ビルトニアの女
皇帝の望み娘の謳う破滅【3】
「この子供の名前はなんと」
「セツでよかろう」


 ランドからセツに名が変わったその日


 俺が連れて行かれたのは、石造りの質素な教会だった。妹ど俺は別々の教会に預けられることになる。
 近いのだが、今まで一緒に生活してきた事を考えるとそれは遠かった。
 俺は修練士としての仕事を終え時間がある時は教会を出て、妹の教会へ向かおうと教会を出た。
「ランド! 今日も行くのか!」
 笑顔で声をかけてきた 《仲間》
「ああ。慣れるまでは顔をなるべく見せようと」
 他の大人達も悪意のない顔で俺達を眺めていた。優しかった、末端の聖職者の全てが優しく心清らかであるとは言わないが、俺がいた教会で、短い期間ながら接する事のできた聖職者達は、間違い無く聖職者だった。
「慣れるっても、もう一年以上経ってるけど。ま、遅くなるなよ! 晩飯の時間に間に合わなかったら俺が食っちまうからな!」
 修練士はまかない料理ながら、悪い味ではなかった。動き回っているから何でも美味かったのかもしれないが。
 スープに少し重いパンとチーズ。あとは目玉焼きにピクルス。
「妹の教会でごちそうになってくる」
 酢も当然自作している。直ぐそばにある教会同士でも、酢やチーズの味は随分違う。
「うわっ! 可愛くねえ! 土産に持ち帰ってこいよ!」
 だから他の教会の料理を少し持ち帰り、分けると喜ばれた。

 俺があいつ等の人生を終わらせたのは事実。

 俺は妹の教会でも手伝いをし、まかない料理を振る舞われ、パンにチーズとピクルスをはさんで、紙で包んで教会を出た。
 その帰る途中、美しい子供に出会う。
「君か……」
 顔は解らないが美しいに違いないと思わせる雰囲気を持っている。
「俺の事?」
「帰り道が解らないので……案内してもらえないだろうか?」
「何処まで?」
「法王庁まで」
 よくよく観ると目の前に居る小柄な人物は 《僧正》 の着衣を身に纏っていた。
「解った」
 あの当時は高位でも、連れてこられたばかりの者も多く道を知らない者も多かった。
 帰り道が解らない事、一人で出歩いていると不思議には思っても、不審には感じられなかった。
 俺は 《僧正》 の前に立って、案内をする。
 高僧のみが通れる門を通り、法王庁へと連れて行った。戻ると言っていた時間を大幅に過ぎて叱られるだろうが、仕方ないだろうと諦めた。
「待って……待って……」
 《僧正》 は着衣が重く、すぐに俺から遅れてしまう。振り返る度に小さい 《僧正》 が本当に小さく見えるのに溜息をつき、何度目か忘れたが呼び止められた時に引き返し、背負ってやることにした。
「ご、ごめんね」
 《僧正》 は本当に小さい子供だった。妹を背負った日のことを思い出す。
「そう思うのでしたら、一人で不用意に出歩かないでください」
「あ、うん……あのさ、君の名前は?」
「ランドです」
「私の名前はリク」
 《僧正リク》 ディス二世の後継者と目されている人物。法王選出とはほど遠い教会にいる子供でも解る名前。

 運が悪かったんだろう。俺ではなく、あの教会に居た奴等でもなく、俺の腰にぶら下がっていた、パン。
 あれを食べたのか捨てたのか、捨てられたのか記憶にはない。

 法王庁の前ではジェラルド派の大人達がうろついていた。多分俺の背中にいる 《僧正リク》 を捜しているのだろうと、俺は近付いて行き降ろした。
 僧正リクの姿を見つけた彼等は大急ぎで駆け寄ってくる。
「それでは」
 子供でただの修練士、それに派閥も違う俺が留まるのは得策ではないと、簡素な挨拶をしてその場を去ろうとしたら、誰かに腕を捕まれた。
「もう遅いから、今日は法王庁の一角に泊まるがいい」
 暮れてしまった夜空、透き通ってはいなかった。雲のある夜空は、星すら隠し夜道を闇の染めていた。
「ですが」
 俺は聞かれた事に正直に答えた。

 『どの教会にいるのか』

 連絡しておくからと奴等は言った。僧正リクを案内してくれた修練士をこのまま帰す訳にはいかないとも。
 派閥が違っても、同じ宗教ではないかとも奴等は言った。
 その笑顔の奥にある悪意と狂気を、俺は感じ取ることが出来なかった。
 俺は人より優れている能力を持っているが、全能ではない。人は人を欺くことに長けている。
 当時の俺は何の経験もないに等しい子供であり、欺かれる事を知らない修練士。
「法王庁の中は案内できるよ」
 嬉しそうに俺の手を掴んで法王庁へと連れて入った 《僧正リク》 俺も法王庁には興味があったな。
 二度と訪れることはないだろう法王庁。
 アレクスも気付きはしなかった。
 俺はアレクスと食事をした後に個室に案内され、一人きりになった所で、豪華な部屋だと感心して部屋中を見て回ってから休んだ。
 明日からまた何時も通りの規則正しい、神に祈る毎日が続くと俺は信じて、眠りの前に教会に来てから覚えた祈りを捧げて目を閉じた。

 あいつが夢に現れた。
 その時は夢だと解らないで、話掛けた。話の内容は以前の物で、それを不思議にも思わず、なんと無しに追う。
 − お前、似ているんだよ
『誰に』
 − 村にいた友達。メルブレルアードっていった
『へえ。ランド、お前が住んでた村ってどんな村』
 − 深い森のなかにあって、中州のある小川が近くにあって、みんなで遊んでた
『何か良い感じだな』
 − そう言うお前は?
『俺はさ、あんまり村には良い思い出ないし。村っていうか、親にな。安値で売られた』
 − ?
『お前の村には人買いは来ないのか?』
 − 殆ど外部の人間は来ない。場所が場所だからかもしれないが。深い森の中にある村だ。子供は午前中は仕事を手伝うが、午後は遊びの時間だったな。今思えば楽な生活をしていた
『いいな。俺は親に売り飛ばされたんだ』
 − そうなの……どうした?

 突如俺の前にいたあいつが、歪み薄くなる。

『ランド! 助けっ!』
 俺に向かって手を伸ばしたあいつの頭上に振り下ろされた斧。聖騎士団の紋が確かにはいっていた。
 白目を剥いて、目や鼻、口から血を流して崩れ落ちてゆく。
「      !」
 俺はあいつの名を呼びながら飛び起きた。
 何かあった! 理由は解らないが、あいつに、教会に何かがあった事を感じ、急いで戻ろうと部屋から飛び出し駆けだした。
「待ちなさい」
 出口付近のホールに居た聖職者達。奴等は部屋に戻れと俺に言ったが、俺はその脇を抜けようとかけだした。
 外側にいた聖騎士の一団に阻まれるが、この程度ならと殴ろうとした時に先触れの声が聞こえた。
「法王猊下の御前だ。頭が高い」
 俺は振り返り、遠くにいる法王を視界にとらえる。
 ディス二世。
「お前を預かっていた教会は爆破した。爆破する前に全てを殺害した、誰もお前の存在を確認できない。さあ、神に仕えよ。お前は神のためだけに存在する者となったのだから」
 俺が帰してくれと言う前に、法王の口から全てが語られてしまった。
 《死せる子供達》 になったのだと、死んだのは、
『よろしくな、ランド』
『いいなあ、何時か俺もお前の故郷に連れて行ってくれよ』
 俺ではない ”子供”
 理解した直後の記憶はない。俺は感情に任せて暴れ、そして白い床に倒され首を絞められていた。
 締めているのは、紫色の瞳をした子供。
「僧正閣下!」
「近付くな。下がれ、ジェラルド達。後は俺に任せろ」
 首を絞められ続け、意識が遠退く。最後に聞いたのは、

「落ち着け、亜種。俺は次の選帝侯」

 そんな言葉だったような気がする。尋ねたことは無いが。

**********

「閣下、到着しましたよ」
「そうか」
 馬車の荷台で眠りに落ちていたセツは、クラウスに声をかけられて目を覚ました。
「……」
 馬車が静止し、皆がネーセルト・バンダの大地を踏みしめているのに、一人降りてこなかったセツを不思議に思いクラウスは態々足を運んだ。
 ちなみにクラウス、セツから勝手に愛人認定されていた事に関しての謝罪は受けていない。
 クラウスは欲しくはないし、セツは謝罪するつもりなど全く無ので、双方それは無かった事にして過ごしている。
「如何なさいましたか?」
「ネーセルト・バンダ王国には何度か足を運んだことがあるが、人が住んでいる場所だけだったから、初めて観る景色だ」
 ホレイル王国から、航行不能な海峡を直線で結ばれ、踏破したネーセルト・バンダ王国の大地は潮に浸食された大地。
「潮風を防ぐ土塀や樹木を、人の手によって作り成長、補修し続けない限り、この荒れ地が変わることはないでしょう」
「そんな事、この大地は望んではいないだろうがな」
 セツは暴力的としか表現出来ない風のうねりを眺めながら呟いた。


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