PASTORAL −135
ゼンガルセンの簒奪は、余が想定しておった最短時間で終了した。あの男の実力を考えれば妥当なのであろう。
「後二日かかれば……たものを」
「陛下何か?」
直ぐ後ろにおるダーヌクレーシュが命令かと聞き返してきたが、余は手を振る。
“後二日かかれば、この皇位くれてやったものを”
後二日、エバカインと二人きりで過ごしておれば、最早戻って来る事は出来なかったであろう。エバカインと二人きりの生活得る為に、皇位を放り出したに違いない。
「ゼンガルセン、そなたの有能さが仇となったな」
「陛下?」
帰途に付き、今までの事をエバカインに説明した所、泣かれてしまった。
そなたは泣くであろうと思ったので、どうしても言う事が出来なかった。これだけ目を腫らして泣いている姿を見ると、この先も策謀を “打ち明けて” 加担させることは不可能であろう。知らぬ間に加担しているのならば可能であろうが。
落ち着くまで傍に居りたいのだが、皇帝としてはそうもいかぬ。
エバカインを一人残し、政務に戻る。そなたと毎日のんびりと過ごした日々、そしてまたそれを得る為には、此処で自堕落に過ごしている訳にはいかぬのだ。
大方の事は出発前の準備で片付いたが、意外なことが起こった。カウタが余に異議を申し立ててきた。
カルミラーゼンが “今回は何時になく強行で、絶対に引かない様子です。如何なさいますか?” 少々困惑気味に余に連絡を入れてくるとは、余としても想像しておらなかった。
通信を繋がせると、カウタが混乱したように喋り始めた。暫く黙って聞いておると、徐々に落ち着き始め、話の内容に到達する。
『何で……だって! だって!』
向こう側に居るカウタが、涙ながらにエリザベラの助命を訴えておる。
カウタが余の “決定事項” に異議を唱えるのは初めての事だ。
カウタは幼少期 “皇帝陛下には絶対に従うように” と教育された。教育したのは父親、ケネスセイラ。
ケネスセイラという男は確かによく皇帝に従い、息子であるカウタにも重々言い聞かせた。父親を慕っておったカウタは、その言葉を確りと覚え、信頼する父の言葉に従った。
『だって……そうだよ! 彼女はさ、私の飲み物に入れるつもりで、間違ってラスのお酒に! そうだよ! 絶対にそうだよ!』
クロトロリアに蹂躙された時、相手が皇帝であった故、拒否するという事は考えられず、助けを呼ぶと言う事も出来ず、ただ父親に教わった通り “皇帝” に従った。
母王に言う事もなく、余に助けを求めるわけでもなく、カウタは皇帝の暴力に黙って従う。止めて下さいとも、嫌だとも言わずにな。
そのカウタが、皇帝である余の決定に異議を申し立ててくるとは。
「カウタマロリオオレト、お前が口にする物に毒が入っていた場合、ケシュマリスタ王毒殺事件になるのだぞ。そうならば、お前がケシュマリスタ軍を指揮し、エヴェドリット軍と戦闘する事になる。それが出来ると申すなら、エリザベラが毒を入れる相手を間違えたとしてやっても良い」
クロトハウセの謀殺未遂とケシュマリスタ王の謀殺未遂、事件としての重大性は後者の方が高い。
その謀殺、余が仕組んだものと知っておるゼンガルセンは、姉の無罪を主張して攻めて来る。
相手がケシュマリスタならば、ゼンガルセンはこの事件を黙殺はせぬ。帝国軍とケシュマリスタ王国軍の連合武力を持つ余の支配下である「クロトハウセに対する事件」故にゼンガルセンは引き下がっておるだけのこと。
カウタの謀殺未遂とならば、相手はケシュマリスタ王国軍のみ。そうならば、あの男は喜んで戦争を仕掛けてくるであろう。
『そ、それは……』
「お前が総指揮出来ぬのであらば、余が帝国軍から指揮官を派遣する事になる。ケシュマリスタ国王からその指揮権を委ねられる相応の地位、尚且つエヴェドリット軍と正面から戦える指揮官となれば、帝国軍に一人しかおらぬ。クロトハウセだ」
“余の子を傷付けた報い、当然だろ? 何か不満でもあるのか?”
カウタは何一つ悪い事はしておらぬ。ただ、その周囲が誰一人カウタを守ってはくれなかった。
そう、誰一人としてな。
『それって、ラスが? ラスが?』
「クロトハウセとゼンガルセンの勝負となるであろう。これが始まれば、余であっても止められぬ、どちらかの指揮官が戦死するまでは。指揮官の質は同等だが、配下の能力、特にクロトハウセはケシュマリスタ軍しか使えぬ事から考えれば、ゼンガルセンが勝利する確率の方が高い」
余を真直ぐ見ておった瞳から、大粒の涙が流れ出す。
カウタ、自分の愛した男の妻が殺されそうになっている、それを喜ぶような人間ではないのだな。昔からそうであったが、今でもそうなのだろう。少々の残酷さはあるが、それが突き抜けることはないのがお前だ。
我が永遠の友、我が良心にして狂気の源となる者よ。
『なんで……なんで……』
お前はもっと残酷になればよい。死んだ事を喜べるような人間になれば良い、尤もそれが出来ぬのがお前なのだろうが。
「余の命にこれ以上異議を唱えるつもりならば、それ相応の覚悟はあるのであろうな、ケシュマリスタ王」
保護するのは簡単だ。
カウタの意思など全く無視し、後見人をつけ、失態に対しても “良い、カウタは許してやれ” 何の叱責もせずに放置し、仕事は全て別の者に任せ、ただ遊ばせておく。
『申し訳、ございませんでした……陛下』
特別扱いをしてやるのは容易い。だが、カウタはそんな物を望んではおらぬ。
壊れようがカウタは王であり、余の家臣。帝国第一級の王であり、ケシュマリスタの支配者。あくまでも余の家臣である事を望む男の尊厳を踏みにじるつもりはない。
余はお前が失態を犯せば叱責する。他の王と同じように扱う事は出来ぬが、それでも “王” として扱っておるつもりだ。
「カウタマロリオオレト。お前は二十年近い昔、こうやって意見を述べ、抵抗するべきであった」
余の言葉に涙を止め、精一杯の笑顔を作り、
『あのね……いいの……だってお父様が悪い事したんだから……いいんだ……あの子元気? 私は、あの子を見たとしても解らないけれど……あ、解るかなあ……君の大事な子だもんね、私にも解るよね』
答える。
「解るであろう」
『そうだよね、私と君は』
私は、君の “幸せの子” を助けられて、本当に良かったと思っているよ。
悪いのはクロトロリアではない、真に悪いのは私の父だ。
だから皆、クロトロリアを嫌わないで。私の事を強姦したくらいで嫌いにならないで良いよ。
本当に悪い事をしたのは……私の父だから。
私は平気だよ。可笑しくなってるけれど、大丈夫。私は嫌いじゃないよ、クロトロリアは。
だって、君たちの父親だからね。私の父も悪い事をしたけれど、私は嫌わないよ。
カウタは何かを思い出したようで唐突に “彼女に謝罪したい” と言い出した。「彼女」が誰を指すのか解らなかったが、話を続けると相手が朧げながら見えてきた。こうやって話しておると、カウタが表面上は壊れておるが、内面はまだ何とか考える能力を持っていることが解る。
「カウタ、残念だがその相手、謝罪は一切受け付けぬそうだ」
一切の謝罪を受けないと、謝罪される事はされていないと言い張った。
『…………そうなんだ……、じゃあ……』
「余の婚礼に際して、当然の事ながら主賓の一人として呼ぶ。その時に、お前が謝罪したがっていた旨だけは伝えておこう。決して謝罪は受け入れぬであろう。かつて、ケネスセイラが謝罪しようと通信を入れたが一喝され、即座に通信を遮断してしまった程だ」
そしてあの男は死んだ。 “ただ卑怯なだけですわ” その通りだ、アレステレーゼ。
『お父様、謝ったんだ……謝ろうとしたんだ……』
「謝罪は受け入れてもらえなかったがな」
『それは、当然だね……許してもらっちゃ駄目だよ』
カウタとの通信を切った後、背後に控えていたダーヌクレーシュに問う。
「ダーヌクレーシュよ。今、余とケシュマリスタ王が語っていた “彼女” が誰であるか解るか? 正直に答えよ」
余の問いにダーヌクレーシュは、
「全く解りません」
「そうか」
宮殿においての会話は、個人を特定される[名]を省く事が多い。その理由は、周囲に人がおる事が関係する。どれ程内密に済ませたい会話であっても、人の耳はある。宮殿において人払いが完全に出来るなどと甘い考えは持たぬ方が良い。
特に皇帝の周囲には必ず人が付いておる。
「ダーヌクレーシュ」
「はい」
「余が侍女を強姦しようとしたら、主は止めるか」
そう、必ず周囲に人は存在しておる。
特に身体能力的に弱い皇帝は、身体能力の高い上級元帥の地位に付いている者を配置する。クロトロリアも強い警備を付けておった。
「止めさせていただきます。私は能力的には陛下に及びませぬので、殺される可能性もありますが、解っていても止めに入ります。ただ一つだけ断っておきたいのは、そのような場合にこの取るに足りない命をかけるのは娘の為ではなく、銀河帝国皇帝の名誉の為。それが私の名誉でもあります」
「主は良い男だな、ウィリオス=ヲウィリア。あれの妹であり、主の母である副王エラデォナデア=ナディラは見事だ。あの男の妹とはとても思えぬ」
クロトロリアの警備にあたっていたのは、軍事に疎い皇帝の代わりに帝国軍を指揮していた帝国最強騎士にして近衛兵であった筆頭上級元帥ケネスセイラ=ケセイラ。
「陛下……個人の能力がどれほど高くとも、暗君に隷属し間違いを指摘もせぬような者は、貴族として、いえ……[王の子]として正しい生き方ではないと、私ははっきりと言い切れます。伯父はその時、陛下の行為を制するべきであった。伯父の能力をもってすれば皇帝を止めることも出来、また伯父がその時に制していれば続く息子の崩壊にも……過ぎ去った事、ここで言っても詮無きことですが、伯父の息子を強姦したのは伯父本人。間接的であっても犯人は間違いなく伯父です」
クロトロリアがアレステレーゼを強姦した時、ケネスセイラは宮殿にいた。
傍にいたのだ、あの男は。皇帝が侍女に暴行していた時、帝国最強の男は知っていたが動かなかった。
皇帝の暴虐にケネスセイラは言った。『皇帝陛下の行為に家臣が口を挟むなどするべきことではない』その言葉が数年後、息子に跳ね返るとも知らずにな。
過去に同じ事をして娘を破壊されたシュスターの事、思い浮かばなかったのか。
アシュ=アリラシュが仲間になってまもなくの頃、初期の頃からシュスターに従っておった者が戦争中に敵を強姦した。それを見て、証拠を持ってアシュ=アリラシュはシュスターに報告したが、シュスターはそれを罰しなかった。
間違った身内意識、というのであろう。
当初から仲間であったそれを罰する事ができなかった。
そしてシュスターがそれを処罰しないだろうことを、アシュ=アリラシュは知っていた。知っていてエヴェドリット初代王は告げたのだ。
その後シュスターの娘、デセネアを強姦しシュスターに責められた時アシュ=アリラシュは言った。
「他の娘が部下に強姦されるのは黙認できても、自分の娘が部下に強姦されるのは腹立つのか。知らなかった、悪かった、てっきり全部の強姦許してくれると思ってたんでな。で、強姦しちゃあ駄目な相手って誰よ。なあ、知りたいだろう! 皆!」
続くアシュ=アリラシュの部下達の笑い声を前に、シュスターは声を失う。
お前も王子であらば、その歴史を知らぬ筈なかろうが、ケネスセイラ。
地位も名誉も権力も血筋も才能もある男が止めなかった “皇帝の暴虐” を、家臣達が命を張って止めると思うか?
[皇帝陛下の行為に口を出すなと、王子の父親であらせられるケネスセイラ上級元帥殿下が過去に命じたのでそれに従いました]
「侍女を強姦は物の喩えだ、喩えとして最低ではあるが。ただ、主の心意気を聞けて良くもあった」
ダーヌクレーシュは礼をし、伝令の言葉を聞きに向かった。
「陛下!」
「声を荒げどうしたのだ」
「ゼルデガラテア大公殿下が “おかしい” としか表現できない事をなさっているそうです。その為、医師達が是非とも陛下にご確認していただきたいと申し出ております」
余の可愛らしく麗しく、魅惑的にして蠱惑的でありつつ、清楚ではにかみやさんなエバカインがどうしたと?
悲しみに打ちひしがれるあまりに、その優しい心が打ち砕かれてしまったのか? まさか発狂したと言うまいな。皇族は発狂率が高い故に、まさか?
だがもしも、そうなったとしても安心せよエバカイン。余はどんなそなたでも、今と変わらぬ愛を誓う。そう、そなたの受精卵を愛した時から変わらぬこの思いは朽ちる事も尽きる事もない!
「付いて来い、ダーヌクレーシュ」
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