはエバカインを残したまま部屋から出て行った。
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.