ビルトニアの女
皇帝の望み娘の謳う破滅【4】
 ドロテアの創り上げたあり得ない陸路を通り、短時間でネーセルト・バンダ王国に到達して直ぐに、セツ以外の全員が馬車から降り、人が済んでいる気配の全く無い景色を見回す。
「三日で到着かあ」
 馬車を操っていた二人は、初めて訪れた大地に興奮を隠せなかった。
 最もこの二人以外にもネーセルト・バンダ王国を訪れるのが初めての者は多い。過去にこの閉ざされた孤島の王国を訪れた事があるのは、
「この大地、このままにしておくんですか? 姉さん」
 幼少期だったので訪れた記憶など無いヒルダと、
「しねえよ。此処から戻ったら消す。孤島は孤島として滅んでいけばいい。俺は世界の破滅には関わっても、世界の発展に貢献する気なんざねえ」
 少しばかり年の離れた姉であるドロテア。この二人は船で訪れたことがある。
「国王の所まで足を運んでやるのか?」
 遅れて降りてきたセツや、
「要らんだろう」
 ヤロスラフ。そして、
「俺がご案内しちゃおうか。ついでに城、吹っ飛ばすかも知れないけれど」
 オーヴァートは、ゲートを開いて訪れたことがある。
 特にオーヴァートは 《エルスト》 という名の従弟の死亡を国王の口から直接聞く為に訪れたことがあった。
「無視して、このまま突き進むぞ。ここを直進すりゃあセロナードだ」
 不穏当な事というか、何時もの呟きを無視しドロテアは拳を前に突き出しような仕草を取ると、荒れた大地に道が現れた。
「便利ね、ドロテア」
「だから神の力って言うんだ、マリア」
 笑いながらドロテアはマリアと肩を並べて歩き出す。
「あの小屋はなんすか?」
 遠くに見える ”小屋” をグレイが指さす。
 くすんだ色彩に一層の寂寥感をもたらす、色褪せ剥がれた塗料をまとっている石造りの建物。
 長年全く手入れされていないことが、視界から容易に判断できるそれは、この国において重要な施設。
「小屋じゃなくて、ありゃ霊廟だ。ネーセルト・バンダ王家の霊廟」
「霊廟って墓ですよね? なんでこんな寂れた場所に? それも王様の墓だってのに手入れなんてしてねえような」
 霊廟といえば豪華な物しか見た事のないグレイは、寂れた霊廟に声を上擦らせる。その声に周囲にいた者達も、注意深くそれを観察した。。
 ドロテアは荒れ狂う海を指さし、
「棺は海に沈める。この誰も通らない海峡に沈めるのが、ネーセルト・バンダ王家の葬礼。棺に収めて此処まで運んで海に沈める」
 色褪せた霊廟で葬儀を行い、その棺は沈められる。
「ここ、海が荒れてて船が出せないんでしょ?」
 マリアの質問に、
「飛んで運ぶ。魔術師何人かで運び海に落とす。後は沈んでいくだけだ」
 ”俺くらいの能力のヤツが三人いれば平気” と、僅かに地面から浮いた状態になるドロテア。
「珍しいですね。理由でもあるんですか?」
「死体が残っていると色々面倒なんだよ。ほら、暗殺された痕とか、毒物を使われた痕跡とか、魔の舌とかよ。偉いヤツの死体ほど、謎が隠されてるから隠さなけりゃならねえんだよ」
 ドロテアの声に僅かな笑いが含まれているのは、声を聞いた全ての者が解った。その笑いは誰に向けてのものなのか? それを理解したのはその場にいる極僅か。
「なるほど。さすがにこの荒れ狂う海中から棺を取り出せる人はいませんもんね」
 笑いの意味をしらないヒルダは、純粋に言い返した。
「一応言っておくが、オーヴァートやヤロスラフは簡単に取り出せる」
「あの二人は論外でしょ」
 意味を理解しているマリアだが、何時もと変わらずに話続ける。
「行くか」
 遠くの廃墟にも似た霊廟を眺めた後、各々が馬車に乗り込み発車を待つ最中、男が一人項垂れ、一人が ”先に行け” と無言で指示を出す。
 指示を出したのはセツ、項垂れたのは、
「皇帝と一緒に ”二人” として括られたのが、そんなに悲しいのかヤロスラフ」
 選帝侯。
「当たり前だろうが、セツ」
 特に好意を抱いているマリアに一括りにされたのが効いた。セツ自身、マリアに皇帝と一括りにされたら大きなショックを受けるだろうと思い、わざわざ残ってやった。振り返る事なく目的地に向かって走る馬車の姿は既に無く、在るのは波の音と鳥の鳴き声、そして軋むような潮風。
「ある程度落ち込んだら、走るぞ」
「……」

 その日ドロテア達が天幕を張り、夕食を作り終えた頃に二人は合流した。

「飯時狙って帰ってきたのかよ」
 ドロテアはそう言いながら、何かを指さす。その方向を観た二人の目に飛び込んできたのは、ギュレネイスの警備隊長が苦悶の表情を浮かべている姿。
「二人分余ったからって勧めてやがる。早く自分の分を回収してこい」
「あれはどう見ても二人分ではないだろう」
 ヤロスラフが首を振りながら ”どうみても四人分だ” を否定すると、
「当然だ。あれは一人分だ。もう一人分は、あそこの闘技場の伝説の前に」
 もう一人料理を前に恐れおののいている青年が。
「要するに、一人に二人前を勧めているのではなく、一人に一人前しか勧めていないわけだな」
「ああ」

 帰って来なければ良かったな……無言で二人は語り合い、各々料理を取りに向かった。引き取り手が現れた時の、クラウスとレイの表情は親を見つけた子供よりも嬉しげだった。

**********

 人が遠ざかって久しい山には、かつての道など既に存在してはいなかった。かろうじて街道だったと解る道を目印に、張り出した枝を打ち払いながら全員でゆっくりと山頂を目指していった。
 山を一周するような形で登ってゆく。登るにつれて木々の背は低くなり、ドロテア達の住んでいる大陸では見た事のない草花が足下に広がってゆく。
 登れば登るほどに澄んでいるのに呼吸が苦しくなる山道を、馬車を引きながら歩くイリーナは、それでも幸せだった。

”帰ったら報告します。クナ枢機卿閣下”

 セロナード城に向かう際に、イリーナとザイツは残していくという案もあった。「待ってても良いんだぜ。荷物運びはこの勇者と最高枢機卿と選帝侯と皇帝を、牛馬のようにこき使えばいいんだからな」
 ついでにバダッシュやミロにも残れとドロテアは言ったが、二人は耳を手で塞ぎ聞こえないふりをしていた。
「凄い四頭立てですね」
 ”ぼんぼん” の我が儘に舌打ちしているドロテアの脇で、ヒルダがその四頭立てに素直に感動した。
 馬など太刀打ちできないであろう四頭立て。
 だがその馬の一人は、
「全員違う方向に勝手に進む、世界で最も使い勝手の悪い馬車になるだろうな」
 俺は全員と同じ道は進まないと宣言する。
「何偉そうに言ってんだよ、セツ」
「否定はしないだろ。あの皇帝が同じ道を同じ速度で歩むものか。絶対にヤロスラフの反対方向に突き進む」
 セツなこの短い付き合いで、オーヴァートの事をほぼ理解してしまった。他者は皇帝の奇行に戸惑い認められないのだがセツはそれを、あるがままに受け入れるという事が出来る希有な男である。
「否定はしねえな。それにしても、本当に足並み揃わない男達だ」
 眉間に皺を寄せて、形の良い唇を軽く噛む。
「ドロテア、俺が一人で引っ張る」
 その表情に ”ドロテアが怒った!” と誰よりも早く恐怖を感じながら、馬車馬立候補したレイだが、ちらりとドロテアは視線を投げた後。
「お前は何かが起こった場合、先頭切って走り出さなけりゃならねえが、その際ちゃんと荷台を切り離してから走る事ができるか? お前のことだ、忘れてそのまま飛び上がりそうだ。その点、他に何名か居ると暴走だけは止められるからよ」
 頭を振る。
「忘れるかもしれないな」
 ”問題はそこじゃないと思うんだな、レイ” エルストは、最近やる気になっているが、何か方向性を間違っている彼を優しく、年長者の眼差しで眺めていた。
「最終的にはエルストが引っ張る事になるでしょうね」
 何故か馬になることがマリアの中で決定事項になっているエルスト。
「目に見えてますね」
 マリアに同調しつつ ”安らかに馬車馬として働いてください” と、奇怪な独自で作った祈りを捧げ出すヒルダ。
 勝手に祈りを作るのは教義に背き、裁判にかけられても文句の言えない行為だが、
「そいつは祈らん方が、エルストのためではないか? 祈っても構いはしないが」
 エド正教宗教法廷最高裁判長ことセツは特に何も言わなかった。
「俺もそう思うんだ。良かったら協力してくれないか、クラウス」
 荷台を引かないという選択肢を 《存在させることすら許されない》 エルストは、一人では無理だなと真面目で冗談の通じないクラウスに声をかける。
「馬車を……あの荷台を引くのか? 私とお前だけで!」
 引けるはずがない! と即座に思ったクラウスだが、試しもしないで否定してはいけないと、荷台に近寄り押してみた。
 かなり苦しいのだが、動いてしまった。
「エルストともう一人くらいで押せば何とかなるかも……」
 真剣に考え始めるた彼に、
「私も手伝います!」
 意外と肉体派のミゼーヌが声を上げた。
「ミゼーヌはまだ成長期だから、身体に負担のかかる事はしない方がいいでしょう。身体が完成した男だけが引くべきだ。というわけで、私とエルストで引きます。いいな! エルスト! 演習を思い出して!」
 真面目な男は別方向に真面目さが動き出した。
「大体貴様は、十年前の演習の時も」
「俺は真面目に演習なんてしたことないしさあ、クラウス」
 クラウスの怒りに軽く油を注ぎつつ、面白そうに困惑した表情を作っているエルストを観ながら、
「何か変な方向に話が進んでいるような気がするんですが」
 慣れないグレイは拡大の一途を辿る騒ぎを傍観していた。
「気にする事は無い、グレイ。じゃあ俺も引くかな」
「国王が!」
 そして同じ傍観者だった筈の国王が、二の腕の辺りを叩きながら、
「別に大した事ないし。ガキの頃は、屋台やってる伯父さんの手伝いしてたから、引くのはこの中でもかなり上手い方だと思うぞ」
 自信に満ちた表情で語る。
 一国の国王が荷台を引くのが上手くてどうする? とも思ったが、それを口にする暇すらない。
「俺も立候補するか」
 ミロに不必要な対抗心を抱くバダッシュまで荷台に近寄り、計算し始めた。計算とは、何処を押し引けば最も少ない力で荷台を動かせるか? の計算。
 最高学府で成績は悪くても、一般的な学問所の学徒を凌駕する知識を持つ。
「名家の御曹司、引けるのか?」
 胸元から出した巻き尺で長さを測り、これまた国王がどこから取り出したのか解らない定規で角度を測り始める。
「馬鹿にするなよ、国王」
 押す角度を測りながら、張り合う二名。その両者が張り合う理由は、二人を全く相手にしていないドロテアにあるのだが、その当人はこの二人に構ってはいられない。
「俺は空を舞いながら荷台を引こう! 天駆ける馬車馬! もっともぶって! 鞭でぶって! 俺をぶって! ああ、踏むのもいい!」
「黙れ、オーヴァート! ドロテアも踏まないでくれ、一応これでも皇帝だ」
「解ってるってのヤロスラフ! だが踏み潰してぇ!」
「踏み潰してぇぇん!」
 嬉しそうに四つん這いになっているオーヴァートを踏みつけているドロテアを観ながら、グレイは一人スケッチブックを抱き締めて佇むことしか出来なかった。

 結局の所、馬に荷台を運んで貰うことに収まる。
 馬に荷台を引いて貰わないと収拾の付かない事態になっていたので、仕方ないのだが。

 馬車はクラウスやエルストで充分引けるがイリーナとザイツの二人はどうしても! と譲らなかったので、二人も伴い山道を登ることとなった。
 ドロテアが二人を置いて行こうとしたのは、二人が高地経験が無いことが理由。
 ギュレネイス皇国一帯は高地はなく、首都に住んでいた二人は高地に出向く仕事などはなかった。
 他の面々は生まれつき平気な者や、探索や訓練などで慣れた者、そして首都が高地にある国王など、身体が適合しやすい者ばかりだったが、初めての二人はそう簡単にはいかない。
 ドロテアは二人に対してそれらを解りやすく説明したのだが、イリーナはどうしても! と言い張り、イリーナが行くなら自分も行くとザイツも付いてきた。
 苦しそう浅い呼吸をしつつ馬を引きながら、最後尾を歩くイリーナにドロテアは歩調を合わせて、声をかける。
「何で無理してまで付いてこようと思ったんだ」
 苦しいのが好きなのかよ? と揶揄しながら声をかけると、イリーナは苦しいながらも笑顔を作り、
「クナ枢機卿閣下が……」
 彼女が苦しい行程を歩む理由を、途切れ途切れ語り始めた。
「クナがどうした?」
「クナ枢機卿閣下、旅の話をすると喜んでくださったんです。私が移動した距離なんて……」
 クナはイリーナのを呼び出すと、彼女が今までこなした仕事の話をして欲しいと言ってきた。仕事をしているギュレネイスの女は珍しいが、語って喜ばせる事ができるような面白い仕事などしたことはないと、最初は辞退していたイリーナだが ”妾は何を聞いても楽しい” と言ってきた。
 そこで他愛のない話をした。
 初めて馬に上手に乗れた日からの出来事から、初めて仕事に向かった日や、失敗した出来事などを。
 普通に仕事をしていたら他愛もない事だが、クナは多いに喜んだ。手を叩いてまで喜ぶクナを前に、イリーナは不思議な気持ちになった。
 そして自分の知っている事だけではなく、父から聞かされた話や、ザイツから聞かされた話なども語った。父の話はイリーナにとっても壮大でクナも純粋に喜ぶが、ザイツの話は聞いているとき何処か寂しげだった。
 何故だろうかとある日無言のままクナを見つめると、イリーナの内心を理解したクナは、遠回しに理由を教える。
『双子で仲の良いとは……羨ましい限りじゃ』
 イリーナもクナの双子の姉がホレイル王女である事は知っている。そして仲が悪いことを ”知った”
「初めてこんな遠くに来る事が出来たから……クナ枢機卿閣下に……」
 ドロテアは腕を組み直し、
「この苦しさも伝えるか?」
 言葉を遮り彼女を見つめた。
「え……」
「俺は魔法を使える。魔法ってのは色々あるが、空を飛ぶ魔法を使う場合、身体が気圧の変化に耐えられるようにする術も行使してるんだよ。自分で飛ぶより、他人を飛ばす方が難しいってのは、そういう理由もある。少しは楽になるぜ。もっとも前を歩いてやがる、ザイツは ”この苦しいのも、クナ様にお伝えする” とかほざきやがって、拒否したけどよ」
 ドロテアの笑いに、イリーナも笑い返し、
「このままで。出来れば馬達に術を……」
「本当、同じことばっかり言うな手前等」
 ザイツと全く同じ事を口にした。


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