PASTORAL −134
宇宙で最も菓子を作るのが上手いのは、余の元にいる菓子職人ではなく『余の命によって、クロトハウセのケーキを焼いた男』ことシャタイアスである。
クロトハウセの菓子は全て皇后の管理下にあった。その目をかいくぐるとなると、殆ど人がいない宮の主、ゾフィアーネ大公の息子シャタイアスしかおらなかった。
シャタイアスは余の命を受け、菓子を作ることを了承した。生来器用なシャタイアスは、大量にクロトハウセの菓子を作った結果、職人の域に達する。
あれは帝国騎士の才能がなければ、軍事的な才能がなければ余専属の菓子職人となっておったであろう。シャタイアスの作る苺タルトは歴史に残る味である。
「シャタイアス閣下は、何でもお出来になるのですね」
「典型的な器用貧乏だがな。貧乏と言っても金銭的な貧乏ではなく、生活と言うべきか」
「お兄様……」
シャタイアスを器用貧乏にしたのは、間違いなく余だ。
あれは、余の影武者からクロトハウセの菓子の密造、余の間諜をしつつゼンガルセンに忠誠を誓い、不仲で有名であったクラサンジェルハイジにそれでも子を儲けた。
「才能があり過ぎるのであろう。とりあえずシャタイアスに依頼しておけば、全てが平均を遥かに上回る結果が得られる。それは周知の事実故に誰もがシャタイアスに仕事を回したがる」
帝国最強騎士でありながら、帝国最高菓子職人。
“軍人としてのシャタイアスは欲しいとは思いませぬが、菓子職人としてのシャタイアスは我が手にしたいと、夢に見る事もあります!” クロトハウセなどはよくそう言っておる。誰よりもシャタイアスの菓子に魅せられたクロトハウセ。
シャタイアスがゼンガルセンの所に行ったその日、あの菓子が毎日食べる事が出来ないのだと涙しておった。
ゼンガルセンとクロトハウセの喧嘩の原因の一つは、シャタイアスの菓子にある。こればかりは余もどうする事もできぬ。何せゼンガルセンは決してシャタイアスを手放そうとはせぬからな。
元々独占欲の強い男、一度手に入れた最高に役立つ異母兄を菓子職人として手放す事はない。
そして、生来真面目なシャタイアスは一度覚えた技能を退化させるような事はない。現在でも菓子を作っており、偶にクロトハウセの元においてゆく事がある。
シャタイアスよ、主の家庭に口を挟むのは度が過ぎるかも知れぬが、その手作り菓子を息子に届けようとは考えぬのか? 余としてはクロトハウセが喜ぶ故にこのままでも良いのだが、聞けば主は息子に一度もその最高級の手作り菓子を食べさせた事がないそうだな。
余の皇太子ザーデリアに届けずとも良いから、主の息子のザデュイアルに届けよ。
確かにザーデリアは主の菓子を食べて笑う時の表情が、主の初恋の相手であったザデフィリア、余の妃に似ておるから届けるのであろうが。
それにしても主も中々の度胸の持ち主だ。クラサンジェルハイジの息子にザデフィリアを変形させた “ザデュイアル” とは。確かにザデュイアルは伯母であるザデフィリアに似ておるが。
「それなら、お兄様が一番かと。器用貧乏ではなく! その! 才能があるという事です!」
「賞賛は慣れておるが、そなたの声で聞くとまた別格であるな」
愛している相手に褒めてもらえるというのは、心躍るものだ。才能があると、生前クロトロリアが余に向けて言っておったが、あれは “余の息子であるサフォントは” という、声にならない部分があった為、素直に聞き入れる事は出来なかった。
「才能といえば、ゼンガルセンは天才といって過言ではない画才を持っておる」
息子である余の才能を、自分の物のように自慢する姿、何が楽しいのか見ていても解らなかった。
ただ、クロトロリアは満足であった。
己の息子が全員、抜群の能力を持っている事に関して。それを自分の能力のように吹聴して回れる、変わった思考回路の持ち主であった。自分が使えぬ能力を自慢して、何が楽しいのであろうな。
「ああ……そうなんですか。絵を鑑賞するのがお好きなのかとばかり」
「鑑賞もするが、描きもする。特に人物画が得意だ。エバカイン、人物画を描くのに必要な事、知っておるか」
「……解りません……」
「解剖学が必要だ。美術解剖学だが、ゼンガルセンの場合は本当の解剖が得意ゆえ、それが絵にも生かされた。稀にいるであろう “動物を捌いていると人間も捌けるような気がして犯罪を犯しました” などと口走る者が。ゼンガルセンの場合は、人間を解剖しているうちに誰よりも人間を上手く描けるだろうと思い立ち、実践した珍しいタイプだが」
エバカインはその琥珀色の瞳を大きく見開くと、
「すごいですね! そしてお兄様は何でもご存知なんですね!」
……ふむ……外した様だ。
別にゼンガルセンは解剖など得意ではない、ただ高名な画家が傍にいて自分ならばもっと上手く描けると、生来の負けず嫌いから始まった事だ。無論人体構造は熟知しておるがな、人を如何に上手く殺すかを探求する者の性。
(殿下。この声は届きませんでしょうが)
(陛下。聞こえる事はないでしょうが)
ゼンガルセンの特性を考え、そしてエバカインの信じやすい性質を鑑みれば、確かに滑るな。
(殿下。弟君が可愛いのは解りますが、弟君は極度の天然体質です)
(陛下の弟君でいらっしゃるのですから、微妙に変な方向に滑りますわ。三大公の性質を、そして殿下の性質を考えて)
もしもこの場にザデフィリアの思念、または霊がおれば「殿下、ブラックになり過ぎです」とフォローしてくれるであろう。尤も、思念にフォローされても余もエバカインも帝国騎士。そのような物は、聞こえもしなければ見えもせぬ。
(殿下、無駄だとは思うのですが言わせてください。皇后にして下さってありがとうございます)
(陛下、聞こえていないとは知っていても言わせてください。殿下の事、これからもお願いいたします)
そう言えば、アイリーネゼンも余のこの “滑る資質” を気にしておった。「陛下と殿下の会話は、他者が聞いていますと全くかみ合っていない所か、両者共々、別の急斜面を滑り降りているようですわ」そう言っておったな。
(殿下、最後に一言。弟君は自分が皇君だとは知りませんよ)
(陛下、最後にお詫びを。殿下は陛下の名代をすっかりと忘れております。申し訳ございません)
「ゼンガルセンの事ならば、シャタイアスの次くらいには知っておる。あれは正しくリスカートーフォンよ、性質と言い容姿と言い文句のつけようがない」
「そうですね……」
「どうしたエバカイン?」
「ゼンガルセン王子に頻繁に会うようになってから、なんと言いますか……こう、もやもやしたものが。虫の知らせとかそう言った物ではないのでしょうが、なんと表現していいのか解らないのですが……何故か不安になるのです。……こんなわけの解らない事、お兄様に言うべきことではないのですが……」
少しは覚えておるようだな
「不安があるのならば何でも余に言え。生活環境が激変したのだ、不安を感じて当然だ。些細な不安や不満であっても、余に直接言うが良い。それら全てを余が排除してやろう」
試しに初陣の際、ゼンガルセンの配下に付け様子を伺ったが、やはりそうなったか。
ゼンガルセンは見事なリスカートーフォンの容姿を持っておる。あのタナサイドの弟であったケネスセイラと同じ。実親がタナサイドを殺しケネスセイラに継がせようか? そのように考える程の容姿と才能を持っておった男。
やはり言い知れぬ感情を持つか。だが、恐怖ではないだけ大したものだ。不安な、それは母を案じる感情から出ておるのであろう。
「いえ、そんな! ……あ、でも……お兄様にそう言って頂けると」
エバカイン、そなたはアレステレーゼの騎士だ。そなた以上の騎士はおらぬ。
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