君雪 −4
「シャタイアスは!」
「離城にいらっしゃりますよ」
 基本的にゼンガルセンは細かい仕事は自分ではしない。出来ないのではなく、主軸となることに専念したいがために、雑事に近いことは全て腹心のシャタイアスに任せている。
 軍事ならば任せてもいいと思える家臣は多数いるが、政治の細かい所にまで関わらせても安心だと思えるのはシャタイアス一人。
 皇位簒奪の気概を持つ王の下には、王位簒奪の気概を持つ家臣が多数集っているので、出来る限り重要部分に部外者を触らせることはなかった。だが一人でやるには限界がある、ゼンガルセンはそう答えを直ぐに出し、王妃の下へと向かった。
「王妃」
「何か? エヴェドリット王」
 王妃の精神面と、それに同調する腹の中のわが子も大事だが、それ以外にもしなければならない事が多数ある。
 優先順位では王妃は上だが、それだけを至上のものとしていては王国の支配に関わるという事でシャタイアスを呼び戻すことに決めた。
 だがゼンガルセンが一人決めた所で王妃の許可がなければシャタイアスが離城から動かないことも解っているので王妃を説得に来たのだ。
「諸事情によりカウタマロリオオレトを連れて帰ってきている」
「聞き及んではおりますが」
「経緯は?」
「クロトハウセ親王大公がロヴィニア王太子を殺害したのが原因だと聞きましたが」
「その通りだ。それで “シャタイアスが” カウタを城に連れて来てお前に会わせればいやなことも思い出すだろうと世話を買って出た。だが、あいつがいないと我が困る。仕方ないので少しの間だけ我慢をしてくれ」
 ゼンガルセンにしては珍しい≪依頼≫に王妃は驚きつつ、
「それは不自由をおかけしましたわね。私の事など気にせずともよろしいに」
 当然の事として受け入れた。
 ただ驚いたせいで、ゼンガルセンのある言葉を聞き逃したのだが、それを聞き返したとしてもゼンガルセンは言葉を濁しただろう。
「腹の子に影響があると困る。それは我の子だ」
 “少しの間だけ” とゼンガルセンは言った。五年の宮殿追放を “少し” という人はあまり多くはないだろう、だがゼンガルセンはそう言い切った。まるで少しの間で事態が解決すると言わんばかりに。
「貴方様の子でしたら、母体の感情の変化如きで左右されないでしょう」
「確かにそうだが、やはり嫌か?」
 ゼンガルセンが尋ねるとゆっくりと首を振るも、否定はしなかった。
「全く関係のない方ですがいい気はいたしません。とは申しましても、目の前に居るのは大君主のお父様そっくりですけれども」
 嘘をついたところで、ゼンガルセンが騙されてくれないこと王妃は理解していた。ほんの二年ほどの関係、一緒にいる時間は半年にも満たない程度だが王妃は≪ゼンガルセン≫という “王” が噂通りであり、また噂以上であることを身を持って知った。
「そうか。それにしても面倒だ、アレの世話させるのは人選が面倒で」
「人選? どうしてまた。此処には王に恭順を誓った者達が億の数ほどもいるのに」
「あいつの面倒を見るとなると人選が難しい。あいつは何をされても訴えることが出来ない、それを知っている奴等が多いから調子に乗っていたずらする可能性もある、むしろ高い。あいつの綺麗な容姿が仇だ。今回のクロトハウセの蟄居もそれが原因ときているしな」
 王妃は今回のことに関しては事情を聞いていても、カウタマロリオオレトの過去については一切知らされていないので、実際は話が全て見えないのだが、過去を知らないこと自体が解らないので言われたことだけで理解をし話しかける。
「世話とは何をなさるのですか?」
「日常生活が怪しい。“トイレに行きたい” と言ったら連れて行って脱がせてやる事や、食事の時に脇について補佐してやらないと食べるのよりも落とす方が多いらしい。後は遊んでるだけらしいが、それを黙って見張ってる必要がある」
「その程度でしたら私ができますので、どうぞお連れ下さい」
 腹に手を置きながら、夫であり王であり息子の後ろ盾である男に言い切った。
「良いのか?」
 ゼンガルセンは思わぬところからの申し出に驚きつつ、
「ええ」
 自分が王妃を心の底から信頼していることにも驚いていた。
「平気か?」
 王妃の申し出に猜疑心一つ抱かずに、任せようと思っている己。腹の大きな年上の王妃を見下ろしながら、何故己がこの王妃をそれ程信用しているのかを内心で問いつつ話続ける。
「もちろん。どれ程大変な事かと思えばその程度ですか。それに大君主殿下は大人しい方なのでしょう? 暴れたりはなさらないのでしょう?」
「そういった問題は全くない。お前に襲い掛かるような言動も一切ない。教えて手や足をとってやらないと行為自体が怪しかったらしいしな。それも十年近く前の事だ、今は当時よりももっと悪化しているから先ず持って無理だ」
「どうぞ、誠心誠意お仕えさせていただきますので」
「腹は?」
「全く問題ございませんよ。これ程注意深く検診されて医師が待機しているのですから、問題などあるわけもりません。昔一人で産んだときに比べれば、楽すぎてつまらないほどです」
「一人?」
「病院にはいきましたけれど、途中は一人きり。まだ十七の若い世間もよく知らない頃でしたので不安でしたわ、両親は既にその頃亡くなっていたので頼る相手もおりませんでしたし」
「無理するなよ」
「はい。貴方のお子は、エヴェドリットの後継者は問題なく産みますのでご安心を」
「それなら良い」
 その後シャタイアスにカウタマロリオオレトを連れて戻ってくるように王妃に連絡をさせて、戻ってきたシャタイアスに細かい仕事を預けゼンガルセンは直ぐに己の仕事へと戻っていった。
 シャタイアスから “これはこうした方がいいですよ” という本人の経験に基いた引継ぎを受けた後、アレステレーゼは大君主と対面する。
 大君主に過去に会ったのは二度。一度目は思い出したくもない暴行の直前で、まだ彼が王太子だった頃。二度目は息子の挙式直前で彼がケシュマリスタ王であった頃。そして今回が三度目。
「はじめまして、王妃」
 ふわふわとしたイメージを人に与える大君主は、そのイメージどおりにアレステレーゼに挨拶をした。
「はじめまして殿下。息子に良くして下さってありがとうございます」
 少しだけ調子の外れた口調。
 シャタイアスから大まかなことを聞いた時、アレステレーゼは “どうして大君主は病でこのようになられたのですか?” と尋ねたのだが、シャタイアスや “病ではありませんが、それ以上のことは答えられません” と答えたのを聞き、二度目に会った時の不安を感じたものの、それ以上は聞かなかった。
「えーと王妃は……誰でしたっけ?」
 明らかに何処かが狂いだしている大君主だが、アレステレーゼはその奥に何一つ悪意を感じることはなかった。その中にはアレステレーゼの過去と重なる部分も存在はするのだが、それを感じ取ることは出来なかった。
「皇君エバカインの母にございます」
 大きな腹に手を添えながら、略式の挨拶をすると
「エバちゃんのママですか。こんにちは、カウタマロリオオレトです。たぶん昔、ケシュマリスタ王だったような気がします」
 かつて自分が王であったことすらぼやけ始めてきた大君主も、略式の挨拶をして二人は部屋へと向かった。

 大君主の世話に際し、ゼンガルセン本人曰く『多少は不安』に思っていたが、
「世話しなれているというか、全く苦労していないようだが」
 アレステレーゼの方は問題なく接していた。
 自分とは全く違い、さほど苦もなく大君主に接している姿にシャタイアスは素直に感心していた。
「話が出来て、意思表示もある程度出来るし自分で歩けるから苦労はないんだと。赤子はもっと大変だそうだ、我は知らぬが」
「それはまあ」
「だが面倒見れる能力のあるやつが、絶対に間違いを起こさないという保障がない。どちらを取るかとなれば、間違いを起こさない方を取るしかない。特にアイツになにかあったら、本人に関係なく大問題になるからな」
 現在の大問題も、本人にはどうにも出来ない間違いから起こった出来事であり、本人には最早どうすることもできない。
「その点、王妃の皇君は適任者だな」
 大君主は事態が収まるまで、全く関係のないところで遊んでいるしかない。
 そしてもう一人、遠く離れた場所で事態の収拾を待つしかない男がいた。
「確かに間違いと縁遠い所に住んでいる男だろうよ」
「その皇君だが “妹でありエヴェドリット第一王女の誕生を祝うため” に此方に向かって出発したそうだ。事前通知はあったのか?」
「ない」
「……」
 ゼンガルセンとシャタイアスが視線を交わし、ついに≪動いたか≫と小さく頷きあう。
「皇帝陛下が自ら連絡を入れてくださったわけだし、わざわざ皇君が御見えになるのだ、温かくお出迎えしてお持て成ししようじゃないか。……本当にそれだけだと思うか? シャタイアス」
「まさか……恐らくこちらに到着したあと……」
「死ぬ間際に暴れられても困るからな、あの老女め。やるとは思ったが、たいした物だ」
「……」
「複雑か?」
「いや、仕方のないことだとは思うが…… “母親” は認めないがあの皇子はザデュイアルの弟だ」
「悲しみも一入だろうよ。皇太子の夫になれるからなあ、片親違いの親王大公は。権力を握ろうとするやつは嫌いではない、だが危険であることを忘れているのは愚かとしか言いようが無い。それと大君主の世話用にお前の息子も王城に呼んでそろそろ到着するはずだ」
 そう言ってゼンガルセンは笑い、シャタイアスは頭を下げて、
「そこまで気付かなかった……そうだな、八つ当たりで殺される可能性もあったな」
「気にするな。王妃が出産してもしばらくは大君主はいるだろうから、産後はお前の息子に任せる。お前の息子は皇君ほどではないが、まあ信頼してやろう」
 そう言ってゼンガルセンは部屋を後にし、残ったシャタイアスは
「いい加減 “お前の息子” ではなくザデュイアルと名前で呼んでやってくれないかな……とも思うのだが」


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